駐車場のコスモスが咲き始めました。その一方ではご近所の垣根の朝顔が満開状態でございます。
今日はお彼岸の中日でございまして、三時頃まで、お店は、大賑わいでございました。有難うございます。
朝晩の涼しさは、今までたまりにたまった疲れをかなり取り払ってくれています。
ただし、気が抜けませんでして、
お寺様の大口ご注文、それも半端ではない数量のご注文が週明けに控えております。お施餓鬼のお供物として、一口は栗入り薯預まんじゅうの二個入りが約一千個でございます。同様なご注文が、何ヶ寺様から同日にございましてして、ありがたいことでございます。例年のことでして、いつまでこの仕事を続けられるか、少なからず、このご注文を乗り切ることが出来そうなうちは働き続ける覚悟です。
十月の栃木市茶華道協会様の薯蕷まんじゅうも、例年より数量が増えまして、ご注文が入りました。忙しいのは実に素晴らしいことだと思います。誠に大変ですが。
斯様な次第で、本日はここまででございます。
直木賞作家にして、お亡くなりになる直前までその直木賞の選考委員をなさっておりました、私が私淑する山口瞳先生ですが、先月末のご命日にて早いもので十七回忌となりました。
お葬式はご遺言で「自宅内を少し片付けて・・・、ご近所には少し、ご迷惑をお掛けするかもしれないが・・・。」ということでした。しかし、実は誠に大変な人数の方がご弔問にお集まりくださいまして、ご自宅の周辺を幾重にも、列を作っておりましたこと、正直、圧巻でございました。ご葬儀に参列くださった方は、まさに各界の著名人でございまして、中には素敵な女優さん(先生の作品が映画化されたときに、ご出演なさった方たちです)もいらっしゃいましたが、普段はテレビでしか拝見できない方たちばかりでした。何故そんなことが分かるかといいますと、お身内に近い人物との立場として捉えられたようでして、受付や、内部との連絡役みたいな事をさせられておりました。畏れ多くも。
ご逝去の一報と同時に直行し、枕頭でまだ生きておられるかのごとき先生のご尊顔を拝しておりました。お通夜のお清めの席には、これも大勢の作家の先生達が、静かにも秘めやかにお集まりでした。
今でもその時の方たちのお名前を思い出します。
先月末に書き込むつもりでしたが、開高健先生が先になってしまいました。暑さボケと言い訳しておきます。
さて、数ある先生の作品の中から「礼儀作法入門」という著書をご紹介します。
『礼儀作法の枢要を占めるのは、なんといっても冠婚葬祭である。(中略)大部分の人は婚礼と葬式から逃れることはできない。(中略)そこで、世間で行われているように、あまり突飛なことではなく、平凡に自然に、慣習に従って結婚式をあげ、葬式を出そうではないかということになってくる。この、平凡に自然に、慣習に従って、というのが礼儀作法の本体であると思われる。(略)小津安二郎さんは、藤本真澄(東宝社長)さんにむかって「人間は少しくらい品行は悪くてもよいが、品性は良くなければいけないよ」と、よく言われたそうだ。私は礼儀作法の要諦はここにあると思う。』
『礼儀作法は、エチケットは、自然にその人間に湧いてでてくる。上から与えられたものであり、同時に、下から湧き出てくるものである。それは、その人の品性にかかわってくる。私はそんなふうに解釈する。』
長くなりましたが、恥ずべきことの多い人生を過ごしてきてしまいました。
今回、何故、この作品を取り上げたかには理由があります。
仕事柄、人様よりも少しばかり早めに仕事場というか、お店に出てまいります。最初の仕事は、開店前の準備というか、軽く掃除をして(あとでパートさんがちゃんとやります)幟旗等を出して、お店の前のごみを掃き集めます。その際、いつも気になることがあります。必ず煙草の吸殻が2~3本落ちています。これを拾うのは別に苦ではないのですが、その煙草のフィルターのところまで燃え尽きた吸殻が必ず1~2本あることです。つまりもみ消さず、火がついたままで捨てている、という次第です。暗くなってから、車で走行中に前方の車から、ポイ捨ての火がついたままの煙草も時々見かけます。一瞬、火花が散りますからすぐにそれと分かるわけですが、なんとも悲しくなります。喫煙者の全てがとは言いませんが、単純なるマナーですら、我が国民はあまり気にはならなくなってしまったようです。
『山本周五郎先生の灰皿というのがある。必ず灰皿をふたつ用意する。一方に水を張る。それで火を消して、もう一方の灰皿に捨てる。どこへ行っても、そうやっていた。
たばこについての礼儀作法ということになると、一にも二にも「火災に注意」ということである。これが九十九パーセントである。』
誠に持って当たり前のことなのですが、どうもですね。
ヘビースモーカーであった先生も晩年は禁煙なさっていました。その数年後に私も禁煙し、現在に至りますが、時に宴会時などで、隣席の知人が吸いますと「一本よこせ」として分けてもらい、年に3本位吸いますか。そして、吸った煙を知人の顔に吹きかける、という困った人物になります。
同著書の中で先生は書いておられますが、相手の同意なくして煙草は人前で吸うな、と。少なからず成人された方が煙草を吸っているものとしたら、最低限のマナーくらい日本たばこ産業(?)ではもっとPRに費用を割くべきです。
或いは、どっちにしても肩身が狭い思いをして煙草をお吸いになっておられる方が多いはずです。まさに二十本入りの一箱を千円以上にでもしたら宜しいのでは、と申して今夜は、彼岸の先生を偲び、サントリーのウイスキーをロックでいただくことにしますか。先生は「ウイスキーを水で割って飲むなんて、病人でもあるまいし・・・」とおっしゃっておりましたので。「せめて炭酸で割りなさい」とも(つまり今や全盛の感のあるハイボールのことです)。
デジカメ不調につき、今回はノーフォトで失礼します。
政治向きのことは商売する上で、決してプラスにならないことを百も承知の上で書きます。必ず敵がいれば味方がいるように、嫌いな人物も、人によっては好ましい人物、と映っている筈ですし、私がどうも、と思っている人物でも、その政策に共鳴する人がいることも事実ですし、そのことを表明することは、作らなくても良い「アンチかのこ庵主」を作ることにもなるでしょうから。でも書きます。
通常国会が終了いたしました。
消費税のアップだけが決まり(本当はその他の政策も、たいした利害のないものは通過はしたのですが)、結果、国民の負担増だけは確実になりました。民自公の合意の結果というわけですが、結局自分達の定数や、歳費の削減などという、自分達のまさに特権とでもいうべきものは何一つ減らすことを決められませんでした。国民の負担はOK,自分達の身を削ることはNOというわけです。
そして民自の後継選びがメデイアをにぎわしています。
須らく政策よりも陣取り合戦が全てに優先するという、こんなにも国民不在の政治があってよいのでしょうか。
もう少しマスコミの取り上げ方も検討されて然るべきと考えます。もっともこれ等の政治屋さんたちを選んだのは私たちですし、国民の民度に合わせた程度の政治が横行する責務は結局、私たちに帰結する訳ですが。
そこでどなたが、この国のトップになられるかは知りませんが、「大阪維新の会」に人気が集まって来ています。それは現状の、政治に対する不信の表れでもあるでしょうし、閉塞感打破の突破口として当然ともといえます。
しかし、橋下市長をごひいきする方に一言だけ申し上げます。「維新八策」なる公約を標榜するようになりましたが、そこには「国会議員の定数を半数にする。歳費も大幅に削減する」とのことです。おそらくは、そう遠くない時期に総選挙が実施されると思いますが、維新の会では全選挙区に候補者を擁立する意向だ、との報道もあります。
分かりませんが、多分このままでは既成政党、特に民主党の落選者が増えて、維新の会の候補者が多数、赤じゅうたんを踏むことになると想定されます。その時、定数半減の公約を守ったとしたら、折角、多大なる費用をかけてご当選なさった方が、又選挙となり、残念ですが多分相当数の維新の会の議員さんも含めて議場を去らざるを得なくなるはずです。当然、もとより定数は削減すべきですが、本当に一発で半減できるのですか、と聞きたい。多額の金銭を使って折角当選なさった方が、そんなに簡単にこの話を進めるとは到底思えません。
これはどう考えてもポピュリズムである、としか云えないのではと考えます。如何なのでしょうか。出来もしない公約を掲げた挙句、失意を味合わせてくれた政党に熱狂したことを、私たちはもう忘れてしまったのでしょうか?
しかし話は若干変わりますが、日本人は偉い、といえます。この暑い夏を15%もの節電を行い、電力不足を回避しました。今まで随分と知らないうちに、無駄な電気を使っていたのですね。
でも、ということは福井県の原発は稼動する必要がなかったのかもしれません。まして、値上げも同様に何とかやりくりがついたのかもしれません。どなたか、政治家の方、是非とも勇気を持って、発言していただきたい。「福井県での
原発は保安要員だけ残して、残りすべての人員を福島県に向かわせろ。同じ電力で飯食っている仲間ではないか。
福島の事態が解決されなければ、少なくとも他の原発も含めて、稼動するべきではないし、余力となった人員を福島に向かわせる責務があるはずだ。」と。
原発で潤ってきた自治体の皆さんも、今は昔の夢、とは参りませんか。
嗚呼、日本には政治家はいないのでしょうか。
少しだけ、夜風は涼しくなりました。そこで、エアコンを止めまして、クリップ式の扇風機にて外気を自室に取り込むようにしたのですが、馬鹿ですね。タイマーがついていないため、深夜2時頃まで風に当たっておりまして、その肌寒さに目覚め、夏風邪の状態です。目覚めんかったらあの世行きだったかも知れないという、あほなオッチャンとなりました。
私的解釈による「枕草子」のつづきでございます。
簡単に主要なる登場人物の流れを記します。勿論、大学の先生や、個人的に相当深くお調べになっている方も沢山おられることを承知の上で書きます。多少の齟齬はご勘弁ください。
986年、一条天皇、即位します(満で七歳)。
990年、藤原定子、一条天皇のキサキとして入内します。
993年、清少納言が定子に仕え始めます。
995年、藤原道隆の死去等に伴い、定子の華やかだった
人生が暗転します。
花山法王暗殺事件起こる。
伊周達の処遇に伴い、定子達は職御曹司に移転
させられます。
この頃から「枕草子」が書かれていきます。
十月末、藤原実方が陸奥国の国司として下向し
ます。
この995年(長徳元年)における時点で登場する、或いは活躍する人物達の推定年齢は次の通りです。
一条天皇十六歳、定子二十歳、藤原道長三十歳、藤原行成二十四歳、清少納言(生年不詳のため推定)二十六歳、藤原実方(同)三十一~二歳。花山法王二十七歳、
藤原詮子三十三歳(一条天皇の生母、道長の政権掌握に果たした役割は少なからず)、藤原彰子七歳(長保元年999年一条天皇中宮として勧告され翌年、入内する、当時十二歳)。尚、定子は996年女子出産、999年敦康親王を出産しています。
さて「枕草子」ですが、八十六段(文献や書き手によっては、多少、段数が異なりますがあくまで私の手元にある原文のままの現代活字に変換されたものにて話を進めます)には、そんな不穏にして喧騒状態の中、次の文章が出てまいります。
『小兵衛といふが赤紐の解けたるを、「これを結ばばや」
といえば、實方の中将、よりつくろふに、ただならず。
あしびきの 山井の水は こぼれるを いかなる紐の
とくるならん
といいかく。(中略)まして歌よむと知りたらん人の、おぼろげならざらんは、いかでかと、つつましきこそはわろけれ。』
やきもちを焼いております。
全てとは言いませんが、定子を信じ、愛し、寵愛も受けた清少納言の、逆境の中にあってもめげることなく明るく振舞った人物像が垣間見えます。
残念ながら、続きは次回でございます。
正直、なかなかもう少し時間のある方でないと、といいますか、私には少し頭が痛くなってまいりました。
本来の、感想はもう少し先になります。
日没直後の大平山です。栃木市の母なる山といえます。