

そこで、未だお読みでない方、又は暫く眼を通していない方のために、私が気に入っている箇所を部分抜きさせてもらい、いくつかご紹介します。ただし、何しろ初版が1976年でございます。流石に今日とは多少の違いがあって当然、と思ってお読みください。
奄美大島の先、徳之島での釣行の一節に源氏物語が出てまいります。太平洋から、東シナ海あたりの沖釣りにて何種類かの魚を釣り上げ、其々を刺身にして食べる場面です。
アカダイと呼ばれる魚を評しています。「やっぱり歯ざわりが芒洋としていて、シコシコと練り上げられたタッチがない。どういうものか南の魚の肉はボロボロ、ダラリとしていて、シマリのないところがある。ふと『末摘花』の一句を思い出したくなるようなところがある。
ぬくときに舌うちするよな***(*の処は些か差しさわりが在るような気がしまして…以下略)」
私が詠んだ句ではありません。文豪の作中に出てくることです。
光源氏が噂に乗せられまして、色欲だけは旺盛な50過ぎの女性と出来てしまいます。
ただしこの女性は末摘花とは別人です。「末摘花」という女性そのものは常陸宮家の出自にして高貴な、はずなのですが美醜といいいますか「え!」っと思わせられる女性として描かれています。ただし光源氏は、舌打ちするような振る舞いは致しません。それなりに礼節を持って辞去し、落ちぶれている彼女を庇護いたします。不自由無き彼だからこそできることかと私は解釈してますが、ねー。
少し長くなりますが「タイはエビでなくても釣れること」の一節に、
奥様が結構いい値段のするヘアートニックを文豪のために買ってきます。「瓶の形、レッテル、香り、値段のこと、諸点を検討するうちに、何やらききそうな、たのもしそうな、嬉しい気持ちになってきたので、これを持っていくこととした。ここで《ききそうな》とか、《たのもしそうな》とか、《嬉しい気持》とかいうのは、池島信平氏や邱永漢氏が自身の体の最頂点について抱いているのとおなじ、または似た感覚を私が自分の体の最頂点に抱いていて、それを克服、または治癒、または防止しようという真剣で執拗な祈りを持ったというような意味でなないのである。断然そうではないのである。釣りで一匹も釣れないことを《ボウズ》というので、それを避けたい気持ちからあくまでもオマジナイとしてヘヤートニックの瓶を嬉しい気持ちで眺めたいというにすぎないのである。(中略)
いつかパーテイで遠藤周作氏に会ったら、しばらく見ないうちに最前線があらわに、徹底的に後退していて、朝陽も夕陽も照りつけるままという状態に陥ちこんでいるではないか。
『・・・・おッ』
いいかけると、すばやく早口に
『ボードレールみたいやろ』
噛みつくようにそういってソッポを向いた。
また、かの黒メガネのプレイ・オジサン、野坂昭如。九州の海岸を汽車で旅行していて、ふと客席の白いシーツにもたせかけている夕陽の射す部分を私が運悪く目撃し、思わず
『・・・・おい、野坂』
というと、彼、暗澹と沈み込んじゃって、昔は雨が降ると農家の藁葺屋根にかかるようやったけれど、この頃はトタン屋根へじかにパラパラっとくるようやねン、つらいねン、イヤやねン、いわんといてんかと、早口に悲痛な声をだした。
奥村健夫は結婚したら治ったと誇る。
村松剛はオレのは額であって頭ではないと力む。
けれど私は何もいわないのダ。」(かなりいっております)
「井伏鱒二氏が鱒を釣る」では、かなりの釣果があったのですが、東京に戻ってきてから井伏老師曰く『家へ帰ってもしょうがない。社会党が待っているだけだ。こんな大釣りをしたのはめずらしいから、ちょっと一杯やりにいきましょうよ』(中略)
老師はニコニコ笑ってそう提案なさる。もとより否やのあろうはずもない。」として老師日頃行きつけの店に繰り出します。
「"社会党"とおっしゃるのはもちろん奥さんのことで、そのわけはもちろん"何をいっても反対するから"とのことであった。」とあり更に、最後に大笑いさせられる一節が書かれています。でもここには書きません。
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アイザック・ウォルトン卿の実筆ですが私には読めません。 |
この「釣魚大全」は本来、英国のアイザック・ウォルトン卿が残した釣りに関する名著が宗家になります。最後のあとがきの中で、開高先生が、ロンドンのウォルトン卿が晩年、釣具店を開いていたとおぼしき場所で、銅版を見つけます。そこには"STUDY TO BE QUIET"とありました。『おだやかなることを学べ』と。
実に締めも味わいが満ち溢れておりました。
ご一読、又は、再読の程。
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