2013年6月30日日曜日

司馬遼太郎「以下、無用のことながら」

 司馬先生は日本人の美しさを、たくさんの人材を取り上げて、証明なさっております。結構分厚いエッセー集「以下、無用のことながら」に、先生が生前、お付き合いされた方や、昔日の一瞬を駆け抜けた人物たちを、先生のお話し方が思い出されるかの如く登場させております。
 その中で陶芸家「八木一夫」に触れています。
 その異色にして前衛的な陶芸家、八木一夫もともに黄泉の国にみまかれて随分と経ってしまいました。しかし、八木一夫の世界を表現することは、私のような、生半可なものの出る場面はございません。司馬先生ならではの、凝縮された感性の噴出として、読み取れます。以下、十四代沈壽官氏の作品展における、解説文を通しての陶芸芸術に関する先生の思いを抜き書きいたします。誠に失礼になりますが、又、長くなりますが。

 「伝統工芸は、九割までが技術で、あと一割が魔性である。その魔性がどう昇華するかで作品が決まってしまう。右でいう技術は近代技術のように普遍化しがたいものである。言いかえれば学校などで教えがたいもので、理想としては累代の家系にうまれて毛穴から数百年のなにごとかを吸いとってゆくのに越したことはない。
 吸いとるためには、ちまちました自我の反発をおさえ、芳醇なロマンティシズムを成立させねばならない。この大いなる気分をもって家系をくるみ、アジア史をくるみ、また日本的美学そのものもくるみこみ、最後に、溶けた自我を再結晶させて宝石化する以外にない。
 十四代沈壽官氏の作品群はそういう壮大な背景のあげくに滴ったものである。(中略)多様にかがやく光体を感ずることもできるのである。」

 十四代沈壽官氏と八木一夫氏とでは、その作風も思想や、よって立つところが大きく違います。しかしともに陶芸の世界で光彩を放ったと言えます。沈壽官氏は現在、十五代目が活躍なさっております。そのお二人との交流を持つ司馬先生ならではの表現といえます。 (「沈壽官展」図録、より)

  和菓子の伝統と比べるべくもありませんが、時々反芻すべきお言葉として、我が机の引き出しに、前述と同じものを、原稿用紙に抜き書きし収めております。
 勿論、和菓子は芸術作品ではなく、みなさま誰にでも愛されるお茶菓子として供される商品です。ですが、せめて心中にこの言葉を収めておくべき、と感じていました。

 『若い頃の池波さん』として、池波正太郎先生も評しております。
 すみません、長くなりますが、
 「(略)このため、池波さんは大阪へ来なくなったが、別に遠くなったわけでなく、私もまた『鬼平犯科帳』以後の池波作品の住人になった。いずれも不朽のものである。 
 晩年の池波さんの町への興味が、パリに移った。
 当然なことで、東京も京大阪も、この町好きな人にとって違ってしまった以上、町らしい町といえば、パリへゆくしかなかったに違いない。
 パリは不変を志す町だから、その通りを歩いて、右へまがって左をみれば、必ずなじみの店がある。すると、その店の角をもひとつ右にまがりさえすればドンドン焼きの屋台が出ていて、うちわを持って火をおこしている甲斐甲斐しい正ちゃん(池波先生は幼少の頃、屋台のドンドン焼きに傾倒した時代があったそうです)にでくわさないともかぎらないのである。」

 もう随分以前から日本は、特に大都市は大変な変貌を遂げました。池波先生の江戸の下町は、情感も風情も何も無くなってしまった、といえます。
 
 更に今、復興の名のもとに、あるいは景気対策のためとして、あちこちで公共事業が起きています。現実には東北にさほど関係なく。結果、全国で、これらに関わる作業者が必要とされ、肝心の東北の復興での人手不足はひどいものがある、と聞きました。

 「景気回復」は必要です。しかしどうも、お金の流れや、その使徒が細かく精査されたのか不明です。それでも、「景気回復」を国民は実感として感じているのでしょうか。現在の総理大臣の政策に批判的な人は、世論調査などでは、ごく少数派のようです。というか、批判しづらい雰囲気を感じます。
 ただただ、以前のような腰砕けにならないよう、そして間違いの少ない舵取りをひたすら神頼みするばかりです。
 少なからず地方において、景気の上昇を実感しておられる方は極めて少ない、それだからこそ、三本の矢でしょうか。

 ところで憲法改正にしてもそうですが、国民の三分の一しか、自分の意向を表明しない時代です。各地の最近の選挙での得票率がそれを表しています。投票所に行かれない方に、物申す権利はございませんし、悲しいことですが現実でもあります。しかし三分の一の投票率で、勝ったの負けたの、挙句は国民の信任を得たかの如き、立ち居振る舞いが目に付きます。
 国民の愚かさを、政治屋さんたちが影でほくそ笑んでいるような気がしてなりません。

 作家の橋本治さんが「阿部人気の不思議さ」として、新聞紙の一面全てを使って執筆なさっていました。なんとも同感でございます。「もう少し『言うべきことはなんだ?』と考えるべきなんじゃないだろうか。」 と締めくくっております。大都市だけが潤い、変貌し、日本の中で、貧富の差が拡大している、と感じざるを得ません。少なからず地方は疲弊するばかりです。どこかお近くで所得が向上した旨の話をお聞きしますか。
ご近所の斑入り夏椿です。成長が楽しみです。

 それにしても、国民の三人に一人の意見が、国民の総意、となってしまうこの時代を、あなたはどう思いますか。

 今回のような書き込みは、正直、商いにはあまり良いことではありません。
 ただ、無関心も一つの意見表明でもあるかもしれません。 
 以前、どの候補者にも信任が置けず、かと言って無投票は避けたいと、自分の名前を書いたことが数回ございます。無効票となりますが、投票したことは事実として残ります。
 皆さん、参議院選挙がまもなくございます。どうか足を運びましょうよ。それは一杯やりながら、国政を論じる資格ができるということにほかなりません。景気の悪さを嘆くのも、消費税の問題に頭を悩ますにも、資格がいる時代なのです。

 何とも何が言いたいのか、自分でもよくわからないカキコミでした。
 それにつけてもおやつは、かのこ庵ではなく私めの七月の運気上昇を・・・。
 

2013年6月23日日曜日

ご法事用「焼きまんじゅう」

 たまには和菓子のことを書かねば叱られますね。
かのこ庵の「焼きまんじゅう」です。

 今回は、最近特にご注文が増えております、昔ながらのご法事用『焼きまんじゅう』でございます。ここ数年は、どちらかというとかのこ庵の薯預まんじゅうが主力商品でした。栗入りの上品な甘さで、白色が菊の焼印、挽茶色(緑色)が蓮の焼印という少し贅沢なお饅頭のご注文が大半でした。
 写真でお分かりかと思いますが、かなり以前のご法事には、このやや大きな「焼きまんじゅう」がほとんどでして、リバイバルですか。
 ご注文があればお作りはしておりましたが、その数はわずかでした。しかし、確実に増えております。

栗入り薯預まんじゅうです。2個入りからお受けしてます。
 ところで、慶弔事は一般のご家庭で、ないことはありえないのですが、年に数回なんてことは先ずございません。ですから、急にその旨のお集まりをなさる時が来ますと、どうしましょうか、さて困ったな、どうしていいかわからない。ということは当然出てまいります。かのこ庵に来ては見たものの、半数ほどの方が、お悩みになっております。
 そこで私の登場となります。
 まず、仏事でしたら、神式か、仏式か、その他(無宗教なんていうこともございます)かをお聞きいたします。時にはお寺様のお名前をお聞きすることもございます。あちらのお寺様でしたらこうなさればよろしいかと思います。と、率直にお話します。
 概ね、市内のお寺様の方式や趣向は、商売柄だいたい承知いたしております。お寺様によっては、「これこれをこの程度ご用意してください」とはっきりご指示なさる場合もありますが、どちらかといえば未だ、少数派です。お寺様へのお礼には、なんと頭書きすればいいか等、わからないことばかりです。
 仏式でいいますと、四十九日忌までは、どちら様も日頃経験されることの少ない、慌ただしい日々を過ごさねばなりません。
 お清めの時に、お客様への返礼品や、熨斗をどうするか。
 決めねばならないことがたくさんございます。
 神式と仏式では掛け紙も違います。「志 ・・家」、と、名入れするかどうか、御霊前と、御仏前はどう違うのか。墓前に「白団子」を準備するか、その場合何粒必要か。
 なかなかに面倒な事柄がたくさんございます。

「あんだんご」ですが、ご予算でご調製いたします
 全てにご満足いただくことは保証いたしかねますが、かのこ庵にご相談いただければ、そうは、失敗が少なくて済むはずでございます。私以外の者の対応がご心配の場合は、「ご主人を・・」とおっしゃってください。不在の時は、折り返しお電話にてご相談をお受けいたします。
 ただし、これは近頃の流れなのでしょうが、慶弔をなさる日時はとうにお決まりでも、突然、「明日の法事に使いたいのですが・・」とのお客様もおられます。全てご予約でお受けしておりますので、在庫は一切ございません。何よりも早めに、ご準備をといいますか、ご注文がお済みでしたら、まずはご安心かと存じます。数量の多少の変更は2~3日前まで可能でございます。

戸長屋敷内の泰山木に大輪の花が咲いてました。
 「白団子」、「あんだんご」、「各種お饅頭」、開眼供養のための「お供え餅」など、如何様にも、又、数量に関係なくお受けしております。お子様の一歳のお誕生餅や、鳥の子餅なども、内祝の品、何でもお悩みでしたらご相談ください。ご予算にも出来るだけ対応いたしておるつもりです。日常ではあまりないことながら、避けて通れぬ事柄でもございます。
 
 
 旧栃木市内は七月がお盆様です。九月にはお彼岸がやってまいります。一度、おはぎやあんだんごのお味をお試しください。お盆中、お彼岸中、製造してます。

 今回は純然たるかのこ庵のPRでございましたが、「知らずに悩むよりはかのこ庵」と、ご承知ください。


正面お屋敷脇から、奥座敷を撮りました。
 先日、物造り工房のメンバーと「おおひら歴史民俗資料館と戸長屋敷」を訪ねてきました。これだけの素晴らしい場所を、なにか活用できないものか、との趣旨です。いろいろな映画制作会社からのロケの申し込みも結構あるようでして、みんなで納得するとともに、考えさせられました。普段はとても静かすぎるのですが、折角のシチュエーションが眠っております。館長さんには失礼ながら。何か利活用を「工房」のスタッフで創出したいと思います。

 このブログご覧の方、何かアイデアをお寄せください。

2013年6月22日土曜日

「有妻恋」和哉

 なかなか昔に戻れぬ、訳ありの寂しい別れを体験しております。
 元に戻すのは簡単なことですが、私にも男としての矜持がございます。そんなことをまた一つ乗り越えて、またしても何かを捕まえられる、と今は思っていますが。

 なんやおっちゃん、ついに焼きが回ってきたのかいな。と言われそうな出だしです。なんとか清少納言をもう少し書き込み、藤原実方に移行したいのですが、五月後半から、私のバイオリズムが、見事なほどに落ち込んでいます。今しばらくのご猶予を。

 「有夫恋」時実新子様、それなら「有妻恋」もあっていいかなと。

 半分、パロデー気分でお読み流しください。
 時実様の川柳をベースにしてますが。

・スペルマの夢しろがねに不貞なす
・嘘と知るその敏感に鈍感に
・理解する限度男はヒゲをそる

 やはりアホなおっちゃんですね。
 改めて時実様の作品をご紹介します。

・泣くほどの軽い別れは昔あり
・別れ話の割り箸につく口紅
・何を流そうかと橋の上にいる

 どうも凄みとエロスにおいても、
物語性にしても負けてますね。

 ほんの出来心やったら何なのでしょうが、何年ともなると何とも何なのです。

 話題を変えます。
 あべの何とかで、この国の経済情勢は乱高下しておりますが、地方の田舎都市の和菓子屋にはさっぱり何のご利益もございません。それよりも、お菓子を包む袋代や、パックなどの包装資材や、一部の原材料、知らぬ間に電気代、みな少しづつ値上がりしております。和菓子一個に換算すればトータルで数円というとこですか。しかしこれでは値上げできません。計理士から言われました。利益率が下がっていますね、と。これで消費税が上がりますが、どうなるのでしょうか。
 この梅雨空のような、湿った話ばかりですみません。
 少しは明るい話題を考えます。
 
 

2013年6月15日土曜日

「サラリーマン川柳・さんのせん」

 色々と、時実新子様や前田雀郎様の川柳を時々ご紹介してきましたが、忘れてました。身近にして、こんな楽しい川柳がありましたことを。私は、普段は新聞紙上での川柳欄を、概ね眺めておりましたが。
 新聞ではおもに時事川柳が主体でして、その時々の政治や、話題になっている事柄が中心になります。しかし、日本人の血脈には、遥か昔から和歌や、俳句そして川柳などに慣れ親しんできていたことが再認識させられます。五七五や、五七五七七は日本人の体内に、しっかりとDNAとして受け継がれているようです。
 「もののあわれ」と「をかし」は世界に誇れる感性だと言えます。

 第一生命さんが1987年から募集を開始し始め、昨年度にて26回目だそうです。3万句を超える応募があるそうでして、「さんのせん」(今年度、傑作選のタイトルです)に掲載されるには、相当な困難がございます。時流をつかみ、いかにウイットを、そしてサビを利かせた作品であるかが要求されます。
 選者には「やくみつる」さん、「島田駱舟(全日本川柳協会常任幹事)」さんと第一生命さんが選考にあたります。それにしても、
3万句から選び出すのも大変なことですね。

 それでは昨年応募がありました、三万句から選ばれし栄光のベスト5と思ったのですが、流石に素晴らしい作品ばかりでして、ベスト10を1位から順に、このブログで公表しちゃいます。

・いい夫婦今じゃどうでもいい夫婦    マッチ売りの老女
    (マッチ売りの・・・、これは雅号でして、情報保護の   
     ためもあり、作者のペンネームとなるそうです)
・電話口「何様ですか?」と聞く新人       吟華
・「辞めてやる!」会社にいいね!と返される  元課長
・風呂にいたムカデ叩けばツケマツゲ     おやじパニュパニュ
・ダルビッシュ一球だけで我が月給       ABNA48
・スッピンでプールに入り子が迷子       アジ
・人生にカーナビあれば楽なのに        元サラ
・すぐキレる妻よ見習えLED           忍耐夫
・ワイルドな妻を持つ俺女々しくて        あんこもち
・何かをね忘れたことは覚えてる        万華鏡

 いかがですか。誠に笑わされます、というか見につまされたりする方もおられるのでは?

 やくみつるさんが選んだ別枠での名句です。いくつか。






・近づけば受給年齢逃げてゆく     しんき・ろう・齢年金
・男まで化粧するから手が抜けぬ   脱ノミ二ケーション
・体重はゼロ減五増となりました      美マジョー
  

   昨年の流行語にもなりましたが、
・やめてやる酒もたばこも近いうち     どじょう君
 

  島田様の選からは
・凄いという漢字の中に妻が居る     鰆の佐助
・「近いうち」説明不能電子辞書        サラ川素人

 私には全く関係ございませんが、都議会議員選挙が
始まりまして、テレビはまた、賑やかになりました。
 
 番外編です。
・少子化も議員だけは数減らず       ウラヨミ
・党名を覚える前に投票日          後期高齢姿
・公約は貼っただけでは効きめなし     おくの細道

 どうも苦笑いの連続ですが、
・我が家では父の領土は寝床だけ     恐妻組合員
・宝くじ買っては見たが「た」ぬきだよ    大黒小柱
・年金がさめた夫婦をつなぎとめ      ほうせんか
・誰だっけあいさつしながら誰だっけ・・   「ド」忘れ
・食後には昔はデザート今、くすり      亭主淡白

 最後に昨年度の大賞の中から
・スマートフォン妻と同じで操れず      妻-とフォン
 

 これがラスト
・何気ない暮らしが何より宝物        考えボーイ
 

 しかし他人事ながら、これだけチョイスするだけでも大変でした。
 選者はお金になりますがね。
蒸し暑い日々となりました。今回は少し涼感を感じていただけたでしょうか

2013年6月10日月曜日

「有夫恋」時実新子

 当時、与謝野晶子を凌ぐ情熱川柳作家と呼ばれました時実新子さんへの想いを込めた書き込みです。
 代表作がタイトルの「有夫恋」でございます。夫ある身での恋、縮めて「有夫恋」。その作風は・・・なんて書く必要のない気性も、実人生もそのままのタイトルどうりに生きた方(本当の彼女を知っているわけではありませんが)、と言えます。

 何回かこのブログの中でちらりほらりと彼女の作品をご紹介してきました。
 「どうも、お前と川柳が繋がらない」との声をいただきました。
 確かに趣味が多すぎます。結構偏ってそのジャンルが正直無限大でございます。平安時代から、世紀末の西洋、戦後を代表する時代小説作家や、現代小説作家。そして、川柳ですからねー。
 正直自分でも、随分と薄っぺらな人生そのままの、趣味だなーと感じいっております。
 しかしこの年になって気づいても、治りませんわな。

 昔の話ですが、一年中、放浪の旅芸人の如き仕事をしていた時期が有りました。某会社の営業マンとして、全国区に近い範囲を受け持たされまして、関東、信越以外をフォローいたしました。当時と言いますか、団塊の世代は、皆さんそれが当たり前の如く働いたものです。月曜日の朝5時に車で出だします。首都高も当時は一部しか開通しておらず、渋滞前に東京を離れるためです。中央高速にのり、甲府の中央市場に朝8時頃到着し、何軒か立ち寄り、次いで名古屋に向かいます。午後には名古屋の中央市場に到着。そして仕事。夕方、大阪に向かって名神高速をひた走り、ホテルにチエックインが夜の8時か9時です。大阪中央市場、岡山、広島などの市場や、会社をめぐり土曜日遅くに帰社、なんてことを毎週やっていました。日曜日は営業日報作成や、明日からのサンプル作り。札幌で仕事中に(この会社の研究室も守備範囲でして)八王子市の保健所でクレーム、急いで戻れの支持。あるいはジャスコの四国統括本部での商談に、というわけで飛行機で現地へ、なんてことまでやりました。そんな中だからこそ、息抜きに少しづつ趣味が増えだしたのかもしれません。
 岡山で川柳の師と出会いました。時実新子さんではありませんでしたが、時実さんは岡山出身です。川柳の盛んな地でした。
 しかしこと、川柳も俳句も、和歌も自作となるとさっぱりでした。
 どうも絵を描いている方が向いていたようです。

 解説を田辺聖子様がなさっております。
 種明かしを致しますと、そもそもは田辺先生の「川柳でんでん太鼓」から、このブログの川柳は引用させていただいておりました。田辺先生は本書の解説の、頭書きにて「珠玉にして匕首(あいくち)の句集」としております。
 当時も今も「短詩系文芸本」は売れないとの定説があります。「有夫恋」はベストセラーになりました。田辺先生の解説には「日本文学の伝統は『あわれ』と『をかし』がある、とはよくいわれることだけれど・・・」とあります。そして「川柳くらい、幅ひろく厚みを持ち、面白い文芸はないのである。しかも、こんなむつかしいジャンルもない。 
 面白くて文芸性を持たせねばならぬというのであるから、誠に軽みと『をかし』の道は深遠であるといえよう。
 軽佻浮薄たる、また難いかな、というところだ。」。

 お待たせしました。田辺先生ご推薦の川柳から、更に私がチョイスしました気に入っております「時実ワールド」をご堪能ください。
 《嘘のかたまりの私が眠ります》
    
  《凶暴な愛が欲しいの煙突よ》
 
  《愛咬やはるかはるかに
            さくら散る》
    
  《人の世に許されざるは美しき》
 
  《れんげ菜の花この世の旅も
              あと少し》
    
  《明日逢える人の如くに
              別れたし》

  《入っています入っています
             この世です》
 (岸恵子さんの「わりなき恋」のなかで、 
  「あなた、今、私の中にいるの、ね・・・う 
   面を思い出します。)

 キリがないですね。
 種田山頭火の趣もありますが、
  なんといっても女性ならではの
    エロスと凄みを感じませんか?
 
 これにて「煩悩解脱」が何時になっても出来 
  ないオッチャンの、
   半ば懺悔のつもりと、
   新たな何かを求めて彷徨するだろうこと 
     を正直に申し上げて、今回はここまで  
       にします。
  
  少しづつ平安時代に戻ります。

2013年6月6日木曜日

「釣魚大全」開高健 Ⅱ

 昨晩、正直、対日ハム戦において延長11回裏に、小笠原選手が代打で登場してまいりました時、嗚呼大丈夫かいな、と心配が先に立ちました。しかしよく見ると、随分と代打もほぼ使い切っており、彼が切り札として残っていたという訳です。巨人ファン以外の方には、不愉快な書き出しとなりますが、全くの杞憂でございました。彼らしい右翼への豪快なサヨナラ3ランでして、暫くぶりでやってくれました。テレビに向かって拍手をしつつ少々涙腺が緩んでしまいました。
 いつもですと夜9時前には、だいたいその日の結果を勝手に判断して自室に入ってしまいます。しかし昨晩は10時から「名作を旅する」として、C・W・ニコルさんによる開高先生の「釣魚大全」が取り上げられてました。一応ビデオ予約はしていたのですが、巨人と日ハム戦が斯様な次第にて、続けて拝見いたしました。
 番組の内容はさほどに感動ものではございませんでした(その前が派手すぎましたか)。というより、実際の正式には「完本 私の釣魚大全」を読んで、改めて開高先生が文豪と呼ばれるにふさわしい小説家だなあ、と感銘を受けるからでしょうか。

 そこで、未だお読みでない方、又は暫く眼を通していない方のために、私が気に入っている箇所を部分抜きさせてもらい、いくつかご紹介します。ただし、何しろ初版が1976年でございます。流石に今日とは多少の違いがあって当然、と思ってお読みください。

 奄美大島の先、徳之島での釣行の一節に源氏物語が出てまいります。太平洋から、東シナ海あたりの沖釣りにて何種類かの魚を釣り上げ、其々を刺身にして食べる場面です。
 アカダイと呼ばれる魚を評しています。「やっぱり歯ざわりが芒洋としていて、シコシコと練り上げられたタッチがない。どういうものか南の魚の肉はボロボロ、ダラリとしていて、シマリのないところがある。ふと『末摘花』の一句を思い出したくなるようなところがある。
  ぬくときに舌うちするよな***(*の処は些か差しさわりが在るような気がしまして…以下略)」
 私が詠んだ句ではありません。文豪の作中に出てくることです。
 光源氏が噂に乗せられまして、色欲だけは旺盛な50過ぎの女性と出来てしまいます。  
 ただしこの女性は末摘花とは別人です。「末摘花」という女性そのものは常陸宮家の出自にして高貴な、はずなのですが美醜といいいますか「え!」っと思わせられる女性として描かれています。ただし光源氏は、舌打ちするような振る舞いは致しません。それなりに礼節を持って辞去し、落ちぶれている彼女を庇護いたします。不自由無き彼だからこそできることかと私は解釈してますが、ねー。

 少し長くなりますが「タイはエビでなくても釣れること」の一節に、 
 
 奥様が結構いい値段のするヘアートニックを文豪のために買ってきます。「瓶の形、レッテル、香り、値段のこと、諸点を検討するうちに、何やらききそうな、たのもしそうな、嬉しい気持ちになってきたので、これを持っていくこととした。ここで《ききそうな》とか、《たのもしそうな》とか、《嬉しい気持》とかいうのは、池島信平氏や邱永漢氏が自身の体の最頂点について抱いているのとおなじ、または似た感覚を私が自分の体の最頂点に抱いていて、それを克服、または治癒、または防止しようという真剣で執拗な祈りを持ったというような意味でなないのである。断然そうではないのである。釣りで一匹も釣れないことを《ボウズ》というので、それを避けたい気持ちからあくまでもオマジナイとしてヘヤートニックの瓶を嬉しい気持ちで眺めたいというにすぎないのである。(中略) 
 いつかパーテイで遠藤周作氏に会ったら、しばらく見ないうちに最前線があらわに、徹底的に後退していて、朝陽も夕陽も照りつけるままという状態に陥ちこんでいるではないか。
 『・・・・おッ』
 いいかけると、すばやく早口に
 『ボードレールみたいやろ』
 噛みつくようにそういってソッポを向いた。
 また、かの黒メガネのプレイ・オジサン、野坂昭如。九州の海岸を汽車で旅行していて、ふと客席の白いシーツにもたせかけている夕陽の射す部分を私が運悪く目撃し、思わず
 『・・・・おい、野坂』
 というと、彼、暗澹と沈み込んじゃって、昔は雨が降ると農家の藁葺屋根にかかるようやったけれど、この頃はトタン屋根へじかにパラパラっとくるようやねン、つらいねン、イヤやねン、いわんといてんかと、早口に悲痛な声をだした。
 奥村健夫は結婚したら治ったと誇る。
 村松剛はオレのは額であって頭ではないと力む。
 けれど私は何もいわないのダ。」(かなりいっております)
 

 「井伏鱒二氏が鱒を釣る」では、かなりの釣果があったのですが、東京に戻ってきてから井伏老師曰く『家へ帰ってもしょうがない。社会党が待っているだけだ。こんな大釣りをしたのはめずらしいから、ちょっと一杯やりにいきましょうよ』(中略)
 老師はニコニコ笑ってそう提案なさる。もとより否やのあろうはずもない。」として老師日頃行きつけの店に繰り出します。
 「"社会党"とおっしゃるのはもちろん奥さんのことで、そのわけはもちろん"何をいっても反対するから"とのことであった。」とあり更に、最後に大笑いさせられる一節が書かれています。でもここには書きません。
アイザック・ウォルトン卿の実筆ですが私には読めません。
 この「釣魚大全」は本来、英国のアイザック・ウォルトン卿が残した釣りに関する名著が宗家になります。最後のあとがきの中で、開高先生が、ロンドンのウォルトン卿が晩年、釣具店を開いていたとおぼしき場所で、銅版を見つけます。そこには"STUDY TO BE QUIET"とありました。『おだやかなることを学べ』と。
 実に締めも味わいが満ち溢れておりました。

 ご一読、又は、再読の程。



2013年6月2日日曜日

田辺聖子の「古典まんだら」

 五月末に梅雨入りしての六月です。
 数回前に書き込みしました、某銀行さんのカレンダーですが、今月、水無月の花はスイレンでございました。花言葉は《清純な心》とあります。そして下段の和歌は「清原元輔」様の
《契りきな  かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは》でございます。どうも勝手に何か因縁を感じてしまいます。

宮城県多賀城市にある「末の松山」


 浄土宗、法然上人さまのカレンダーのお言葉は「乾いた心に慈雨の念仏」とございます。解説には「気ぜわしい現代社会の中で、疲れ傷んでいる私たちの心。日々のお念仏は、そんな心を優しく癒し、新たな力を与えてくれます。」と。

 田辺聖子様が古典への誘ないとして、「古今和歌集」から始まりまして、たくさんの古典本を注釈してくださっております。当然「枕草子」も出てまいりますが、その前に「王朝の女流歌人」として和泉式部や、紫式部、赤染衛門、清少納言などが活写されております。(又、少しづつ平安時代に戻ってまいりました)それぞれの評価は、私見も含めてこれからご紹介する予定です。
 『枕草子』ですがそのサブタイトルがいいですね。
   「悲しいことはいいの。
      楽しいことだけ書くわ。」と、あります。
 中宮定子にお仕えした、定子サロンの夢のような日々だけを、おそらくは定子のためにと、書かれた随想集と言えます。田辺聖子様は本文中に「『中宮定子様のことを書きたい。これが書ければ、人生が書けたのと同じだわ』と、中宮定子賛美の文章を綴りました。」と、清少納言に変わって「枕草子」の意図するところを、代弁しています。

 以上の話は改めて書いてゆきますが、今回は作中にて清原深養父や、元輔の和歌が登場してまいります。
 百人一首から清原深養父の和歌です。
  「夏の夜は まだよひながら 明けぬるを 
               雲のいずこに 月やどるらん」
 清少納言の父、清原元輔は『後撰集』の選者にして、『万葉集』の付訓にあたった梨壺の五人の一人でもあります。そして、今回冒頭に紹介した作品が所収されて、というか登場します。
 「『君と僕は約束したではないか。末の松山を波が越せないよう  
        に、決して互いに心がわりしないと』
 心変わりした女に贈る歌を、人に頼まれて代作したものです。
 男がやわらかく女を責めています。厳しく責めるのではなく、できるものなら、もとのようにと翻意を促しています。(以下略)」。
 この中で田辺様は「どこかはっきりとはしませんが、海岸の近くにある、この松は、決して波がその上を越えないと伝えられています。心変わりをしないという誓いに『末の松山』を持ち出すのは日本の文学の伝統です。」と書いておられます。
 
  田辺聖子様が多賀城市の国道45号沿いの小高い地点に立つ松の木の存在を知らないはずはございません。誠に正確を期すならば、昔の歌枕の所在地はなんともあやふやなものかもしれませんが。しかし、伝承も残されておりまして、「大津波が来るぞ。来た時は末の松山まで急いで逃げろ」との民話です。多賀城市はこの前の大地震にて大変な被害が出ましたが、こちらは無事でした。
 多賀城市には平安時代の陸奥国の政庁跡が、しっかりと残されておりますし、「末の松山」以外にも「おもわくの橋」他、歌枕の地名が残されております。栃木市同様に。
  別に、田辺聖子様を難詰するべく書いているわけではございませんが、気になりましたので。
 

 話がそれました。
 「一千年前に清少納言が記した『すぎにしかた恋しきもの』、日本文学の伝統を今さらのように思い知らされます。現代の川柳でいえば、時実新子さんの素敵な句があります。

  古箪笥むかしのお手紙がわんさ

 わずか一行ながら、詩情が見事に漂っています。」

 どうにも、時実新子様がここで登場してくるとは思いもしませんでした。これですから読書はやめられないのですねー。好きな方の名前が、分野違いの中で忽然と登場してくる。嬉しくなります。
 そこで今回はここまでとします。どうも体調がよくない日々が続いております。それでも、というより、又しても本格的に続きを少しづつ書かせていただきます。