2012年5月28日月曜日

「くさぐさの花」 高橋 治

 私の愛読書の一冊です。結構昔に出版された本ですが高橋治様の『くさぐさの花』を、時に、突然読み返しています。ショートエッセーに俳句が挿入され、その短文に中々な物を感じています。
 長くなりますが、「都忘れ」と題されたページを私は面白いと感じてますので、以下そっくり掲載いたします。

 「都忘れーーーーー
  

   灯に淋し都忘れの色失せて   稲畑汀子

 この花の名の由来について書こう。
 さる貴族が醜聞逃れに方違(かたたがえ)と称し田舎に出た。そこで茅屋に清げに住む老婦人に会い、昔は、都で浮名を流した人だと知る。今は夫の最後の勤務地で静か余生を送る庭前に、紫の一輪が咲いていた。これが平安期の短編に書かれた名のいわれである。
 ところで、作者は?
 考え込むようでは落第。もっともらしく贋作しただけで、名の生まれは江戸期、いや、花が出来たのは昭和という説さえある。それにしては上出来で作者不詳が惜しまれる。
 ただし、異説はある。佐渡に流された順徳天皇が、花の可憐さが都の栄華を忘れさせてくれるといったとの説。多分作られた名からの逆の発想だろう。
 はかなげな花と名にだまされてはいけない。忘れたぞ忘れたぞ、いつ都につれて帰ると、毎日言い続ける感じで次々に咲く。こんな女を連れて行くなら、単身赴任のほうがよほど良い。

 旅せんか都忘れの咲く頃を 前沢落葉女

旅の相棒にも、勿論、しつこい女は禁物ですぞ。」


  NHKの「平清盛」が元気でしたのは第77代、後白河天皇の御世のことでして、昨日は「保元の乱」でした。しかし、どうにも時代考証として出演者が今で言う浮浪者の如く汚いのは止むを得ないのでしょうか?その一方で女性達は全て美しい方ばかりで、汚れてはおりませんねー。
 順徳天皇は、凡そ50年後の84代天皇となりますが、英明にして、藤原定家に和歌を師事しており、歌才もあり、勅撰集も出していますが、時代が良くない。この時代は公家から武士の世へのいわば戦乱の中での天皇でして、倒幕に失敗、佐渡に流され1242年にその佐渡にて崩御しています。いささか優秀すぎたのが災いしたようです。
 しかしこれ等の時代を200年遡りますと、いわゆる平安王朝の終末期になりますが、その少し前の宮廷での栄耀栄華が嘘のようです。「源氏物語」に代表される沢山の、しかも女性の手による読み物が次から次へと登場します。
 輸入された漢字ばかりの文書や、仏典から、倭(大和)言葉が編み出され紡ぎ出され、一斉に和歌の世界や日記、物語などが花開いた時代でもあったといえます。
 表現は良くありませんが、その頃は男女間の事柄が、かなり濃厚にして、かくも大らかにそこまで書いていいのかなと思わせられる時代であったと言えます。

 高木和子様(紫式部学術賞受賞他、瀬戸内寂聴訳「源氏物語」の巻末語句解釈を担当等)の「男読み 源氏物語」を、又しても長くなりますが引用させていただきます。

 「『源氏物語』はすべての事柄を、恋の物語に仮託して語るのが常である。だから、危険な恋から人生を切り拓く光源氏の物語は、単に恋愛の問題にとどまる話では、おそらくはない。
 恋であれ、仕事であれ、危険な道に賭けさえすれば、光源氏のように、成功や発展に導かれるとは限らない。往々にして惨憺たる結果になるのが、私達の現実だ。だが、それでも性懲りもなく、心の赴くままに冒険してみたくもなる。            
 真面目な日常に収まっているだけでは、とてつもない逆転劇などあり得ない。光源氏は、天性の、恋のギャンブラーなのである。」

 危険な恋の道ゆえに、読み手は、はらはらどきどきして先を争うが如く読まれた、ということでしょうか。
 何が言いたいか。
 それにしても、これほどまでに好色ともいえる主人公が活躍する時代は、平和であったということでしょう。江戸元禄、そして現代。例えば以前カキコミした、村山由佳さんの「花酔い」にしても、根底に流れるものは紙一重の危うさの上に立脚する、世の平安でしょう。

 長くなりました。
 「とちぎ物造り工房」も追い込みに入りました。明日は、当日会場でだけ提供する予定の創作和菓子の試作品作りです。考えなきゃならないことも沢山あるのですが、清盛の時代ではなく、もう少し遡った時代を何とか時間を作って深入りし、いずれまとめていくつもりです。出来ますことならば・・・。
 右の写真は私が撮りました「金環食」です。

 駐車場に芽を出し始めた「コスモス」です。今年の秋が来るのが楽しみになりました。冒頭の高橋治様の「コスモス」の項には
 『コスモスの広きみだれに夜のとばり』 中村汀女様の俳句が所収されておりまして、「倒れ伏してまで美しい花は少ないが、そうなってもコスモスには風情がある。」と、書かれております。
 

2012年5月19日土曜日

「氷餅」とはなんぞや。

 前回のカキコミで「ファンケル社製の発芽米」を使用した
「発芽米大福」の新発売をご案内いたしました。その中で、
表面には「氷餅を使用」と書きましたが、早速、数名様から
「氷餅とは一体、いかなる餅なるや?」、とのご質問がございました。
 発芽米をご存知の方は流石に多いのですが、氷餅はご存じない方が圧倒的でして、正直、かのこ庵のパートさんも沢山いるわけではございませんが、誰も知らないとのことでした。そこで「氷餅」の講釈の巻でございます。
 製菓原料「御氷餅」と表示されております食材です。今年の諏訪湖では一月に湖面全てが結氷するという寒さがあり「お神渡り」という神事がございましたが、信州でもあのあたりの寒さは格別といえます。
 その寒さを逆手にして、「寒天」や
「高野豆腐」、「氷餅」等が昔からの生活の知恵として作られてきました。
信州の各地で冬の厳寒期に餅米を利用して作られた保存食でもあり、和菓子の材料ともなります。写真でお分かりいただけますでしょうか。寒天同様、棒状ですが搗きたてのお餅を短冊状に切り和紙に包んで編みこみ、4~5日ほど水に浸漬します。その後、外気がマイナス10度C以下の寒中で、夕方に、軒下につるし凍みた状態のまま乾燥させて作られましたものが氷餅です。いわば、お餅のフリーズドライとでもいえますか。離乳食、病中の流動食、和菓子の素材として、昔からの安心安全な添加物の一切ない自然食品な訳でございます。
  
穏やかな今朝の巴波川風景です。プラス開店前のかのこ庵です。それにしても、我ながら若くもないのに次から次へと新製品を考え出すものだと、うぬぼれでなく思います。好きなんでしょうね。作るということが。しかもこれは年齢も関係有るのかもしれませんが、身体に優しい商品が圧倒的といえます。
「お前、大分暇なんとちゃうか」といわれそうな写真の数々でございます。が、それなりに、このブログをお楽しみいただきたく早起きしたりしてる次第です。でもいい季節になりました。これでお店の売上げがもう少し有ると、ニコニコおじさんでいられるのですが、「とちぎ物造り工房」も迫ってまいりました。打ち合わせから、実際の下準備へと正直いささかあせりを感じての毎日でもあります。
  前回の、内館牧子様の書き下ろし小説は、小説とはいえ「源氏物語」を新しい視点からとても面白く解釈してくださったなあ、と関心いたしましたが、それよりも「権記」や、それらに付随する王朝物のカキコミがそれっきりではないか、と、突っ込まれそうですが今しばらくお待ちください。なかなかになかなかでして、気付いたことや、これはと思う事柄があるのですが、全体としてもう少し、我が乏しき脳中を整理しないといけません。小出しに、少しづつではいけないと感じてまして、今しばらくお時間を下さい。

2012年5月16日水曜日

「十二単衣を着た悪魔」内館牧子

 先日(母の日)、麻生葦乃様の川柳が天声人語にて紹介されておりました。そこで私の今回のブログの書き出しは時実新子様の「れんげ菜の花この世の旅もあと少し」から始めます。まだまだとは思いつつも、そんなに残りが少なくなって来ていることをも感じる昨今です。お届けの途中で見かける何気ない花々に時に感傷的になっている己を発見します。
 麦秋にはもう少し時間が必要なようです。我が家の狭い庭ですが、ここには植えたはずの無い場所に「石楠花」が咲き出しました。それにしても明らかに五月の風を感じます。

 内館牧子様の「源氏物語異聞」として『十二単衣を着た悪魔』という殆どタイトルに魅かれて買い求めた本を読了させていただきました。構想半世紀、著者渾身の書き下ろし小説!ということで原稿用紙861枚(400字詰め)の作品です。
 源氏物語を正面から読み進めてきていたものには、正直、源氏物語の裏面史を、そして表面には見えていなかった登場する女性群の心の中というか、人となりが実によく確認されます。紫式部が描ききれなかった、あるいは意図的にわずかしか登場させなかった「弘徽殿女御」を中心にタイムスリップしてしまった、現代のいま一つも二つもさえない若者との話が、会話が、興趣を盛り立ててくれます。
 作品のあらすじをここで紹介するのは控えて当然と思いますが、作中の時代考証がとても参考になります。
 平安時代の王朝貴族や女君達の、そして召使達の日常の生活や、以前、拙著の中で、瀬戸内寂聴様が疑問を呈していた「あの長い黒髪を洗う時はどうやって洗ったんでしょうか、洗うと当然濡れますでしょ、重くってしょうがないし、乾かすにも大変ではなかったのではないでしょうか。第一そんなときに男が訪ねて来たら大変ですよね。何の最中に髪がからまってしまい収拾がつかなくなるわ」と。
 この作中で、「女達は月に二回くらい髪を洗うらしい。シャンプーもコンデショナーもなく、米のとぎ汁で洗う。ドライヤーもないし、あの長い髪を乾かすには「三日ほど掛かります。乾くまでは全て休み。何もしなくていい三日間」とありました。  更に召使達は、一様に臭い(私達現代人にとってはの話ですが)そうでして、勿論、入浴何て有りませんから。宮中の天井は高さもあり、又、吹き抜ける風にてそれでもクーラーに慣れてしまった私達には相当に夏は暑かったでしょうし、でもたまに、身体を拭く程度。だから垢じみて、埃っぽく臭いとなる。歯は指に塩をつけて磨き、歯に挟まった食べ物のかすは楊枝のようなものでこそぎだす。冬の寒さをやり過ごすのは現代人には命がけのようです。NHKの大河ドラマ、余り視聴率が良くないようですが、兵庫県の知事さんが「登場人物が余りにも汚い」と話していました。
時代考証にて忠実に再現するとあれが本当のようです。
 しかし「日本の女は、千年前からしたたかだった」とあります。誠にか弱そうに見える女性達ですが、内館牧子様に料理されると其々がその時代の中で必死に生き、時に光源氏よりも逞しく恋をし、生きてきたことが分かります。
 勿論、袖を絞ると涙の水が流れ落ちるほどに泣き過ぎでは、というのも当時の流れであって、それでも公達たちよりは女性の方がしっかりしていたという印象です。

話はかのこ庵のことになります。
ファンケル社製の発芽米粉を餅生地の中に仕込みまして身体に優しい「発芽米大福」を開発、新発売でございます。ファンケル社様からは表示に関してその旨の了承をいただいております。あんは皮むきこしあんを使用しまして、その滑らかさを特徴と致しました。その代わり、餅生地の表面は「氷餅」という少しざらつく感じの仕上げを施しました。一度はお召上がりいただきたい逸品ですとお薦めします。
青竹筒入り「水ようかん」も販売を開始いたしました。
あわせてご愛顧のほどお願い申し上げます。
 実は今週初めから発売開始したのですが、好評でして
 いつの間にか売り切れております。10本以上のお買い求めはご予約いただければありがたい、と存じます。
  5~6月は毎日平均20~25本を、目途に生産して
おりますので。

2012年5月10日木曜日

「噴水の玉とびちがふ五月かな」汀女

 ご無沙汰でございます。すみません。G/Wといいますか5月節句を乗り切るまでが繁忙期でした。しかし何とも不陽気なG/Wでした。5月5日だけ好天に恵まれまして、お蔭様で昨年比を上回りました。それにしても心配してもきりがないのですが、現下の日本における天災(原発は人災ですか)
続きの中で今年の夏が心配です。その一方では太陽の活動にいささか変調の傾向があり、氷河期まではともかく地球が寒冷化するそうです。
 最早、どうせそんなに長生きできる歳ではなくなりましたので、明るい未来が待っていてくれているはずもなく、ただただ「今日無事」を感謝する日々でございます。
 斯様な次第でして、5月7日から9日まで私にといいますか、かのこ庵にとっても思い切っての3連休を致しました。    
 ただし「とちぎ物造り工房」の件もあり、案内状の送付、各自の進捗状況の確認、未配布のままであった市や観光協会さんへのチラシのお届けなど結構多忙を極めました。ただし、そこは私めの事でございます。抜かりなく時間を割いては新緑狩り、ナイター観戦(宇都宮で巨人VS横浜が8日夜6時試合開始でございました)等とそれなりに充実した三連休を取らせていただきました。ブログへの書き込みは気になっては居りましたのですが。
 ところで本日、ありがたいことに今回の「工房」に鈴木栃木市長が伺う旨の連絡がございました。又、スタッフの一人が「チラシが足りない」と、取りに来ましたが少なからず反響が広がっていることを実感しています。

 緑が濃さを増してきた母校です。

新緑の実に爽やかな「日光の霧降の滝」でございます。
今年の積雪量の多さがよく分かります。
 「霧降の滝」の手前のつつじですが先に見える白いつつじは愛子様の御紋となった「五葉つつじ」でございます。実に「清楚」という言葉が相応しい美しさを感じます。
ついでといっては何ですがユニフォームが変わりました「ラミちゃん」です。東京ドームですとその大半が電車等の交通機関を利用しますが、ここ清原球場は圧倒的にマイカーでないと無理という不便なところにあります。私も車で行ったのですが、8回裏が終了した段階で帰りの渋滞が想定されましたので一足早く球場をあとにしました。何しろその時点では3点差がありましたので。しかしラミちゃんが出塁したなというのは微かに聞こえて来ていた球場アナウンスで分かってはいたのですが、まさかあの試合が引き分けとは・・・・・。自宅に戻ってから知り、又、慎之介君の打ち捕ったはずのキャッチャーフライがポロリが敗因とは・・・・。慎之介君でなくても寝つきが悪くなりました。