2013年4月30日火曜日

「藤、恋に酔う」

 4月も終わりです。一日一日の早さが、以前と違っていると感じます。カレンダーを五月に切り替えるべく四月のページを切り取っておりましたら、某銀行さんのカレンダーで、今まで気づかなかったちょっといい話が載っているのを、発見いたしました。
 「卯四月」としまして、季節の花が「藤の花」になっておりました。
 さらに「藤の花言葉」として「恋に酔う、懐かしい想い出」とありました。なかなかに気の利いた、そして私の年代にはうれしい「花言葉」でございます。また言われそうですね。色ボケおっちゃんと。
 又々さらに、ページの最下段には和歌が一首添えられております。「久方の 光りのどけき 春の日にしずごころなく 花の散るらん」と。紀友則ですね。日本人が持つ悠久の鑑賞眼、自然美に対する「もののあわれ」感をしっかりと感じさせてくれます。銀行さんのカレンダーとしては、上出来でした。


 数回前の書き込みで、岸恵子さんの「わりなき恋」を書きましたが、その中で、クリムトの作品を挿入しました。実は今、丸谷才一先生の「無地のネクタイ」というエッセイ集を読んでいるところですが、クリムトが登場してまいりました。『日本の「翳し(かげし、としてもののあわれをとりあえずといった感じで表現しています)」がヨーロッパ美術に与えた影響・・・』について考察なさっております。その中で、クリムトの「ダナエ」や「白壁のある農家」などの作品も日本の影響を受けている一例として取り上げておりました。
クリムト《ある女性の肖像》
 この丸谷流ご解釈には、次から次へと私の全く知らない人物も登場します。しかし、影響を与えた人物として、宗達や、等伯、広重、北斎などキリがありません。更に「十七世紀の『武蔵野図』屏風では、右隻中央手前の叢(くさむら)に大きな月がひっそりとひそむ。この図柄が心のどこかにあつたせいだろう、黒澤明の『羅生門』は葉叢越しの太陽を眩しく撮った。これは、たとへばデニス・ホッパーの『イージー・ライダー』をはじめ、数多くの全世界的な模倣を生んだ」とあります。
クリムト《ひまわり》
 誇るべき日本人の感性と、その完成度だと思います。

 「無地のネクタイ」に関しては後日、書き込むつもりです、が、クリムトの登場で一部だけ、ご紹介させていただきました。
 しかし、このご本のタイトル(厳密には「オール読物」の連載)としては、なんとも実にお洒落な名前をつけるものだな、と別な意味で感心いたします。

 私の好きなクリムトの作品を三点アップしましたが、どちらかというと金色をふんだんに使った作品が取り上げられがちです。
 でも彼のデッサン力、実力がよくわかります。
 いずれもう少し書く事にします。

2013年4月28日日曜日

「初夏の上生菓子」ができました。

 お待たせしました。
 「初夏を彩る上生菓子」五品、出来上がりました。
 先ずはご覧ください。
 
 爽やかな五月の風を感じませんか。 
 先程のお客様曰く「和菓子って、この季節感がたまらないのよねー」と、仰ってくださいました。苦労が報われる瞬間です。少しづつ時間をかけて作り込み、やっと五品出来た時は、我ながらよくやるなー、と褒めたくなります。
 少し小さくて見づらいかもしれませんが、左上から時計回りに「錦玉(青梅)」、「なでしこ」、「あじさい」、「清流」、中央が「花菖蒲」でございます。

市内、第二公園の藤棚と噴水です。
本日より六月中旬ころまで、販売する予定です。
その後はしばらく休みまして、九月から「錦秋の秋を和菓子で愛でる・秋の上生菓子」の販売を予定しております。どのような和菓子を作るか、もうすでに構想を描き始めています。
 何はともあれ、日本に四季があります事、感謝申し上げますと共に、是非ご賞味くださいますようお薦め申し上げます。
 
 
 前回の書き込みにて、東京のデパ地下における銘店街での気づいたことを書かせていただきます。
 何よりも最初に感じましたのは、以前に比べて「和菓子店」が少なくなっております。「洋菓子」関係のお店が7割くらい占めているように見受けました。何故なんでしょう。私は和菓子店のオーナーですから、感じるのかもしれませんが、やはり洋菓子の方が色とりどりですか?
 季の上生菓子もあるのですが、いささか華やかさにおいて負けていますか。でも理由はそれだけはなさそうですが、ここでは書きません。
お店の前も色々と咲き出しました。
 ところであまりにも、まん丸の柏餅のオンパレードでございまして、しつこく書きませんが、しかし一点、書きます。テナント料もお安くはないのでしょうが、柏餅一個の価格がかのこ庵の倍以上のお値段になっています。いいですねー。こんな価格でかのこ庵も販売できましたならば。137円が280円です。一味、いや二味違いますか?
 そんな事は、金輪際ございません。
 所詮、柏餅は誰が作っても、上新粉とお砂糖がメインです。
 どんなにいい材料を使ったとしても、上新粉はそれほどに価格差はございません。2~3割の範囲です。ピンからキリと言いますが、かのこ庵はピンに近い材料を使用しています。何ですか、これを書いていて悲しくなってまいりました。日本の四季には感謝、ですがアベノなんとかでしょうか。日本は本当にそんなに豊かになったのでしょうか。それでもあれだけの人混みです。売れるのでしょうねー。
 今、結構複雑に、
落ち込んでしまいそうな己を感じています。


2013年4月25日木曜日

「もののあはれ」と日本の美、サントリー美術館

 昨日、悩んだのですが結構風雨も強いものがありましたので、暫くぶりで車にて、東京は六本木にございます「サントリー美術館」の特別企画展を拝見してまいりました。
 「『もののあはれ』と日本の美」という平安時代の絵巻物を中心に、近現代、鏑木清方の作品などが、静かにしかし圧倒的な美しさと日本人の心に流れる「感性」を思い出させてくれる企画展でございました。
 「古今和歌集」や「源氏物語」に代表される「もののあはれ」。
 本居宣長が生涯追い続けた日本人の心性、感性の豊かさを再認識します。『心動く瞬間(とき)。名品でたどる叙情の系譜』とサブタイトルが付けられたおりました。工芸品を含めて国宝や重文の逸品が次から次へと展示されております。
 誠に日本人の繊細なる物の見方が素晴らしく、大きな誇りを持てる、それを再認識させてくれる企画展でした。
 岩佐又兵衛作の「官女寒菊図」は、六条御息所が都を去りゆく場面をモチーフに描かれたようですが、想像よりもかなり大きな作品でした。その白描画の細やかさはお好きな方にはたまらない逸品、と記しておきます。
 美術館館長の石田学芸部長さんは、「宮廷生活をめぐる貴族の生活の中で洗練されてきた感覚。その源流は平安時代に遡る」と仰っておりますが、その時代に興味を強く抱く者には、たまらないお言葉でございます。6月16日までの開催でございます。庵主、お薦めの展覧会と申し上げます。

 ところで、このサントリー美術館は、六本木の東京ミッドタウン三階にございます。このミッドタウンは本日二十五日がニューステージのオープンだそうでして、新規オープンが32店舗、リニューアルオープンが10店舗。2007年の開業以来、最大の進化を遂げた、とのことでして、ショッピングの快楽を十分にご堪能ください。と華々しいものがありました。
 そのため、開店準備に追われるお店や、内覧会を実施しているお店も数多く、通路は開店祝いの花、花、花でございました。
 関係なきことながら、何となくつられまして、こちらまでうきうきとさせられてしまいました。 
 同じ三階に、御茶の水にございます「山の上ホテル」が出店してまして、こちらの天ぷらは特に有名なのですが、「天ぷら・山の上」との名称でなかなかな雰囲気の中、ございます。しかし、ちょっとではなくお安くはございませんが、暫しのひと時、贅沢をしてまいりました。何しろ写真の天丼が三千円以上致します。ま、こんな時におあしの事を言っちゃあいけませんやね。
 
 折角の車での東京でございましたので、帰りに新装なった東京駅を拝見し、八重洲口に回り、大丸デパートの食品街、銘店街を見てきましたが、実に疲れました。こちらのお話は次回でございます。ここで書いておかねばならぬ「ならぬものはならぬ」話があるのでございます。

2013年4月20日土曜日

「近代竹工芸の誕生」とちぎ蔵の街美術館

 昨日、仕事中でしたが抜け出しまして「とちぎ蔵の街美術館」の特別展『近代竹工芸の誕生』を拝見してきました。
 
 絵画には相当興味があったのですが、民芸品の世界はあまり首を差し入れないように生きてきました。関心がないわけではないのですが、私の趣味が多すぎます。

「とちぎ蔵の街美術館」正面口です。
 とはいえ、かなりのワケありでして、拝見してきたという次第です。いやあ、実に素晴らしい作品群でした。竹という素材をここまで芸術品として昇華できるのだ、と圧倒されました。
 上記ポスターにありますように、開催期間が結構長めになっています。是非にとお薦めいたします。
 
 ワケありとは、美術館様からのご依頼で会期中の5月18日と19日(日)の二日間、美術館入口の前で「かのこ庵の『青竹筒入り水ようかん』」の出張販売の打診があったのです。ゴールデンウイークといいますか、五月の節句も過ぎたあとですので、当方にとってもありがたいお話でございます。
 
かのこ庵の「青竹筒入り水ようかん」です。竹、串、笹の葉全て天然素材を使用しています。
 昨年の異業種によるコラボ「物造り空間工房」で、会場内の飾りつけが、竹を中心としたオブジェでして好評でした。その時に「青竹筒入水ようかん」の話も出てまして、学芸員さんが覚えており、気に入っていた、というのが真相のようです。
 そこで、詳細を決めるべく、打ち合わせもしてきたわけです。
 この二日間は、毎年恒例となりました「蔵の街『とちぎ映画祭』」も開催されます。市内十五ヶ所のそれぞれに趣のある会場にて一日見放題五百円、というイベントでございます。様々な、伝統ある、あるいは由緒ある建物をお借りしてのそのシチュエーションにふさわしい作品が上映される内容です。
 毎年かなりの方が栃木市に来てくださいます。季節もよし、ぜひお時間をおつくりください。


 それにしても、美術館入口前で「青竹筒入り水ようかん」を販売することになるとは、考えてもいませんでした。期待できそうです。いや、皆様を期待してお待ち申し上げます。
 いつもは五月に入ってから青竹の注文をするのですが、すでに準備に入るよう手配もいたしました。
 この時期は、タケノコの出荷とも重なりますので先様も大変らしいのです。
 何はともかく、屋外で今年最初の初売り「水ようかん」をご賞味ください。初物とは縁起も良いのです。


2013年4月19日金曜日

「わりなき恋」岸恵子

 驚きです。岸恵子さんは1932年8月のお生まれ。ということは今年八十歳になられます。とてもお若くて、心身共にお強い方なのでしょうね。
 322ページの書き下ろし「わりなき恋」という書名の作品を発表なさいました。作家としても、ジャーナリストとしても活躍してますが、そんなお歳になるとは女性は怖いですね。そしてお強いですね、作中の主人公「笙子」同様に。

 40年程をパリでお過ごしになっておりましたので、国際的な感覚や、知見が半端でないことは理解できますが、作中のストーリーの中で清少納言の深養父(ふかやぶ)が出てくるとは正直、私にはため息が出てしまいます。
 主人公、笙子の親友から『笙子の好きな清少納言のひいおじいさんに清原深養父(きよはらのふかやぶ)という歌人がいて、古今和歌集の中でこんな歌を詠んでいるの。
 心をぞわりなきものとおもひぬる 見るものからや恋しかるべき
 こうして逢えているのにまだ恋しさが募る、というような意味だと思うの。「わりなき恋」を理(わり)と書くのは当て字だけれど・・・・・理屈や分別を超えて、どうしようもない恋。どうにもならない恋、苦しくて耐え難い焔のような恋のことだと思う。笙子、覚悟ある?』。
 と出てまいります。
 これでは私としてもいささかの知識を披瀝したくなります。本書から少し脱線しますが、清少納言の実父は清原元輔であり彼が六十歳になった時に授かった女の子でした。その父の名から彼女は元輔女、清の少納言、清少納言と呼ばれるわけです。
今年の風はどうなりましょうか。風知草が伸びだしました。
 さらに血筋として遡れば、天智天皇、舎人親王までたどり着くのですが、清少納言のひいおじいさんの頃は決して都における官位やその存在は、薄いと言えます。それでも父も、ひいおじいさんも其々に「元輔集」、「深養父集」という歌集を、そして共に勅撰和歌集にもその和歌が採られています。裕福な環境ではなかったでしょうが、血筋でしょう。才能ある女性として、その名を残しました。
 話がそれましたが、清少納言はもう少し先になってからちゃんと書く予定です。
 
クリムト「接吻」
 「わりなき恋」の作中にて、ウイーンを旅する熱愛の二人の場面がございます。そこで、クリムトの「接吻」と「ダナエ」の絵画が一つのシチュエーションとして出てきます。グスタフ・クリムトは、私の好きな画家の一人でして、彼の生涯を描いた本も読んでおります。しかしこの事はいずれ遠くないうちに書きます。
ギリシャ神話に出てきます「ダナエ」です。
股間を流れる金色を含めて実に官能的な作品です。
 さて後半にて、先ほど書きました彼女の親友から『私たちの世代は、そういう役にも立たない、美意識とか、女の意地みたいなものをいっぱいぶら下げて生きているのね。そんなことで、とても大事なものを失っていくかもしれないのに・・・・・笙子、あなた別れ急いでいない』と言われます。
 大人の、しかも最早ありえないと思える恋に身を焦がす熟熟年(重ねてしまいました)。何しろ笙子69歳、彼が58歳の出逢いでございます。しかし先程の清原元輔が六十歳にして当時の寿命の中で女児を授かるわけです。愛欲は肉欲に共通の事であり、わが身が相手と一身になっている、その実感はというか、歓びは肉感としてはそれぞれの様です。作中で某女医さんの言葉として出てまいります。何事も個人差があることは事実でしょう。しかし果て無きことではなさそうです。

 いつの世でも、お元気な人はいるのです。そのためにも、とまでは申しませんが、やはり現役で仕事にどちらかといえば急かされ、それでいて異性にも常に関心を抱く。
 若さの秘訣なのでしょう。何時、何処で、どんな場面が生じるか、じっとしているのではなく、動き回る中で思わぬ出逢いが貴方、貴女を待っているのです。信じましょう。こんな世の中だからこそ。ただし、燃える焔となるか、くすぶる「さしも草」如くになるかはわかりませんが、ハラハラドキドキはつきまといますこと、お覚悟の上にて。「だからやめられないのかお前は」と、どこからか聞こえてきそうな感じがしますので、今回はここまでです。
麦が風にそよぐ中、今回の話に合わせるべく撮っておいた大平山の黄昏です。

2013年4月14日日曜日

「西山謙之助」の墓碑


 突然ですが、時代を幕末まで戻します。
 自宅前に「瀬戸河原公園」という名の公園があり、借景として楽しんでおります事、このブログをご覧の方はご存知のはずです。
休みの日に、朝から名残の春といいますか、新緑を見つめたく、
散歩というには近すぎるのですが、ぶらぶらしてきました。
巴波川、名残の桜です。
 そこで実は、以前と違う表示版が掲げてあるのを見つけてしまいました。自室の前は、巴波川がゆったりと流れておりますが、その先ちょうど真正面に、何本かの樹木がひとかたまりになっており、そこに昔から「西山謙之助」という人物の墓碑があります。
 ここしばらくは、気にもとめずにいたのですが、この石碑の解説文が、安っぽいブリキの板に黄色のペンキを塗った物に置き換えられておりました。
ツツジが咲き始めました。
  もう何年も前ですが、自宅正面にありましたのでとても気になり詳しく調べました。
 「Who,西山謙之助」という次第です。栃木市民でもご存知の方は少ないはずです。数年前から、平安時代物の虜となっておりますが、以前は、やはり男子故ですか、幕末、特に「清河八郎」等を中心に暇があれば調べておりました。

 「清河八郎? Who.」ですよね。江戸時代末期に、回天の志を熱く胸に秘めた、地方の裕福な家庭で育った若者達が大勢おりました。謂わば「草莽の志士」達の一人です。
 気が多い人です私は。「藤沢周平先生」の著作は、多分すべて読了しておりますが、先生の初期の作品には、『義民が駆ける』等の幕末のさほど名の知れていない「草莽の志士」達をテーマにした作品が見られます(この辺は司馬遼太郎先生との大きな違いのあるところです)。藤沢先生は山形県鶴岡市に生まれました。

 日本海に面した架空の「海坂(うなさか)藩」における作品が多いのは、そしてどちらかといえば下級武士をメインテーマとして数多くの作品を残して下さったことはご承知の通りです。 
 鶴岡市の隣が酒田市となりますが、ここに最上川が、滔々と、たっぷりの水量を持って日本海に流れてまいります。この最上川を新庄市まで遡る手前に清川町があり、「清河八郎記念館」がございます。何回訪れたでしょうか。 随分と以前の話です。おそらく当時の館長様は相当なご高齢のはずですからご存命だとしても、ご記憶にはないと思います。しかし気に入ってもらいまして、いつも入館料が無料で、しかも館長室で熱く「清河八郎」を物語っていただいたことがございました。展示品の殆どは当時の幕末の志士たちが残した日記や、大書された墨痕鮮やかな、回天の高ぶる心中を表現したものが沢山保存、展示されています。清河八郎が江戸の千葉周作門下生として、一刀流の免許皆伝を得た免状もありました。館長いわく「藤沢作品のこの箇所は本当はこうなんだよなあ」と言ってましたのを思い出します。今年の大河ドラマでは、新選組が居丈高に京の都を駆け回っておりますが、この浪士隊を結成し、京に向かわせるべく画策したのが清河八郎でした。

 
 私の昔話ですが、藤沢先生の作品に感化され、山形県内を随分と走り回りました(車無くして廻れるものではありませんので)。

 幕末に地方の裕福な出自の子息等が、若き志士となり、熱き思いを胸に動乱の中で亡くなりました。清川八郎も幕府(当時は御公儀)転覆の疑念を咎められ、市中取締の役人の手により落命します。時代の流れの中での悲劇、と言えますか。
 話は「西山謙之助」です。
 当時のことを調べてゆく中で、「水戸天狗党」に興味を抱きました。私の母の生家が水戸に近いところでして、那珂湊に彼らの、足跡が随分と残されています。そして何より彼らが蜂起し、京都に向かう思惑の中、当時の栃木市にて、随分と狼藉を繰り返したことは些か承知はしておりました。
 栃木市(当時は栃木町)は巴波川の水運を利用して、江戸との商いにより裕福なお店が沢山ございました。その証が、栃木市に残されたいくつもの立派にして、華美なる山車でございます。裕福なる商人たちが、競って各町内ごとに残しました。このブログの中の「栃木市の秋祭り」をご覧いただければお判りいただけると思います。
 そんな折に、水戸の天狗党が多数栃木市に押し掛け、出流山満願寺や、大平山神社に立てこもり、軍資金とか日本国のためと称して、市内の商人から多額の金品を強請取り、あげくは火付けまでします。

 当時の商人たちが如何に迷惑したかは簡単に推察できます。
 その天狗党の仲間であった西山謙之助が、栃木陣屋の策謀(?)にて巴波川にて慙死します。彼は岐阜県可児市の裕福な家庭にて育ちますが、あの時代、じっとしてはいられなかったのでしょう。ただし、彼が行動を共にした天狗党に所属したのが間違いでした。
 少なからず当時の栃木町民、商人に多大な迷惑をかけたことは事実でもあります。 
 数年前ですが、自室の窓から外を何となく眺めていましたら、市の観光案内をするボランテイアの方が十四、五名の観光客を連れて、西山謙之助の石碑を取り囲み何か説明しているのです。 
 その内容に興味を抱き、駆けつけたのですが間に合いませんでした。そこで、市の観光協会に行き、その時の話をし、一体如何なる内容の説明を指導なさっているのか、問合わせたのです。
天ぷらにでもしたくなるような新緑です。
 「幕末に、このすぐ上流にある幸来橋のたもとで、慙死した人物の石碑です」とだけの内容と教えていただきました。
 うーむ。ちょっと待てよ。水戸の、そして出流天狗党と称されるようになった彼等が栃木にてとった行動について、何一つ触れていないではないか。
 実は、もう一箇所、錦着山という市内からは西方に小高い山があるのですが、そこの山頂にも彼の墓碑があります。それ程に、問題にする事ではないのでしょうが、しかし実は、ボランテイアの説明も架け替えられる前の説明板にもその辺りのことがすっぽり抜け落ちていたのです。説明板の提供者として「東京電力」とまでかきこみしてありまして、経緯を聞くため東電の資料室の方から話をお聞きしました。「説明板のための材料として、使用済みの電柱を提供しただけです」、とのことでした。
遅咲きの八重桜です。

 誠に繰り返しますが、どうでも良き事柄と思ってはいるのです。 
 が、何しろ毎朝カーテンを開けると飛び込んでくるのがこの風景です。架け替えられた面は、反対側を向いていますので最近まで気づかなかった、という次第です。どうやら私の問い合わせが、詰問に近いものがあったのかもしれません。まさか、このような物に書き換えられるとは思ってもみませんでした。

幕末の八重桜です。
 ところでこの「墓碑」ですが、岐阜にお住まいだったお父様が、謙之助の死を哀れんで栃木市に石碑の建立を依頼し、費用も負担した、というのが事実のようです。全く、どうでも良き事柄ですが、時に行政はこんな一市民の声を一応、受け止めてくれているようです。
 
 あちこちの名残の春を感じさせてくれるスナップというか、お花さんたちです。これにてご容赦のほど。

2013年4月8日月曜日

「人生論手帳」山口瞳

  嬉しいですねー。
 今朝の「天声人語」に、山口瞳先生の「酒飲みの自己弁護」が、触れられておりました。まさか筆者がこのブログを閲覧しているなんて想像もつきませんし、ありえないと確信してますが、三月十五日にこのご本をタイトルにアップしたばかりでした。そこで調子に乗りまして、昨年カキコミをしました先生の「人生論手帳」という著書から、この時期にふさわしい文章の一節を、掲載します。

 『で、私は歌いつづけた。
  「橘かおる朝風に、高く泳ぐや、鯉  
  のぼり」

  私は五月人形というものが好きではない。
     桃太郎も鐘馗様も安っぽい。三月の雛人形にはかなわない。 
   やっぱり人形は女の子のものだろう。鯉の吹流しはいい。あれ   
 は実にいい。さっぱりとして、勇壮で、馬鹿馬鹿しい。無意味で 
 美しい。私は鯉のぼりの無意味には、意味があるはずだと思っ 
 ている。』
八重の桜と巴川の鯉のぼりです。

 更に調子に乗りまして「酒飲みの自己弁護」から『酒飲まぬ奴』の一部をご紹介します。

 『酒の飲めない人は本当に気の毒だと思う。私からするならば、人生を半分しか生きていないような感じがする。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、強風の中です。
 体質でどうにも飲めない人は別として、少しは修行されたほうがいいと思う。
 フグをジュースで食べている人を見るのは哀れである。
 ビールでも駄目だ。ふぐは日本酒に合うようになっている。
 カキは葡萄酒だろう。生ガキをビールを飲みながら食べている人を見ると、見ているだけで、こっちの腹がだぶだぶしてくる。』

 先生は自らを山本周五郎先生同様、偏屈な人間であると自称しておりましたが、飲み助には、よく理解できてしまいます。ただし、振り返ってみると、随分と無駄なお金や、時間を、しかも二日酔いの中で過ごしたことか。次のページには『酒のない国』として、
 
 『酒の害は、それがあまりにも楽しすぎるからである。
 たのしいから飲んでしまう。元気になるから飲んでしまう。
 あまりにも楽しすぎるので、神様が、私のような者でも禁酒州を考えるような罰をあたえてくれるのである。酒の害は楽しすぎることにある。』と、自省しております。 
かのこ庵は「かしわ餅」一色状態です。

「酒飲まぬ奴」
 キリがありませんですね。それにしても昨今の気候というかお天気はどうなっているのでしょうか。今日も午前中いっぱい強風が吹き荒れておりました。孫の中学校の入学式がございましたが、残された桜がそれこそ吹雪のごとく舞い飛んでおりました。

「酒のない国」
 でも流石にあの風雨です。花粉も飛び散ったのでしょうか、少し以前よりは楽になった気がします。正直、このひと月ほどは、何かを深く考えるなんてできない状態が続いておりました。あともう少しですか。
 
 「天声人語」には山藤章二様のお名前も出ておりましたので、今回の二作に登場します挿絵(?、ではなく作品です)もご紹介します。
 
 神田「やぶそば」さんが、「山の上ホテル」さんが出火いたしました。どうも先生の「行きつけの店」の災いが続いております。気を付けましょう皆様、火の元には。
 
 ところで今年の入学式に、内祝いとして「紅白鳥の子餅」のご注文が数口ございました。別名「鶴の子餅(厳密には少し意味合いが違うのですが)」ともいいます。鶴の卵の形を模して作られます。ハレの日(めでたい日)が末永く続きますように、との願いがこめられた和菓子なのです。
 ですから、主に七五三の時に、ご注文がたくさん入りますが、出産祝いや、入進学、就職祝い、快気祝い、新築祝い等、あらゆるお祝いごとに使われます。
 かのこ庵の「鳥の子餅」は上新粉に適度な甘さをもたせた「すあま」で仕上げます。その柔らかさと上品な甘さが自慢です。最近はあまり見かけなくなりました。一度何かのお祝いに御注文してみてください。その懐かしさと美味しさに驚かれると思います。