2013年12月29日日曜日

「春華 花びら餅」、よいお年をお迎えください。

 誠に一年の月日の速さに圧倒されます。
 年々歳々、せわしなさが身に沁みます。
 来春で山口瞳先生がご逝去なさった、年齢に達してしまいますが、庵主はそれなりに健在でして、もう少し働き続けさせていただきます。  
 
 本日の餅つきは11臼でしたが、明日はその倍以上とだけ書いておきます。よくぞ力仕事をこなしてます、と自分を褒めたくなります。昨日は体調が思わしくないというか、持病に近い胃のもたれが残る中での今日よりも多い餅つきでした。
 これだけお餅に付き合っていながら、ちゃんとお正月にはお雑煮をいただきます。見飽きるほどなのですが、美味いものは美味いのです。

 お店には三日前から、「春華 花びら餅」と、一個で紅白に仕上げました「笑窪薯預万寿(えくぼじょうよまんじゅう)」がメインの場所に並びました。お正月用ですが、お客様から「お作りになっていたのですね」と以前仰られまして、それ以来クリスマス以後にはそんなにまだ売れませんが、顔見世として披露興行(?)をしております。
 この「花びら餅」ですが、本来は宮中でのみ供されてきたお菓子ともいえない形での縁起物でございました。それも平安時代の新年行事「歯固めの儀式」にて供された誠に伝統あるお菓子なのです。当時の形態は何よりも長寿を願い、お餅の上に赤い菱餅を乗せ、さらにその上に山海の猪肉や大根、塩漬けの鮎、瓜等を乗せて包み込み、お公家さんたちに配られた、という記録が残っております。


 長い時代を経て、かなり簡略化され、明治時代に入ってようやく私たち庶民も新年の縁起菓子として食べることがかない、現在の形になりました。でも、その明治時代では、初釜といわれるお茶席で裏千家のみに許された和菓子でした。
 しかし、かのこ庵でも決してお安い和菓子ではありませんが、デパート関係での価格を拝見しますと、価格が倍以上になっています。確かに手間のかかった品物ですが、いいですね、本当うらやましい限りです。かのこ庵の価格は、それなりに原価計算をした、適正な価格だと申しておきます。


 羽二重粉で作りましたお餅の中には、白味噌あんと、蜜漬のごぼうが入っています。その時にもよりますが、1月15~20日頃までの商品です。未だお召し上がりになったことがないお方には、ぜひ一個程はお味を見ていただきたい商品です。全国どこの和菓子店でも取り扱っている商品ではございません。
 断定はできかねますが、市内でも製造販売しているお店は決して多くはありません。多分2~3店かと思います。更に量販店さんでは、恐らく取扱いきれないはずです。逆に食べ比べいただいてご評価いただけないのが残念ですが、価格が倍以上する「花びら餅」に決して負けていないことだけはお約束いたします。

 今年最後の書き込みとなります。
 それにしても、最近の日本丸の操船はかなりいけない方向に向かっている、としみじみ思わせられます。普段の私たちの生活には関係なさそうですが、オッとドッコイでございます。
 まだ私たちの年代での、年金受給者は幸いなのかもしれません。それでも年金は減るは、介護保険料他は上がってくるは、消費税も、でございます。そして何等の反省もなく、原発や、特定(?)秘密保護法や、近隣だけでなく諸外国からの非難をあびての参拝等々、少なからず右傾化が甚だしいとは思いませんか。 
 時々、長生きしていくことの薄幸を、いえ、あまりいいことなど益々なくなりそうな世の中に、焦燥感を感じる年の瀬ではございませんか。

 そんなことを書いておきながら、おかしいかもしれませんが、ですから尚更、皆様の新年が、少なからず幸多かれと、そしてウマく行く年となりますこと、ひたすらご祈念申し上げ、2013年シャットダウンでございます。(大晦日は夕方5時まで仕事してますが。)
 

 かのこ庵は元日だけ休みにて二日からちゃんと営業いたしております。お年賀品は「花びら餅」同様、和菓子が原点なのですね。
 

 成人式もございます。お赤飯等のご予約はお早目にお願い申し上げます。
 

2013年12月22日日曜日

「草餅、さくら餅」販売開始です。

 お待たせしました。
 庵主自慢の「招福・金箔草餅」と「春香・さくら餅」、「道明寺製・さくら餅」の販売が始まりました。
 今月に入ってから、お客様からまだですか、と結構お問い合わせがございました。不思議ですね。寒さが厳しくなると同時にお召し上がりになりたくなるようでございます。
 「日本の伝統ある食文化」の一翼を担っていると思いますが、この商品作りが始まりますと、和菓子屋は繁忙期となります。
 その一方で残念ですが、今年もよく売れました「新栗たっぷり栗蒸し羊かん」が終売です。何しろ小さな店です。ショーケースの上も限りがございまして、ただ何でも構わず陳列すればよいとはまいりません。

 しかし、大手量販店さんへの納品も商品が選定され、一月からスタートとのことです。他人事のようですが、どうもどれほど売れるのか見当もつかず、結果、現状では何とも想像が出来ませんのでこのように表現させてください。
 バーコードというのはご存知だと思いますが、個々の商品に添付しなければなりません。幸いシールの発行機はございましたのですが、手間取っています。かのこ庵のお店だけで販売しているだけでしたら、表示シールも「生菓子は原則として不要」なのですが、これらも含め、シール機との格闘が続いております。

 お正月用お餅の注文も毎日入ってきてます。
  ともかく、体力勝負の月でございます。特に本日は木枯らしと言いますか、冷たい風が吹き荒れています。皆様も体調維持にくれぐれもご配慮ください。
 山口瞳先生から頂いた色紙の中に「冬の夜 風が吹く」というのがございます。暖かいうちは気にはなりませんが、凍てつく寒さの中の強い夜風は、いささかの恐怖感を運んでくるような気がします。


 年賀状も斯様な次第で、自宅に帰ってからの作業となり、予定の3分の1も終わりましたか。住所録を見るたびに溜息が、何てことではいけませんね。当初は、全て手書きでと思っておりまして、インクジェット用ではない年賀は葉書を必要数買い求めたのですが、断念しました。こればっかりは、来年時間が取れたら書きましょう、という代物ではないですからねー。
 本当は喪中ハガキをいただいた方に「寒中お見舞い」と思い、無地の葉書も用意したのですが、ごめんなさい。どうもそこまで時間が取れない、というかもうすでに遅すぎますね。
 この場を借りまして、改めてお悔やみ申し上げつつ、寒中お見舞いもさせていただきます。
 何度か、喪中ハガキを出したこともありましたが、年に一度だけ、消息を伝え合う方達もおります。そんな方とのつながりが切れるのは寂しいものです。

 
 自室のシクラメン、夏の間は葉っぱの一枚もなかったのですが、ご覧の通りです。愛着以上のものを感じます。さらに「君は偉い」と褒めたくなります。

 さて、今年の書き込みはもう一つだけ後日、書き上げて終了の予定です。「春華・花びら餅」について、多少の薀蓄を添えて書き上げます。読んでやって下さい。

 

2013年12月12日木曜日

師走です。

 寒さが本格的になってまいりました。

 流石に、南極でのマイナス94度には驚きましたが、寒暖の程度がどうにも甚だしいようでして、これからしばらくの間、辛抱が必要なようです。
 お陰さまで、大手のお店への売買契約等の手続きも完了し、ほっとしておりました。ところが、作業場への立ち入り検査があったりし、又、納入予定商品の選定と、その商品の原材料表示や、賞味期限等のシールを作らねばなりません。表示シールは、このPCからラベル印刷機にて発行できるのですが、商品が1~2品ではありませんでして、結構時間を取られてしまっています。
文句を言ってはいけないのですが、和菓子作りとは違う、別な回路での作業となり疲れます。

 年賀状もそろそろ仕上げていかねばなりません。
 少し、このブログの書き込みは滞ってしまいそうです。

 お正月用の「お供え餅」、「のし餅」も注文が入ってきてます。
 ただし、今年産糯米の生産量が少なく、需給の関係で若干値上がりしてます。その他、諸々値上がりしている中で、現状維持はとても無理でございます。昨年からは、わずかですが、価格の変更をさせてもらいました。それでも、昨年お求めのお客様からは、概ね昨年同様ご注文が入ってきており、ありがたく思ってます。

 話は変わりますが、10月に大きな和食のお店がオープンいたしました。先月末に、「とちぎ物造り工房」のイベント報告会を兼ねて忘年会をそちらで開きました。人づての話ですから真偽の程は分かりませんが、「従業員を百名募集したところ、50名しか集まらなかった」そうです。もともと、すぐに辞めてしまう人もおり本来は50名集まればOKの予定だったそうです。半数近くの人員が、続かないことを見越しているわけです。
 結果、人手不足のままでの営業開始となったようでして、我々が行った時もそうでしたが、大変な混雑ぶりでした。焼酎をボトルで、烏龍茶で割ってというわけが、焼酎は来ました、烏龍茶が、コップがそして氷が、という具合にこれがそれぞれに時間が経っても揃わないのです。昼時には、ランチの客で相当混みあっているそうですが、入口のレジ前に貼り紙がしてあったそうです。我々は予約済みでしたので、部屋には直ぐに案内はされました。
 私は気づきませんでしたが、曰く「従業員が不慣れなためご迷惑をおかけしておりますこと、お詫び申し上げます」と。
 一寸、文言が違うのではないでしょうか。チエーン店ですから、当然、他店からの応援を仰ぎ、当面の混雑に対処すべきです。
 近隣のスーパーさんでは3か月前には人員を確保し、近くのお店で特訓を行っています。どうも栃木人の気質として「新し物好き」があるようでして、その観点からみると、先も見えている感じがします。いささかの反省を含めて、商いの難しさを実感いたしました。



 少しばかり寒々しい風景写真ばかりですが、この寒さです。皆様、お風邪など召しませぬようご注意しましょう。

 
 
 

2013年12月3日火曜日

「忘れ得ぬ人」山口 瞳

 我が家のテレビを入れ替えたりしながら、書棚の一部を整理してましたら、思いがけず、探し物が見つかりました。確かにいただいたはずの、山口瞳先生からのお葉書類がすべて紛失状態だったのです。取扱説明書を一通り読めばいいのですが、相変わらず、今度のテレビにはなじめず困っております。しかし、設置場所の問題で、ごたごたしているときに幸いなことに、諦めかけていたものが、いろいろと出てまいりました。

 何かこのところ、私のバイオリズムが上がってきているかな、という、いい話題が、続いております。先程、お帰りになりましたが、「栃ナビ」さんが3人で取材に来ました。
 年末からの特集記事として、「開運」をテーマに組むそうでして、かのこ庵の「開運 勝栗まんじゅう」を取り上げたいというお話でした。結果、一月一杯そのコーナーで、無料で私どもの商品をご紹介いただけることとなりました。先日のイベントでも新聞や、CATV 等で紹介されちゃいましたが、またしても、新たな取材をお受けした次第です。
 更には、いずれ分かってしまうことですので、この場にて書き込みしておきますが、市内にある、イオンさんと、ヨークベニマルさんから、かのこ庵の商品の納入を求められました。果たしてどこまで出来るかいな、と心配になり、頼りになる方のご意見をお聞きしました。「悩むことはないよ、できる範囲でやればいいだけだよ」という結論になり、取引契約書を取り交わしました。間もなくスタートの予定です。有難いお話であることは間違いないのですが、大変であることも事実です。
 更には昨晩、栃木市役所が旧福田屋百貨店跡地に移転するのですが、その一階の全フロアーを「東武百貨店」さんがお店を展開することになりました。来年3月、改装オープンとのことですが、その中で、地元産品のコーナーを設置するそうです。そこへの納入に関する説明会があり、納品を求められました。
 どないしまひょ。

 話は山口先生の「忘れ得ぬ人」でした。
 このところ、丸谷才一様の事等を書いておりましたが、そういえば、単行本未収録として発刊されたこのご本を思い出しました。  
 先生亡き後、奥さまが、次から次へと発刊される先生の作品を「謹呈 山口治子 代」としてかたじけなくもお送りいただいておりました。従いまして、没後発刊された全著作が書棚を埋めております。あまりに勿体ないので、一部はかのこ庵店内に陳列させていただいております。その本書の中で、丸谷先生の事をお書きになっていたなあ、と思い出し読み直した次第です。
 本書の中身はぜひ、ご一読をと、お薦めさせてもらいますが、作中の一部だけご紹介します。
  「あるとき、その銀座の朝日ビルの地下の床屋へ行くと、
 丸谷さんが頭を刈っていた。私は鏡の中の顔に挨拶して、椅子 
 一つへだてたところへ座った。私は職人に言った。『これで丸谷 
 さんと私は料金は同じかね』
  別の日に、丸谷さんが職人にこう言っているのが聞こえた。
  『山口さんみたいに早くやってくれませんか』
  解説するならば、丸谷さんの頭髪は豊富に過ぎるのであるし、 
 私の場合は無さすぎるのである。・・・・」

  まだまだ続きがあるのですが、サントリー時代の開高 健先生も同書の中で出てまいります。『躁鬱の周期の中で』として。
 1965年に書いていますので、開高先生がベトナム取材から戻ってきてそう間もないころかと思われます。
  (相変わらず引用が長くなりますが…)
  「『ベトナム戦記』での圧巻は、彼がベトナムに向かう途中、ま
 たはベトコンの包囲にあいながら、なぜこんなところへきたのだ
 ろう、なぜ俺がこんなめにあうのだろうと繰りかえすところであ
 る。
 
  開高は遊び場からベトナムにまで自然に行ってしまったのだ。
  彼はソウの時期にあってほとんど小説が書けなかった。『君は
 役目を果たした。あれで十分だ』
  ベトナムから帰ってきてはじめて彼が出社したときに私はそう
 言った。開高もそう思っていただろう。
  いま、彼はウツの周期にさしかかっている。すなわち、長編小 
 説にとりくんでいる。それが私たちののぞむところだ。いかに彼
 が不機嫌になり、つきあいにくい奴になろうとも、同僚としての私 
 たちはガマンする。友人としての、読者としての、開高フアンとし
 ての私は、そうであることを願っている。小説にとりくんで苦しん
 でいる開高でなければ私の開高健ではない。」

 山口先生流の愛情がほとばしる文章です。
 この作品には、沢山のお付き合いのあった方たちが登場しますが、それぞれが、とてもしみじみとしていて、優しく暖かく描かれています
 先生が、先生の書き残して下さったものが、例えば『血族』にしても、『ひと殺し』にしても、完璧な私小説にして、傷つく人も少なからずいたであろうと思います。が、底流に流れるものは、透徹した、人物を見る目にある、と思います。優しさをふくんだ。
 頂いたお葉書や諸々はまだまだございますが、個人情報に関しそうなところは伏せさせていただきました。現在進行中の特定秘密保護法案には、断固反対と書き添えておきますが。 
 右の写真は本文と何にも関係もありません。一緒に出てきた、メキシカン風なカーボーイ、ではない、あほなオッチャンの昔の写真です。引き金に指はかかっておりませんが、確か実弾が込められておりました。

2013年12月1日日曜日

「林 望」リンボウ先生の事

 前回、リンボウ先生が栃木市にいらっしゃったことを書きました。  
 その林望先生の大作「謹訳 源氏物語」の書評を丸谷才一先生が、その最後のエッセー集でもある(続編があるような気がしてますが)「別れの挨拶」の中に登場してきます。
 『世界最古のモダニズム小説の読み方』と題しまして。


 それにしても、丸谷先生の視点もさることながら、俎上に乗ったリンボー先生(以下先生の文字を略します)の古典に於けるその翻訳力には読者への愛情を感じます。とても読みやすく、何より理解してもらうために、原作者が敢えて書かなかった部分を優しさをもった文体で訳して下さっているからです。
 調べに調べ、読み込んで、又、読み込んで、現代語訳なさったことが十分に理解できます。
 丸谷様曰く、「源氏物語」は『若菜、上、下』が紆余曲折は藝の限りを盡してゐて、手に汗握るおもしろさ。これが人生だとか、これこそ小説とか、感嘆し続けることにならう。(中略)諸訳さまざまに特色あるが、今は林望の新訳をすすめたい。訳文が丁寧で行間に秘めた意味あひを明らかにしてゐるから。たとへば「若菜上」で光源氏が朧月夜を訪ねて共寝した翌朝の情景。傍線(ここでは下線)は紫式部が筆を惜しんでゐる箇所。
 (長くなりますが)
  『夜色が退いて、少しばかり空が白んでくる。その明け方のほ  
 のぼのとした空に、はやさまざまの鳥の囀(さえず)り交わす声 
 がうららかに聞こえてくる。
  源氏は、そっと閨をすべり出でた。(中略)
  源氏の胸中には、あの宴の夜にこの君と危うい一夜を過ごし 
 たことなどなど、それからそれへと思いがあふれ出てくる。
  いかになんでも、もうすっかり明るい時分になっては、源氏は 
 帰らなくてはならぬ
  が、女はどうしても床から起き上がることが出来ぬ。お付の中 
 納言の君が・・・(中略)』。

  なぜ朧月夜が起きあがれないのか。夜どほしの色事に疲れ果てである。栄達を極め、四十男になっても(今ならさしづめ六十代相当か?)、光源氏は精力旺盛であった。さういう人物が若い男によって寝取られ亭主にされ、あまつさへその若者の子を育てねばならぬ。そのくやしさを読者は思ひやって、小説的興趣を満喫することになる。」 

 リンボウ様の「謹訳 源氏物語」六 を、評しております。

 さて、「リンボー先生の うふふ 枕草子」でございます。
 原文を読んでその後にリンボー様の現代語訳が添えられております。丸谷様ご指摘のように、足らない、というか、端折ってある部分を補って訳して下さっています。

 「枕草子」は「ものはづけ」として六十一段は「瀧は」として、六十二段は「河は」として、六十四段は「里は」としてありますが、この途中の「六十三段では突然、全然違う様相を呈している。
 ちょっと謎々めいたものはづけの章どもが並ぶ中に、いきなり小説の一場面のような文章が現れてくるので、読者はびっくりしながら、しかし、どうしたってその意外な展開の一章に心をひきつけられる・・・」。
 つまり、『あかつきに帰らん人は・・・』の段になります。原文は略します。なぜ唐突に、この章段が出てくるかの意味も解説なさってくれておりますが、この後朝(きぬぎぬ)の別れが、突然現れることに「著者、清少納言」の「随筆としての妙味」がある、としています。又しても長くなりますが、いいところですので。
 
 
 
  
 「───男というものは、この暁の別れの時の様子が肝心で、ここ 
 ぞとばかり情緒纏綿とした様子であってほしい。
 たとえば、こんな風に。
  自分から、さっさと起きたりしないで、何だか知らないけれど、  
 いつまでも寝ていたいというような様子で寝床にいるところを、 
 女の方から、強いてせっついて『ほら、もう夜が明けちゃうわよ。 
 人に見られたら大変でしょ、起きてね』などと言わせて、そう言わ
 れて初めて、大きな溜め息なんかついたりしている。
 『ああ、やっぱりもっといっしょにここに寝て居たいのね』と女に 
 思わせてくれる、そうでなくてはね・・・。
  指貫なんかも、さっさと穿かないで、いつまでも下着姿で座っ 
 たまま、それで、すっと近づいてきて、夜のうちに交わした睦言 
 の続きみたいなことを、女の耳元にささやいて・・・。そんなことし
 ながら、女の気付かないうちに、いつのまにか、ひとりで帯なん
 か結んでいるらしい。(以下略)」

  「ああ、生々しいなあ、と、私は心の底からおもう。
   なるほど、帰っていく男の服装はだらしない方がいいじゃな
  い、とつぶやく清少納言の真意はこういうことだったかと、しっ 
  かり得心がいく。」

 その正反対で、さっさと身支度を済ませ、「じゃあね」くらいのひと言で帰ってしまう、なんていうのは、情緒も何もわからない男のパターンである、というような文章も清少納言は残しています。
 彼女の実体験を書き残したのではと考えられます。つまり、実方、斎信(ただのぶ)、行成他、結構な数の人物との交流が現実にあったようです。特に実方や斎信は貴公子として、又、当時は当然のこととして、好色は日常の作法みたいなところもあったでしょう。三度にわたり結婚もしています。中宮定子にお仕えしながら、うぶな女性を時に演じ続けつつ、一方では・・・。ともかく、当時の超イケメンたちから言い寄られてきていた清少納言とは、自身の書き残したものとは程遠く、モテた女性であった、といえます。
 男は未練たっぷりに帰らねばならないのです。

 リンボー様の古典物を渉猟することになりそうです。

 店内の写真の花はお客様から頂いた西洋つつじ「アザレア」です。うれしいですね。外看板下の八重の山茶花が満開です。

2013年11月24日日曜日

庵主が選んだ「お漬物」です。

 毎年恒例のお漬物が入荷しました。
 庵主が選んだとっておきのお漬物が、大阪の中央市場から直送されてきました。この時期、この漬物群をお待ちのお客様がかなりいらっしゃいます。お電話で「入りましたか」とのお問い合わせが結構ございます。

 今年のお薦めはやはり「聖護院蕪・千枚漬」でしょうか。昨年も好評だったのですが、製造元さんを変えまして、より美味しいと、私が自信を持ってお勧めできる千枚漬が、届きました。つまり味見をしての結果なのです。  
 大変失礼かもしれませんが「千枚漬」というと、京都の例えば「大安」さんなどが有名です。しかし、地元、京都の人がまずお買い求めすることはありません。
 工場の規模を知っているからです。あの規模で、北は北海道にまで直営のお店がある。当然下請けの業者さんに頼らざるを得ません。重ねて失礼ながら、お漬け物はかのこ庵の「芋ようかん」同様、農産物を加工したものです。その日、その年、その場所で少しづつ違いが出てきます。「この材料なら、ここに少し手を加えて・・・」というのが本来ですが、残念ながら、下請け業者さんは、納入先のレシピ以外にその努力を全くとまではいいませんが、そうなりがちです。つまり味に進歩がなくなるのです。それを地元の方はご承知なのです。ですから、いちげんさんともいえる観光客が主なお客様となってしまうのです。

 話が長くなります。実は三十数年前、私は市内の全国的にも知られた漬物会社の研究室も担当しながら、半分は営業として全国を走り廻っておりました。特に名古屋から関西は別格で、ひと月の半分はあの辺りをうろうろしてました。名古屋や大阪の中央市場や、高名な漬物会社の社長たちとは随分お付き合いさせてもらいました。勿論、京都の中央市場や、小さな公設市場まで。
 大阪の中央市場に、漬物とお味噌などを専門に取り扱う会社の、昔でいうなら一番番頭さんと実に意見があってしまいました。 
  
その友人ともいうべき人が、自分で漬物会社を創業してしまいました。私が地元、栃木市で和菓子のお店を開店して間もなくでした。たくさんある全国の漬物の中で、「あそこの品はどうも」とか「あそこはいけるぞ」なんて話し合っていたものです。何しろ研究室も任されておりましたから、美味しさの分析も得意でした。
 結果、和菓子屋でも「甘いものから塩味の品まで扱っても罰は当たらないだろう」との思いでした。本当に信頼のおける漬物会社を知り尽くしてしまったのです。「わてとこも、お菓子だけやのうて、塩気のもんも売ってみよか」となりました。
 庵主おすすめの漬物、かのこ庵が漬物を取り扱う本当の意味をご理解いただけましたでしょうか。(かげでガッテン、ガッテンという声が聞こえ・・・ないか)
 前回、「結論から言うなら『美味いか、不味いか』」こそが問題である」みたいなことを書きました。お客様は正直です。不味いものは売れ残り、処分されます。かのこ庵も同じです。
 勿論お菓子をお褒めいただければとてもうれしいのですが、その庵主が選んだお漬け物も是非、ご評価の程、お願いいたします。
 


 晩秋の景色となりましたが、渋柿ではございませんでした。
 ご近所の子守柿です。 



「はなとゆめ」冲方 丁

 先週、林望先生が私のお店のすぐ近くの県立栃木女子高校さんで「私の源氏物語」として講演をなさいました。誠に残念なことですが、講演会終了後に栃木においでだったとの話を聞かされました。何とも繰り返しになりますが、残念の極みです。
 お話を聞きたかったですねー。前夜はお一人で栃木のホテルサンルートに宿泊なさったそうでして、何とも勿体ないお話です。
 少しは、先生の業績や、出版物をご覧になった方が何人さんかはおられたはずです。事前に講演のアポをお取りの際、先生のご予定をお聞きすることくらいの配慮がなかったのでしょうか。
 夕食は、お一人でおとりになったそうです。せめて、若干名での会食形式には…。
 そう思うと益々、正直、いささか怒っております。
 先生のブログには、女子高を訪れる前に、多分タクシー利用にて、栃木市を少し走り廻ったことが書いてあります。ああ、私なら、先生を栃木の歌枕についてご紹介しつつ、ご感想のひとつもお聞きできたのになー。藤原実方に関しても、どんなイメージをお持ちかお聞きしたかったなー。
 ともかく残念の一言です。ま、私が認知されていないというだけの話になりますが。
 林望様の「謹訳 源氏物語」は、本の装丁もいいですねー。
 どのページも、開くとパタンときれいに開く糸とじ製本仕上げでして、この拵えは読みやすく、又、中座するときや、ベッドの中では随分と便利でした。と、ここまで書いてきて気づきました。林様の作品中にも確か「清少納言」に関する著書があったはずであることを。
 調べました。「リンボー先生のうふふ枕草子」という著書です。これも至急読みたくなるタイトルですねえ。中身の評価は後ほど。


 相変わらず前振りが長すぎますね。
 冲方 丁様の「はなとゆめ」。平安時代物にご興味がございましたら、いやあまり関心がなかった方にも、お薦めの一冊と申しておきます。半分以上は「枕草子」を現代語訳してくれているような内容ですが、実方との熱愛状態であったときも出てまいります。
 冲方流「清少納言論」というべきでしょう。
 瀬戸内寂聴様の「月の輪草紙」もございました。どちらも中宮定子の美貌とその秀でた聡明さを描く中で、清少納言が、どう中宮定子の元に出仕し、可愛がられ、重んじられるようになったかがよくわかります。自分の容姿に自信が持てず、それでいて結構、当時の貴人たちから求愛を受ける清少納言。また同様に、己の歌詠や漢籍等への自信も持てず、ついには中宮定子に「和歌を詠むことは自信がないので、今後一切詠みません」と宣言してしまう清少納言。可愛いですね。
 しかし「癖論 紫式部」として以前書き込みしましたが、どうしてあれほどまでにも紫式部は彼女を嫌ったのでしょうか。なぜか不思議に話がそこに戻ってしまいそうになります。特に本書を読んだ後には。清少納言が主人公だからとしても。

 どちらにしても、「リンボー先生のうふふ枕草子」を読了してから、この続きを書いていくことになりそうです。というか、いつになっても持論が展開できず、結果として実方論までまだまだ時間がかかりそうですね。
 
 

「元祖いちご大福『苺の娘』」販売開始しました。

 どうにも、「貧乏暇なし」状態が続いております。
 私個人の事に起因することゆえ、どうにもならないのですが、いささか、憂鬱な日々を送っています。書かねばならないことも多いのですがまさに滞っております。例えば私事ながら、我が家のTVがいけなくなり、交換したまではよかったのですが、どうにもダビングができなかったり、録画することさえ思うに任せず、余分な時間ばかりかかっています。
 何故か、そういう歳回りなのか、ここには書けない余分なこともありました。そしてこの時期、恒例の喪中挨拶の数の多さです。
 何十年とお逢いしていない方とも年賀状はやり取りしてきました。今年は数枚、少なくなりそうです。

 そうです。もう「苺大福」の季節なのです。
 ジュウシーな、酸味も程よい苺が入荷し始めました。
 しかし、ある方から、少しは他店にならって、苺を見せた、つまり切り口をつけてそこに苺をお見せする形が流行っているから、と言われました。冗談じゃないのです。私が作り始めてまもなく30年になる「元祖苺大福」なのです。
 
 最近は京阪神方面に出かけなくなりましたが、以前は毎年出かけていました。しかし、己の勉強不足を弁解しているようですが、今は、こんなPCひとつで日本国内に限りませんが、和菓子の世界を渉猟することが可能になりました。さらに言えば「京菓子」なんてもてはやされてますが、私の眼には単にパッケージや、デザインでの独創性(あまりこれも感じなくなりましたが)だけではないかな、という感じがしているのです。

そうです。食は日本の大切な文化です。
 しかしあまりにもご承知の如く、いわゆる高名なお店まで、偽装、偽装の連日の報道です。いわゆる熟練の料理長や職人が、知らぬわけのない偽装を黙認してきていたのです。
 ただしこの問題は、表示の問題であって、ちゃんと表示すれば済むだけの事なのですが。
 お客様から「京都に行くと、似たような和三盆のお菓子がたくさんありますね」といわれます。例えば四国でしか生産されない和三盆を、自社ブランドとして販売することはいくらでも可能です。法令に何ら抵触しません。
 「販売者」として固有記号を所轄の役所に届け出すればOKなのです。そして、あたかも自社内で製造しているかの如き、表示が通用するのです。
 正直、かのこ庵も仕入れ商品が沢山ございます。一部、私が作ったかのごとき商品もございます。お許しください。
 全て、店内で販売している商品が、かのこ庵オリジナルだとは言い切れないのが実情です。
 作れる範囲の商品だけを販売することに絞るか、どうか。
 しかし、お客様の「見ているだけでも楽しいわ」というお声も無視できません。今日の店内を先程見回しましたら、大阪や、四国からのクリスマスやお正月の商材がもうすでに店内を賑わしております。これが結構可愛いのです、そしてお孫さんにと、ついでにお買い求めのお客様がかなりおります。
 
 結論から言うなら、「美味いか、不味いか」だけなんです。その価格に見合った拵えと、納得いく味なら、偽装があったとしても、勿論法令違反まではいけませんが、納得しなければならないんでしょう。と、思います。所詮、プロでも見分けの付かないものもございます。


 なぜ京阪神の菓子店巡りをしなくなったか。
 結局、どこかで売れている商品のパクリが目につき過ぎするのです。本物がどこにあるか、もはやだれにも分からない時代なのかもしれません。

 かのこ庵の「苺大福」は、創業以来、価格も、製法も、勿論、お味も何一つ変えておりませんことだけはご承知下さい。でも、消費税だけはどうにもなりません。五月のゴールデンウイークまでは製造する予定ですが、四月には税込み価格の変更止む無しとなります。他の原材料も値上がりが続いております。大きい声を出して言いたいですね。今現在の景気状況はまさに「零細潰し」だと。
 

 クリスマスとお正月用の仕入れ商品の一部ですが、ご紹介しておきます。おそらく、これ等の可愛い商品は県内の量販店さんや、お菓子専門店さんでもあまり、ご覧になれない商品でございます。
 本当に見ているだけでも心が和みますよ。
 

2013年11月16日土曜日

「蛇行する月」桜木柴乃

 「邦楽演奏会とお茶会」の疲れが出てまいりました。
 一昨日の夜、閉店後にお店の照明が一個切れていることに気づきまして、脚立に乗って交換が終わったところまではいつもの私だったのです。しかし、降りるときに足を踏み外しました。
 結果、打撲で済んだのが幸いでしたが、それでも昨日からあちこち痛みが出てきてます。相変わらずアホなオッチャンやなあ、と滅入っております。昔やったらそんなことありえへんはずでっせ。
 ボヤキの書き出しです。
 

 ケーブルテレビの取材もありましたが、昨晩のCC9のニュースの中で取り上げられておりました。終りのところで、インタビューに訳の分からないコメントをしているのが私、アホなオッチャンです。
 こうしてみると、年齢を実感させられます。でも、仕掛人としては最後まで勤め上げねばなりません。当然、ですね。
 沢山の方や、各種団体の方、そして何より会場をご提供くださった「おおひら歴史民俗資料館」のスタッフの方にこの場にて厚く御礼申し上げます。今回のイベントでは、また新たな知己を得ることが出来ました。これも一つの効用かと思います。
 何はともあれ詰めかけてくださいましたお客様に改めて御礼申し上げます。

 合間を縫って何冊か読了した本がございます。直木賞作家の受賞後の第一作「「蛇行する月」桜木柴乃さんです。受賞後の第一作は、肩の荷が下りたかのごとく、結構気楽な雰囲気の作品が多いのですが、いかがでしたでしょうか。楽しめることは保証いたします。そんなに分厚い本ではありませんので、内容は書きませんがお薦めしておきます。しかし、実は書き込み途中でそのままになった投稿が一個ございます。連城三紀彦様がご逝去なさいました。桜木柴乃さんのこの本を読んでいる途中でした。連城様のご本も少なからず(全てとは言いませんが)読んでおりました。
 私より二歳もお若い方でしたが、病に勝てませんでした。それ故に寡作な方でしたが・・・。残念の一言です。
 そこで柴乃さん読了のあと、連城三紀彦様の「恋文」を続けて読みました。直木賞受賞作でございます。「哀切な抒情の世界に展開するネオロマンの作家」として以後、注目の人でした。

 そこで、両作には共通するものと、時代でしょうか、違いが感じられるものがございました。共に、男女間の事を中心に話が流れていくのですが、連城様には激しいというより、抑えた感情表現のシーンが続きます。それが又、重層音となって引き込まれていくわけですが、最近の作家さんとの違いがそのあたりにあると思います。
 勿論、柴乃様の作品にも、その表現に素敵な個所があることも事実です。本作品の最後の最後をお読みください。
  「夜の底で輝いている色とりどりの電飾がぼやけた。
    視界に、図書室の窓から眺めていた夏の湿原が
      広がってゆく。
      どこまでも緑だ。
   湿原を一本の黒い皮が蛇行している。
   うねりながら岸辺の景色を海へと運んでいる。
       曲がりながら、ひたむきに河口へ向かう。
   みんな、海へと向かう。  
   川は明日へと向かって流れている

 どうも連城様の抒情性に近いものを感じます。「過ぎ去った思い出に苦笑いしつつ、なお人は誰かを愛さずにはいられない・・・。」

 実は 、このところ、思い出せば30年以上前によく聞いていた「水越恵子」にはまっています。ユーチューブで、中島みゆきの曲がかなりの数で実写版が見られます。主なところを見終わった後で、唐突に水越恵子さんを思い出し、クリックすると出てくるのですねー。実は、レンタルショップなどに出かけたときは(滅多にゆきませんが)、CDの一枚もないかなあ、なんて思って目は彷徨ってはいたのです。あるわけないですね、こんな地方のショップには。それよりも、貴方、貴女はご存知ですか。私の年代に近い方なら「Too far away」とか「ほほにキスして」なんて一度はお聞きになったかもしれません。結果、・・zonから買ってしまいました。
 少し長くなりますが、「めぐり逢いすれちがい」という曲が好きでした。歌詞に惚れたのです。
 〚愛し方が下手ですね 誘い方も無茶ですね
  女の心こわれもの
  あなた知らないのですか
  今までの誰よりも 
  あなたとても若いから
  私の心の歴史 気付いて(築いて?)ほしくない
   (中略)
   男はお酒でごまかし 女は泣くより他に
  自分のだまし方知らず
  街をさまよい歩いて
   はずした指輪のあとの
   ぬくもり冷えないうちに
  声をかけてくれた人 あなたは若い人
  ふられふられては待ちぼうけ
  捨てて捨てられて泥まみれ
  きれいごとだけの恋愛を
  あなた信じますか
  めぐり逢いすれ違い 人生そんなものよ〛

  今回の書き込みは随分と長くなりました。
 渡辺淳一様ではありませんが、「所詮、この世は男と女」。
  ボケオッチャンの色ボケも少し進行しておりますようで・・・。
 私の窓口は広すぎますね。

  ついでといっては何ですが、冲方丁(うぶかた とう)の「はなとゆめ」が、本日手元に届きました。随分と清少納言に関しては承知はしていたつもりですが、新たな清少納言像が出てまいりますことを期待して読み始めます。従って私めの「清少納言論」は今しばらくお待ちください(誰も待ってないやね)。

   
  
 
 
 今朝、栃木県特別支援学校様のバザーがございまして、芋ようかん他おまんじゅうを含めて700個程、納品してきました。教室の一部屋をかのこ庵のコーナーとして販売してくださいます。
毎年恒例なのですが、午前中に完売というありがたいお得意様です。

2013年11月11日月曜日

感動の「邦楽演奏会とお茶会」となりました。

 私の方からこんな書き出しはあり得ないのですが、主催者の事務局長として今回のイベントの全てを取り仕切りましたそして演奏会の進行役も務めました。結果、私自身が感動ものと言える演奏会が無事に終了いたしました。
 お天気が心配されましたが、雨もたまにチラチラ、風も無く、いささか寒さがきつかった程度にてすみました。少しだけですが色づき始めた紅葉が見える中での、最高のシチュエーションでのイベントとなりました。お客様から「演奏を聴いていて鼻の奥がきな臭くなりました」とか、「邦楽をこんな目の前で聞くことができ最高でした」とか「お茶席の啜り茶も楽しかったけど、あのお菓子は頑張りましたね」と、お褒めのお言葉をたくさん頂戴いたしました。
 張り合いのあった、やりがいのあったイベントでございました。

 もう少し書き込まねばいけないのですが、多少の疲れと残務整理が残っております。一先ずイベントが終了いたしました。成功であったということを感謝を込めてまずはご報告申し上げます。
 数日中に書き込みを続けます。今回は簡単ですが、お礼のための書き込みでございました。

2013年11月1日金曜日

「邦楽演奏会とお茶会」チケット完売です。

「とちぎ朝日」11月1日号より
 誠にありがとうございました。お陰さまで、「邦楽演奏会とお茶会」のチケットは終売となりました。実は先月20日頃には定数に達しておりました。新聞社の取材、記事掲載が遅れましたので、資料館の館長と相談し、一回の最大人員を20名ほど増やすことにしました。ステージに一番近い、和室の畳の上に座布団を用意し客席数を増やしました。
 それでも、本日完売でございます。重ねて御礼申し上げるとともに、ご納得のいただける一日となりますよう、あい務めさせていただくつもりです。
下野新聞10月31日号より
 そのための表示板や、案内板作り、茶席菓子の準備に忙殺されておりますが、概ね出来上がりました。ただ、茶席菓子がいまひとつ納得がいかず、今になっても試作が終了しておりません。
 その日のためだけの創作菓子です。イメージ通りに仕上がらず布団に入っても思案しています。困ったオッチャンです。
 ともかく、大きなホールを使用しての演奏会ではなく、目の前で生でお聞きしようという、さらにその邦楽というシチュエーションにぴったりの趣ある会場での演奏会でございます。
 誠に心苦しいのですが、本日だけでもかなりのお問い合わせをいただいております。しかし、お断りのために受話器に向かって、頭を垂れております。
 ご来場いただく皆様のための案内板も全て手作りで仕上げました。
 よかった、という結果報告をご期待ください。


 
 先週の(土~日)は、栃木市の文化会館展示室等を利用した栃木市茶華道協会様の「第三十五回 いけばな展・茶会」が開かれました。呈茶席用には、かのこ庵の「紅葉の焼印をつけた薯預まんじゅう」が供されました。土曜日は台風の影響で準備数を減らしたのですが、日曜日は好天に恵まれました。お陰さまで、お作りしては届けるということを4回も行いまして、結果、昨年の数量を上回っての茶会となりました。
 このブログ上だから書きますが、かのこ庵の薯預まんじゅうは他の商品も含めてすべて手作業です。ただし、この薯預まんじゅうはそんな商品の中でも体力が要求されます。生地を捏ね上げるのがひと仕事なのです。100~200個でしたらともかく、毎年、半端ではない数を納入させていただいております。

大変な混み具合でした。
 さて、私の体力がどこまで保
つか、心配が徐々に大きくなってきております。それでも「かのこ庵の薯預まんじゅうは他とは違うし、どちら様にお出ししてもお褒めいただくのですから・・・」とおっしゃられては・・・。です。 



 話は変わります。又しても、という感のする「食品の偽装問題」ですが、情けないですね、の一言です。
今回の華展では
小品ですが感性がわかります。
 少し会社の規模が大きくなると、現場の事にトップが常に関与したり、口出ししたり、ましてや手を出したりはしないでしょう。料理の味付けや材料吟味は、調理場なり作業場なりの責任者が仕入れも含めて担当しているはずです。その担当者が素人であるはずもなく、特に今回判明したレストラン等は結構その道ではかなりの年数を経た、プロのシエフさんが取り仕切っているはずです。「丸い柏餅」ではないですが、どうにも職人としての矜持なんてものは死語になりつつあるのでしょうか。
 大きいことはよいことばかりではない。経営者は目が届かない。職人は矜持がない。「騙すつもりはなかった」とは全て言い訳でしかありません。素人が調理長ではないはずです。
 しかし真面目にやっているから、私はいつまでも貧乏なんですかねー。

2013年10月24日木曜日

錦秋を彩る上生菓子が出来ました。

 まずはご覧ください。
 
 同じ写真ですが、五品そろいました。
 和菓子は何よりも季節感が楽しめます。
 「日本の和食が世界遺産に登録」される、との記事がございました。日本の伝統文化でもある和食。その季節感あふれる和菓子も当然、それらの中の一角を占めています。
 先人の知恵と工夫に限りない尊崇の念を抱かせられます。
 何しろ、私が作る創作菓子も原点は変わらないからです。
 それぞれが練り切りでの商品になりますが、中にこしあんが入ります。和菓子は、あんこを「包む」という作業がほとんどの商品に求められます。この「包む」の代表格が、「風呂敷」ですか。あらゆるもの、姿かたちが変わっても実に見事に包みあげられます。
 それらの一つ一つが日本固有の文化遺産であることを認めてくれた、ということでしょう。

 「新栗たっぷりの『栗蒸しようかん』」もできました。
 本物の栗の葉に包みこんだ一口サイズに仕上げました。しかし実は残念な事ですが、正直にお話しします。
 日本では「栗」の出回る最盛期を迎えています。
 しかし、もうかなり以前から、和菓子に限らず日本国にて消費される栗のほとんどは日本人の指導者が現地で指導してつくられた「韓国育ち」の栗が殆どなのです。イガをとり、皮をむく作業はコストがかかりすぎます。そこで韓国産が殆ど、となってしまいました。


 わずかですが、国内産の栗の甘露煮がないわけではないのですが、とても高価にして、手が出ません。まさに高級割烹料理店での一品でないと無理です。でも生栗でしたら、国産に間違いありませんが、甘露煮とされた品はおそらく無理でしょう。
 それでも随分とよい栗が出回っています。ただ、アベノミックスにて円安(80円が100円となりました)となり、新栗の価格が高騰しました。でもまだ国産とは比較にならないのですが。
 

 次の写真は「お誕生餅」です。かのこ庵では二段重ねの紅白餅を風呂敷付で販売しております。この「御誕生餅」ですが、一歳のお誕生日を迎えられるお子様のために作られます。 
 人間の一生と、お餅の一升をかけまして
  一生(一升)食べることに困らないように、
  一生(一升)健やかに、健康に育つように、
  一生(一升)丸く、円満な人生が過ごせますように、
という願いを込めて、満一歳になられるお子様に背負わせる、お祝い行事、日本の伝統行事なんです。 
 かのこ庵では、餅米は100%、「岩手県産ひめのもち」という品種だけを使用してます。おいしさの種明かしをしてますが、実は、困りました。福島県産も相当量生産されていたのですが、あの事故以来、生産者が少なくなり、結果として国内での需要に対する絶対量が足りなくなりました。需給のバランスが崩れてしまいました。ということは原材料のアップになります。各地の生産量は昨年並みなのですが、これだけはどうにもなりません。パックなどの包装資材も輸入に頼る石油製品関連です。知らないうちに少しづつ価格が上がってきています。
かのこ庵のロングセラー「古代サブレ」
デザインを一新し手作り感を持たせました。
相変わらず松の実が好評です。

 どうも値上げの秋でございます
 商品ひとつひとつで見ますと、何円でもないのですが、かといってこれを何年も前の価格のままという訳には流石に参らなくなりました。消費税のアップも間近での中でのことでもあり、まことに心苦しいのですが、価格の見直しを進めております。ご承知の程お願い申し上げます。

 どうにも今回の書き込みは、よいことだけではない、心苦しい話となりました。すみません。