2012年11月29日木曜日

「栃木市おおひら歴史民族資料館」

 寒くなりました。十一月も、もう終わりです。皆様にはお風邪など召されませぬようお気をつけ下さい。それにしてもこの時期の郵便物には「喪中はがき」が一枚は、概ね含まれています。そんな季節なのですね。
 
 
  昨日、定休日を利用して「栃木市おおひら歴史民族資料館」を訪ねてまいりました。もうかなり以前にお邪魔したことがあるのですが、暫くぶりの訪問となりました。大平町は葡萄でも有名ですが、その葡萄団地の中心部に、栃木市の母なる山「太平山」の南麓にございます。昨日は曇っておりまして風はないのですが結構冷え込んだ日となりました。
 しかし、NPO法人による運営になってからこんなにも変わるものとは思いもしませんでした。要は責任者の《やる気》で随分と変わるということです。
 その館長様や運営に携わる理事の方のご案内を受け、本来は入室がお断りになっております白戸家の奥座敷まで上がらせていただいて拝見してまいりました。
 実は先週の金曜日から日曜日までの三日間、こちらでお茶会が開かれまして、その茶席菓子をお納めさせていただきました。大変に好評でしたようでして、喜ばれましたことをお聞きしておりましたが、どんな会場の雰囲気で開かれたのかを知りませんでしたので連絡してからお邪魔した、という次第です。お屋敷の茅葺屋根も綺麗に葺き替えられておりましたが藤岡遊水地の萱や葦がボランテイヤの方たちの協力で、見事に仕上げられておりました。私の下手な解説よりも写真をご覧いただければ、その雰囲気がご理解いただけると思います。これ等の写真が「白戸家戸長屋敷」でございます。
庭も、又、竹林の中の遊歩道も少しづつ整備されておりまして、ライトアップの用意もしてありました。以前はマムシがいたそうです。「まだまだこれからです」と館長さんは話しておりましたが、実にいい雰囲気が漂っております。奥座敷からの眺めは一寸贅沢に過ぎる感じが致します。ここでお茶会とは素晴らしいの一言でございます。映画の撮影申し込みも有るそうでして納得いたします。この施設を利用してのイベントは充分に検討の価値あり、と申し上げておきます。
 
資料館に移動しまして、展示物を拝見いたしました。
 遺跡や、城跡などが相当ありまして、正直、歴史あることの栃木市を再確認をさせられました。出土品には重文指定があってもよさそうな展示物がいくつもあります。それにしても、栃木市にはこの様な資料館がいくつありますかね。 
 少なくはないはずです。北には「星野遺跡」から市内にも数箇所、そして「下野国庁舎」同資料館、さらに下野市につづく「下野風土記の丘資料館」。きりがありません。私見ながら、それぞれがそれぞれに寂しく自己主張をしている気がします。何か統一してのイベントや、企画展、スタンプラリーのような、まとまっての行事の必要性、というか、この由緒ある、浪漫溢れる歴史の街「栃木市」を埋もれさせているのは誰だ、といいたくなります。ところでこの大平地区全体を紹介する大きな地図がございましたが、「推定、東山道」としての道路が表示されておりました。残念ながら館長さんも認めておりましたがこれは何かの明らかな間違いです。「東山道」を追いかけて来た者としては、できましたらご訂正の程、お願いしたいと感じました。少なくとも「東山道」は大平町のJR線に沿ってか、又は、小野寺から皆川城内町を抜け歌枕の地を通過して下野国庁舎に、一直線の、ひたすら直線を求めて一千年以上前に、律令国家維持と、蝦夷対策、防人達が移動するために作られました。当時の五畿七道として、その中の主要な街道として「東山道」があり、かなりの方がご研究、ご発表なさっております。私の手元にはその資料がございます。「大平町史」にも詳述されておりますこと蛇足ながら付記します。しかしながら、暫くぶりで地元栃木市に自慢できる整備された、いや、その努力をなさっている資料館と、往時を忍ばせてくれる戸長屋敷が存在していることを、素直にお褒め申し上げると共に、いい一日が過ごせましたことを感謝いたします。有難うございました。
 

2012年11月23日金曜日

「人の焚く落ち葉のかさを見て過ぎし」中村汀女

 以前はあちこちで、焚き火の煙が上がっていたものですが、条例により外で物を燃すことが難しくなりました。それでも夕方薄暗がりの中、焚き火の匂いがしてまいります。
 ご無沙汰でした。母校の正門脇大銀杏の木です。
 いけません。又しても風邪を、しかも既に一週間を過ぎて未だ、フーフー言ってます。一時直りかかったのですが、七五三のご注文や結構大口のご法事等もあり、赤飯、お餅、お団子、鳥の子餅、お供え餅と肉体労働が続きました。
 分かってはいるんです。何でも自分でやらずに他の者に回せばよい事を、私がやった方が早いことは早いですし、間違いはないという、これを諦めねばいけない歳だ、ということです。
 ベッドに潜り込んでいる時間が随分と長くなりました。
 かといって、眠りこけているわけもなく、悶々とした時間の長さを味わっておりました。
 そんな中、間もなく師走だというのに国会では賑やかな騒動が続いておるようです。あまり政治向きの事は書かないようにしようと決めていたのですが、地元の事でもありどうしても一言、書きます。
 民主党公認として、前回比例区から復活当選(つまり這い上がってきた)したT氏なる人物が居ります。先月十月中旬には民主党から300万円の選挙準備金を支給されております。その人物が所属政党を変えました。民主党からは早速、資格剥奪が行われ、300万円の返還が求められたのですが、応じない旨の返事があった、とのことです。ベッドの中で、ラジオにて知りました。ま、その程度の人物、ということでしょう。以前に、選んだ国民の民度がどうのとか書いたことがありました。でも現在の選挙制度で選ばれた人たちは、国民の総意を正確には体現していない、と書きます。やはり現在の選挙制度と、定数の在りようをもってして全て国民の責任に帰すことは暴論にも等しいと感じるようになりました。

 しかし、最後に一言。そんなにも国会議員というものは、一度やったら止められない、というか旨みがあるということがよく分かりました。北の大地の元総理は財産があるから止められるのですよね。もっとも、又、出馬しないとも限りませんが。

2012年11月15日木曜日

「推定無罪」から「無罪」へ スコット・トゥロー

 どうも自慢話のようで照れますが、読み流して下さい。
 三~四十歳代は時代小説なら「藤沢周平」、「山本周五郎」、現代ものなら「山口瞳」、「開高健」、そしてハードボイルドですか。更にはリーガルサスペンス(法廷もの)が好きでして、随分と読みました。映画で言うなら「荒野の決闘」におけるワイアット・アープ保安官役を演じたヘンリー・フォンダ主演の「怒れる12人の男」、よかったですねー。英国アカデミー男優賞を受賞してます。ジャック・レモン主演でのリメーク版もありました。かなり昔の話ですが、知っている人はよくご存知の名作です(当たり前の事を承知で書いています)。裁判所内での陪審員達の葛藤を、判決を評議する、その一室内だけが撮影場所という作品でした。あれからですか、アメリカの陪審員を前にしての作品群にとらわれたのは。
 私の好きな男優の一人にポール・ニューマンがおります。
 彼の「評決」もじつによかったですねー。
 ついでに書くなら、グレゴリー・ペックの「アラバマ物語」もまさに昔の作品ですが、人種偏見の中で戦う弁護士役としてアカデミー主演男優賞他、グラミー賞までとっています。賞はともかく感動作であります。
 つまり、陪審員達の前で検察側と、弁護士側との対決が素晴らしく、興趣というか、緊張感が堪らない訳です。
 
 そこで、ハリソン・フォード主演でヒットした作品に「推定無罪」という裁判ものが23年前に上映されましたことをご存知の方は多いと思います。シカゴ地区連邦検事局の現役の検事補であるスコット・トゥローが書いた小説が原作なのですが、何と24年ぶりに(その間「立証責任」や「有罪答弁」等の名作を書いております)「推定無罪」の続編を出版いたしました。タイトルは「無罪」ですが、作品の中身はご紹介いたしません。当たり前ですよねー。それを書いてはいけないというか、マナー知らずになってしまいます。
 
 しかし、訳者あとがきを入れて469ページ、しかも1ページ二段組の長編小説ですが、一気に読了しました。内容はそんなわけでご紹介いたしませんが、衝撃の真実が最後に明らかになります。その最終章の前での翻訳文の一部を。  
 『この歳になれば、人は誰でもうしろに過去を、その思い出を消し去ることはできない人や時を引きずっていることを知っている。』、そしてラストにおいて『うまくいかなかった結婚はうまく言った結婚よりもずっと複雑だが、たいていおなじ嘆きの言葉に満ちている・・・あなたはわたしを満足に愛してくれなかった。』と。
 この作品が映画化されるのかどうかはわかりませんが、原作を読んでから映画を観るか、映画を観て原作を読むか、人それぞれでしょうが、これだけはいえると思います。
 例えば、ロバート・デ・ニーロ主演の「ミッドナイト・ラン」という映画がありました。この時は、原作を先に読んでから映画を見たのですが、小説の中でしたらいくらでも飛行機はおろか例えてのことですが、戦車やその他大勢の出演者を何千、何万人と登場させられますが、映画ではそこまで費用は賭けられません。如何に決められた枠の中で観客を楽しませるか、監督や脚本家の手腕が問われるわけです。映画は好きな俳優さんでしたし、超一級の娯楽アクションとして、実に楽しませていただきましたが。
 もっとも現代では、CGや3D全盛ですからその辺のことは心配要らないのかもしれませんね。

 好きなジャンルのしかも素晴らしい作品の読後感は新しいロマンスをスタートした(へんな表現ですか)かのごとく、結構、自分の雰囲気が上等な上着が出来てきたような錯覚に陥ります。斯様な次第にて、なんとも夜更かしによる寝不足にて、多少アルコールが昼間でも残っているような・・・。
 和菓子屋のおっちゃんにはあまりふさわしくない、法廷小説、読書感想文の巻でした。

 気持ちを切り替えて仕事に励みます。

2012年11月11日日曜日

「季の上生菓子」販売開始です。

 毎日でもないですが、パートさんたちが帰ったあとに一人で少しづつ作りつづけて来ました。先ずはご覧ください。
 
  奥から「寒牡丹」、左から「菊」、「山茶花」、「万両」、手前が「水仙」です。如何ですか?
 とりあえず毎日、五品目を各十個限定での販売です。
 この道に入って三十五年になります。いつの間にか、お褒めいただく商品が少しづつ増えました。しかし、新製品というよりも、伝統和菓子作りはこれからの新しい挑戦と考え直しました。正直な話、冷凍技術の進化があります。少しづつ、季節にあわせた和菓子をご提供いたします。
 今までも特別なお客様のご注文に限り、少しづつ作ってはいたのですが、今週金曜日から店頭販売を開始いたしました。お蔭様でご好評、というか「流石にかのこ庵」と仰って下さる方が何人もおりまして、商売冥利を実感しております。年末あたりからはすべて新年にふさわしい上生菓子に変えてゆきます。是非、姿形をご堪能の上、お召上がりください。
 流石にかのこ庵の商品と、ご納得いただけること確信を持ってお勧め申し上げます。
 

「栃木市秋祭り」大盛況

 十一月九日から十一日まで、栃木市内は盛大なる「秋祭り」が行われました。昨晩、早めにお店を切り上げ人混みの中、幻想的とも言える各町内の山車巡行を拝見してまいりました。以前は五年おきでしたが、二年に一度開かれる
事となり大変な盛況振りです。今回は私の下手な解説より昨晩撮りました写真の数々をご紹介申し上げます。





それにしても「ぶっつけ」と称している山車同士のお囃子合戦には、相当な迫力と魅了されます。 何とかその雰囲気が、そして栃木市という伝統ある街が伝えられたら幸いです。

2012年11月7日水曜日

「月の輪草紙」瀬戸内寂聴

 「一人で生きてゆける女になりなさい」。
 一条天皇の寵愛を一身に受けるなか、仮の身の出家の形で剃髪、肩までの髪のまま一男二女をなしながら、三人目の子を産み落とすと同時に亡くなります。
 皇后定子の波乱に飛んだ二十五歳での短き生涯でした。
 その定子に仕えた清少納言に、定子は冒頭の言葉を残します。定子の運命は短いながらも哀楽をすべて背負い込んだような人生でした。そこに「定子サロン」と言う言葉が残るくらい華やいだ、教養なくして存在し得ない舞台の中で清少納言は生き、随筆「枕草子」を残しました。

 その清少納言に乗り移ったかのごとく寂聴様が新たにご本を出版なさいました。彼女の生没年は不詳にて、本文中には九十歳になられた、という想定で、と言うか寂聴様が九十歳になられたそうでして、清少納言への想いを回想するのです。内館牧子流「弘徽殿女御」、林真理子流「六条御息所」のご解釈もありましたが、九十歳での書き下ろしによる清少納言の生涯。まずはこの執筆への情熱に素直に頭が下がります。
 あとがきにも出てまいりますが、次から次へと平安時代物が出版されております。
 『平成二十四年(2012)の今年は、「古事記」編纂千三百年、「方丈記」が書かれて八百年に当たる。昨年の「源氏物語」千年紀に続いて、古典文学に対する人々の関心が高まってきた。その結果、十一月一日を「古典の日」とすることが法制的に決定を見た。(以下略)』。そしてこのご本の出版日(勿論初版本)がその日であります。
 誠に慶事と嬉しくなります。
 「枕草子」を残した清少納言のことは私が云々する必要性を感じませんが、シャイにしてまさに感受性豊かな女性であったといえます。定子サロンへ出仕しだした時の初々しさ、そして道長とのつながりから出仕をはばかってしまう清少納言。皇后定子より八歳も年上ながら、周囲の目を気にしてしまう、一人の女性として。
 でもこの見解は紫式部の清少納言評とは正反対になりますが、贔屓目もあり私はそう感じます。
 「月の輪草紙」には紫式部や和泉式部、赤染衛門達も登場しますが、清少納言とつながりが想定される男性として藤原実方を始めかなりの数の名前が登場します。平安時代における男女間のことは私たちの想像を超えた次元での世界でした。これ以上は是非本書をお読みください、とお薦めしておきます。
 ところで恥ずかしながら「枕草子」全段を、原文から現代活字にだけ直されたものを読了しておりました。しかしどうもぼんやりと読み進めていたのだなと言うことを悟りました。始めから読み直しますか。でも、一〇三段だけ書かせていただきます。
 『はるかなるもの 
  千日の精進はじむる日。半臂の緒ひねりはじむる日。
  陸奥國へゆく人の逢坂の關こゆるほど。うまれたる兒の
  おとなになるほど。(以下略)』
 実方の陸奥下向を偲んでの一行です。
 

2012年11月3日土曜日

上生菓子の店頭販売をまもなく開始します。

 今まで少しだけ販売はしていたのですが、どちらかというとご注文だけとし、積極的に店頭ではお売りしませんでした。どうも、価格もお安くは出来ませんし、その割りに手間が誠にかかります。そして何よりさほどに売れる商品ではありませんでした。

 でも、関西からはお漬物も入荷しましたし、仕入れ商品としてのクリスマス関連の、お菓子も店頭に並びました。



 お客様から「かのこ庵の品物は見ているだけでも楽しくなるわ」というお声も沢山頂戴しています。先月中旬には、栃木市茶華道協会様から例年どうり大口のご注文もいただきました。栃木市にも、大勢のお茶の先生がいらっしゃいますし、そのほうの需要も軽視できないというか、田舎ながら田舎なりに一つの文化として上生菓子も、自信を持って販路を広げる気持ちを持つことに致しました。ただし、肉体労働が確実に増えます。出来るとこまでやってみよう、という気持ちが正直な所です。
 昭和六十年創業ですので、決して老舗とはいえないかも知れませんが、とても良いお客様が付いてくれている事も事実です。創業以来「薯預まんじゅう」はどこにも負けないと自身を持っております。
 商品名こそ『苺の娘(いちごのこ)』と変更しましたが、製造販売すること三十二年になります。どなたが、どちらで「元祖」と仰っても三十二年前に、この商品をおつくりになっていた方は私の知る範囲でございませんでした。今月二十日頃から変わらぬ美味しさで、販売開始の予定です。ついでですから書きますが、『勝栗まんじゅう』いつも売り切れで申し訳ないのですが、七五三の時期でもありご予約が続きます。一個からご予約をお受けしてます。お電話いただければ営業時間内はお取りおきしております。午後には無くなる事の多い商品ですので、案外にお味を知らない方が多いのでしょう。すみません。ついでですからもう一品『芋ようかん』は、お客様がおっしゃいます。「こちらのを食べたら浅草のは食べられないわね」と。嘘ではございません。お客様が申しております。それぞれに写真は商品案内に載っておりますので、是非一度はお試しください。裏切らない、ということが現在も営業を継続できている証明でもあると思います。

 「上生菓子」の販売は今月中旬をめどに、毎日五品ほど各限定十個の予定で販売します。揃いましたらいっぺんにどどっとご紹介申し上げます。
 

 只今、底冷えを感じましてストーブをつけました。作業場の床はコンクリートですので冷えるのですが、それでなくても随分と朝晩は冷え込むようになりました。皆様もお風邪など召しませぬようご自愛ください。

 写真は日光金谷ホテルの紅葉でございます。いろは坂から上はかなり紅葉が進んでいるようでしたが、かなりの混雑が予想できましたので、こちらまで来て戻ってきてしまいました。今回のカキコミは純然たる、かのこ庵のピアールの巻でございました。