2012年8月28日火曜日

『枕草子』清少納言

 今までの人生で、いわゆるサプリメントなる健康(?)栄養補助商品(医薬品?)を試したことがありませんでした。
 しかし、節電の夏を迎えるに当たり「中高年のあなたに」としてのサプリメントを七月早々から服用してまいりました。
 勿論、個人差も、この酷暑も、この年齢も考慮に入れたとしても、今年初めて夏バテ+夏風邪+軽い熱中症との診断を、日曜日に救急センターでドクターから診断されました。  
 嘔吐感はするは、足はつるという夜を過しました。結果、点滴を受けましたが、今現在、体全体のだるさが抜けません。
 
 格段、はなからこのサプリメントの効果をそれ程期待してはおりませんでしたが、そんなものでしょうか。

 幸いなこと(では無いのですが)に、お店は少なからず忙しくはありませんので、朝は通常通りに出勤し、朝のうちの仕事が終了すると、後はパートさん達だけで出来る仕事に変更し、何もする気がないままに椅子に腰掛け、うつらうつらの現在です。
 そこで、とりあえずこのサプリメントの翌月分が自動的に送られてくるシステムを思い出し、この契約を、パソコンを開き、契約中止を致しました。「若くは無いのよ」ということは自覚してはいますが、おっしゃらないで下さい、今は。
 

 さて、自らに課した宿題のごとき平安時代ものですが、それでなくても朦朧とした頭で考え続けた中の一部だけ、書き込みいたします。つまり、今回は、さわりだけの提示となりますが、ご勘弁ください。

 七月二十六日カキコミの「源氏物語の時代」(3)にて一条天皇キサキ、定子が職御曹司に住まいせし頃のことを少し書きました。「枕草子」にはそのいわば「定子サロン」とでもいう「職御曹司」での出来事などがかなりの頻度で出てまいります。その辺りの所を、次回はしっかりと書きたいとおもっておりますが、今回は「枕草子」から、この暑さを少々散じさせてくれる箇所の抜書きでございます。
 ご存知のように、
 「山は 小倉山。・・・」
 「月は 有明。・・・」
 「星は 昴。・・・」
 という具合に彼女が思いのままに、当時の時代状況を背景として、好きなこと、好ましいこと、嫌いなことや、日常の出来事を書き残されたのが「枕草子」ですが、その中で、
 「降るものは 
   雪。
   霰(あられ)。
   霙(みぞれ)はにくけれど、雪の眞白にてまじりたる
   をかし。・・・」  二百三十二段
 とありますが、頭の中で「ふーん、そうかもなあ」と考えるだけでいささか涼感を、感じていただけましたでしょうか。
 では勝手にもう一段、というか百六十段には
 「遠くて近きもの
  極楽。
  船の道。
  男女の中。」だ、そうでございまして、ご納得では。
 

 それにしても明らかに季節は、実のなる季節へと近づいてはおるようですが、相変わらず無断でのご近所点描でございます。失礼致しました。

2012年8月25日土曜日

「悠々として 急げ」 開高 健

 昨晩は、一旦はベッドに滑り込んだのですが、ひょいと、どうでもよき事柄を思い出しまして、暫くは扇風機の風を受けながらゴロリ、ゴロリしていました。しかし何んとも、一向に眠気が訪れず、遂に諦め、起き出しまして、以前に放映された、開高先生の「漂えど沈まず」のビデオを深夜、一人で繰り返して見ておりました。
 ウイスキーをば、なめつつ。
 58歳の、今で言うならこれからという、円熟期での生涯でしたが、独特のやや甲高い声で人生論を始めとして、その凝縮された言葉は、何度聴いても、はっとさせられます。 
 例えば「戦争に勝利者はいない」とか。
 「人間不信、イデオロギー不信。
 人間は変わらないけど、人間の
  言うことは変わる。その言うことの
 部分に対する不信の念が深いわ
 けよ。」
 

 1987年に「阿川佐和子」さんと対談していますが、その中で、
開高「テレビ以前のことだけど、わたしの友達で自殺したのがいる。ニュース映画撮っていて、トピックになるような極端なのばかり追っかけるから、そのうちおかしくなって、いっちゃった。」
阿川「はあ・・・。」
開高「でも君は心配しなくてもいいの。」
阿川「女は、ですか?」
開高「明治以後、女にも小説家や雑誌記者がたくさんでたわね。しかし、自殺したやつ、一人もいない。ご安心あれ。
 それに対して、男は一流に限って自殺する。俺なんかべんべんと生きているから、三流の作家ではないかと思うんだ。」
阿川「自殺したいと思われたこと、ありますか。」
開高「のべつ。」
阿川「のべつ?」
開高「うん」
阿川「でも、しない・・・。」
 (中略)
開高「女は自殺しない。」
阿川「女で自殺したというのは・・・。」
開高「男と一緒にやったのはいますよ。有島健郎が・・・・(中略)
 タフですぜ、尊敬しますわ。」
阿川「どうしてでしょうね、やっぱり男の人のほうが繊細なんでしょうか。」
開高「繊細というか、鋼(はがね)と同じで折れやすいのよ。
そして、折れたらもとに戻らない。(以下略)

 シリアで政府軍の銃撃により、山本美香さんという方が
亡くなりました。報道写真家や、医療ボランテア等に関わる女性が海外での活躍の中、尊い命を落とされることは残念の極みです。ただし、やはり危険地帯という地域が存在することも現実です。先程の自殺の話とは全く違う話となりますが、未だお若い女性がこのような形でお亡くなりになられては、ご両親はさぞや、お辛いでしょう。しばらくお顔も見てはおられなかったはずです。

 開高先生の話に戻ります。
 昔ありましたでしょう、「平凡パンチ」という週刊誌。
 そこに掲載された「240万円に賭ける開高健のアイデア」という文章です。
 「人殺しに反対の人、ベトナム戦争はいやだと思う人、
 日本人も巻きこまれちゃ困ると思う人、あの国のことは
 あの国の人にまかせるべきだ思う人は、フロ代の残りを
 送ってください。
 『ニューヨークタイムズ』に戦争反対の広告を出してみた   
 いと思います・・・(略)・・・
 アメリカ人に、じかに、オヘソに話しかけてみたいと思い 
 ます。
 政党、労組、組織、学校、属している人、属していない人
 なんでもいいから、、賛成なら送ってください。
 コーヒーのお釣りでも、フロ代の残りでもいいのです」
 
 
 大変な行動力を持った、まさに知識人でした。
 

 しかし、韓国のトップにいる方の言動は何でしょうか。
 訳の分からない中国の行動も、結局は今まであたらず、触らずできた日本の政治家の無思慮、無分別に突き当たります。戦をするのではなく、常時行われてきた交流の中で、その主張を常にしておくべきでした。今、この段階で騒いでも、手遅れではないかもしれませんが、野田さんにヒーローは無理です。かといって、過去、放置してきたといって差し支えないと思いますが、その方たちにも猛省を求めたい。
  別件ながら、関西の有名人にして、政治家の行動力は知識人と呼べる範疇のものでもないと、付け加えておきます。
 

 しかし残暑が厳しすぎます。
 午後の三時くらいまで、お店はというか通行人を見かけません。困ったことです。シリアや中、韓、露どころではないのですね、かのこ庵は。でも今日ご注文のありました、開眼供養のお餅や、お子様のお祝いの鳥の子餅の製造はかなりの汗をかかせていただきました。熱いものは、暑いのです。
 含羞草が又もよく咲き出しました。
 しつこいかもしれませんが、開高先生の名文というか名調子をもう一つ、ご紹介して終わりです。
 「男による、男のための、男の諺なのである。」と、いたしまして。

 『一時間、幸せになりたかったら
 酒を飲みなさい。

 三日間、幸せになりたかったら
 結婚しなさい。

 八日間、幸せになりたかったら
 豚を殺して食べなさい。

 永遠に幸せになりたかったら
 釣りを覚えなさい。』

 少し暑さを忘れさせてくれましたでしょうか。
 では又、近いうちに。
 次回は平安物です。 
 

2012年8月19日日曜日

「水櫛に 髪しなやかや 花芙蓉」中村汀女

 ご無沙汰でございました。
 残念ながら、疲れのなかなか抜けない歳となりました。
 草臥(くたびれ)ているところへ、連日の残暑でございます。ご勘弁の程。
 ほんまに、連日の雷雨にも関わらずこの暑さでございます。皆様、くれぐれもご自愛ください。

 本日の「天声人語」に、「向田邦子」様のエッセーが所収されておりました。
 「唐突だが向田邦子さんのエッセーが脳裏に浮かんだ。その涼やかな一節。『水羊羹の命は切口と角であります。宮本武蔵か眠狂四郎が、スパッと水を切ったらこうもなろうかというような鋭い切口と、それこそ手の切れそうなとがった角がなくては、水羊羹といえないのです』。見事なセンス、水羊羹を買いに走りたくなる」。
 写真は、かのこ庵の水羊羹でございます。残念ながら、「青竹筒入水ようかん」は間もなく終売となります。お蔭様で本年分の竹筒が無くなりました。写真の水ようかんはもう少し、残暑の有る間は続けます。
 しかし申し訳ないのですが、明日から3連休つまり、かのこ庵の夏休みでございます。今回はこれという用事もなく、予定も無く、孫との約束もございません。お暇な方、こんなオッチャンでも、ま、いいかとお思いの方はまだ充分に間に合います。ご連絡くだされば、お食事くらいはお付き合いできます。ただし、40代半ばまでの女性限定で受付けいたします。
 多分、どなたからもメッセージは来ないでしょうが。
 でも、もしや、と考えている時間だけでも暑さを忘れさせてくれるなら、一興ですよね。今回の写真は、ご近所の芙蓉と、青空を今まさに覆わんとする雷雲です。
 相変わらずですが、賑やかになってきた、かのこ庵の駐車場の草花、特にコスモスがもう少しで咲きそうです。
 と、お店北側の建物とアスファルト面のわずかな隙間に咲いた百合と芒です。
 含羞草(おじぎそう別名ミモザ)の葉っぱは元気ですが、淡い紅色の小手鞠のような小花は、写真を乗せるほどの元気がなくなってまいりました。
 しかし、ミモザを含羞草とは、日本人の感性のよさを実感させられます。
 「含羞草 眠れば明日を 楽しみに」南魚。
 もう一句。「草山や この面かの面の 百合の花」虚子。

2012年8月10日金曜日

「釣魚大全」開高健

 深夜、眠れぬままに、オリムピックを見るわけでなく、茫然としている己を、時に発見します。数日前までは、嫌いな単語ですが、熱帯夜にゴロゴロ、悶々としていた己を。
 しかし立秋の日を過ぎて以来、夜風は明らかに、時に優しく涼しい風が感じられるようにはなりました。が依然として、次から次へととめどなく想起される事柄の多さに、明らかに寝不足の日々です。寝酒は時に眠気を追い払ってしまいます。分かってはいるのですが、机の引き出しの奥に仕舞ってあるウイスキーをストレートでグビリ。この夏、いつもより減り方が少し早いのを実感しているオバカサンです。
 想起される事柄を書いても、単に大半はぼやきでございますので書きません。それよりも少しはぎらつく太陽を、ひと時、忘れさせてくれる(と私が思っている)海や川のお魚さん関連の話です。二つ取り上げますが、いささかなりとも涼感を感じていただければ、幸いです。
 

 開高先生の分厚い本ですが、「釣魚大全」なる書物がございますが、カラー版の内容見本として『釣りの心』というショートエッセー、これを先ずご紹介します。
 「『釣りの心』
 山であれ、海であれ、釣りの準備には何日もまえからとりかかる。ときには何週間も、何か月も以前からとりかかる。
しばしば一生夢想だけで終わることもある。男は夢を食べて育ち、夢を反芻しながら眼を閉じる。
 そうやって山や海へでかける。釣れるときもある。釣れないときもある。山の冷雨が背骨にしみこみ、海面の照りかえしが全身を焼く。かかったときの悦びと不安は一瞬にある。最初の一匹の最初の一撃にある。この一瞬のために千夜と一夜の待機があったのだ。
 釣れた魚が大きいか、小さいか。型がいいか、わるいか。
 寄生虫がついているか、いないか。よく戦ったか、どうか。
 そういう鑑賞や、評価は、この一瞬のずっとあとになって、頭と心と体にいろいろなものがもどってきてからのことである。
 恋、野心、闘争、放浪、友情、酒、そして死などとおなじように、釣りにもまた最良、最高、最善は一瞬にある。
 すべてのために一瞬
 一瞬のためにすべて」

 今は昔の話ですが、若き頃、海釣りが好きで、早朝、出船する舟で、潮風と、波しぶきを全身に浴びながら釣りを楽しみました。時には嵐状態の艀の船をつなぐための仕掛けに我が身を縛りつけ、黒鯛の57cmサイズを釣ったこともありました。近いうちに、孫を連れてでかけますか。
 
 

 「源氏物語、常夏の巻」からの抜粋ですが、
 『いと暑き日、東の釣殿にいで給ひて涼み給う。親しき殿上人あまた侍ひて、西川より奉れる鮎、近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じてまゐらす。』
 料理をつくるときに使用するのは包丁ですが、当時「包丁」とはうまく料理を作る人物のことを指したそうです。
 
 「和名抄」には「魚鳥ヲ料理スル者、之ヲ包丁ト云フ」とあります。どうでも良い話ですが。
 
 
 今は昔の話ですが、投網で鮎釣りをしたことも、鬼怒川の簗での小屋に泊り込み、たいして取れませんでしたが興じたこともありました。
 いずれも、暑さを忘れて時を過ごしたことだけは、しっかりと思い出せます。
 いささかなりとも、暑中お見舞いのカキコミになればと思ったのですが、相変わらずの独りよがりでございますね。
 自慢ではないのですが、私極めて小心者でして、いわゆる怪談話や、ホラー関係の映画や書き物は一切受け付けません。従いまして以上のような内容で、涼感を少し感じていただきましたでしょうか。
 まもなく盂蘭盆会、お盆様でございます。来週水曜日は本来定休日ですが、15日ということでかきいれどき、仕事でございます。「おはぎ」、「あんだんご」は12日から16日まで作ります。ご先祖様や黄泉の方となってしまった方のために是非とも、おいしい「おはぎ」などを上げてください。
 結局はご自分のお口に入るわけです。宜しかったらスーパーさんより高いかもしれませんが、一年中販売している商品ではありませんので、是非、美味しい物を、と書いて
このブログも少しの間、夏休みにします。8月20日(月)~から23日(水)までお店も休みとなります。あしからず。

2012年8月5日日曜日

開高流「源氏物語」寸評

 じっとしているだけでも、脳が煮え立ちそうな、水分が拡散した挙句、無くなり乾涸びてしまい、血も、汗も出んようになりそうな日々でございます。ですから人は逃避します。
 何処かに逃げようとする、そのようになっとるんです。可能であるなら。
 誠に、暑中お見舞い申し上げます。
 そこで、そんな事態になる前に、少しは涼しいと思われる那須の拡張されたアウトレットにでもと、出かけてきました。
 別に何かを買い求めて、という目的なんぞは最初からありませんので、この夏休みにどの程度立てこんどるやろか、という様子見が目的のプチ旅です。
 しかし(そう来るだろうと勘付いた方は、このブログの常連さんです)、県北の何も無い所に、かくも広大な商業施設をお立てになった方は偉い、としか言いようがありません。かなりの数の新規雇用者を採用したわけです。
 が、ランチをすべく入った和洋食のお店のメニュウ写真、味噌味牛タン定食と、実物との違いは眼が点にでしたが、我慢しましょう。料理がきてもお箸が無い。若き店員に「お手元を下さい」と頼みましたが、なかなか来ない。暫くして「もう一度おっしゃてください」と。つまり「お手元」では通じなかったのです。帰りに「領収書を書いて」と頼みましたら「お名前は何と書きますか」というので、「上様でいいよ」と話しましたら「ウエ」と書かれました。よそで聞いた話ですが、「領収書をきって下さい」と頼んだら、半分にはさみで切られた、とか。
 実は数日前に孫と東京ドームにて巨人VS 中日戦を見てきましたが、ほんまにあのスロープを元気に、そして実に、にこやかに走り回っている売り娘さん達、あれは偉い。ビールが美味いはずです。試合は又しても負けまして、私はTV中継に専念すべきかもしれません。負け男です、私は。

 タイトルからは随分とかけ離れた出だしとなりました。
 

 『性と日本語』として、開高健、河盛好蔵、広末保の三氏による座談会が「ポ・ト・フをもう一度」に登場します。
 座談の中で以下、開高先生がお話した部分だけ(本当は前後が当然あって、とても面白いのに、いけない抜書きになります)をご紹介いたします。
 「『秘めるが花』というエロテイシズムの美学がありますね。
今みたいにポルノ全盛になると『秘めるが花』の美学のほうが勝ち誇ってきつつある。」
 「司会者『たとえば平安時代のものなんか、女の人がいていますね。だからあんまり明らさまに書けなかった、うこともあるんじゃないでしょうか。
 開高>それでいて、あれは全編ことごとく淫蕩そのもので、あそこで愛と言えば性愛のこと以外に、何もありません
からな。それで、よくぞやったと、またこっちも拍手したくな
るんですけどね。」 
 「北斎なんかのよさ、大らかさって言うようなことを、ちゃ
んと見抜いているわけですね。今の時代の、若いすぐれ
た才能のある人にかかせても、あの大らかさは出てこな 
い。微細さのテクニックになればうまいけど、微細のテク
ニックを駆使すれば駆使するほど、いよいよ実態が抜け
て行って衰弱する。(中略)
 オスカー・ワイルドの挿し絵をかいたビアズレーの画集 
部を集めたのがドイツで出たんですよ。これを見てる と、ほんとにだめね。セックスなんて匂いも何もない。
 つめ泥沼のような、音の低い発酵の腐敗があるだけでね。ホモもだめ、レズもだめ、デカダンスもここまで行ったらどうしようもないって感じ。」
 「わたしもたまたま現代に生をうけたもんだから軽んじられちゃうんですけどね、『源氏物語』と名がつけば、あの全編ことごとく性愛一本槍、すべて美化されますわね。
 わたしも早くあんなところへ行ってしまいたいと思うんですけどね、書くものが。それがなかなか行かないので困っちゃう。近代の自意識モラルっていうのはいやらしくてしょうがないんですけどね、わたし自信もとらわれてるもんですから、なかなかおおらかに書けないんですよ。」
 

 あの時代だから、女性だから、あのポジションだから、全盛期のパトロンがいたから書けた、といえるのでしょう。
 お時間がございましたら、是非にとお勧めいたします。

 ところで話は戻りますが、斯様な次第でございまして、試合終了後、ジャイアンツグッズコーナーで次回のために買い求めました。裏側には「必勝祈願」の文字が入っております。上段のピンクの花は、ご近所のさるすべりです。