先週、林望先生が私のお店のすぐ近くの県立栃木女子高校さんで「私の源氏物語」として講演をなさいました。誠に残念なことですが、講演会終了後に栃木においでだったとの話を聞かされました。何とも繰り返しになりますが、残念の極みです。
お話を聞きたかったですねー。前夜はお一人で栃木のホテルサンルートに宿泊なさったそうでして、何とも勿体ないお話です。
少しは、先生の業績や、出版物をご覧になった方が何人さんかはおられたはずです。事前に講演のアポをお取りの際、先生のご予定をお聞きすることくらいの配慮がなかったのでしょうか。
夕食は、お一人でおとりになったそうです。せめて、若干名での会食形式には…。
そう思うと益々、正直、いささか怒っております。
先生のブログには、女子高を訪れる前に、多分タクシー利用にて、栃木市を少し走り廻ったことが書いてあります。ああ、私なら、先生を栃木の歌枕についてご紹介しつつ、ご感想のひとつもお聞きできたのになー。藤原実方に関しても、どんなイメージをお持ちかお聞きしたかったなー。
ともかく残念の一言です。ま、私が認知されていないというだけの話になりますが。
林望様の「謹訳 源氏物語」は、本の装丁もいいですねー。
どのページも、開くとパタンときれいに開く糸とじ製本仕上げでして、この拵えは読みやすく、又、中座するときや、ベッドの中では随分と便利でした。と、ここまで書いてきて気づきました。林様の作品中にも確か「清少納言」に関する著書があったはずであることを。
調べました。「リンボー先生のうふふ枕草子」という著書です。これも至急読みたくなるタイトルですねえ。中身の評価は後ほど。
相変わらず前振りが長すぎますね。
冲方 丁様の「はなとゆめ」。平安時代物にご興味がございましたら、いやあまり関心がなかった方にも、お薦めの一冊と申しておきます。半分以上は「枕草子」を現代語訳してくれているような内容ですが、実方との熱愛状態であったときも出てまいります。
冲方流「清少納言論」というべきでしょう。
瀬戸内寂聴様の「月の輪草紙」もございました。どちらも中宮定子の美貌とその秀でた聡明さを描く中で、清少納言が、どう中宮定子の元に出仕し、可愛がられ、重んじられるようになったかがよくわかります。自分の容姿に自信が持てず、それでいて結構、当時の貴人たちから求愛を受ける清少納言。また同様に、己の歌詠や漢籍等への自信も持てず、ついには中宮定子に「和歌を詠むことは自信がないので、今後一切詠みません」と宣言してしまう清少納言。可愛いですね。
しかし「癖論 紫式部」として以前書き込みしましたが、どうしてあれほどまでにも紫式部は彼女を嫌ったのでしょうか。なぜか不思議に話がそこに戻ってしまいそうになります。特に本書を読んだ後には。清少納言が主人公だからとしても。
どちらにしても、「リンボー先生のうふふ枕草子」を読了してから、この続きを書いていくことになりそうです。というか、いつになっても持論が展開できず、結果として実方論までまだまだ時間がかかりそうですね。
どうにも、「貧乏暇なし」状態が続いております。
私個人の事に起因することゆえ、どうにもならないのですが、いささか、憂鬱な日々を送っています。書かねばならないことも多いのですがまさに滞っております。例えば私事ながら、我が家のTVがいけなくなり、交換したまではよかったのですが、どうにもダビングができなかったり、録画することさえ思うに任せず、余分な時間ばかりかかっています。
何故か、そういう歳回りなのか、ここには書けない余分なこともありました。そしてこの時期、恒例の喪中挨拶の数の多さです。
何十年とお逢いしていない方とも年賀状はやり取りしてきました。今年は数枚、少なくなりそうです。
そうです。もう「苺大福」の季節なのです。
ジュウシーな、酸味も程よい苺が入荷し始めました。
しかし、ある方から、少しは他店にならって、苺を見せた、つまり切り口をつけてそこに苺をお見せする形が流行っているから、と言われました。冗談じゃないのです。私が作り始めてまもなく30年になる「元祖苺大福」なのです。
最近は京阪神方面に出かけなくなりましたが、以前は毎年出かけていました。しかし、己の勉強不足を弁解しているようですが、今は、こんなPCひとつで日本国内に限りませんが、和菓子の世界を渉猟することが可能になりました。さらに言えば「京菓子」なんてもてはやされてますが、私の眼には単にパッケージや、デザインでの独創性(あまりこれも感じなくなりましたが)だけではないかな、という感じがしているのです。
そうです。食は日本の大切な文化です。
しかしあまりにもご承知の如く、いわゆる高名なお店まで、偽装、偽装の連日の報道です。いわゆる熟練の料理長や職人が、知らぬわけのない偽装を黙認してきていたのです。
ただしこの問題は、表示の問題であって、ちゃんと表示すれば済むだけの事なのですが。
お客様から「京都に行くと、似たような和三盆のお菓子がたくさんありますね」といわれます。例えば四国でしか生産されない和三盆を、自社ブランドとして販売することはいくらでも可能です。法令に何ら抵触しません。
「販売者」として固有記号を所轄の役所に届け出すればOKなのです。そして、あたかも自社内で製造しているかの如き、表示が通用するのです。
正直、かのこ庵も仕入れ商品が沢山ございます。一部、私が作ったかのごとき商品もございます。お許しください。
全て、店内で販売している商品が、かのこ庵オリジナルだとは言い切れないのが実情です。
作れる範囲の商品だけを販売することに絞るか、どうか。
しかし、お客様の「見ているだけでも楽しいわ」というお声も無視できません。今日の店内を先程見回しましたら、大阪や、四国からのクリスマスやお正月の商材がもうすでに店内を賑わしております。これが結構可愛いのです、そしてお孫さんにと、ついでにお買い求めのお客様がかなりおります。
結論から言うなら、「美味いか、不味いか」だけなんです。その価格に見合った拵えと、納得いく味なら、偽装があったとしても、勿論法令違反まではいけませんが、納得しなければならないんでしょう。と、思います。所詮、プロでも見分けの付かないものもございます。
なぜ京阪神の菓子店巡りをしなくなったか。
結局、どこかで売れている商品のパクリが目につき過ぎするのです。本物がどこにあるか、もはやだれにも分からない時代なのかもしれません。

かのこ庵の「苺大福」は、創業以来、価格も、製法も、勿論、お味も何一つ変えておりませんことだけはご承知下さい。でも、消費税だけはどうにもなりません。五月のゴールデンウイークまでは製造する予定ですが、四月には税込み価格の変更止む無しとなります。他の原材料も値上がりが続いております。大きい声を出して言いたいですね。今現在の景気状況はまさに「零細潰し」だと。
クリスマスとお正月用の仕入れ商品の一部ですが、ご紹介しておきます。おそらく、これ等の可愛い商品は県内の量販店さんや、お菓子専門店さんでもあまり、ご覧になれない商品でございます。
本当に見ているだけでも心が和みますよ。
「邦楽演奏会とお茶会」の疲れが出てまいりました。
一昨日の夜、閉店後にお店の照明が一個切れていることに気づきまして、脚立に乗って交換が終わったところまではいつもの私だったのです。しかし、降りるときに足を踏み外しました。
結果、打撲で済んだのが幸いでしたが、それでも昨日からあちこち痛みが出てきてます。相変わらずアホなオッチャンやなあ、と滅入っております。昔やったらそんなことありえへんはずでっせ。
ボヤキの書き出しです。
ケーブルテレビの取材もありましたが、昨晩のCC9のニュースの中で取り上げられておりました。終りのところで、インタビューに訳の分からないコメントをしているのが私、アホなオッチャンです。
こうしてみると、年齢を実感させられます。でも、仕掛人としては最後まで勤め上げねばなりません。当然、ですね。
沢山の方や、各種団体の方、そして何より会場をご提供くださった「おおひら歴史民俗資料館」のスタッフの方にこの場にて厚く御礼申し上げます。今回のイベントでは、また新たな知己を得ることが出来ました。これも一つの効用かと思います。
何はともあれ詰めかけてくださいましたお客様に改めて御礼申し上げます。
合間を縫って何冊か読了した本がございます。直木賞作家の受賞後の第一作「「蛇行する月」桜木柴乃さんです。受賞後の第一作は、肩の荷が下りたかのごとく、結構気楽な雰囲気の作品が多いのですが、いかがでしたでしょうか。楽しめることは保証いたします。そんなに分厚い本ではありませんので、内容は書きませんがお薦めしておきます。しかし、実は書き込み途中でそのままになった投稿が一個ございます。連城三紀彦様がご逝去なさいました。桜木柴乃さんのこの本を読んでいる途中でした。連城様のご本も少なからず(全てとは言いませんが)読んでおりました。
私より二歳もお若い方でしたが、病に勝てませんでした。それ故に寡作な方でしたが・・・。残念の一言です。
そこで柴乃さん読了のあと、連城三紀彦様の「恋文」を続けて読みました。直木賞受賞作でございます。「哀切な抒情の世界に展開するネオロマンの作家」として以後、注目の人でした。
そこで、両作には共通するものと、時代でしょうか、違いが感じられるものがございました。共に、男女間の事を中心に話が流れていくのですが、連城様には激しいというより、抑えた感情表現のシーンが続きます。それが又、重層音となって引き込まれていくわけですが、最近の作家さんとの違いがそのあたりにあると思います。
勿論、柴乃様の作品にも、その表現に素敵な個所があることも事実です。本作品の最後の最後をお読みください。
「夜の底で輝いている色とりどりの電飾がぼやけた。
視界に、図書室の窓から眺めていた夏の湿原が
広がってゆく。
どこまでも緑だ。
湿原を一本の黒い皮が蛇行している。
うねりながら岸辺の景色を海へと運んでいる。
曲がりながら、ひたむきに河口へ向かう。
みんな、海へと向かう。
川は明日へと向かって流れている。
」
どうも連城様の抒情性に近いものを感じます。「過ぎ去った思い出に苦笑いしつつ、なお人は誰かを愛さずにはいられない・・・。」
実は 、このところ、思い出せば30年以上前によく聞いていた「水越恵子」にはまっています。ユーチューブで、中島みゆきの曲がかなりの数で実写版が見られます。主なところを見終わった後で、唐突に水越恵子さんを思い出し、クリックすると出てくるのですねー。実は、レンタルショップなどに出かけたときは(滅多にゆきませんが)、CDの一枚もないかなあ、なんて思って目は彷徨ってはいたのです。あるわけないですね、こんな地方のショップには。それよりも、貴方、貴女はご存知ですか。私の年代に近い方なら「Too far away」とか「ほほにキスして」なんて一度はお聞きになったかもしれません。結果、・・zonから買ってしまいました。
少し長くなりますが、「めぐり逢いすれちがい」という曲が好きでした。歌詞に惚れたのです。
〚愛し方が下手ですね 誘い方も無茶ですね
女の心こわれもの
あなた知らないのですか
今までの誰よりも
あなたとても若いから
私の心の歴史 気付いて(築いて?)ほしくない
(中略)
男はお酒でごまかし 女は泣くより他に
自分のだまし方知らず
街をさまよい歩いて
はずした指輪のあとの
ぬくもり冷えないうちに
声をかけてくれた人 あなたは若い人
ふられふられては待ちぼうけ
捨てて捨てられて泥まみれ
きれいごとだけの恋愛を
あなた信じますか
めぐり逢いすれ違い 人生そんなものよ〛
今回の書き込みは随分と長くなりました。
渡辺淳一様ではありませんが、「所詮、この世は男と女」。
ボケオッチャンの色ボケも少し進行しておりますようで・・・。
私の窓口は広すぎますね。
ついでといっては何ですが、冲方丁(うぶかた とう)の「はなとゆめ」が、本日手元に届きました。随分と清少納言に関しては承知はしていたつもりですが、新たな清少納言像が出てまいりますことを期待して読み始めます。従って私めの「清少納言論」は今しばらくお待ちください(誰も待ってないやね)。
今朝、栃木県特別支援学校様のバザーがございまして、芋ようかん他おまんじゅうを含めて700個程、納品してきました。教室の一部屋をかのこ庵のコーナーとして販売してくださいます。
毎年恒例なのですが、午前中に完売というありがたいお得意様です。