2016年4月4日月曜日

続々「ゴルドベルグ変奏曲」というか「グレン・グールド」

 流麗にして繊細、静謐にして躍動、巧緻にして奥深き造詣、そしてその表現力を支える卓越した演奏技法。
 楽聖「バッハ」を尊崇し、何よりもその魂を具現したのがグレン・グールドでした。


 数十年ぶりに聞きなおした彼の「バッハ」は、しばらく、お店だけでなく、カーステレオからも、結構な音量で流されることとなりました。  

 彼は音楽家としての半ばから、コンサートホールでのオーケストラとの協演を断り、スタジオでの録音に集中します。これは指揮者との波長が合わないことも理由の一つに挙げられますが何しろ演奏中に空いている左手を、まるで指揮者のごとく腕を振るうのです。カラヤンとの協演もありましたが「君はピアノよりも指揮台がお似合いだ」と皮肉られています。著名な指揮者とのいさかいまで有りました。
 更にはメロデーを口ずさむのです。ジャズで云うなら「オスカー ピータースン」、「キース ジャレット」でしょうか。勿論、好き嫌いや、好悪難しいところですが、生涯この癖は直そうとはしませんでした。


 グレン・グールドは1932年に生まれています。1946年にカナダのトロントにてピアノ奏者として、トロントの王立音楽院を最年少にして最優秀の成績で卒業しています。

 プロデユーサーの反対を押し切っての「ゴルドベルグ変奏曲」の初アルバムは、今現在聞いてもその斬新さと技法は圧倒されます。更に書くなら彼の演奏姿勢や、性癖にはあの時代での寵児として、いわばアイドル的な存在としても高名になっています。
 詳しくは書きませんが、潔癖というか清潔観念が強く、夏でも手袋をしていたり、握手嫌いといった沢山のエピソードも残した人物でしたが、彼を論評するには私よりもWikipediaをお薦めします。
  
 思想家、批評家としてもその名を残しました。曰く「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの開放ではなく、むしろ驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」と。
 正直、彼の変人ぶりが興をそそられます。それでいて、沢山の識者や音楽評論家から絶賛されたピアニストでした。もっとも彼自身は「ピアニストではなく音楽家かピアノで表現する作曲家だ」と主張しておりその呼び方を嫌ってはいましたが。
 1981年に「ゴルドベルグ変奏曲」を再録してますが、その翌年に脳卒中にて50歳という若さで亡くなっています。

 


 あちらこちらで桜が満開です。その割に花冷えが続いていますが、ということはお花見の期間が長くなるということですね。
 相変わらず仕事に追われていますが
 少しづつ、書き込みします。
 次回は「ジャック・ルーシエ」つまりプレイバッハ、バッハのジャズ版です。