2011年9月30日金曜日

「飲んでほし、止めてもほしい酒をつぎ」麻生葦乃(あそうよしの)

「川柳六大家」の一人として、昭和史を飾った「麻生路朗」氏の奥様、「葦乃」様の
作品です。六名の中には「前田雀郎」先生も含まれますが、「路朗」様の作品には
「酒とろりとろりと大空のこころかも」という作品も残っています。
私は普段、日本酒はお正月くらいしか嗜みませんが、いや、呑まないわけではなく
通常はウイスキー又は焼酎を、いささかひと様より余計に嗜んでいる方です。
いわゆるアルコールの類が美味しい季節になってきました。
時にはワインもよろしい様で、特に、外で飲む時はどうもいけません。
やや、ウイスキーとか、度数の強い系を好みます。
従って(?)、次の日の午前中が少々辛い、ということになります。
分かってはいるのですが、それでいて呑みすぎてしまいます。
翌朝は忙しいんだと分かっていても、いけません。
若くはないのに。

「考えて
考えて
呑みはじめたる
一合の
二合の酒の
秋の黄昏」  となります。
ところで、この詩を、酔うと、時々適当なその場にある紙に書き付けます。
あんまり好い飲み士ではないのかもしれませんが、この作者が誰なのか、思い出せなくて、いつも悩んでいます。
どなたか御存知でしたらお教え下さい。

作者名は略させてもらいますが、
「そんなこと言ったか酔いの恐ろしさ」 お金の話ではなく、男女間の事となると、
一寸、一波乱ありそうな川柳です。「のめりこめばしんどい愛を振り分ける」。

「ジンフィズがあやまちのそのはじめ」 なんていうのもあります。
とかく、カクテル系は呑みやすいのですが、アルコール度数がやや強めですので
ご注意をと、年寄りが申しております。
その年寄りが好きな、昔の女優(知らないでしょうねー、知っていましたら貴方は相当にマニアックです)の写真をアップしちゃいます。このブログの読み手が減るでしょうねー。ま、いいか。

ここまで書いてきたら、止められなくなりました。
「時実新子」さんの川柳は、ちょっと男心には怖い作品が多いのですが、又、実に凄艶なとでも言うべきものもあります。その中から穏やかな、でもユウモアを感じさせてくれる(これが川柳の良いところですが)私が気に入った作品をご紹介します。
「何だ何だと大きな月が昇りくる」
秋の名月かと思いますが、お月様がぬうっと昇って来る様子は、「何だ、何だ」といいたそうな顔をしているとは、流石です。
では少しドキッとする時実様の作品をもう一つ。
「西洋の男に抱かれ脱げる靴」   

いやはや、どうも、という、昨晩の酒が
少し残りし今日のカキコミとなってしまった様です。
新作の和菓子の話は次回にさせてください。
穏やかな、自宅前の巴波川風景です。

2011年9月25日日曜日

「彼岸会」

何事も加齢のせいにしてはいけないのですが、いささか訳知り顔にて、講釈が増えていますこと、又、くどくなっておりますこと、お許し下さい。
お彼岸は、和菓子店にはかき入れ時でございますが、お彼岸の中日と、お寺様のお施餓鬼のための「お供物」としてのお饅頭のご注文を何とか無事にこなすことが出来ました。お寺様のご注文だけで約三千個ほどのお饅頭が出ました。
20日が彼岸の入りでしたが、今ひとつさえないなあと、そして、翌日は台風が直撃し北上して行きましたので、一日休みというか、パスという状態でした。作るほうは目一杯でございましたが、それでも22日から俄然お客様の出足が良くなりまして、結果として昨年を上回って今日のお施餓鬼の納品が午前中に終了という次第です。
誠に、有難うございました。

「彼岸会」とは春分、秋分の日を中日とし、その前後各三日を合わせた七日間を指します。彼岸というのは、煩悩を脱した悟りの境地のことをそう呼びます。
黄泉の世界に居られるご先祖様などのことですが、私達、煩悩や迷いに満ち溢れているこの世を「此岸(しがん)」といいます。
今年は過去に類例を見ないといっても過言ではない、突然の不慮の災難に遭われて、お亡くなりになった方が沢山いらっしゃいます。
お彼岸の法要は浄土思想に添い結びつけて説明されます。浄土思想において信じられている極楽浄土へと旅立たれた、ということですが、心より、そうあってほしいと思います。老若男女に関わらず、突然にそのお命を絶たれてしまわれた訳ですが、現世への思いはいかばかりか・・・。
それぞれに沢山の思いを残したことが有るはずと思います。此岸に住いせし私達には、合掌してせめてご冥福をお祈りせねばと、強く思う今年の秋彼岸です。

昨晩、孫を連れて、皆川城内町での「城山祭」に行ってきました。

町内の方のご努力にて、皆川城跡地の山肌にとても沢山のぼんぼりが飾られており、その美しさの前に、荘厳なる物を感じさせられました。
昔の栃木町を統べられた 「皆川家」が居城とした通称「ほらがい城」という山城の斜面の明かりは、東日本において被災され、又、亡くなられた方への鎮魂の思いが込められていました。

どうも夜間の撮影は下手でして、ぼんぼりの雰囲気とその数は判りづらい写真かと反省してますが、とりあえずご覧ください。
以前にご紹介したことのある「満福寺」様に今朝、お届けにあがりました際、ご住職から御本堂内の撮影を許されました。檀家さんで無ければ拝見することはちょっと難しいと存じますので、あえて、いっぺんに沢山の写真をご紹介します。
ご本尊両脇の曼荼羅図は、名のある方の直筆によって、こちらの御本堂のために描かれた誠に、名品にして、力作そのものでございます。その他、それぞれに御住職のこだわりが有りまして、しかし凡庸なる、煩悩ばかりの我が身では下手な又、真の意味をお伝えできるか心もとなく、解説は略させていただきます。ひとつだけ、ご本堂に通じる廊下に掲げられた書、外の御本堂の正面の扁額の書は共に、知る人ぞ知る「松岡正剛」様のお書きになられたものでございます。
明日が彼岸の明けとなります。ふさわしい写真ばかりをアップいたしました、と、本人は思っています。
ついでといっては申し訳ないのですが、昨年のすすき狩りの時の種がお店の角に落ちたのでしょう。丁度良い具合に穂が出てきましたので、ご覧ください。
併せて、駐車場のコスモスです。

2011年9月22日木曜日

「髪解けば 胸ほぐれゆく 秋桜」古河まりこ

今年の天変地異には、ほとほと、うんざりさせられます。
昨日は一日中土砂降りと強い風でした。私の自宅の前は、巴波川が流れています。
住みはじめて35年が経過いたしましたが、今回初めて夜7時過ぎに避難勧告が出されました。慌てて外に出てみると、凄まじい流れとなっていましたが、流れが溢れ出るにはまだ50cm程ゆとりがありました。この川は昔は常に氾濫した、ということを今はもう、お亡くなりになりましたが、お隣の長老から教えられていました。しかし、大掛かりな河川の工事があり、それ以来、川べりにそびえていた大木が倒れたことが何回かありましたが、堤を超えてのいわゆる氾濫はなくなりました。
この川の出発点は、平安時代に詠まれた歌枕の地としてごく一部(?)では有名な「しめじが原」地帯となりますが、自宅から3~4キロ上流になります。ということは、栃木市西北部の山深い所から流れてくるわけでは有りませんので、雨が止めば心配はなくなります。
そんな訳で避難はしませんでしたが、驚きました。
それにしても被害にあわれた方が大勢いらっしゃいます。お見舞い申し上げますが、困った日本列島です。

秋の新作、上生菓子ができました。菓名は「菊の宿」となずけましたが、食用の菊の
花びらが葛の中で泳いでいます。写真はちょっと待って下さい。
十月になったら正式にご紹介いたします。

かのこ庵の駐車場の秋桜、つまりコスモスが咲き始めました。
台風一過、秋晴れの中で写真をと思ったのですが、お彼岸中にて、多忙をきわめています。さー写真をと、思ったらどうしたというお天気なのでしょう。
午後はずうっと、雨が降っています。早朝はうろこ雲が流れて、あー秋だぞ、という、いい気持ちにさせられていたのですが、残念です。

タイトルの俳句、なかなかいいでしょう。  では又。

2011年9月20日火曜日

荒れ模様のお彼岸です。

困った天気が続いています。
暑すぎた夏も漸く、かと思ったら、台風の接近で一日中雨が結構、激しく降っています。
そしてこの時間は涼しすぎて、一枚ジャケットを羽織りました。
お墓参りも一寸、難儀なことと、ご想像申し上げます。
お蔭様で、この時期は、かのこ庵の繁忙期でして昨年ほどでは有りませんが、彼岸の入りとしてはまずまずかなという数字です。

実は、とてつもなく(自称です)新製品のグッドなアイデアが、数日前に浮かびまして、いつもの商品を作りながら、又、自室のベッドの中で悶々としながら、構想をまとめているところです。完成いたしましたら、勿論、ホームページにてご紹介いたしますが、なかなかにグッドではないかいな、と確信しています。従いまして書かねばならないこともあるのですが、本日はここまで。

では、申し訳ないので(誰に?)何枚か
写真を添えておきます。
自宅の青瓢箪と、
今頃満開の朝顔、
何故かどんどん伸びて花を
一杯付けた、かのこ庵駐車場のおじぎ草です。


2011年9月16日金曜日

「寝待月」とは今夜のお月様の呼び名です。

 又しても、お月様に関する雑学を披瀝してます。 何しろ「名月や」の夜が続いておりまして、昨夜は丁度、自室の窓の正面から月光が差し込んでおり、「ムーンライトセレナーデ」か「ベートーベンの月光」状態でございました。
昨夜の十時頃のお月様をご覧になった方はお分かりかと存じますが、お月様の
すぐ下に木星が輝いておりまして、しかも月に負けない明るさで自己主張をしておりました。
それではと、早速に天体望遠鏡を向けまして拝見いたしました。
木星の衛星たちが、横一列に並んでいるのがはっきりと確認できました。
しかし、安い天体望遠鏡ですので焦点を合わせるのが苦労の種ですが、結構楽しめました。
宇宙に関することには少々、うるさいのです。相変わらず、趣味の範囲が広すぎますかね。BGMにグレン・グールド様がぴったりとマッチしておりました。

ところで12日が十五夜でしたが、次の日の夜が十六夜、続けて、立待月、居待月、昨晩が寝待月、今夜は更待月と昔から呼ばれてきました。なんとも、月を愛でるのに相応しい、そして時間の流れをも感じさせてくれる、名前を付けていただいたもんだなーと、素直に喜びに似たものを感じてしまいます。

お月様の昇って来る時間に合わせて、立って待つ、座って待つ、寝そべって待つ、更に横になって月が昇って来るのを待つなんて名前を付けて楽しむ。これを風流というか、雅というべき事と勝手に感じ入っております。

以上の事だけをカキコミたくて、本日のブログを立ち上げてしまいました。

それにしても、かのこ庵のヒット商品「芋ようかん」は新芋で先週から販売を再開しましたが、十五夜を「芋名月」、十三夜を「栗名月」とも呼びます。しつこいですかね。
でも、間もなく、新栗での「栗蒸しようかん」の製造が開始されます。
本当に、日本という国に四季があることを和菓子店として「感謝、感謝」申し上げます。

2011年9月15日木曜日

十月九日(日)は十三夜です。

少し、ご案内が早過ぎるかとも思いましたが、日にちだけは先にご紹介しておくべきと感じまして、カキコミします。といいますのは、今年の十五夜は、今週の月曜日でしたが、晴天が続いたせいか毎晩、実にすっきりとした名月をほぼ一週間は楽しめました。
お蔭様でその為と思われますが、お月見だんごの売れ行きが良すぎまして、昨年より二割も伸びました。かのこ庵のお月見だんごは、あん入りとあんなしがあるのですが、午後一時にはあんなしが、四時半にはあん入りが、後から急いで作った分を含めても、完売してしまい、結局いつもより大幅に営業時間を短縮して、閉店させてもらいました。

夕方、お見えのお客様には大変ご迷惑をおかけしました。しかし、誠に有難うございました。

前回、十五夜についてカキコミをしましたが、書こうかな、どうしようかなと悩んだ
点がございます。大した事ではないのですが、次回というか、済んでからにしよう
ということで、今回となりましたが、じつは、というほど本当に大したことではないの
ですが、当日(9ー12)は仏滅でした。
気になさる方は結構気になされます。ただし、実は昨年も、いやもっと以前から、
十五夜は必ずいつでも、そして来年からもずーっと仏滅なのです。
ちなみに、十三夜はいつでも先負となります。 暦、特に旧暦に興味のある方なら、どうしてそうなるかはよくご存知かと思います。六曜(大安、仏滅・・・)ゆへの事なんです。詳しくはネット上で、例えば、十五夜とか、六曜とか、旧暦とかを検索すると
いくらでも出てきます。マニアックな話かと普通は思いますが、さにあらず、調べて
いる方が沢山おります。そして結局は、この日はよい日だとかはあまり関係ないということです。土御門、高島易断、古くは安政雑書万歴大成などの吉凶判断等があり
ますが、それぞれだということを記しておきます。

しかし、商いの話に戻りますが、売れるときに売らないといかんなあと痛切に今回は思いました。翌日の売上げは散々でございました。 
コスモスも咲いています。大平町に半ば仕事があり、昨日いってきました。
その途中での風景写真です。蓮の花の先に見える紫色の花は、「ほていあおい」
という名の花ですが、休耕田かと思われる広い場所一面に見事に咲いてました。
それでも、もう終わりに近いそうで半分は刈り取ってしまった、とのことです。


東武電車の車窓からは素晴らしく見えたことでしょうね。

2011年9月11日日曜日

九月十二日は十五夜様です。

今年は例年より少し早く十五夜様が、つまり明日は満月となります。 
この所、お天気が安定しているため、毎晩、名月が楽しめています。

中秋の名月とは、秋ど真ん中の月と言うことですが、本来は陰暦での八月十五日をさします。
昔はもう少し涼しかったのかもしれませんが、今年は暑さの残る中での名月です。
しかし、この月の、この月の位置がやはり一番素敵だ、とはどなたもお感じになると思います。京都の慈照寺銀閣寺はこの月を愛でるために建てられた、と言われています。中秋の名月が姿を現してから、没するまで、どのポジションで眺めるべきか、実によく、検討に検討を重ねて建てられています。
銀閣寺の前面にある池の中央部に、小さな小島があります。銀閣寺の2階の窓からこの池に映る満月を眺めていると、特定の時間に、この小島にすっぽりと名月が、隠れる仕掛けになっていまして、月のダイヤモンドリング状態になるという次第です。   
更に月は昇り、屋根の廂をこえると、急いで渡り廊下に向かい月を眺めます。
京都を囲む山並みに隠れるまで、昔の人は月を愛でた、という話です。
優雅というか、これぞ雅の世界でございますねー。
私が実際に見たわけではありませんが、嘘では有りません。
今朝、一仕事終えてから、すすき狩りをしてきました。毎年、お月見だんごをご予約下さったお客様に、街中で、すすきを取りにいけない方のためにサービスで差し上げるための私の年中行事なのです。一度やりましたら、お客様がそのお積りでご来店下さいますので止められなくなってしまったという訳です。
ちょっと、今朝は汗をかいてしまいました。なぜなら、ススキの葉は素肌ですと先ず細かい傷だらけになってしまいます。ですから、軍手に長袖、長靴は必需品となります。

暑うございました。
上の写真はその場所の物ですが、意地悪ではなく、場所はお教えできません。それ程、素敵なススキが咲いている場所はそうはないのです。

何事も簡単にはお金儲けにはならないという見本のような話です。
例年ですと、このすすきをとってくる場所の近くに
コスモスの群生地がありました。
何故か、今年は一本も見つけられませんでした。
今年はまだ少し早すぎたのかもしれません。
お店の前に早速飾りましたが、少しは秋の風情を
感じていただけましたでしょうか。

すすき狩りの近くに咲いていた、名前はわかりませんが、一寸可愛くて、可憐さを感じさせてくれるお花をパチリ、でございます。

しかし、結構、忙しい中よく動きまわっています。いまだ若いということにしましょう。

市内の異業種ながら物を作るという一点で時々集まるメンバーの中心的立場にて
時に飲み会を開いたりしていました。業種は異なっても通じる物があるのですが、
このメンバーによる「コラボなイベント」を企画、進行中です。場所というかギャラリーは、懇篤な方(栃木グランドホテルの若林社長です)の援助があり確保できました。
いささかなりとも多少の売上げアップを、そして少しは街おこしの起爆剤にならないかという目論見です。
会の名称、内容等の紹介はもう少し煮詰まってからにいたします。
ただ、それぞれの仕事上の上得意様を対象にした、極めて、素敵なイベントとなる予定です。失礼ながら、私が絡んだ話でございますので。
詳細は近日中に発表します。

2011年9月9日金曜日

福岡県で福島県の物産販売応援セール中止について

 昨日に続き新聞からの引用で申し訳ないのですが、かのこ庵のお客様で、宮城県石巻市雄勝町の方がいらっしゃいます。その雄勝町のレポートが、今朝の朝日新聞に大きく掲載されていました。お客様が今、現在、どの様な状況かは栃木市に娘さんが嫁いで来ていますのでお聞きしようもあるのですが、しかし、一寸考えてしまいます。今の私に何が出来ると言うのだろうか、と。
 レポートでは町の人口が7割減とあります。「学校も、病院も、銀行も、郵便局も、ガソリンスタンドも、何もかもが津波で流された」、「最寄のコンビニは車で、往復一時間」・・・。商店街に有った「マルタカ」というお菓子屋さんは、「ゆとりがなければお菓子の仕事は成り立たない。雄勝では当分無理だ」として千葉県へ移住してマイナスからのスタートを始めた、との事です。
 何時になったら立ち直れるのでしょうか。もう半年も経とうというのに、さっぱり先が、いや、ますます状況は悪化していくようです。他人事ではないと思いつつ、商いが私のお店では続けられている事に、いささか後ろめたさを感じてしまいます。

 同じ朝日新聞の記事に、ページは違いますが福岡県での福島県を応援するための物産販売キャンペーンが企画されたそうですが、「福島の放射能を浴びたトラックを福岡に入れるな」という企画者への抗議があり、中止になったそうです。
 部外者の私が言うべきではないと思いつつ、どれほどの自覚があっての企画立案だったのでしょうか。
 京都の大文字焼の一件を思い出しますが、少なからず西日本での反応は想像できたことと考えます。しかし、その抗議をした人に対し、私ならと自信を持っていえるかどうかわかりませんが、「キャンペーンは必ず実施します。心配な方は会場は何処そこですので近寄らなくて結構です。」と何故いえないのでしょうか。
 何処が、「がんばろう東北」なのでしょうか。
 以前にも書きました。こんな狭い島国の日本の同胞ではないですか。でも、世の中には偏狭にして狭量な人が必ずいます。誠に残念ですがそれも仕方ないことでしょう。問題は責任者の自覚にあると思います。
 悲しくて、辛い話をカキコミしました。大口のご法事や、敬老会のご注文、12日は十五夜と本当は忙しいのですが、黙っていられませんでした。
 しかし精神衛生に良くないですね。この歳になると我慢が効かなくなるようです。   
 せめて沈み行く初秋の秋空の鑑賞で心を落ち着かせますか。

 お届けの時に取った写真です。放射能の心配の要らない検査済みの稲穂が
ゆれています。巴波川の下流域になりますが栃木はのどかにして、いい所が、
沢山有るのです。

2011年9月8日木曜日

「県歴史文化研究会」20周年

 栃木県立博物館が母体となって「県歴史文化研究会」という会がありまして、一応、
会員になっています。私なんかは会報を購読する程度のものですが、中々、其々の分野でご活躍なさっている方が大勢いらっしゃいます。特に、古代、中世期の街道を丹念にご研究なされている大学の先生達が少なからずおり、大いに勉強させてもらっています。
発表会が結構こまめにあるのですが、常に、土、日の昼間に開催されますので
先ず、出席は殆ど無理です。この「歴文会」ですが20周年を迎えまして、「日本史の中の栃木」というテーマで記念講演とパネル討議が8月の末に開かれました。  
勿論、土曜日でしたので参加出来ませんでしたが、その梗概が今日の下野新聞に掲載されておりました。
「古代下野国は律令国家最前線」とのタイトルで書かれています。
拙著をご覧の方はお分かりかと存じますが、古代の街道としての「東山道」には
とても関心を持っています。
記念講演の中で下野国が、「陸奥へのフロンテイヤ」とか、「地理的に陸路(東山道)の要衝」、「律令国家が東進するために重要な役割を担った」等の文字には心躍らされます。
当時の栃木市には下野国庁舎があり、現在の下野市には日本三大、薬師寺の一つとして東日本で僧侶となるためには受戒しなければならないのですが、そのための三戒壇の一つとしてこの薬師寺が設けられていました。国分寺、国分尼寺もすぐ近くにありました。この地点を通過して、東北に限らず、各方面への古道が開かれたわけです(話がそれますが、熊野古道がこの度の台風で被害が出たと報道されていました。人命への被害もかなりな規模となっています。どうにも地球全体が悪い方向へと向かっているようでいやになります)。
つまり、誠に下野の国は各地を結ぶ街道の要衝であったわけです。
そして現在、北関東の交通の要衝は栃木市が担っていると言っても、過言ではないと言い切れると思います。東京まで車でも、電車でも一時間、東北自動車道と北関東自動車道が交差しています。
ま、現在の話はいずれ書き込みますが、親鸞が残した足跡や、その高弟達の下野の国での偉業、更に遡って「大宝律令」を編纂した下野古麻呂(しもつけのこまろ)等の活躍は、もっともっと県民のみならず、悠久の歴史の一部として埋もれさせてはいけないし、勿体無い事として広く紹介すべき事柄だと感じています。
「藤原実方」は995年に陸奥の国の国主として陸奥へ京の都から下向しますが、彼も東山道を利用し、下野国庁舎へ立ち寄っているはずです。そんな事を調べていると、時の経つのを忘れさせてくれます。

一寸、今回は堅い話になりました。この辺のことは書き出すときりがないのでここまでにします。

ところで、上記の記事の隣に、向田邦子さんの妹の和子様が「没後30年に寄せて」として執筆されています。何かの縁を感じざるを得ません。

四国から、秋の和菓子が届いています。
見ているだけでも楽しくなるお菓子です。

2011年9月5日月曜日

「平井焼 田部井茂 陶展」

 小山市の「たから園 現代工房」にて、表題の田部井氏の作品展が9月11日(日) まで開かれています。作品が彼の個展に間に合うか心配していましたが、流石ですね。かなりの力作が所狭しと陳列されていまして、まさに壮観のひとことです。
 川越市からおいでのお客様が、先生と呼んでいましたが、どうも私は「茂ちゃん」
と呼んでしまいます。考えてみたら当然そう呼ぶべきなのですね。 ま、いいか。
 彼の人柄が作品を通してよく判ります。
 奇をてらわず、時流に流されず、己の全てを作品で表現しています。素朴なようでいて、奥行きのある、そして深みを増した今回の展示品は一見の価値は十分に有ります。まだ間に合いますのでお誘い合わせてご鑑賞下さい。
 


 常時、茂ちゃんは会場に居ります。彼の人柄も、品定めの程。
















   話題が変わります。                   

 
 ご紹介がおくれましたが、栃木県大田原市で見つけた
極めてマニアックな喫茶店の話です。いや画像です。

迫力のある、いやはや大きさもさることながら、その手造りのスピーカーと今や誠に珍しい真空管のアンプの数々です。定休日と知らずに場所がよく判らず、電話しましたらお店を開けてくださいまして、セロニアス・モンクをLPレコードにて聴いてきました。しかし実に世の中にはゆとりがあって、なおかつここまでやるか、という感のする人もいるのですねー。お店の名前は「Music Space Shin空(しんくう)」といいまして、真空管マニアというか病が高じ、家具まで全て自作で、アンプもスピーカーも作っちゃいましたということです。写真でお分かりいただけると思いますがまさに圧巻そのものでした。   イヤー、実に迫力満点のジャズをしばらくぶりで堪能してきました。
ご興味のある方は、
那須塩原市新南163  電話・0287-36-2604
コーヒーもシフォンケーキも美味しかったことを付け加えておきます。
                                         

2011年9月3日土曜日

「竹皮舟流し あん豆腐」新発売!

 本物の竹皮を舟の形にした小さな容器があります。
 「巴波小舟」に使用していますが、正直、結構な量と誠に大きな段ボールにて
奥の倉庫の一角を占拠しています。
 その一方で、従来から販売している「あん豆腐」について、お客様から大きいままではなく、一口サイズが欲しいとのお声も頂戴しておりました。
 「あん豆腐」を製造開始した時は、夏季限定の商品と考えていたのですが、実は
ちょこちょこと毎日、売れていまして、流石にこれまでの暑さの時の販売量までは行きませんが、通年の商品となってしばらく経ちました。何と、お客様の声と、当方の勝手な事情がマッチングしまして、8月末から販売を開始しました。
 お召し上がりになった事の無い方のために「あん豆腐」の説明をさせていただきます。かのこ庵の水ようかんの糖度は38度ですが、お菓子としてはかなり低い糖度です。「あん豆腐」は更に糖度を落として35度にて仕上げています。
 その一方で、水ようかんよりも、「葛粉」と「寒天」の量を増やしています。ですから、食感は滑らかな、きめの細かいゴマ豆腐という感じになります。
 糖度はかのこ庵の商品の中で一番低い商品となります。
 更に、寒天と葛粉と皮むきこしあんで仕上げてありますので、美容食という、又、ヘルシーであることは庵主が自信を持ってお薦めできる和菓子、という訳です。
 「皮むきこしあん」について一寸だけ説明します。
 和菓子の本場(?)とでもいうべき、松江市や金沢市でのあんこの殆どは、この
皮むきこしあんが主力となっています。ところで、明らかに、この和菓子の好みにおいては「こしあん派」と「粒しあん派」に別れます。私はどちらかに与するものではありませんが(ずるいかな)、粒しあんは小豆をそのまま煮詰めて行きます。こしあんは、小豆を煮てから皮をとり、水さらしを行い、絞り機にかけた物をあんことして煮詰めて行きます。何故、一手間かけるのでしょうか。言いたいことはお分かりいただけましたでしょうか。
 こしあんは滑らかさが半ば命です。
 皮むきこしあんに戻ります。軽く、ざっとゆでた小豆を石臼のような目の粗い、ざらざらした容器の中で、半煮えの小豆の皮を剥いてしまってから、小豆の一番、風味の強い中心部だけを煮詰めてあんこに仕上げます。関東ではまだまだ少数派ですが、お茶席などで提供される和菓子のあんこの色にご注目下さい。同じこしあんであっても、小豆色の薄いあんこが出てきましたら、それが皮むきこしあんです。同じようでも、最初から小豆の皮をむいて、こしあんにしますので、色は上品な(と、言っておきます)薄紫色でも、かなり色の薄いあんこになります。お茶席の和菓子のあんこ全てが皮むきあんだとは申しておりません。ただし、すぐに見分けがつきます。
 かのこ庵の「焼き菓子『なまずっこ』」も、この、あんこです。実際にお召し上がり下さい、としかいいようがありませんが、色の薄さ、滑らかさ、小豆の本来持つ風味の美味しさをご堪能下さい。

 たかが和菓子、されど和菓子。奥が深いのです(エヘン)。 「夕顔大福」も製造を開始しました。新たな練りきりの秋の新作はもう少しお待ち下さい。
 今年の十五夜様は早くて、9月12日(月)です。ご予約はお早めに。


 自室のシクラメンです。
 一ヶ月前に出窓に置いてましたら、
殆ど暑さで枯れかかってしまい、2枚の葉を辛うじて残すのみとなりました。
 手入れは、日陰に移動しお水だけは
欠かさないようにしましたら、偉い。
 とりあえず一輪、ご覧の通り咲きました。 手抜きは須らくいけません。
   
前回のこのブログで、次回ご紹介としていました大田原の件はすみません、この次です。 



2011年9月1日木曜日

「新涼や たしなまねども 洋酒の香」中村汀女


 「新涼(しんりょう)」とは新鮮な初秋の涼しさを表現する秋の季語になります。
 ともかく、なんとか九月になりました。
 毎日、製造、販売の記録と共にその日の特記事項を日記の如く書き残していますが、去年の記録を見ると、残暑がお彼岸を過ぎるまで残っていました。少なからず、今年の暑さは昨年ほどではありませんでした。が、何故か、二度も点滴を受けた夏でした。加齢による体力の衰えを否定するものでは有りませんが、今までとは違う夏だと感じる方は多いと思います。先日お見えの、お客様が仰っていました。
「テレビを見てると胸が痛くなる話ばかりで、涙もろくもなってしまい、それだけで体調も狂ってしまい、お医者さんに診て貰ったら、『うつ病です。テレビのニュースは出来るだけ避けて、何か気分転換を兼ねて、外出しなさい。』と勧められた」との事。大きく、うなずいてしまいました。

 昨日は8月最後の日で、定休日でもありましたので、日帰り入浴の塩原温泉もたまには、良いのではと、更に、穴場のスポットという表現がぴったりの、又、草だんごの茶店が有ると判り出かけました。
 茶店は別として、実に素敵な最高の新涼を堪能できる場所を発見しました。ついでに書くなら、草だんごは軟らかくていま一つでしたが、それほどに大仰な、というほどではないのですが、それが又いいのかもしれませんが、水量も程よく、苔むした岩肌の緑が、木漏れ日が、なんとも最高でした。絵をお描きの方もお二人程居りましたが、何はともあれ私の下手な解説よりも以下の写真をご覧ください。

 意地悪なんです。ご存知の方は少なくないと思いますが、場所はお教えしません。途中から急な勾配の砂利道となります。危険なのと、紅葉の時期には再訪したいと考えていますので。
 静かな場所は静かにさせておきたい、といつもの自己中が出ておりますので、
 悪しからず。でも少し涼感を感じていただけたと思います。

 実は、もう一箇所、お目当てのところが、大田原市内にありまして、そちらも行ってきました。
 マニアの方には中々、感動ものの空間が広がっていました。という所までにて、すみませんが、詳しくはページをあらためて次回ご紹介します。

 台風が接近中です。晴れ後、ゲリラ豪雨プラス雷の今日です。
 関東は明日からが、もっとひどそうです。何事もなき事を祈念します。