2016年11月1日火曜日

「ハロウィーン」考

 すみませんでした。なんともご無沙汰の一か月半でした。
 言い訳はしたくないのですが、似たような方があるかとも思い書いておきます。バージョンアップの為、更新プログラムのインストールをと表示されることがよくあります。更新容量の多い更新プログラムですとかなり時間がとられます。すぐに更新が終わると思って「更新」キイを押してしまいました。しかしこれがいつになっても20数%から進まなくなっており、やらねばならぬ作業が出来ず、「えーい」と強制的にシャットダウンしたのです。
 結果、ウィンドウズが全く立ち上がらなくなってしまいました。
 結局、数万円を投じての大修理となりました。幸い、パソコン内部のソフトや溜め込んだ諸々のリカバリーが大半修理されましたが、時間も掛かりました。
 つまり、更新プログラム実行中の強制シャットダウンはしてはいけないのと、作業終了後に更新を再起動させておくことです。翌日、更新プログラムの完了の為、又時間がかかる場合が多いのです。

 なんてことをPCデポで御指南頂いたアナログおっちゃんの顛末です。実は、ケーブルテレビの安心サポートでも、内部のハードデスクまでは手が出せないのです。そして先程このサポートが帰ったばかりなのですが、このブログへのログインIDやパスワードも飛んでしまっており、復活させた次第です。
 疲れますね。

 数回前に書き込みした「林望のイギリス観察辞典」からの引用ですが先ずはお読みください。
 「冬」というテーマでのエッセーです。
 


 「いつも年の暮れに、あっちでもこっちでもベートーヴェンの第九が演奏されるという日本的風習を見るにつけ、いったい日本人にとっての『西洋音楽』とは何だろうかと考えさせられる。趣味というものは本来『個人的』なものであって、『人が聴くから我も聴く』というような付和雷同的態度とは相容れない筈のものである。まして、複数の楽団が一斉に同じ交響曲をしかも毎年毎年演奏し続けるというのは、少なくとも私には理解できない種類の事柄に属する。要するに、日本人にとっては、ベートーヴェンも、除夜の鐘も、紅白歌合戦も、さして変わりはないのであると言ったら酷評に過ぎるだろうか。・・・」

 何なんでしょうか、あの「ハロウィーン」騒ぎは。

 「バレンタイン」や「恵方巻」も同じですが、余りにも付和雷同的日本人の行動パターンです。商業主義的には、関与する業者の格好のお魚さんになってしまっていると感じます。
 都知事選や補欠選挙等がありました。皆、押しなべて30数%の投票率でしたが、米国の選挙騒ぎにはこれ又、いささか引っかかるものを感じますが、それでも、投票行動に結びつくことは良しと思います。少なからず、己の意思表示になりますが、昔から日本人の事なかれ主義と付和雷同を「ハロウィーン」で垣間見た気がします。

 何故かここ数年前から、「お誕生餅」のご注文が週に2口くらい入るようになりました。有難いことですが、これも似たような小さな現象でしょうか。

 実は「甘酒」が売れているそうです。今週木曜日には、又しても大阪の中央市場から「関西のお漬物」が入荷します。今年はこれは美味いといえる「甘酒」も一緒に入荷することになりました。
 言っている事と、書いていることが違うじゃないか、と言われそうですね。

 そんな、こんな、事を又書いていきます。

 

2016年9月14日水曜日

「蛍草」連城三紀彦


『流れのむこうに、月がある。
 川は東へと流れているから、今のぼったばかりなのだろうが、薄墨に掃かれながらも夕かげ
の残った空の端に、薄く透けている白い月は、今から沈んでいく残月のように見えた。光が、
まだ暮れきっていない空の色に負けていた。
 昭次は橋を渡りかけた足を止め、その月を眺めた。
 昨夜荒れ狂った雷雨を最後に、夏は逝ってしまったのだろう、激しい雷が空の一隅に落とし
忘れていった光の一雫(ひとしずく)とも見える月は、もう秋色の静かさである。・・・』


 1984年第91回直木賞を「恋文」という作品で受賞している連城三紀彦様の作品から、1988年に発表なさった「蛍草」という5つの短編小説の出だしも出だし、冒頭部分の引用です。

 如何ですか、イイでしょう。
 この出だしだけでもこの作家の、この作品の質の良さがわかります。
 時を惜しんでも読了したくなります。明日は十五夜様ですが、この時期にふさわしい書き出しの作品があるはずと、見つけておいた連城三紀彦ワールドでございます。

 きりがない程に沢山の賞を受賞してますが、彼の作品群にはミステリーも数多く、又、男女の機微を描いた作品も沢山残しました。それらの作品群からは想像もつきませんが、早稲田政経学部卒にして真宗大谷派のお坊さんでもあります。1985年に東本願寺にて得度してますが、その前年に直木賞を受賞した次第です。
 ただし残念なことに3年前に胃がんでお亡くなりになっています。私より二つ若い1948年生まれにて65歳の生涯でした。

 お断りしておきますが、前回の書き込みとは何の関わりもございません(とは、少し嘘っぽいですね)。

 かのこ庵の駐車場にはススキが、そしてコスモスが咲き始めました。
 そんな季節のうつろいを、表現された作品を、8月中に見つけ出しておいたのです。


 今回は「蛍草」の文章の段落に合わせるべく1行の文字数を多めにしました。従って文字が小さく多少読みずらいかと思いますが、お許しください。全く同作品と同じ段落にさせて頂きました。

 
 先週より「新芋にて『芋ようかん』」発売を開始いたしました。

 蚊に刺されながら明日のためにと、永野川上流の土手でススキ取りもしてきました。定休日でも庵主は医者に行ったり休めないのです。更に来週の定休日は開店してます。
 お彼岸中なのですねー。
 十月には連休する予定です。
 出来るかな?


 店頭に咲いている小菊です。  
 その先に見える植物は「さしも草」です。よく成長しているのがお分かり頂けますでしょうか。 

2016年9月11日日曜日

芥川賞・直木賞

 朝晩はいつの間にか、かなり過ごしやすくなりました。
 日照時間も短くなっているのを実感します。
 思い出すまでもなく、昨年の今頃は例の集中豪雨の被害騒ぎの中でした。あれ以来いささかシステムは改善されたようですが、台風襲来の度に胸騒ぎがします。

 それにしても、書き込む予定の事柄を忘れてはいないのですが、結果として別な事柄を書いています。

 振り返ればこの夏は読書三昧の日々でした。以前ですとパソコンを開いて、無料の動画や、関心ある事項の検索が中心でした。それが暇な時間の殆どを読書に充てていた気がします。
 それも、むづかしい話の本はできるだけ敬遠し、読み流せる感じの本を中心に。できれば250~300ページ程度の、つまりあまり分厚くない本を。
 猛暑をやり過ごすためですか。

 従って、というか当然の如く今年度上半期の「芥川賞」、「直木賞」の作品も読み流させていただきました。
 
 少し意地悪な書き方をさせてもらいます。新聞や週刊誌等の書評欄でのこれらの作品はかなり高評価を得ていた、と思います。しかしどうにも数十年前の受賞作に比べると、何とも些か小粒になってきている気がします。数十年前に受賞なさった小説家は、皆さん既に現在では文壇の大御所でもある訳ですが、受賞後も含めて、その後、かなり輝かしいご活躍をなさっています。
 残された小説群には、素晴らしい、又、地味であっても味わい深い作品がございます。そういう意味でいうなら、今後の作品に両賞の作家さんたちに大いに期待することになりますか・・・。

 「芥川賞」受賞作は村田紗耶香さんの「コンビニ人間」でした。
 誠に個人的な辛口評価になりますが、かのこ庵の隣にはファミリーマートがあり、そのオーナーとは40年ほど前からの知り合いでもあります。店員さんも古参の方が多くよく会話も致しますが、ある意味同じ流通業として、その内情には嫌でも詳しくなっています。ですから、その内部のシステムや、マニュアルにも詳しいといえます。そういうことを知らない方には、それらも面白く感じるのかしれませんが、読後感は、少し通常の女性ではない主人公の人生の一部を書いたものと言えます。
 ページ数は151頁でした。これは批評には関係ないですね。
 私には、ただそれだけの事ではないか。ん、それで「芥川賞」と思えてしまうのです。
 「芥川賞」の価値が相当下がった印象となりました。

 「直木賞」は荻原浩さんの「海の見える理髪店」という作品です。
 関係ないですがページ数は234頁にて、6作の短編集です。

 過去、沢山でもないですが、己が読みし小説の書評を書き込んできました。そして必ず当該作品中の一部文章を引用し、その作品の良さや輝く部分を書いてきたつもりです。
 どうも今回、それが見当たらなかったのは私の頭が脳煮え状態だったからかもしれません。6作目の「成人式」には少し心を揺さぶられましたが、1作目は本書のタイトルにもなっている「海の見える理髪店」でした。
 しかし、いかに何でも調髪してくれる目の前の鏡に、理髪店の眼前に水平線広がる海が見えた、としてもです(シチュエーションはいいと思いますが)。
 調髪がいかに丁寧で、懇切で上手であったとしても、その主人のほぼ全人生を一回の調髪時間内に全て聞かされる客も客ですよねー。それがいかに波乱万丈であったとしても。
 私はどちらかというと理髪店にて調髪中は概ね目を閉じて、居眠りをしています(起きてはいても)。何よりもそこのオーナーとの会話で意味ある会話が少ないからです。その一方で結構あっちこっちの理髪店を経巡っては来ましたが、どうして理髪店の店主というかオーナーは話が好きなんですかねー。サービスのひとつ思っているようですが、常に何か話す題材を考えている気がします。私は半分はリラクゼーションの貴重な時間として捉えておりますので「うるさい!」と言わないまでもそんなお店には二度と行かないようにしていますが。

 何ともあまりお勧めできない、書かなくてもよい事を書いてしまった今回の書き込みでした。

 しばらく忙しくなりそうです。
 昨年同様、大口のご注文が入ってきてます。ありがたいことですが、涼しくなるのを頼りに乗り切りましょう。




2016年8月31日水曜日

残暑、お見舞い申し上げます。

 早いもので8月も今日が最後です。
 前回、今年は台風が少ないと書きました。
 ところが何という事でしょう。一度にどどっとやってきました。
 しかもかなりひねくれた奴までも。

 それらこれらを含めても、何ともバイオリズムでいうならどん底ではないかいな、という8月でした。書き込みも気にはなっているのですが、熱暑と己の弛緩した脳みそ、日常の慌ただしさには振り返りたくも無き日々でした。
 悔しきことですが、冷凍庫の冷えが悪くなり入れ替えました。と思ったら、前回書き込みした時の雷により店舗内の業務用エアコンの基盤が壊れてしまいました。なにしろ「よくこれだけの年数持ちましたね」とのメーカーの話ですが、30年経過してます。馬鹿にならない出費も続きました。

 
 お盆はそれなりにお店は忙しかったのですが、それ以外の日は開店休業状態の日々でしたが。

 いろいろと書きたき事が溜まってはおります。

 申し訳ございませんが、涼しくなるまでご容赦ください。

 家内もリハビリに通うようになり、どうにか少しづつ、いつもの日常に戻りつつあります。

 店舗の前に一輪になってしまいましたが、こんな所にとのお客様が結構おられた「ど根性百合」を見習いまして・・。
 
 ともかく、ご心配下さった方にこの場にて御礼申し上げます。
 
 9月は15日が「十五夜」、そして「敬老の日」、「お彼岸」と続きます。
 気持ちを入れ替え、少なからず「シャキッ」として仕事に立ち向かいます。

2016年8月4日木曜日

「情けない…」

 昨晩は盛大なる雷雨がございました。 
 大雨洪水注意報がNHK番組のテロップの中に「栃木市に」として流れておりました。幸い眼前の巴波川の流れは激しいものがありましたが、水量に左程の増水がみられず、自宅にて時々水量を観察しての夜でした。何よりも夜8時頃には雨が止んでしまいましたので。

 それにしても一時は凄まじいばかりの雷鳴でしたが、今年初めてではないでしょうか?
 栃木県は雷の多い地方で有名なのですが、日中照り付けるような、外出を控えたくなるような時には、夕立や雷が必ずと言っていい程鳴ったものです。そういえば今年は台風もありません。8月に入ったというのに。
 どうにも気象状態が過去と比較できない時代に入ったようです。 
 
 そんな中、何とも又しても書き込みが頓挫してます。
 実は今頃になりましたので書けるのですが、私の肘の痛みが抜けない中、前回の書き込み直後の事です。
 今度は家内が洗濯物を抱えたまま、階段の途中から、足を踏み外しまして、相当な痛みと呼吸困難、吐き気という事で、痛がって動かすことも出来ず、救急車を依頼しました。付き添いとして、生まれて初めての救急車体験でした。

 しかし隊員さん達の日頃の訓練が立派であることハッキリと認めさせていただくとともに感謝感謝でございました。
 そこでともかく緊急入院と相成りました。

 明日、退院、というところまで来ました。
 という次第でして本人も痛かった(いや今でも)でしょうが、男とは、全てとはいいませんが、情けないものですね。いざ一人で炊事洗濯となると困ってしまいました。正直、洗濯機などかつて一度も操作したことがないのです。
 これからの高齢化社会の中で生きていくための洗礼を受けたような次第です。
 
 整形病棟は混雑を極めているようでして、実は私自身の不自由さは多少我慢するとしても、身体が不自由な者が我が家に戻って来られても、さて、もっと困った事態になりそうです。

 家内の心情としても、病院でリハビリしていたいはずですが、その様な訳には参らないようです。

 どうにも現役で仕事を早朝からこなしている者として、夫婦そろって情けなく、又、不自由なる日々がもう少し続きそうです。

 斯様な次第でして、書き込みの滞りお許しください。

 
 一応、家内は元気になってきておりますが・・・。




2016年7月23日土曜日

この時期、庵主お薦めの「あん豆腐」です。

 たまには自社の和菓子の事も書かねばいけません。少なからず和菓子屋の主人らしくない書き込みが多すぎます。

 というわけで、今回はかのこ庵の隠れた人気商品をご紹介します。毎年、売り上げが確実に上昇中の「あん豆腐」です。
 発売して数年経過しましたが、当初は夏場だけの、と始めたのですが、お客様からの要望や、勿論ご注文もあり通年商品として販売しております。

 商品の特徴を説明いたします。
 おかげさまで、かのこ庵の夏場の主力商品として「青竹筒入『水ようかん』」も順調に売れておりますが、どちらかといえば似たような商品になります。しかしここからが庵主のひと工夫なのですが、水ようかんよりも、「葛」と「寒天」の割合が高くなります。

 水ようかんよりも、ややもっちりした触感となります。ごま豆腐に近いといえますか。更に肝心な点があります。本来は企業秘密とすべきでしょうが正直に書いてしまいます。
 通常、あんこの糖度は50度前後でしょうか(あんこもその種類によって糖度は変わります)、かのこ庵の水ようかんは上り糖度を38度に設定し仕上げます。この数値自体も低いのですが、更に「あん豆腐」は35度が設定糖度となります。つまり、かのこ庵の数ある商品群の中で一番糖度が低い商品と言えるわけです。和菓子ですから当然あんこも入りますが、使用する餡は「皮むきこしあん」です。
 ということは、薄い小豆色の上品な和菓子になります。「葛」と「寒天」と「皮むきこしあん」の絶妙なハーモニーを一度お試しください。
 お豆腐一丁と同様の大きさのままですので、しかも箱の中に入っておりますので、初めての方はネーミングに引かれて「こちらの商品はどういうお豆腐なのですか?」ときます。「お豆腐ではなく水ようかんに近い和菓子です」。
 そして「かのこ庵の水ようかんも糖度は低いのですが、さらに低く、仕上げた商品です」。
 「葛と寒天と小豆がメインの商品ですので、糖分を制限されている方や、ダイエット中の方、病弱な方にもお勧めできる和菓子です」。という説明になります。「糖度が低いので皆さん結構、ペロリとお召し上がりになります。何よりも一度召し上がった方はほとんど、はまります」。
 リピーターの多い隠れたヒット商品のひとつと言えます。
 如何でしょう、ぜひ冷やしてお召し上がりください。
 「要冷蔵」にて消費期限が5日と少しゆとりがあります。

 

 今秋は「栃木秋まつり」がございまして山車も出御いたします。 
 次回は書き込み途中のままのものもございますが、ご容赦願いまして「かのこ庵の『山車最中』」のご紹介をさせていただきます。 
 「あん豆腐」同様、売り上げの伸びている隠れたヒット商品なのです。

 おっと、書き損なうところでした。

 過去、役にも立たない事を随分と書いて来ていたのですね。 
 実はこの書き込みが300回目の項目となります。少し前まで気付きませんでした。何処が、何が目出度いのか判りませんが、一つの節目として、「今日無事」に感謝し、寝る前に(ウイスキーをばなめつつ)過去をずらっと紐解いて見ます。
 寝酒の所為にしてはいけませんが、色ボケおっちゃんの過去を前にして、二日酔いになったりして...。



2016年7月18日月曜日

「林望のイギリス観察辞典」

 梅雨が明けたようで明けていないようで、その割に暑い日が続いています。皆様、体調管理を怠らないでください。  
 そういう私は、例の転倒事故(?)以来、どうにも回復力のなさに唖然とする日々ですが。
 情けない歳になってしまったという事でしょうか。言い訳になるかもしれませんが、右肘の痛みが抜けず、結果、右手の握力が今一つの状態が続いています。
 菓子作りこそ生業ですから何とか仕事としてこなしてはいますが、それ以外の事に集中する気力が衰えています。ブログ書き込みの滞り、お許しください。

 かのこ庵の駐車場の合歓(ねむ)の木が、今年、突然たくさんの花を咲かせてくれました。以前からあったのですが、驚きの一斉開花でございます。綺麗でしょう。何よりも可愛いでしょう。暫く楽しませてくれそうです。



  リンボウ先生の「イギリス観察辞典」なるご本を読ませていただきました。
 1993年の初版本が手に入りましたので。

 リンボウ先生、独特の観察眼と、文章力によって、英国人気質がよく理解できます。
 EU離脱で国内だけでなく世界中に衝撃を与えてくれましたが、その基本的な国民性が偲ばれます。
 それにしても、次から次へのテロ、そしてクーデターです。日本国内においても、無差別での、つまり何等関わりないのに命が失われていきます。


 ところで、関東での昨日のゲリラ豪雨。それでいながら水瓶地域への少雨。
 どうもあまり良い話題の少ないご時世です。

 

 リンボウ先生でした。
 本作は英国滞在中のエッセー集の様な本ですが、その中に「音楽」として、以下の記述があります。オックスフオードにおける大学の図書館の司書をしている青年の話ですが、食事に誘われます。食後、隣室へ移動させられまして『このように、食事の部屋と食後のお茶の部屋とを別にするのはイギリスの伝統のひとつである。(として隣室に入り、そこにハープシコードが置いてあるのですね)(中略)H君は静かにその蓋を開けると、直ちに鍵盤に向かって座り、その長く白い指を緩やかに動かして、おっとりとバッハを弾き始めた。空中に楽譜が流れ出たかと思われるような優美な旋律と、からみあう高雅な和音、躍動する対位法、追い巡るフーガ、私たちはあまりに芳醇な食後の一時に陶然となった。』と続きますが、曲目が気になりますね。 

 『また、あるときはロシアからモスクワ国立バレー団がやってきて《天地創造》というのをやった。プリマの妖精より、悪役の女悪魔のほうが数層倍美形で、なるほど悪の誘惑は善への導きよりも強い、とこの演目は教えているのか。』と書いています。

 リンボウ先生は音楽にも精通しており声楽家としても有名ですが、為になるご本であるとして紹介させていただきました。ただその実力の程は生をお聞きしておりませんのでわかりませんが、金沢や、東京は紀尾井町ホールなどで演奏会を開いております。多趣味でありながら、じつにその一つ一つに深い造詣を持っていらっしゃることが理解されます。素直に頭が下がります。

 少しづつ書いていきます。お付き合いください。 





2016年6月18日土曜日

「級友・朋友」

 下野新聞の地域情報版に「級友・朋友」という欄がございます。 
 随分以前に同窓会やクラス会にて参集した人達の、いわば報告欄とでもいうのでしょうか。
 皆さん元気なお顔で、そしてすこぶる楽しそうな表情がよみとれます。
 何年、何十年振りかで出会うという事は素晴らしい事と思います。 
 
 
 


 突然のテーマ変更というか、最近の実感としての近況報告もかねての書き込みです。

 昨年、今年と何名かの友人、知人の告別式に参列したり、又、訃報に接する機会が増えました。勿論何があっても不思議ない齢になってはおります。当然ながら、「級友・朋友」が減ることはあっても増えることは難しい話です。 
 
 


 那須在住のS氏から「栃木に行くから食事を・・・」との話を受け、そうだよなー、何名でもいいから集めるか、と思い立ちました。
 結果、7名での食事会となりましたが、全く、時の経つのを忘れての和やかにして、話題の尽きない食事会となりました。思い出すのに時間のかかる顔ぶれもあり、それはそれで楽しい時空間のひとときとなりました。

 栃木市で生まれ育って、尚且つその地元で商いを営んでいるものですから、おそらく同じ同輩よりも旧友に関しては知り合いが多いといえます。そこでお店のご近所にいる、又、よくご来店いただく方という条件にて独断の、ノミネートしての食事会となりました。

 しかし、このクラス会等を取りまとめるのは、相当の時間と覚悟が必要とされます。ある業者会や、某OB会等の事務局というか、幹事みたいな事もしてますが、正直止むをえずというのが本音です。最近は個人情報保護の問題もあり、一層難しい世の中になりました。

 それにしても、半世紀以上も前になる中学校の同窓生となると、ましてクラスが違うとまるで顔と名前が一致せず思い出せないのですね。ご来店のお客様から、「おい、お前、福田だろ!」という場面が結構ございます。「おう、暫くぶりだなー、元気か・・・」とは返事しつつも頭の中はフル回転して「誰だったかなー・・・」状態もあります。「お前の家に行ったことがあるよ」と言われましてもねー。今年前半に「スカイベリー大福」に関し、新聞紙上に写真付きで紹介されたことがありました。そんなこともあり、お店が休日ながら、仕込みで仕事をしているときに作業場への入口がノックされました。開けてみますと同年配風の女性二人が立っています。「お店休みだったのねー、福田さんでしょ、新聞見たので来たわよ」と。「足利から訪ねてきたのよー」と。「分らない!旧姓**と◎◎よ!」。「本当に分らないの」たってねー。「ぼけたんじゃない(これは言い過ぎですよ)」とまで言われても、折角来てくれたのに困りました。

 少なからず、多少なりとも交際があったとか、部活が同じだったとかならともかく、まるで思い出せません。そりゃー、下心があったとか、気になっていた女性とかならともかく、無理ですね。五十有余年の歳月は永過ぎます。

 今回の参加者から「実は4月にクラス会で20名以上集まったんだよ。」と聞かされ、その時の写真を拝見しましたが、正直、顔を思い出せるのは3~4名でした。クラスが違うとまるで異次元の世界の様相です。


 ともかく、とはいえ斯様な次第にて、いささか面倒ではありますが、立ち位置からして、地元で商いをしているものとして立ち上げますか。
 「栃木市立栃木西中学校、昭和36年卒業生の同窓会」を。
 ただし、暫時お時間を下さい。過去、それぞれのクラス会はあったようですが、全てのクラス合同で、とは初めてです。各クラスごとに幹事を選任したりとか、下準備だけでも大変です。

 極力急ぎますが(何しろ減るばっかりの年代ですので)下野新聞「級友・朋友」にも、何とか掲載をと考えています。そのあたりを契機として蠢く積りです。

 正直、体形や髪形等その変遷ぶりに尻込みなさる方もおられるでしょう。いわば老醜無惨な姿を見せたくないと思いの方や、昔のイメージのままでいて欲しいとの方もおられるでしょう。
 しかし、逢ってしまえばそんなことは全く問題なく、十分に楽しめる時間が出来ると確信します。

 このコーナーにてお心当たりのある方がおりましたら、ご連絡ください。ちなみにトップの写真は3年3組の卒業写真ですが。
 かのこ庵(0282-23-0111 FAX共用)迄、先ずはご一報を!
 御年、70~71歳の方が該当者です。
 お待ちしてます。

2016年6月4日土曜日

「黒田清輝」の集大成展

 間もなく、1か月程経過してしまいますが、上野にあります東京国立博物館、平成館にての「黒田清輝」展を拝見してきました。
 G/Wが過ぎるのを待っての新緑の上野公園でございます。
 しかし、なかなかの混雑ぶりでして、決して健脚ではない我が身には、暫くぶりの長時間歩行となり疲れました。当初は国立西洋美術館(世界遺産登録の話が進んでいますが)での「カラバッジョ展」や、「伊藤若冲展(今現在、話題沸騰とかで入館するのに数時間待ちだそうです。正直あほらし)」もと思っていたのですが、とてもとてもでした。そもそも美術館内での歩行距離も相当にあります。まして結構な来観者に混じっての見学そのものが大変なものがあります。


 それはそれとしても「黒田清輝」はいいですねー。
 1866年~1924年58歳での生涯でしたが、「絵画は単なるスケッチではなく、確固たる構想を備えたコンポジション(構想画)でなければならない」としてパリだけではなく、日本国内においても沢山の美術家に大きな影響というか思想教育までしました。



 詳細はともかく、館内での音声ガイド役をおふざけではなく「綾小路きみまろ」がしていました。出だしこそ「ようこそ中高年の皆様…」で始まりますが、あとは結構まじめな音声ガイドでしたが。
 事前に新聞で承知はしており、どうしたものかなー、と思ってはいたのです。だいたい音声ガイドは聴かない方なものですから。
 ま、結果としては、帰路の電車の時間を気にしながらの観覧となりましたが、かなり絵心をくすぐられました。雑木林を描いた作品もかなり多いのですが、恥ずかしながら私の拙い作品も雑木林が多いものですから。

 以来、自室にイーゼルを引っ張り出しまして、スケッチブックなんかを開いては見たものの、中途半端な自画像程度でブックを閉じて現在に至っておりますが。
 才能が無いのに急には描けるものではないですね。
 お断りしておきますが、本作品展は5月15日にて終了しております。

 話は、前々回の続きみたいになりますが、要は「悠久の歴史あふれる栃木市」にて、どうもその辺のことがないがしろになっているのが不満なのです。蔵や、歌麿や、あほらしと書いては関係者に怒られそうですが、川舟なんかにばかりスポットが当てられすぎです。偏りを感じてしまうのです。「謙之助の石碑」等も含めて来客の方にご紹介するには貧弱でしょう。市の所有物として、ダ・ビンチの模造品が収蔵されていますが(歌麿も)、市内各地の図書館等で繰り返し巡回展が開かれている事ご存知ですか。「蔵の街美術館」でだけ展示されたのではなく、図書館関係者がうんざりしていることを知らないのです。縄文、弥生からの遺跡群や、少なからず残されし歌枕の地が忘れられています。
 下野市や那須町などの歴史の掘り起こしや、その進捗状態の紹介等には新聞記事にて承知しているだけですが、感服させられます。
 そういうことなのです。
 又、余計な事を書いてしまいました。