道を迷ったのは別な意味で色々とその通りかもしれませんが、名残の春の陽を背中に感じつつ描いていた若き日の己を思い出します。
『而今至処成荊棘
却笑春風吹繚乱』
『又況活計具足 風景不疎
華解笑 鳥解啼
木馬長鳴 石牛善走
天外之青山寡色
嶺上猿啼露湿中霄之月
林間鶴唳風廻清曉之松
春風起時枯木龍吟
秋葉凋而寒林花散
玉堦鋪苔鮮之紋
人面帯煙霞之色
音塵寂爾
消息宛然
一味粛条
無可趣向』
化け文字では有りません。突然の漢字の羅列ですが、「正法眼蔵、行持 下」よりの抜粋です。左の文字では何が何だか読めないというか、分からないという私の曲字による代物ですので活字に直しました。
墨を磨って、その香りが好きなのですが、写経や古文を書写する時間は以前からでは少なくなりましたが、没我のひと時が得られます。漸く初夏の候を迎える季節になって我が体調も、気力もいささか回復して来ているのを感じます。お届けで外に出ますとハナミズキや菜の花が満開に咲いているのを眼にしますが、うれしくなります。
話題はガラリと変わりますが、司馬遼太郎先生は「八木一夫を評して」というエッセイの中で『伝統工芸は、九割までが技術で、あと一割が魔性である。その魔性がどう昇華するかで作品が決まってしまう。』と書いております。