性懲りも無く、相変わらず飲酒について逃れることができずに、遂には、全く我が身のだらし無さをさらけ出すような、本を読んでおります。
宿酔いに関するエッセーが多いのですが、池田弥三郎先生の作品から『酒がかわいそうだ』と、しまして『酒好き、というよりは大酒飲みだったわたしの父は、生涯をただ一人の市井の人として過ごしたから、別に改まった「庭訓」のようなことは言い残しもしなかったし、叱る時でも文句を言うのではなくて、ただガーンとどなるだけだった。あっさりしたものだった。
その父が、何か怒鳴ったあとで、ぶつくさ言っているので、聞いてみたら、何かしくじった知人が、あやまりに来たのはいいけれども、「酒の上のことだから」勘弁してくれ、と言ったのが、気にいらない、というのである。「酒の上のことだから」なおさら勘弁できない、失敗の原因を酒に持っていくなんて、酒飲みの風上にもおけない、それでは「酒がかわいそうだ」と言った。「酒のせいにするのは酒がかわいそうだ」というのは、いい台詞(せりふ)だと思って、今に忘れない。』そうです。
長くなりましたが、酒飲みとはそういうものです。
コップにお酒の類を少しでも残して、その場を去るなんて事は、なかなか出来難いものなんです、呑んべいには。
曰く『<宿酔の特効薬>は会社で真面目に働くことです』とか、 『つらくても<あいつは休まない>というところを』。
又、 『井伏鱒二先生は、ぬるい風呂に入られるそうだ。その湯を少しずつ熱くしてゆく。そうすると、さっぱりとして、宿酔がなおってしまうという。
ある人が、先生、それからあとどうなさるんですかとたずねた。
井伏先生は、妙なことをきくなという顔で答えられたそうだ。「きまっているじゃないか。また飲みはじめるんですよ」』と。
キリがないのでここまでにしますが、「酒なくて、なんで己が桜かな。」と思います。他にたいした楽しみがあるわけじゃなし。ただし他人様より少しだけ酒量が多いのですねー。
昨日は孫と、その友達二人の合わせて四人でハンターマウンテンを楽しんでまいりました。
実に細かい霧雨状態でして、かなり濡れてしまいました。いよいよシーズンも終わりですね。 それにしても、疲れますねー。
もう明らかに歳です。
新緑ですよ。もう。 |
今朝、悠々たるもんです。 |
次回は「和泉式部の熱情」をテーマに、少しだけ脇道に入り込んでみます。
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