2011年12月31日土曜日

「もう未練ないが糸屑とってやり」麻生路郎

思い返せば善き事が、皆無の歳であったとまではいいませんが、どちらかというと
悲しみの平成23年であったといえます。今日、大晦日ですが、この一週間程はお客様との会話の中身が、振り返ってみて、辛きことや、世情への嘆きの多い日々でした。
更には、新年を迎えようとしている中で、この国の行末も悲観的にならざるを得ませんが、せめて新年こそは穏やかであってほしいと例年以上に深く思います。
ところで、それ以上に我が身の変調が気になります。
疲れやすくなりました。ちょっとした話にでも鼻の奥がすぐに、きな臭く感じたりするようになりました。困りましたです。昨日までの餅搗きはご注文だけで昨年を又しても上回りましたが、来年も、これだけの仕事をこなせるか今から心配です。
でも、これこそまさに杞憂であって欲しいと願いますが、それでも追いかけられる程の仕事を抱えていることは幸せなことでもあると感じています。今年のお餅は遠くは四国までお送りしました。
とにかく無事に一年が終了です。

麻生路郎様は結局フェミニストであり、こまめな方であり、辛らつな方なのかと思わせられます。男女のことは生あるうちは消えること無き事柄なのでしょう。と、我が身をも振り返ったりする大晦日です。

新年は当方、喪中につき、いわゆるお年賀に相当する言葉はこのブログ上では控えさせていただきますが、皆様には何卒よき年となりますことを、ご祈念申し上げて
これが卯年最後のカキコミでございます。

2011年12月25日日曜日

「笑窪万寿」本日から

 かのこ庵の「薯蕷まんじゅう」は、お蔭様でフアンの方が増えるばかりの商品になりました。その「薯蕷まんじゅう」を一個で紅白、金箔を添えて新春に相応しい和菓子に仕上げました。
「はなびら餅」も本日から販売開始です。

新春を寿ぎ、初釜に是非ご利用下さい。

「本格手作り 栗きんとん」も数量限定ですが、
やはり今日から陳列しました。ただし申し訳ないのですが、ご予約が入って来ておりまして、残数が、いささか寂しくなってまいりました。少し製造個数が遠慮気味だったかなと今頃反省してます。
他の商品も作らねばならないものですから、早めに売り切れとなりそうです。


「栗きんとん」の隣にありますのは、金箔で包まれた「金箔本練ようかん」です。
関西からの仕入れ商品ですがしばらく飾っておいてからお召し上がり下さい。 日持ちはしますのでいかがですか。

ところで、「栗きんとん」の下に敷かせていただいた絵巻物の写真は「源氏物語絵巻」より、光源氏が10歳の「若紫」を、柴垣から始めて垣間見た瞬間の情景を屏風にした桃山時代の作品を、お借りしました。この時、光源氏18歳です。
しかし、「源氏物語」という長編小説の中で、一番面白い、といったらなんですが、
若さと、その特権とをフルに活用し、10歳の幼い少女を我が物にしてしまう、その一方で、禁断の、つまり、桐壺の帝の奥様を愛してしまい、悩みを抱いたまま我慢できずにお抱きになってしまい、結果として懐妊させてしまう、という第五帖の乱れ方は
何なんだとお思いの方は私だけではないと思います。
それにしても、光源氏と若紫を現代にあてはめますと、小学校三年生の少女を、
高校三年生のお兄ちゃんがこの時点ではその行為そのものには行きませんが、
どうも裸にした若紫を胸に抱きしめているような記述も有るのです。
一千年前と現代を比較することは意味が無いことかもしれませんが、どうも、どうもの世界としかいいようがありませんね。
「絵巻で楽しむ『源氏物語』」は、絵巻物を中心に物語を進行していく「朝日新聞」社刊の週刊誌ですが、「林望」様の「謹訳『源氏物語』」を補完してくれる楽しい読み物(?)となっています。お薦めします。


今年の書き込みは、あと一度くらい書ければと思っていますが、出来なかったときのために、この阿呆なおっちゃんのブログをお読みいただいた皆様の新年のご多幸を切に願います。
何卒、何はともあれ穏やかな辰年となりますことを、切に祈念申し上げます。

2011年12月20日火曜日

「花びら餅」 かのこ庵はお正月です。

 「花びら餅」製造の準備が出来ました。かのこ庵は最早、お正月です。
 この「花びら餅」の正式な名称は「菱葩餅(ひしはなびらもち)」と呼ばれ、実は平安時代の新年行事に用いられたのが始まりです。「歯固めの儀式」として宮中で供せられてきたという歴史ある、由緒のあるお菓子なのです。勿論、当時の物とはその形も材料も違いますが、新年に長寿を願い、お餅の上に赤い菱餅を、更に肉や野菜、鮎、瓜などがのせられていたとの記録があります。

 長い歴史の中で少しづつ簡略化、変化をして現在の形になったのは明治時代になってからのことです。
 宮中に和菓子を献納していた川端道喜という方が作りました。そして、裏千家での初釜における茶席菓子として使用することが許可され、今日、私達も新年の縁起菓子として食べられるようになったという訳です。
 求肥で作られたお餅の中に蜜漬けのごぼうと白味噌を煉りこんだあんが入っているという贅沢な和菓子です。
 如何ですか。初春を寿ぐには格好の和菓子といえるでしょう。

さて、かのこ庵の店内ですが、本日一部を、お正月の飾り付けにさせていただきました。
一寸早いかもしれませんが、草餅や桜餅、道明寺製桜餅、紅白(一個で)笑窪まんじゅう等の製造が控えておりまして、又しても多忙の日々となりますので。そして年末には、ご注文いただいたお餅搗きがございます。 
お店は元日だけ休みで二日から営業となります。一月八日は「成人の日」ですので、お赤飯のご注文が沢山入ります。

いささか肉体労働の季節であるともいえますが、ここでしっかり働かないと後で苦労することとなります。
 でも随分と華やかな飾り物を、それも沢山集めましたね、と、言われそうですが実はまだまだありましてここに出てくるのは一部です。
合羽橋に出かけたついでに浅草橋に立ち寄りますと、この様な物を専門に販売している会社がございます。そこで、ついつい買い込んだ飾り物が長年の内にたまってしまいました。実は出し切れずに陽の目を見ないままの飾り物も結構あるのです。馬鹿ですね。
 商品もお客様を楽しませておりますが、店内の飾り物もお楽しみ下さい。

 近日中に今年最後のカキコミを致します。
 つまり、一個で紅白に、そして金箔をつけた「笑窪万寿」を正式にご案内する予定ですので。これもお楽しみに。
 

 ところで、表紙が変わりました。「元祖いちご大福『苺の娘(こ)』」が、今年は好調に売れております。品切れの折はご容赦下さい。
 昭和六十年の創業以来、製造してきた商品です。7~8年前、一時、余りにもあちこちで販売されるようになり、アホらしくなって一年だけ製造をやめたことがありました。
 しかし、「かのこ庵のは違うのよ」といわれまして、作り続けてきました。
 
 生のフレッシュな苺を使うということは、売れ残ると全て
ただのごみとなり、ロスの多い商品でもあります。見込み違いで作り過ぎるときもありました。
 

 ところで、一時ブームになった「10円まんじゅう」はどうなったのでしょうか。
 あれは全自動包あん機という物が有るのですが、一分間に40~50個作れます。
 そのメーカーの陰謀といっては失礼かもしれませんが、便利は便利なのでしょうが、さほど大きくは無いお菓子屋さんにまで売り込み、導入した結果、一日の仕事を数時間で終わしてしまう結果となり、機械が遊んでしまうのですね。
 それを解決するために一口サイズのおまんじゅうをこの機械で仕上げるべく仕向けたわけです。
 一時はよかったのでしょうが、所詮は10円です。不味くは無かったのでしょうが、一昨年の夜、ある大手のスーパーに出店しているお菓子屋さんの店頭に沢山、山積みされた20個入りの例の物があるのを見て、複雑な感情を抱いたことを思い出します。
 物が物だけに残れば全てごみでしょう。
 今更ながら、商売というものの難しさを思い出させてくれるこの年の瀬です。

 山口瞳先生の色紙を架け替えました。
  「冬の夜 風が吹く」。
 明後日は冬至です。
 数日前から寒さが厳しくなってまいりました。
 皆様、ご自愛下さい。

2011年12月15日木曜日

お餅のご予約はお早めに

 昨晩はふたご座流星群がピークでございまして、夜9時頃から11時くらいまで夜空を眺めておりました。
 9時頃は半分ほど雲が出ていたのですが、9時半には
 月光が少々邪魔なだけで全天晴れ上がり、風も無く観測日和となりましたが、群と名がつく割には何個も出現せず、いささかお疲れ様の本日でございます。
 それでも9時50分頃に出現した流れ星は、大きく弧を描いてスバルの脇を凄い速さで通過していきました。綺麗でしたよ。
 あっという間ですが。
どこかのホームレスの親子とは違います。


それにしても、いやはや、あっという間に12月も15日となりました。
 孫のクリスマスのプレゼント(リクエストされています)もすでに買い込みました。
 今年も残りわずかとなりましたが、やはり日本人にとってお正月は別格の節目となる大切な日でもあります。
 未曾有の大災害が東日本を襲いました。なくなられた方の数も半端ではございませんでした。
 そして、何時になったら、いや、今現在よりもまだまだ深刻な状態に陥っていく可能性も否定できない現状です。
 この国の借金がいくら有るかも大事なことですが、現実問題として、年金は減るばかり、消費税増税も、もはや止むを得ないと思います。
 その一方で、日本の国政を担っていらっしゃる方々には、残念ながら何一つ期待が持てないのも事実です。自分達の特権を削減する覚悟のある政治家が一人も見当たりません。悲しくなります。
 せめて、お正月は穏やかな「お屠蘇」がいただきたいと切に感じます。
 今年のもち米は、あの天災以来、作付面積が少し減りまして、又、昨年産米が売れ行きが好調すぎまして在庫が無く、正直、一割以上価格が高騰しちゃいました。
 でも、このご時勢に値上げは出来かねます。つまり昨年と同じ価格での販売です。
 毎年、お赤飯同様、お餅も味の良さが好評でして、これだけは、必ず昨年比を上回ってきました。そして、毎年余分に餅つきをしてきていたのですが、今年はご注文分だけの生産をしようと考えています。
 どうか、お早めのご注文をお待ち申し上げます。
「本格手作り栗きんとん」も数に限りがございます。

 お正月用の和菓子、「花びら餅」、「紅白笑窪まんじゅう」そして、何故か「千枚漬」もちゃんと取り揃えて販売します。  皆様のご用命を心よりお待ち申し上げます。

前回は文章だけのブログでしたので今回は、一昨日、我が母校からのご注文のお届けの際、余りにも冬紅葉が素敵でしたので。正面玄関前の写真です。このブログをご覧下さる卒業生には嬉しい、懐かしい光景かと存じます。


ところで、お正月用の和菓子、しかも栃木周辺では、一寸手には入りそうも無い商品が、沢山並びました。
見ているだけでも楽しくなる商品群です。


 ご来店が難しい方は、写真をアップにして、お楽しみ下さい。

2011年12月11日日曜日

「寒菊の 忍耐という 汚ならし」時実新子

「冬満月 われの匂いの 中にねむる」寺田京子

出だしが川柳で、更に寺田京子様の俳句が本文の書き出しという支離滅裂なるカキコミです。
されば、ついでと書いては僭越ながら
「月のあかかりしよ」 として
「よそにても ほしとそきみは おもふらん なにおほそらの 月によそへて」
藤原実方です。

昨晩の月食はご覧になった方が沢山おいでと思います。
2~3日前から、ふたご座流星群も出現してまして14日がピークとなりますが、
何個か見ることが出来たのではないでしょうか。
孫と遅くまで我が家の前にダンボール、毛布、防寒具といやはやホームレス状態で
観察しました。孫は初めての流れ星体験プラス赤銅色のお月見でいささか興奮気味でした。少し前まで「歯が痛い」と半べそをかいていたのが嘘のようです。

時実様は忍耐という言葉がお好きではないようです。
しかし、昨晩の見事に晴れ上がった夜空に浮かぶ満月が欠けていくのを追いかけるには少々忍耐が必要でした。何よりも寒さが、急激に増して来ていた夜となりましたので。
オリオン座のペテルギウスは、「もう爆発しているかもしれないんだよ」と、孫に話しかけると興味深く聞いていました。
ご存知の方は多いと思いますが、赤色矮星として星としての最後を迎えています。
ペテルギウスの星としての大きさは、太陽から地球を通り越して木星の近くまで届くほどの大きさがあります。この爆発の瞬間に生きているうちに立ち会いたいと願っていますが、しかし、もしかしたら、そんなに遠く離れた星ではありませんので、地球に様々な悪影響を及ぼすかもしれません。でも昔、平安時代に藤原定家は、超新星爆発を、彼の日記「名月記」に記述しています。
オリオン座がどうなるか、興味がつきません。
朝の早い仕事をしてますので、いささか、寝不足状態での書き込みです。
でも、寺田様の俳句はいいでしょう。

斯様な次第で、今夜は早めに布団の中に潜り込みます。
どうも中途半端なブログとなりました事、お詫び申し上げます。
それでは皆様、Good Night & Have a Nice Dream.

2011年12月5日月曜日

癒しについて、私の場合

 過日実施しました「異業種ながら物造りのプロ達による『物造り空間工房』」はお蔭様で、2週間以上経ちましたが、相変わらずお客様からお褒めの言葉を頂戴したり、新聞社の後追い取材もあったりしまして、更にはよくお見えになるお客様で、当日来られなかった方からは、「おやりになったんですってねー」と、少々うらめしっぽいお顔をされたりしています。
 斯様な次第にて、神経の休まるときがなかなかございません。先程のお客様は「当日券というのは無かったのー」。
ここだけの話し、この説明に苦慮している私です。
 実は大分良くはなったのですが、今日現在も喉の調子が良くありませんでして、微熱も有り、マスクの日々でした。
 何しろ、普段は無口で有名な(誰のこと、なんてまぜっかえさないでください)私でございますので。
 そんな時に、一寸お店を抜け出しまして、行きつけの静かなお店で、グラスワインと身体に優しいランチが私の秘かな癒しの時間になっています。
 今、「タンホイザー」と、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」にはまってまして、朝はかなりのボリュームで、日中もずうっと店内ではBGMとして流しっぱなしにしてあります。夜、寝るときもタイマーを入れて聞いています。クラシックマニアの方には鼻で笑われそうですが、よいのです。飽きるまで聞くのが私流のこれも一つの癒しなのです。かなり、しつこいといえますが。でも、お客様から音楽に関するクレームは今のところ有りません。ただし、ずーっと付き合わされるパートさんは大変かな。
 少し前に「めだか」を飼い始めまして、一人静かに眺めています。水草に隠れて映っていませんが、奥には、まだ十数匹泳いでいます。ほんの少々の餌を与えるだけですが、長生きしておりかわいいもんです。
 如何ですか。ちっちゃな私の癒しの一部をご紹介いたしました。所詮この歳でできるささやかな癒しでございます。

 今日のブログをご覧になった方で私をよく知る人は、少し
私の変調をお気づきでしょうか。そうか、又、失恋したな、とお思いの方は、鋭い!と、いってあげたいのですが、残念でした。想う方がいないわけでは有りませんが、まだそこまでの話ではないのです。少し長期の休みが欲しいだけです。
 いっそのことこのようなお天気になっていただければ休みにするのですが、まだそこまでは冷え込んでは来ていませんね。今年は2月某日の写真です。
       どうでもよいことだらけのカキコミでした。失礼。


 

2011年12月4日日曜日

「枯野の薄 形見にぞみる」西行法師

「くちもせぬ 其の名ばかりを 留め置きて 枯野の薄 形見にぞみる」
昨日の高橋睦郎様「花をひろう」では「枯尾花」を取り上げておられ、最後に「西行法師」の和歌を登場させておりました。
過去に遡ること凡そ一千年ほど前、中古三十六歌仙の一人として、武官としてよりも、和歌詠みの名手として知られた左近衛中将正四位下兼陸奥守「藤原実方朝臣」が陸奥の国の国司として995年に下向しています。
しかし、残念ながら任期半ばの998年に現在の宮城県名取市にて没しています。
名取市笠島に彼の墓所が残されています。海沿いからは大分離れた少し小高い山の麓でしたので、今回の大災害をまぬかれる事が出来ました。
一昨年の晩秋にその墓所を訪ねてきましたが、静かな、それでいて何ともいえない
趣を感じさせてくれる景色が広がっていました。

西行は仕事として、そして歌枕の地を訪ねながら二度も東北に旅立っています。
「奥の細道」の松尾芭蕉も陸奥を二度、吟行していますが、藤原実方朝臣の墓所には西行と芭蕉の歌碑が残されており、タイトルの和歌が西行が実方を偲んで詠んだ
和歌です。
左の写真が西行の歌碑です。
実方の墓所のすぐ手前にありますが、この和歌に出てくる
「枯野の薄」は墓所への入り口にあります。
西行、二十六歳の頃に立ち寄り、霜枯れの薄に心を寄せてこの和歌を詠じました。
「かたみのすすき」として一千年を超えて大切に残され、私が訪れた時にも、細めの葉に沢山の穂をつけていました。





松尾芭蕉の句碑はこの「かたみのすすき」の手前にあります。やはり実方の墓参をするために立ち寄ろうとしたのですが、残念ながら折からの五月雨で道はぬかるみ、日没も迫り「笠嶋は いづこ皐月の ぬかり道」と一句を残して渋々、この墓参を諦めて通りすぎました

藤原実方は、陸奥の国司として赴任する際、栃木市には下野国庁舎がありましたので、当時の蝦夷への重要な街道としての東山道を利用し、栃木市を含めた周辺の歌枕の地をたずね和歌を詠みながら当然、栃木市にも立ち寄り何首もの和歌を残していきました。
代表作として「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしもしらじな 燃ゆる思いを」が
あります。百人一首の五十一番歌としてご存知の方は多いはずです。
枕草子の清少納言が返し歌として「おもひだに かからぬ山の さしも草 たれか伊吹の 里はつげしぞ」と、又、「いつしかも 行きてかたらむ 思ふこと いふきの里の 住うかりしを」とも詠んでいます。和泉式部や数多の女性との交際があったとされており、「源氏物語」の中のエピソードの一つとして、つまり光源氏のモデルともいわれた存在でした。
栃木市惣社町の大神神社にある「室の八島」も歌枕の地名としても有名ですが、
同じく実方の和歌です。「いかでかは 思いありとは 知らすべき 室の八島の けぶりならでは」。

凄いでしょう! 私が、ではなく藤原実方という人物の話です。
しかし、誠に残念ながら現在の栃木市は「歌麿」一色です。
「蔵の街」も「歌麿」も結構なのですが、栃木市は星野町に縄文時代の遺跡が残されており、そして平安時代の歴史に残る歌枕や史跡が存在し、皆川城跡もあり、田中一村や山本有三、吉屋信子等々、まさに悠久の歴史が近代まで続いて来ています。
しかし、それらを系統付けて、という話は先ず有りませんし、逆に寂しく極端に言えば
埃をかぶった状態で放置されている、との表現が正しいといえます。
でも私自身は正直、余り悲観も、憤慨もしている訳ではありません。
静かなる事のほうが良いとも感じています。なまじ、観光的になるよりは、この「日本の田舎」を実感させてくれるこの栃木が好きだからです。いにしえをたどって、尋ねてくださる方があれば、この地の良い所を、静かにして、穏やかな場所をご案内申し上げます。観光協会では取り上げない取って置きの場所を。

今回は少し堅い話になりました。誰も読んでくれないかも知れませんね。
それでは本日、撮れたての冬を感じさせてくれる写真をどうぞ。

次の二枚は本日お届けの途中立ち寄った、我が母校の写真ですが、昨日は雨が降り続きまして、濡れ落ち葉状態でした。一転今日は木枯らしが吹いてましてかなりの落ち葉が舞い散り少なくなっていました。
私の書く和歌や俳句は(私自身の作は無関係です)、原則として五七五七七、五七五ごとにスペースを一文字分空白にしてあります。よくは判らないのですが、この方が意味や真意を読み取りやすいと自分では感じているからなのですが、流れるように書いてある和歌もこのように頭の中で分解しながら声に出して詠みますと理解が早いと思っています。