2013年7月29日月曜日

「邦楽鑑賞会とお茶会」の実施です。

 昨年、一昨年と「とちぎ物造り工房」主催によるイベントを実施致しましたが、今回は少々、趣を変えました。簡単なようでいて、なかなかにイベントを行うにはパワーが必要です。今年はいったん見送って、来年、新たな企画で…という事になっておりました。
 何しろ疲れる作業の連続でしたから。
 しかし、おっちゃんパワーの復活でございます。
 全てのメンバーによるイベントとしてではなく、参加できる範囲でのメンバーによる、しかし誠に魅力的な、イベントの構想がまとまりました。
「邦楽ゾリスデン」のメンバーです。

 「なんやて、いつから邦楽なんぞに興味を持つようになったんや」、と言われても仕方ありませんが、そうなってしまいました。
 十七絃と十三絃の筝に尺八、併せて三名による「邦楽鑑賞会とお茶会」を実施致します。栃木県内在住の若手邦楽演奏家が沢山おりますこと、しかも優秀な方たちが活躍していますこと。
 又、私の知らないところで、邦楽が隠れたブームになっておりましたことなどの全てをよくは知りませんでした。
 
 下野新聞紙上にて、熊本における「全国邦楽コンクール」に出場し、最優秀賞と文部科学大臣賞を受賞した方が、宇都宮を拠点として活躍しているという記事を拝見しました。
 駄目もと、と思い記事を書いた方にご紹介いただき、プランの一部をその方と電話や、FAXにて連絡をさせていただきました。 
 結果、その時点では、かなりアバウトではございますが、その概略が決定いたしました。つまり、会場となります場所を提供下さる方や、その町の方々、何よりも邦楽演奏に出席いただけます方達から、結構熱い熱意と賛同を頂きました。うれしいですねー。しかし大変なことになりましたですねー。

 日時は11月10日(日)、会場は時々このブログ上にも紹介してまいりました「おおひら歴史民俗資料館」内の「白石家戸長屋敷、母屋(おもや)と離れ座敷」でございます。
 出演いただく演奏者は「邦楽ゾリスデン」から三名の優秀なソリストでもある、又、それぞれがそれぞれの楽器での東京藝術大学邦楽科を首席で修了された逸材ばかりの方達でございます。
 「邦楽ゾリスデン」メンバーの皆様は栃木県在住の方達で構成されています。そして、殆どプロといっていい実力あるメンバーが集まったグループといえます。
 三名の方のプロフィールを、ご紹介しなければならないのですが、皆さん、これまでに沢山の大会における受賞歴がございまして、申し訳ないのですが割愛させていただきます。ただ、十七弦奏者の前川智世さんだけ、簡単にご紹介しておきます。今年の邦楽全国大会にて最優秀賞を受賞しております。更に、NHKのEテレ「日本の芸能 今かがやく若手たち」に出演、受賞曲を披露してくれました。つまり、それほどに素晴らしい方達ばかり、と記しておきます。

 
  ところで、それらの具体的な詳細を出来る範囲から詰めていくために、先週、資料館館長様との打ち合わせに参りました。その際、大平町における各種団体の役職をなさっておられます方と、栃木市長の奥様がご同席くださいまして、応援いただくこととなりました。有り難いことですが、これは手抜き出来ないイベントになるなと覚悟させられました。
 母屋における演奏者のステージとなる場所の確認や、照明、その際の最大収容人数、それに見合った椅子の数の確保などかなり具体的に確認をさせてもらいました。
 いずれにしましても、栃木市大平町における「邦楽演奏会とお茶会」の開催になりますが、これだけの雰囲気と、まさにテーマに合致した趣たっぷりの会場でのイベントは、滅多にないはずと確信いたします。
  
こちらはご近所の中庭でございます。
 さらなる詳細は、その都度、ご紹介させていただきますが、11月10日(日)は是非ご期待くだいますよう、又、今からご予定に組み込んで置かれますこと、お願い申し上げます。
 何しろ、一日だけの開催でして、受け入れ人数も会場の広さから、約百名が限度かと思います。チケットも先着順になりそうです。
 栃木市、そして大平町の賑わい創出の一助となるよう奮闘いたします。

 尚、八月二日(金)夜九時より「フジテレビ」にて2時間のスペシャルドラマがございます。詳しい内容は聞きそびれましたので申し訳ないのですが、約2週間にわたり戸長屋敷でのロケが行われました。その放映が前述の時間にございます。お時間がございましたら、又は予約録画してご覧いただければよろしいかと思います。
 それでは、次の報告をお楽しみにお待ちください。

2013年7月23日火曜日

「勝海舟」について

 司馬遼太郎先生のエッセーから、抜き書きにてすみません。
 先生は「竜馬がゆく」という名作を残しましたが、その自作を振り返って書いています。
  「幕末、勝海舟という人物は、異様な存在だった。
  幕臣でありながら、その立場から自分を無重力にすることがで  
 きた上に、いわば最初の『日本人』だったと言える。
  こんにち『人類』というのがなお多分に観念であるように、江戸 
 体制の中では『日本人』であることがそうだったろう。たとえば、 
 武士はそれぞれが所属する幕藩制のなかで生き、立場立場が 
 限界だったし、庶民も、身分制から足をぬいて考えることができ 
 なかっ
  海舟だけが脱けえた。海舟がそのように海舟たりえたのは素 
 質だけでなく封建門閥性に対する憎悪もあったかと思える。
   海舟におけるその感情は性悪というべきもので・・(中略)。
  しかしながら、海舟のえらさは、そういうえぐさをいわば糖化 
 し、かれの中で『日本人』として醸造し、それ以上に蒸留酒にま  
 で仕上げたことである。
  さらにいえば、かれはそのもっとも澄んだ分を門人である浪人
 坂本龍馬にうけわたした。」
 しかし、「海舟は幕臣であったため『国民国家の樹立』という彼の秘めた理想について、彼自身が動くことはできなかった。しかし、すでに分身をえた。あとは龍馬に期待したのだろうというのが、私の想像である。
 その後の龍馬における自在な発想と行動は、勝の期待よりも、はるかにきらびやかだった。おそらくその発想は、当時彼と海舟以外に存在しなかった『国民』という宙空の光芒のような場所から出たものにちがいなく・・・」と、続きますが、引用が長すぎますね。

 私は、何が、書きたいのか。

 少なからず過去には、偉い人物が存在した。
 先生は別な場所でこうも表現しています。
 正確ではありませんが、アメリカ建国後の米国史や、当時の中国史において、日本の存在ほど影が薄いものはなかった、と書いています。当時あってもなくても関係なかった。それが日清、日露戦争を経て、強大な存在に突然なった、と。
 

  しかしそれにしても、今回の参議院選挙ですが、選ばれる側も選ぶ側も、ここまで国民性が変貌したとは、想定の範囲内のことなのでしょうか。 
 引用ばかりですみませんが、朝日新聞の政治部長、曽我さんが「自己修正の力を」と題して「失われた20年の負の記憶はあまりに大きい。(略)その歴史を踏まえて、有権者が選んだ権力である。付託はあまりに重く深刻だ。」、天声人語氏は「これまでの安倍政権の7ヶ月の歩みに有権者は二重丸をつけた」と書いております。又、別な新聞では「有権者は『安定を選択した』、国民が政治の混乱に終止符を望んだ結果だろう。」と。同誌上にて、「それでも『頭がくらくらするようなつけ』が山積している」とも書いております。
 そうでしょう、その通りかもしれません、と言いたいのですが、どうも納得いきません。
 投票率50%。これを忘れてはいませんか。
 国民半分が全て無関心であったとは思いませんが、あまりにもこれをもってして、国民の全てが前述のような付託をしたとは、言い切れないと思います。少なからず、一票の格差はほとんど解消されておらず、そして現在の参議院という存在意義が熟議された上での選挙であったとはいえないはずです。
 繰り返します。現在の選挙制度、定数の是正がなされない中で国民の二人に一人が、無関心であった(投票に行かれなかった方に反論権はないと思います)。私は今回の結果についてそんなものだろう、程度に思ってはおります。しかし、「国民の意見は結局集約すればこうなる」と、「阿部さんに全てを付託をした」と決め付けて欲しくないのです。

 今回の選挙結果の良し悪しは、少し時間を置けば判明してくるでしょう。少なからず、「景気回復」が争点であり、それ以外は随分と霞んで見えました。しからば、国民の所得が向上し、消費が拡大されます事をひたすら期待させていただきます。
 「クラクラする」程の難題を抱えた中での船出ですが、前向きに考えないと、正直、生きてはゆけません。このことを思うとき、どうしてニコニコしていられるのでしょうか。これも国民性でしょうか。

 先哲たちの、少ない情報量の中での思考に、思いが跳んでしまいました。

2013年7月19日金曜日

対岸の火事。真面目な事実です。

 興味本位で書き込むのでは決してありません。
 本日、午前11時40分頃に、家内から電話が入りました。家内は体調を崩しており、自宅にて休んでおりました。
 「家の前が火事で凄い炎が上がっている」。という次第で駆けつけました。丁度、駅前の花龍さんに用が有り、そこで真っ黒い煙が立ち上っているのが見えた直後でした。

 自宅の前を巴波川が流れており、又、市営の広い駐車場もあり、殊更に騒ぐ危険な状況ではないと即断しましたが、火の粉が飛び落ちてまいります。風向きが弱いながらもこちら側に流れてます。
 なかなか消防隊が到着しません。この時点で少し慌てました。
 お昼前には数台の消防車による放水が始まり、黒かった煙も12時を少し回る頃には白煙に変わり、いささか安心いたしました。

 誠に出火元になりましたお家にはお見舞い申し上げます。
 又、隣接する家屋にも類焼したようでして、大変な事態となりましたこと、合わせてご同情申し上げます。

 こんなこと書き込みしていいものか、一寸ためらいましたが、いつどこで、どんな、災難があるか予測の立たない時代です。数日前には、市内吹上町の家屋が、雷によって全焼するという事がありました。不可抗力な天災もありますが、日頃から災害に対する心構えの必要さを痛感いたしました。
 そこで、あえて近火見舞いのお礼を兼ねまして、ここにご報告いたします。

2013年7月15日月曜日

「歴史を紀行する」司馬遼太郎。嗚呼、会津の八重桜。

 大河ドラマ「八重の桜」も会津藩の最後の拠り所、鶴ヶ城落城の時が迫ってまいりました。
 どうも、この手のTVは初回を見てしまうと、なんとも途中でやめることができなくなります。「城主、松平容保を頂点とした会津の滅びの美学」といえますか。何とも壮絶、としかいい様のない凄惨な、そして非業の場面が続きます。

 司馬先生が週刊朝日に長いこと連載なさった「街道をゆく」は、代表作の一つに挙げられます。日本国内だけでなく、世界中をといえるくらいに旅をし、紀行文を書きました。
 評論家川本三郎は「一平二太郎」として「藤沢周平」、「司馬遼太郎」、「池波正太郎」の三名を、時代小説の書き手として、「大人の日本人男子」なら、嗜みとして読むべき作家、と評しております。それはそれとしても、三者の作品が、実に素晴らしく其々に作風は違いながらも、興趣が尽きない膨大な作品群を残した、これは事実です。
 司馬先生は終戦を、栃木県佐野市で迎えておりますが、陸軍の戦車部隊に所属しておりました。その時の経験が、作品全体に通底として流れる価値観、人物観の一つとなり数多くの名作が生まれた契機になった、と思います。
 紀行文としては本書だけでなく、まだまだ沢山の作品がございますが、私がここで紹介することではないと思います。ただ、この「歴史を紀行する」は、主に幕末という時代を語るに際し、外すことのできない地を厳選しての紀行文と言えます。その中で一際、会津という土地の人柄、人物像を愛情ある文体で描きました。
 

 長くなりますが、
 「会津藩というのは、封建時代の日本人が作り上げた藩というもののなかでの最高の傑作のように思える。三百にちかい藩のなかで肥前佐賀藩とともに藩士の教育水準が最も高く、さらに武勇の点では佐賀をはるかに抜き、薩摩藩とならんで江戸期を通じての二大強藩とされ、さらに藩士の制度という人間秩序をみがきあげたその光沢の美しさにいたってはどの藩も会津に及ばず、この藩の藩士秩序そのものが芸術品とすらおもえるほどなのである。秩序が文明であるとすれば、この藩の文明度は幕末においてもっとも高かったともいえるであろう。」(中略)
 その会津藩が、幕末の京都における無警察に近い状態に対処すべく、幕府が常駐する強力なる部隊として、会津藩に白羽の矢を立てました。家老西郷頼母などは藩主容保に直諌し『いまこの難局にあたってその任をうけるは、薪を背負って火中にとびこむがごとし』として辞退を進言するのですが、「しかし幕閣の事情はそれを許さず、ついにうけざるをえなかった。承けたとき、『されば君臣ともに京の地をもって死所とせん』と一同相擁するがごとく泣いたという情景は、のちの会津藩の運命を考えあわせるとき、われわれ史書を読むものはこのことを濃厚に記憶してやるやさしさをもたねばならない。」(以下略)
 なんという愛情表現でしょうか。
 その後の京都での動向や、二代徳川将軍秀忠のたった一度の浮気にて出来た保科正之が、三代将軍家光によって会津松平家の祖となっていく話や、その保科正之を評して「しかもこの私生児であった藩祖正之は、同時代の大名の水準をはるかに抜いた名君であった」と書きます。遡って「もし秀忠が生涯にただ一度と思われる浮気をしなかったらば会津松平家は日本史に存続しなかったであろう。その律義者(秀忠)の滑稽な浮気が、幕末、幕府の瓦解期にいたって徳川の親藩がことごとく薩長政権に味方(くみ)したなかにあってひとり、『徳川家の名誉のために』という旗幟のもとに時勢の激流に抵抗し、流血し、絶望的な戦いをつづけ、ついに悲惨な敗亡を遂げるにいたる結果を生む。」

 その後の会津人の性格的なものや、長州に対する怨恨の根深さを紹介しておりますが、歴史上の会津藩の印象とこの風土的印象とは・・・。として再訪を期しています。

 幕末は、私個人としてあまり触れたき時代ではなかったのですが、一応それなりに読んではおりました。TVの方は何しろ主人公が格好良いですし、可愛いじゃないですか。
 それだけが理由で見ているわけではありませんが・・・。

 少しご無沙汰でございました。
 旧栃木市内は七月がお盆さまでして、いささか忙しさもありました。
 が、何より梅雨明けが早すぎます。
 更に、その後がいけませんですねー。連日の猛暑でございます。何とも熱気にやられてしまいました。またしても点滴のシーズンのようです。
 それにしても、この暑さがまだ二ヶ月以上も続くのか、とは考えたくも無き自体です。
 皆様、くれぐれも体調の維持にご配慮を。

2013年7月5日金曜日

「藤城清治美術館」ぜひ、お出かけの程。

 時々小雨がパラつく、それ故、木々の緑がより引きたっていた、と言える那須高原での贅沢な一日を過ごしてきました。
 那須在住の栃高同級生S氏より、誘いを頂戴し、気分転換の意味をも込めまして、行ってきました。特に「藤城清治美術館」がオープン致しました。更に「実にうまいビールがあるよ」のダメ押しにて、これは朝寝を楽しんでいる時ではないとの直感です。

 以下、写真が多い書き込みになりますが、これでも相当割愛してのご紹介でございます。
 正直「このおっちゃんがメルヘンやて?」と、拝見するまではいささかためらいもございました。しかし、いやはや、何はともあれ心より、皆様に強くお勧め申し上げます。那須I・Cからさほど遠くない閑静な木々に深く囲まれた場所にございます。
 随分、全国の美術館を経巡ってきたと自負いたしますが、その佇まい、ロケーションの良さにまず感動です。
 藤城清治様はまもなく九十歳になられます。多少体調が万全とは言えませんが、その精力的な活動や、情熱には静かに頭を垂れさせられます。
東北の被災地を巡り、その惨状をキャンバスに残し、見事な希望の光を思わせてくれる、影絵に仕立ててくれました。それらの原画としての水彩画を含めた、数多くの影絵の作品群に感銘を受けます。更に、動く影絵の舞台裏の精緻な構成の仕組み。アトリエの再現と、現実の製作過程や、使用中の材料まで展示してあり、その表現力と感性に圧倒されます。
 かなり混雑しておりましたが、当然ですか。夏休みにはさらに入館者が増えるだろう、と十分想像できます。その辺を外して是非ご鑑賞のほど!

 さて、次はご紹介すべきかどうか迷いました。 
 実に落ち着いた素敵なポイントなのですが、あまり賑わっては欲しくない、隠しておきたい場所と言えます。個人としては何とも大切にしたき、秘密の隠れ家のような場所であってほしいと願うからです。面倒だからではなく、その意図がありますので、あえて詳細を省いて写真の羅列でお許しください。
 ただし、一言。5種類のビールをテイステイングするかの如く、小ぶりのグラスでの飲み比べ。ビールの持つ、本来の奥深さを再認識いたしました。
 この場をお借りして、改めてS氏に御礼申し上げます。
 そして更に加えるならば、マイナスイオンのおかげですか、やっと活力を取り戻した気が致します。
 

 右からの写真は、国指定、重要文化財となっております「青木家那須別邸」でございます 。  
 以前、こちらからはそう遠くない所に「山縣有朋別邸」があり、訪問したことがございました。
 激動の明治時代、日本を代表する外交家として、ドイツ公使等を歴任し活躍した人物のお屋敷跡です。
 ま、私と比べても仕方ないのですが、スケールの違いに驚きます。広大な敷地に、実にバランスよく配置された樹木があります。
 建物正面前に続く杉並木。流鏑馬でも出来そうな長さがあり、霧雨状態の中、幽玄なる世界を感じます。
 誠に栃木県には、那須に限らず素晴らしいポイントがたくさんあります。富士山を登るのに行列をしてまでの混雑は、日本人の特性かもしれません。あまりの混雑は、ここ那須においては逆効果化もしれません。が、それにしても栃木県民でさえよくは知らない素晴らしい(私も初めて知った訳です)場所が存在することを、アピールすることが足りなすぎますかね。

 こんなことを言ってはなんですが、栃木市にも「歌麿」以外に悠久の歴史が存在しています。これは行政の問題かもしれませんが、最近お客様から出る話題の一つに「栃木市の文化度の低さ」がございます。県北の芦野地方での発掘調査。東日本に於ける、一千年以上前の主要な街道として「東山道」があります。未だ古墳群を含めて、発掘調査研究が続けられています。下野国庁社跡が残る栃木市には、発掘すべき遺跡、古墳が未だ散在しているのです。しかしそれらは全て、おそらく話題になることすらないでしょう。
折角のいい気分が、ぶち壊しになりますね。ここまでにします。

 


2013年7月1日月曜日

「寸借詐欺」の不愉快さ!

 2度目くらいの来店で、買い物します。
 「お財布忘れた! ご免、近いんだけどこの品を置いてこなければならないの。すぐにお金持ってくるから・・・。携帯番号は*******だから」と。「免許証を見せてください」と私。「財布と一緒で忘れたわ」。
 金額にすると2,200円ですが、それっきりです。携帯はつながりません。
 実は最近の話でして、息子の店も同じ携帯番号の60歳前後と思われる、おそらく同じ女性にやられておりました。同程度の金額です。
 たまたま、私が接客したために引っかかってしまいました。従業員ならそんな誰ともわからない人に、品物だけ渡しはしなかったでしょう。と、思います。

 万引きはそのスリルがたまらなくて止められない、と聞いたことがあります。結局は常習犯なのでしょう。ただし、何しろ金額が金額ですから、つい、他にお客様がいたりすると、見逃してしまうのです。
 己の迂闊さが、後になって思い出すたびに悔やまれるというか、自己嫌悪になります。金額の大小ではないのです。実に嫌な世の中です。そして何とも不愉快な出来事です。

 多分、同様な手口で被害にあわれたお店もあるのではないでしょうか。スーパーやコンビニではレジにて、バーコードを読み取ってからの話ですので、おそらくこのようなことはありえないのでしょう。例えばタバコ屋さんで「ワンカートンを・・・」、果物屋さんで2~3、000円の買い物をされたときに等が、要注意となります。菓子屋だけの話ではないのです。

 早速、菓子組合の支部長に「ご注意を」の文書を作成、持参しすべての組合員さんに配布させました。更に、商工会議所の方にも事情を話し(正直、恥を忍んでの事ですが)、各商工団体にも、注意の喚起をしていただくべく指示させてもらいました。

 しかし誠に金額の多寡ではないのです。引っかかった己を恥じると共に、何とも不愉快極まりない事案に、今月も早々から意気が上がらない出来事でした。
 ご商売をなさっておられる方、このブログをご覧でしたら、ともに注意いたしましょう。
 いつも、かのこ庵をご利用のお客様、お客様には決して不快な思いをさせることのなきことを、お誓い申し上げますが、斯様な次第でございます。店員一同、貸し売りは一切お断りいたしますことお許しください。
 しかしもっと大きな詐欺の被害にあわれた方が、大勢いらっしゃるのも事実です。何とも斯様な詐欺にあわれた方の、お辛さがよくわかります。眠れぬ夜をお過ごしと、お察し申し上げます。二千円で騒いでは申し訳ないですか。
 しかし、私はお金がないから引っ掛かりようがありませんが、何とも嫌な世の中です。くれぐれも注意いたしましょう。少なからず、闇に住む連中を、これ以上喜ばせてはなりません。
 今回は、私の迂闊さを正直に認める(これも歳かな)カキコミでした。