2016年6月18日土曜日

「級友・朋友」

 下野新聞の地域情報版に「級友・朋友」という欄がございます。 
 随分以前に同窓会やクラス会にて参集した人達の、いわば報告欄とでもいうのでしょうか。
 皆さん元気なお顔で、そしてすこぶる楽しそうな表情がよみとれます。
 何年、何十年振りかで出会うという事は素晴らしい事と思います。 
 
 
 


 突然のテーマ変更というか、最近の実感としての近況報告もかねての書き込みです。

 昨年、今年と何名かの友人、知人の告別式に参列したり、又、訃報に接する機会が増えました。勿論何があっても不思議ない齢になってはおります。当然ながら、「級友・朋友」が減ることはあっても増えることは難しい話です。 
 
 


 那須在住のS氏から「栃木に行くから食事を・・・」との話を受け、そうだよなー、何名でもいいから集めるか、と思い立ちました。
 結果、7名での食事会となりましたが、全く、時の経つのを忘れての和やかにして、話題の尽きない食事会となりました。思い出すのに時間のかかる顔ぶれもあり、それはそれで楽しい時空間のひとときとなりました。

 栃木市で生まれ育って、尚且つその地元で商いを営んでいるものですから、おそらく同じ同輩よりも旧友に関しては知り合いが多いといえます。そこでお店のご近所にいる、又、よくご来店いただく方という条件にて独断の、ノミネートしての食事会となりました。

 しかし、このクラス会等を取りまとめるのは、相当の時間と覚悟が必要とされます。ある業者会や、某OB会等の事務局というか、幹事みたいな事もしてますが、正直止むをえずというのが本音です。最近は個人情報保護の問題もあり、一層難しい世の中になりました。

 それにしても、半世紀以上も前になる中学校の同窓生となると、ましてクラスが違うとまるで顔と名前が一致せず思い出せないのですね。ご来店のお客様から、「おい、お前、福田だろ!」という場面が結構ございます。「おう、暫くぶりだなー、元気か・・・」とは返事しつつも頭の中はフル回転して「誰だったかなー・・・」状態もあります。「お前の家に行ったことがあるよ」と言われましてもねー。今年前半に「スカイベリー大福」に関し、新聞紙上に写真付きで紹介されたことがありました。そんなこともあり、お店が休日ながら、仕込みで仕事をしているときに作業場への入口がノックされました。開けてみますと同年配風の女性二人が立っています。「お店休みだったのねー、福田さんでしょ、新聞見たので来たわよ」と。「足利から訪ねてきたのよー」と。「分らない!旧姓**と◎◎よ!」。「本当に分らないの」たってねー。「ぼけたんじゃない(これは言い過ぎですよ)」とまで言われても、折角来てくれたのに困りました。

 少なからず、多少なりとも交際があったとか、部活が同じだったとかならともかく、まるで思い出せません。そりゃー、下心があったとか、気になっていた女性とかならともかく、無理ですね。五十有余年の歳月は永過ぎます。

 今回の参加者から「実は4月にクラス会で20名以上集まったんだよ。」と聞かされ、その時の写真を拝見しましたが、正直、顔を思い出せるのは3~4名でした。クラスが違うとまるで異次元の世界の様相です。


 ともかく、とはいえ斯様な次第にて、いささか面倒ではありますが、立ち位置からして、地元で商いをしているものとして立ち上げますか。
 「栃木市立栃木西中学校、昭和36年卒業生の同窓会」を。
 ただし、暫時お時間を下さい。過去、それぞれのクラス会はあったようですが、全てのクラス合同で、とは初めてです。各クラスごとに幹事を選任したりとか、下準備だけでも大変です。

 極力急ぎますが(何しろ減るばっかりの年代ですので)下野新聞「級友・朋友」にも、何とか掲載をと考えています。そのあたりを契機として蠢く積りです。

 正直、体形や髪形等その変遷ぶりに尻込みなさる方もおられるでしょう。いわば老醜無惨な姿を見せたくないと思いの方や、昔のイメージのままでいて欲しいとの方もおられるでしょう。
 しかし、逢ってしまえばそんなことは全く問題なく、十分に楽しめる時間が出来ると確信します。

 このコーナーにてお心当たりのある方がおりましたら、ご連絡ください。ちなみにトップの写真は3年3組の卒業写真ですが。
 かのこ庵(0282-23-0111 FAX共用)迄、先ずはご一報を!
 御年、70~71歳の方が該当者です。
 お待ちしてます。

2016年6月4日土曜日

「黒田清輝」の集大成展

 間もなく、1か月程経過してしまいますが、上野にあります東京国立博物館、平成館にての「黒田清輝」展を拝見してきました。
 G/Wが過ぎるのを待っての新緑の上野公園でございます。
 しかし、なかなかの混雑ぶりでして、決して健脚ではない我が身には、暫くぶりの長時間歩行となり疲れました。当初は国立西洋美術館(世界遺産登録の話が進んでいますが)での「カラバッジョ展」や、「伊藤若冲展(今現在、話題沸騰とかで入館するのに数時間待ちだそうです。正直あほらし)」もと思っていたのですが、とてもとてもでした。そもそも美術館内での歩行距離も相当にあります。まして結構な来観者に混じっての見学そのものが大変なものがあります。


 それはそれとしても「黒田清輝」はいいですねー。
 1866年~1924年58歳での生涯でしたが、「絵画は単なるスケッチではなく、確固たる構想を備えたコンポジション(構想画)でなければならない」としてパリだけではなく、日本国内においても沢山の美術家に大きな影響というか思想教育までしました。



 詳細はともかく、館内での音声ガイド役をおふざけではなく「綾小路きみまろ」がしていました。出だしこそ「ようこそ中高年の皆様…」で始まりますが、あとは結構まじめな音声ガイドでしたが。
 事前に新聞で承知はしており、どうしたものかなー、と思ってはいたのです。だいたい音声ガイドは聴かない方なものですから。
 ま、結果としては、帰路の電車の時間を気にしながらの観覧となりましたが、かなり絵心をくすぐられました。雑木林を描いた作品もかなり多いのですが、恥ずかしながら私の拙い作品も雑木林が多いものですから。

 以来、自室にイーゼルを引っ張り出しまして、スケッチブックなんかを開いては見たものの、中途半端な自画像程度でブックを閉じて現在に至っておりますが。
 才能が無いのに急には描けるものではないですね。
 お断りしておきますが、本作品展は5月15日にて終了しております。

 話は、前々回の続きみたいになりますが、要は「悠久の歴史あふれる栃木市」にて、どうもその辺のことがないがしろになっているのが不満なのです。蔵や、歌麿や、あほらしと書いては関係者に怒られそうですが、川舟なんかにばかりスポットが当てられすぎです。偏りを感じてしまうのです。「謙之助の石碑」等も含めて来客の方にご紹介するには貧弱でしょう。市の所有物として、ダ・ビンチの模造品が収蔵されていますが(歌麿も)、市内各地の図書館等で繰り返し巡回展が開かれている事ご存知ですか。「蔵の街美術館」でだけ展示されたのではなく、図書館関係者がうんざりしていることを知らないのです。縄文、弥生からの遺跡群や、少なからず残されし歌枕の地が忘れられています。
 下野市や那須町などの歴史の掘り起こしや、その進捗状態の紹介等には新聞記事にて承知しているだけですが、感服させられます。
 そういうことなのです。
 又、余計な事を書いてしまいました。 

2016年6月1日水曜日

「ジャック・ルーシエ」(Play Bach Trio)

 キイボードをたたきながら、このパソコンのBGMとして「ジャック・ルーシエ」のバッハ演奏を聴いています。便利な世の中です。
 洗練されたフレンチジャズ、イージーリスニングとしての何とも言えないクラシックジャズの真髄が心を癒し、楽しませてくれます。  
 
 例えば「ジュニア・マンス」や「セロニアス・モンク」も大好きですが彼らにはない、例えば「ビル・エバンス」や「デーブ・ブルーベック」等の白人ピアニストに共通の都会派的なジャズに少し近いものを感じます。クラシック音楽にして、見事にジャズに変換しているこれらの作品群には、明らかにアメリカ的ではない滑らかな、つまり流麗な感性を感じます。
 このトリオのコンサートが大聖堂、つまり教会にて開かれたりしています(ユーチューブで直ぐに見つかります)が、何ともその場にふさわしく、又、聴衆の反応の良さや、感動が伝わってきます。 

 違和感がないのは曲目の殆どが「ヨハン・セバスチャン・バッハ」を原曲としているからでしょうか。


 彼のトリオは3回、メンバーの交代をしていますが、1998年に結成された現在の構成が、主にユーチューブで拝見出来ます。 
 「ジャック・ルーシエ」本人は81歳の現役プレーヤーですが、パリの高等音楽院に16歳で入学し首席で卒業してます。しかし何をもってしてバッハに傾倒し、その表現スタイルとしてジャズに傾倒していったのかまでは解りません。ただその、のめり込み様が曲を聞くことだけで理解出来るような気がします。

 その彼が当然の如く(?)「バッハの『ゴルドベルグ変奏曲』」をも見事にアレンジしていながら、「グレングールド」に引けを取らない演奏をしています。バッハへの傾倒とその深い理解なくして、そしてテクニックが無ければレコーディングできない曲目と言えます。 
 グレングールドとジャックルーシエの違いは、私がここに書くのは憚れそうですですが、あえて書きます。

 二人のゴルドベルグ変奏曲を比較するなら、グールドはクラシックピアノソロとして聴き惚れ、そのバッハの世界の深淵を覗くかの如きです。ルーシエの場合は聴き惚れるというよりも、バッハの世界を軽やかな謂わばパラグライダーにて、風音(曲目)を体全体で感じながら、浮遊させられている、ということですか。

 ところで、ルーシエトリオのベーシストです。5弦のベースを駆使し、見事にルーシエを助けつつ、彼のソロには驚愕と同時に圧倒されるものを感じます。実にいいのですね。
 風貌は映画の「トランスポーター」で実に格好良く演じているご存知の「ジェイソン・ステーサム」によく似ています。名前は長いのですが「ベノワ・ドュノワイエ・セゴンザック」といいます。どちらかといえばステーサムを失礼ながら理知的にした、と表現してはいけないかな。

 もう少し書きたいのですが、時間です。又、もう少し書きます。
 しつこいのです、私って奴は。

 しつこい、ついでですが、実は平安時代物というか藤原実方に関し、新たな論文が見つかりました、昨年末の事ですが。

 和洋女子短期大学にて教授をなさっている安藤享子様が、「実方説話生成考」として発表しています。近いうちに、又しても1千年前に遡って書き込みします。
 実方の陸奥下向に関する論文とあっては、無視できません。

 それにしても本当に歳ですね。身体の故障の回復が、実に遅くなってきているのを実感しています。未だにシップから解放されないのです。
 こればっかりは、時は逆回りをしてくれないですからねー。