2014年4月28日月曜日

今年のイベントは一年延期です。すみません。

 誠に申し訳ないのですが、今年初めには予定通りにアッと思っていただけるイベントを企画、実施の予定でした。しかし、想定していたよりも私の本業であります和菓子の製造が間に合いません。見通しの甘さに申し訳なく、ただただお詫びするものです。
 今回の企画に参集いただいた方々を含めて、何人もの方に、ご迷惑を結果として与えてしまった不始末を恥じる次第です。
 ともかく、本業あっての私でして、これ程までに忙しくなるとは想定外でございました。本来の定休日である水曜日も殆ど仕事をしております。
 自慢話になるようで恐縮ですが、先週、そして今日とTVの取材申し込みがございました。今日の申し込みは、日本テレビさんからでして、栃木市の図書館さんの仲介があっての話でした。
 しかし無理です。「開運勝栗まんじゅう」の取材申し込みでしたが、これ以上の生産はできかねます。アラサー、アラホーならともかく、間もなくアラセブンでございます。今朝ご来店のお客様から「色んなお店の柏餅を食べてきたけど、今までで一番おいしかった」とお褒めをいただきました。先週は、長野市内への柏餅の宅急便を依頼されました。「生菓子ですから無理です」と一度はお断りしたのですが、「かのこ庵のは美味いし、丸い柏餅ではないから是非送りたいのです」と。長野では皆丸い柏餅しかないのかどうか全くわかりませんが、そこまで仰られてはお断りできませんでした。全く、ありがたい話でございます。

 斯様な次第でして、当初は何とかなるだろう、という甘い見通しの上でした。つまりG/Wを乗り切れば菓子屋はひまになるからと考えていたのです。が、そんなことも無さそうでして、取りまとめ役を誰かに依頼すればなんとかなるか、とも考えていたのですが「あなたが前に立つから皆は着いていくのよ」と。これもありがたい話ですが、正直ほんとに悩み、困惑してしまったというのが実態でした。














 これ以上の言い訳は見苦しいですね。
 ご期待しておりました方々には、深くお詫びするところです。
 ただし、一年の延期でございます。
 来年には必ず実施いたします。
 当面は、仕事に専念いたします。体力と気力が続く限り・・・。

 ところで、かしわ餅ですが、概ね通常の和菓子店では2度蒸しをします。いったん成形、包餡した後にもう一度蒸し上げるのです。こうすることにより、お餅の歯ごたえと、照りが違ってくるのです。 
 写真の柏餅は、よもぎ使用の粒あん入りですが二度蒸しをする前の状態です。でも美味しそうでしょう。

 お届けの時に撮りだめしておいた写真を紹介してますが、それにしてもあっという間に色々なお花さんたちが咲き出しています。

2014年4月17日木曜日

「江分利満氏の優雅なサヨナラ」山口 瞳

 入進学シーズンも過ぎ、少しは一段落するかと思っていたのですが、甘い見通しでした。栃木市内は13日から市長選と市議会議員選挙がスタートしてまして、もはや終盤戦です。
 ありがたいことなのですが、一騎打ちとなりました市長選、そして日頃からご贔屓いただいている市議会議員さんの両陣営からお赤飯のご注文が、半端ではない数で入ってきております。

 13日の出陣式、20日の投開票日にと、当選を見越してのご注文です。昨日の定休日は半日が仕事、残りは両陣営のために動き回っていました。本来、私の様な商いを営む者が、特定の候補者を応援することは甚だまずいのですが、日ごろお世話になり、又よきお客様でもある場合、色を出さざるを得ません。
 この週の日曜日はかくして赤飯一色の極めてビジーな、そして力仕事が必要なハードな日となりました。G/Wも控えています。いましばらくの辛抱です。

 一昨日、ベッドに入ってから気づきました。いや、思い出しました。柏餅の事を考えていたのですが、突然、山口瞳先生の奥様、治子様が「私は柏餅は味噌あんが好きなのよ」と仰られたことを。
 ということは、・・・あ、そうだ、あれは先生が慶応病院に入院されているときのお見舞いに持参した柏餅の味噌あんの事だと。
 ということは、・・・G/W前の事、しかも先生がお亡くなりになられた年の事だったと。

 今日は4月17日ですが、「男性自身」も最終章を迎えようとしている時期の事でした。早速起きだして「江分利満氏の優雅なサヨナラ」を開いてみました。
 家内を同伴して慶應病院を訪れ、お見舞いしたことが先生の作品中に記されています。4月16日の事でした。流石に先生は少しお召し上がりになっただけでしたが、治子夫人が美味しそうにお召し上がりいただけた事が、今はっきりと思い出されます。先生もお元気でした。栃木市に来られた時に、市内の骨董店で先生がお買い求めになった佐渡の小さな石仏の話が出ました。いささか緊張しておりましたので、詳しくは思い出せません。でも、自宅の庭に置いてあって「家内が殆ど毎日、石仏に手を合わせていますよ」、と話されたことを思い出します。
 19年も前の昨日の事だったのでした。
 そうです。あれ以来、私が佐渡に旅したのはかなり前ですが、
私も同様の石仏を探し求めて、骨董店を覗く日々がありました。しかし、栃木市内のその骨董店にも、佐渡でも見つけ出すことが出来ずに今日に至っております。


 「男性自身シリーズ最終巻」のタイトルは「優雅なサヨナラ」となっていますが、ご子息、正介様の先生の最後をお書きになったご本の中では「かなりひどい痛みを抱えての旅立ちであった」ようです。ただ、ホスピスから自宅に戻られて自室の寝室に横たわれておられた先生のお顔は、実に穏やかなものを感じましたが。偶然にしても、いかに私淑しているとしても、一介の和菓子屋の店主には貴重な出会いでございました。
 実は私、先生がお亡くなりになった同じ歳になっております。  
 あまりにも早すぎる御逝去です。


2014年4月11日金曜日

草臥

 私淑する山口瞳先生は小説家であり、従って俳句の作品数は少なくて当然ですが、俳号は五つも持っておられました。
 「偏軒」とか、「寒庵」とかですが「草臥(くたびれ)」なんて言う俳号を持って自認しておりました。
 凡そ三十年前に出版されました「私の根本思想」という作品の中で書いております。


 恥ずかしながら、一か月以上のブランクが出来てしまいました。  
 誠に、沢山の方がお読みくださっているこのブログの書き込みも3月に一度書いて以来です。ともかく多少、体調を崩しかけた時期もありましたが、何とか仕事に追われる日々ながら、そういうことに慣れてきた、というか、慣らされてきたようです。
 相変わらず、相当な仕事量をこなしております。従いまして、早寝早起きの日々ですが、体重も結構落ちまして、逆に些か体が軽くなったような状態です。それでも流石に休み無しの日々はこの歳では、草臥れたというのが現実です。
 

 「小鰯も鯵も一ㇳ鹽時雨かな」山口草臥作の俳句ですが、この色紙が自室の壁に掛けてあります。持ってきてこのブログ上で公開しようと思ってはいるのですが、いつも忘れてしまいます。そこで、店内に飾ってあります「讃 山口瞳、画 関頑亭」両先生の短冊をご紹介します。
 如何ですか。
 かのこ庵の宝物の一つです。

「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」
「うしろすがたのしぐれてゆくか」

 種田山頭火の句ですが、話題が暗くなりそうですね。県内はあちらもこちらも桜の話題で持ち切りだというのに。

 量販店さんからのFAXが入って来ました
 今日はここまでにして、仕事に入ります。
 それでも、少しづつ書き込みをしていきます。