
「修行中の身だけど、このまま花咲く木の下に居続けたら私はただの浮世人になってしまうかもなあ」との意かと解釈いたします。ただし、この場面での花は桜花かと思います。間違っていたらごめんなさい。
さていよいよ花山天皇に迫ってまいろうかと、思ったのですが、いやいやどうにもなかなかな人物でございました。
少し、まとめて、このブログ上にカキコミするには、未だ少々脳煮え状態が続いております私には、整理する作業が必要なようです。言い訳では有りません。
ただし、一条天皇と花山院の間柄というか、親密度について知りたかったのです。そうすることで結果として、藤原実方と花山院との深いつながりも透けて見えるかな、と期待したわけですが、やはりなかなかでして、こちらも時間を下さい。ただし、「権記」の中で、花山院が熊野参詣を行おうとすることに対し、長保元年十一月十五日に「花山院御幸を諫止」としてストップをかけています。その数日前から何度か一条天皇と花山院との間を行成が往還しては、帝の意向を伝えるのですが、花山院が受け入れないわけです。結論から言うならば、花山院の熊野行きには時期がまずいというわけですが、一条天皇を理論派、正統派とするなら、花山院は直情径行派、浪漫派、色情過多でありながら仏法への帰着心の強い人物であったといえます。実方とは相性が合うはずですが、一条天皇とは肌合いが違いすぎますようです。又、改めて書きます。
明日、試作の予定です。
台風が通り過ぎた翌日の
秋の気配を感じさせる雲の動きです。
現実は蒸し暑さを感じさせる梅雨時真っ最中の気温と湿度ですが。
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