2012年2月22日水曜日

何事にも寿命というものがあります。残念ですが。

 本日、定休日なのですが朝からお店に来ております。
 自動餅つき機の修理を行っていまして、立会い方々明日の準備を含め、私も仕事をしています。どうもこの自動餅つき機ですが、変な音がするようになりまして、やばいぞこれは、という状態になりました。これが壊れると、今ですと苺大福や、草餅の生地が作れなくなってしまいます。とても昔のように杵と臼を使っての手作業は、作る量からしてとても無理です。
 かのこ庵も創業30年になりますが、その当時から一言も文句を言わず2度の簡単な補修で今まで働いてくれていたのですが、どうやらかなりの部分の部品交換をせねばならないということになりました。
 寿命ですか?ただし、何しろ大きな機械ですが、新品を導入するには半端な金額でありませんので、使える部品は残し、交換すべきは交換するという作業を製造メーカーのメンテナンス担当者が二人掛りで現在行っております。

 新品を導入するよりも費用は少々抑えられますが、残念乍らそれでも、かなりの出費となりそうです。いつの間にか修繕費が膨らんで来ていたここ数年を実感します。色々なものにガタが来ています。私も例外ではないのですが。
 昨日は仕事を中断してある会の役員会に昼食をいただきながらの出席となり、夜は7時過ぎから「物作り空間工房」の打ち合わせ会を行いました。
 すみませんが、ぼやきはまだ続きます。3月1日は県立高校様の卒業式がございまして、市内ほとんどの高校様からお茶菓子のご注文が入っております。前日は定休日なのですがとても間に合いません。有り難い事ですが仕事です。
 3月3日は桃の節句、そして進学のための合格発表の季節、春彼岸もすぐです。一年中で一番の繁忙期に突入してしまいました。少しブログへのカキコミは途切れがちになるかも知れませんがお許し下さい。
 多少のガタは、なだめすかして働きます。

 村山由佳さんの「花酔ひ」、楽しく読ませていただきましたので二度に亘りカキコミを致しました。しかし彼女の愛読者が沢山いらっしゃるのですね。このH・P開設以来、沢山の方が閲覧して下さっておりましたが、一日のブログ閲覧者数が過去の記録をいっぺんに、しかも、大幅に塗り替えられてしまいました。正直、驚きの記録でございます。
 いくつかのコメントもありましたが、私自身の多忙もあり、
匿名でのコメントに対する返信は、よほどうまい具合に時間が取れない限りは遠慮させて下さい。ご期待されているような返信になる可能性が低くなるかも知れませんので。
 お許しください。
 

 もう少し修理には時間が掛かりそうです。そばでガタガタとやってくれていますが、文句もいえず、かといって落ち着きません。それでも自分の仕事に入らせてもらいます。

2012年2月18日土曜日

「花酔ひ」村山由佳 Ⅱ

 「恋ではない、愛ではなおさらない。  
   もっと身勝手で、もっと純粋な、何か」

 「花酔ひ」における帯カバーのキャッチコピーです。
 人は獣ではない。理性を持った生き物でもあるはず、か。
 しかし、それこそ分かっていながら、十分な分別を持ちうる年齢にもなって、尚、道を誤る。人の倫を。承知の上で。
 分からない人には、又、出会ったことが無い人にはどうにも説明できないかもしれませんが、貴方・貴女は信じられますか。「赤い糸」の存在を。体裁よく言えば「素晴らしい出逢い」が存在することを。又、一度は切れたはず、と思ったはずの糸が、切れてはおらずに偶然なのか巡り逢ってしまう事が有る事を。
 若かろうが歳を取ろうが関係ないのです。
 「あの時は若かった」では済まない何かもある、と私は信じています。
 それ程に、己を見つめそんなに大袈裟な程のこれまでの越し方を振り返って書いているわけではありませんが。

 と、書いてきましたが、「おみくじ」に「恋愛ーおのれの心から苦しむなり。秘めよ」などというのはありなのでしょうか。
 それよりも「鉄紺の大島に、淡い藤色の鱗紋の帯を締めている。帯揚げ帯締めもそのへんにあったものをひょいと取って巻きつけたかのようなのに、これ以外の組み合わせはないと思えるほどしっくりおさまっている・・・」。この辺の描写は新たな知識欲を喚起させられます。
 しかし、これらの事は「ハッピーエンド」は無き事と覚悟をすることが必要でしょうが、その場、その時においてそれを持ち出したり、思い起こさせたりするのはこれも無理が有ったりすると理解もしますが、承知の上でいても、背中を押されたかのような言い訳を考えるのも、浅はかな人間の業ですか。

 陽射しに少しは暖かきものを感じても不思議ない時候になりましたが、昨日は朝起きたら車にうっすらと白いものがカバーをかけたように覆われていました。
 そして昨夕、日中は晴れ間も有ったのですが、薄暗くなった途端に牡丹雪、しかもめちゃ激しく振り出しました。
 今現在、残雪は少なくなりましたが、冷たい風が吹いています。4メートルを越す豪雪に見舞われております地域の方も居ります。この寒さに文句をつけてはあちらの方々に叱られます。でも、それを承知ですみませんが、綺麗だなと感じ入っていた己が居りました。
それらのスナップ写真です。

今朝の路面凍結の中での車出しにはいささかてこずりましたが、満開の桜が咲いてしまったかのような我が家の前の今朝の借景です。
 

2012年2月16日木曜日

「花酔ひ」村山由佳

 「日本の四季は世界中のどこより美しい。世界に民族衣装は数多あれど、日本の着物ほど、自然の風物の美しさを写実的にうつしとって表そうとしたものは他にない」
 「それこそ源氏の時代には色が恋であり、恋とは色だった。肉と心をいちいち分けしかも肉のほうを下に置くなどごく近代になってから西欧思想がもたらした弊害でしかない」
 「愛は衝動よ、理性じゃないわ」
 「無感動。無反応。〈愛〉の反対語は憎しみではなく無関心だ」
 「・・・・・・」
 きりがないから止めますが以上は「花酔ひ」という小説からの抜書きです。村山由佳さんは03年に直木賞を受賞してますが、その他にも色々と文学賞を受賞しています。
 お歳を書いては失礼かも知れませんが、未だ四十台のこれからの方です。
 私事ですが現在進行形にて三冊プラス、「絵巻で読む源氏物語」という毎週一冊づつ発行される都合四冊の源氏物語関連の書物を読んでいます。あほですね。
 物語の流れは実に正確に把握できるのですが疲れます。                  

 如何に平安王朝物が好きだとしても、学者ではないのですからもう少し気楽に楽しんで読んでもいいのでしょうが、何故かそんな状態に突入してしまいました。
 そこで気分転換にと、最近出版されたばかりの「花酔ひ」という言葉に引かれて、アマゾンから取り寄せてしまい一気読みとなりました。開高先生のエッセイ集も同時に取り寄せましたが、こちらはじっくりと読んでいくつもりです
 ところで、女流作家のご本は余り読まないのですが、正直、圧倒されました。優れた全ての名作、映画にしても小説にしても、これ等には次から次へときらりと光る台詞や
文章が出てまいります。ましてその構想力において、少なからず私が浅学なことを抜きに考えても、その事象や単語に教えられる事が多い作品に出会うことは素晴らしいことです。
 「花酔ひ」からは凡そ和服に縁のなかった私にとって、色を表す単語ひとつひとつも新鮮でした。勉強してるんですねー。
 しかし、「源氏物語」も「花酔ひ」も表現方法が露骨かそうでないかの違いであって、共にポルノ小説といえると思います。後朝の別れの前の情事を「源氏物語」は文章にしていないだけにて、その流れがはっきりと読み取れます。つまり、和姦か強姦か今で言うところの姦淫か、その後の彼女達へのフォローについても。

 今回はしょもないオッチャンの読書感想文でした。いずれにしても、この事は近いうちにもう少し書き込みさせていただきます。

2012年2月12日日曜日

「菜の花忌」

 司馬遼太郎先生が亡くなったのは丁度、十六年前の今日2月12日でした。
 全ての作品を読んだわけではありませんが、相当数の著書が我が家にはあります。
 歴史ものなら「司馬先生」、時代物なら「藤沢周平先生」、現代物なら当然ながら「山口瞳先生」、「開高健」先生の作品が私の好みでして、鎮座してます。私の年代なら平均的な所でしょうか。他には、短編の名手と勝手に呼んでいますが、「神吉拓郎」様の著書の中での食べ物に関わる作品が好きですが、いずれもお亡くなりになった方ばかりです。
 司馬先生の「坂の上の雲」は昨年末までNHKで時間をかけて放映されていましたが、楽しく拝見させてもらいました。
 余りTVを見ない私ですが、録画して拝見してました。
 しかし、時代考証というか、当時の人物像を描くことは大変なことでして、どちらにしても「全面的にその評価は正しい」と全ての人が納得する訳では有り得ませんし、好き嫌いや、偏見に近いものが含まれてきます。「坂の上の雲」における乃木大将への評価が分かれますが、どちらが正しいかはあの明治時代中期の人物像でさえ、固まらないのですから無理もありません。突然ですが、弓削の道鏡は、1,242年前に栃木県下野市にある当時日本三大薬師寺に数えられたその薬師寺に配流され二年足らずで没していますが、道鏡を余り良く言う歴史家は少ないといえます。
しかし、この写真は下野市の薬師寺跡ですが、こちらには「道鏡を守る会」というのがあるそうです。元「しもつけ風土記の丘記念館」の館長さんから最近教えていただきました。確かそのことに因んだ催しが今日開かれているとか。何事もその人の立ち位置によって、歴史上の人物は評価が変わるようです。
 今回、カキコミする予定の事柄からは少し話はそれますが、司馬遼太郎先生が敗戦を迎えたのは栃木市に隣接する佐野市でして、陸軍戦車隊の一兵卒として佐野市に駐屯しておりました。「これが戦車と呼べるものなのか」という様な薄い鋼板で覆われた乗り物だったようです。以前、サイパン島を観光した時に、日本軍の戦車なる実物の残骸を見ましたが誠に情けなくなるというのが実感でした。

 本日、かのこ庵の商いに於いて少なからず大切な立場の方の告別式があり、先程、参列してきました。その他に、面識のあるお二人の方の訃報をお聞きしております。
 どうも、このところお亡くなりになる方の数が増えているといえます。どちらの斎場も告別式がかなりの混雑状態、といって良いような感があります。昨年からのあれこれ、そして例年にない寒さが人間の体力まで削いでしまっているのでしょうか。
 斎場内での読経を聞きながら、亡き方々の面影が次から次へと浮かんで来てしまう今日の告別式でした。どうもこのところ調子が出ないのには、以上のようなあれこれが関係しているのかもしれません。しかし、数日前にかのこ庵の計理士との話の中で正直、叱られてしまいました。「この時代、何事も前向きに考えないといけません。確かに何時になったらこの日本がよくなるか、好転するかは分からないが、貴方は80歳まで現役で仕事するぞ、の気持ちを持ちなさい」と。確かにお店が有って、製菓業に必要な機器がそろっている事自体が有り難いことなのでしょうし、よいお客様に支えられてもいます。
 私に定年はないのですから、身体に鞭打つまではいずれにしても仕事があること自体を感謝すべきかもしれません。     少なからず、未だ老いぼれたくはない私です。

 先日の定休日に私と同姓の福田栃木県知事にお会いしてきました。ただし、県庁舎の出入り口ですれ違っただけの話です。県庁舎の最上階のレストランの食事がうまいとの評判をお聞きしまして、ランチを食べてきました。結論から言いますと、決して不味くはありません。しかし、あの大きな建物の県庁舎にて働いていらっしゃる方は千人単位と思いますが、皆さん職員食堂なんでしょうか。
 いささか閑散とした感じで、春近き陽射しだけが暖かく差し込んでいた、との印象が強すぎました。今回も何となく明るい話題が少ないのですが、せめて写真だけは広々とした栃木県の早春の風景でお許し下さい。
 栃木県立博物館の庭園です。本来は大きな池が眼前に広がるのですが、丁度水を抜いて何らかの処置をしていたようでしてご承知下さい。



 2月4日は恥ずかしながら、最早数えたきもなき誕生日でございました。
 どうも、最近はワインが苦手になってきたようです。これからが明日に残るぞ、というのがようわからん状態に陥りやすいのですね。特に、日本酒やワインの呑み過ぎた翌朝はウイスキーや焼酎とは違うようで辛い時が有ります。
 しょうもない呑兵衛のオッチャンとなりました。
  サントリーのホームページからの借用写真です。バレンタインもすぐですね。わてには何も関係ありゃあせんようになってしまいました。    

何が言いたいのか分からないカキコミですね。ごめんなさい。

2012年2月7日火曜日

とちぎFM,RADIO BERRYに生出演しちゃいました。

 昨年は11月に「物作り空間工房」としてイベントを企画、実施いたしました。結果として新聞に三回も記事として掲載された他、とちぎCATVの取材もあり、放映もされました。  
 今回は何処からどう話が回ってきたのかともかく、「さしも草」を使った「伊吹山」についてFM放送さんから取材申し込みが有り、昨日、生放送にて出演させていただきました。
 ただで、かのこ庵の宣伝をしていただけるわけでして誠にありがたいお話でしたが、生放送というのは初めての経験でございまして、正直緊張させられました。CATVや新聞社さんは取材したものを編集、凝縮するわけです。間違ったことさえ話さなければ、後は先方にお任せする他有りませんが、生(なま)はリポーターと並んで事前に少しだけ、流れの予習をするのですが、そのまま本番に突入します。「これはどういうものですかあ」と言いつつ、マイクを突きつけられるのです。鼻先に。あせりましたですねー。
 いずれにしても、如何程の方がお聞きになっていたかはさっぱり分かりませんが、お聞きになっていない方のためにさわりだけでもご紹介します。
 といっても、この話は藤原実方からスタートしないと栃木の歌枕としての「伊吹山のさしも草」は紹介の仕様がありません。つまり、一千年前の歴史から話す必要があります。
 まして、藤原実方って誰の事よ、となります。ご存知の方は少なからず多いとはいえません。「百人一首」から始めていきますのでそれを誠に短時間でのご紹介となります。
 ま、斯様な次第であっという間の生放送でした。
 「10分間自由にお話下さい」でしたら、予行練習してピタリと収められたのになあ、と今さらながら感じています。
 でも、ヨモギあんのこと、菓銘「伊吹山」をリポーターの方が試食して感想を述べてくれるわけですが、まさに、ご苦労様にして有難うございますの時間帯でした。
 食物繊維たっぷり、薬効たっぷり、美味しさたっぷりの「伊吹山」と「招福金箔 草餅」です。こちらを未だお召し上がりで無い方に、栃木県の認定特産品として、そして指定天然記念物でもある「さしも草」を使用した和菓子を是非一度はご賞味ください。
 こちらが栃木市吹上町にある標高180メートルの、本当に一寸小高い山の麓にある「伊吹山善応寺」様でして
石段の両脇に自生しているのが「さしも草」です。
 「伊吹山」といいますと滋賀県と岐阜県の県境にそびえる大きな山(新幹線ですと眼前に迫って見えております)
を先ず思い浮かべられるでしょうが、歌枕に出てくる「伊吹山」はこちらが正しい「伊吹山」なのです。

 こちらが「大ヨモギ科」に属する「さしも草」です。あぜ道等に自生しているヨモギと違いがわかりますでしょうか。
 葉先が細く、七つ裂きの
形状をしています。一時絶滅しそうになりましたが、地元の方が株分けし、庭先で細々と育成しておりましたものを、ここまで県立栃木農業高校の先生や生徒さん、吹上地区街作り協議会の方が育成させた大変ないわれのある植物なのです。
 百人一首に登場する藤原実方とさしも草の和歌です。平安時代中期の高級貴族でして、和歌読みの名手として高名でもありましたが、陸奥の国の国主として現在の宮城県多賀城市にその跡が残る国庁舎に赴任しています。その際、栃木市には下野国庁舎がありましたので、立ち寄り「室の八島」等の歌枕の地を訪ねつつ和歌を残していったということです。
「さしも草」を使用した「伊吹山」のお菓子はこのホームページの随所に
写真が登場するようになっています。是非ご参照下さい。
 リポーターの女性も話していましたが、繊維分がはっきりと残るように仕上げた若草色のヨモギあんはお身体にもよろしい、と申し上げておきます。
 リポーターの長谷部さん、有難うございました。詳細は
番組H・P、http://www.berry.co.jp/tochigi/index.phpにも出てまいります。

2012年2月2日木曜日

お雛様の季節です。

 如何ですか。漸く飾りつけが出来ました。なかなかに可愛いお雛様でしょう?
 結構、年代物の木目込みです。しかし、毎年の事ながら、飾り付けには時間が掛かります。どうも、それぞれの位置が、一年経つと判らなくなります。お姫様はどちらだったかなあ、という次第です。
 もう一度全体の写真をご覧ください。
 お雛様の背面にある屏風のお姫様の位置と、かのこ庵の内祝の掛け紙における位置が違うのですね。
更に、雛あられの袋はこうなります。
 どちらもありなんだということでご諒承下さい。
 それにしても、点数が多すぎます。飾るのも一仕事ですが、仕舞うときも大変です。
 でも、ご来店のお客様から、「こちらのお店の雰囲気にあった可愛いお雛様ですね」と、沢山のお声を頂戴します。
 明日は立春ですが、とてつもなく寒い日々が続いております。せめて店内くらいは春日が近づいていることを感じていただきたく飾り付けました。
 いやなことの多い世の中ですが、可愛い女の子の健やかな成長を祈念しております。そして、内祝のご注文はお早めにお願い申し上げます。
 前回にご紹介した紅梅が一遍に咲き出しました。数日前に撮った写真ですが、早くも満開状態です。
 「梅一輪 二輪三輪 千万輪」です。
この寒風の中、健気に季節の到来を
教えてくれています。それゆえでしょうかと、とぼけながら「梅はうつむいて咲いてます」。
 それにしても誠に寒さ厳しいこの冬となりました。二日連続で朝の十時頃まで、水道のお湯が出なかったのです。
 つい仕事を終えて帰ろうとする時に、水道の蛇口を少し開放して帰れば良いのですが、忘れてしまうのです。
 辛いですよ。朝の冷たい水仕事は、手を洗うにしてもぞくぞくしてきます。
 それでも豪雪に見舞われている地方の方も居ります。
 ご同情申し上げます。積雪が3メートルを越える地方もあるとか、全く異常ですね。
 その点君たちは、それなりに苦労はおありなのでしょうが、実に悠々たる感じが致します。
 いつもの年よりも数が増えている感じがします。市の方や、町内の方による日頃の心掛けと、清掃や草刈が功を奏したのでしょう。水質が十年ほど前からは見違えるほどによくなりました。
 勿論、下水道の整備もありますが。

 さて、画期的な新作「和顔施」ですが、店頭だけの販売を、なんらの媒体物を作らずに静かに販売して参りました。が、実は昨年暮れには漸く公的機関からの回答はきていたのです。しかし、
年末年始の忙しさもありましたが、正直な所、私自身が余り売ろうとする気力を無くしてしまっていたのです。気が抜けてしまっていたというのが本当のところです。何か、12月からのバイオリズムが相当落ちてしまっていました。今現在も、いや、今のほうがもう少し悪いかなあ、ともいえます。気分転換しようと、昔から憧れだった静音タイプの「電子ドラム」の購入を図ったのですが、どの程度静音なのか知りたくて、秋葉原のドラム専門の楽器店を訪ね、色々と叩いてみました。しかし、確かに高価なドラムは少しは静かかなー、といえますが私のおもちゃとしては高価すぎます。  しかも、無音では有り得ません。つまり、自宅での練習は相当な反発が明らかに想像できます。私の部屋は二階にありますし、何よりも、孫にとられてしまいそうです。    
 このお店か作業場での設置は狭すぎますし、準備するだけで時間がなくなってしまいます。嗚呼、まだまだメランコリックなアホなオッチャン状態が続きそうです。

 どうでもよいことを書いていました。「和顔施」です。
 ちゃんとポップを作り、その品物の素晴らしいコンセプトを打ち出すこととしました。
 これからが本当の稼ぎ時でもあります。そんな時にこんな状態では「あきまへん」。
 私はまだまだ働かねばならないのです。それでは、明日のための生地の仕込みに入らせていただきます。