2018年9月28日金曜日

微細な事柄の書き込みは暫く、というか中断します。

やはりお疲れの爺さまとなりました。
 
 
 
 
 
 
 


細かい、あるいは奥を極める、ごとき書き込みは無理なようです。

そこで、このブログ用にと思って撮っておいた、季節の其々を、
私が気に入った
写真を
ご紹介かたがた、どうでもよき事を、少し書いていくことにします。

ご容赦の程。

2018年7月25日水曜日

酷暑、誠にお見舞い申し上げます。

 何ともしんどい夏となりました。40度超の気温とは少し熱めのお風呂に入っているのと変わりません。
 それでもまだ、西日本の現状を考慮したら、何にも言える立場ではなくなりますが…。 

 



 ただし、かのこ庵の午後は毎日休業状態となっています。
 つまりお客様がお見えにならないのです。その一方で作業場のエアコンが流石に庵主同様、老け込んできまして一向に冷えないのです。この暑さがあと2か月は続くであろうと思ったら、寒気がしてきました。それでなくてもこの時期、売り上げもないのに業務用エアコンの新設、とは冷や汗ものです。家庭用の10万円未満のエアコンとは参らないのです。


 昨日の「天声人語」にて「枕草子」が取り上げられておりました。
 駐車場の草むしりをしていると必ずや「蚊」に刺されたものですが、今年は無傷とは言えませんが、昨年ほどには、蚊に悩まされる事が少ないのは事実です。敵も気温が35度を過ぎると動きが鈍くなるようでして。
 そこで「枕草子 第百十三段」に
《 冬は、いみじう寒き  夏は、世に知らず暑き 》
 と、清少納言お姉さまは書き残してます。つまり、冬はうんと寒いのがいい。夏はたまらなく暑いのがいい。と・・・。京都の夏と冬の暑さ、寒さは格別なものが今でもあるようですが、お姉さま、いささか自棄になってたのかと思わせる文章です。


 ともかく、じたばたしてもどうにもならない暑さですが、問題は、結果としての倦怠感です。もう少しいろいろ書き込む予定が、怠惰に流されております。

 現代詩といっても昭和初期の詩人ですが「立原道造」に興味を抱いております。(又もや新しい趣味が増えましたのかいな、と言われそうですね)若くして亡くなった彼の情熱あふれる詩を次回は取り上げます。

2018年7月11日水曜日

頑張れ‼

 何とも表現の仕様がない西日本の惨状です。
 このブログにも数回登場している「こはる写真館」さん、つまり紘子さんの所在地は広島市安芸区西でした。フェースブックで書き込まれる惨状は、誠に痛々しい限りです。それでも、お母さんやお子さんは共にご無事の様子。それでもご自宅や、工房(?)は泥の中とか。

 日本全国、何処に居ても安心な場所は無い世の中になってしまったのでしょうか?
 物流は、クロネコヤマト曰く「西日本は荷受けできません」とのことですが、いわゆる援助物資は、いまは何もしない方が、現地のためによさそうです。かといって、この歳で復興のために現地でボランティア活動は無理、というか、余計な迷惑をかけるだけでしょう。

 ともかく、生あることに感謝して「頑張れ‼」とだけ今は記しておきます。
  
 この酷暑の中、声援しか今は送れない己に忸怩たるものを感じますが、被災された方には心からご同情を、亡くなられた方には心からご冥福をお祈り申し上げます。

2018年6月24日日曜日

「藤原実方、陸奥左遷説」を正す。

 先週、神奈川県小田原市から5名のお客様がお見えになりました。朝9時前、つまり開店前のご来店でしたので、いささか慌てての対応となりましたが。
 
 「神奈川県勤労者山岳連盟・小田原ナーゲル山の会」という登山愛好会の方達です。前日、リーダーの方からお電話がありまして、「小倉百人一首歌枕登山」として、歌枕に詠み込まれしその地を全て訪ね歩こう、とのご趣旨だそうです。
 その第一回目として「百人一首」の第51番歌(これは栄誉ある順番なのですが)に出てくる「藤原実方の『かくとだに えやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆるおもいを』」の地を訪問することにしました、とのことです。
 わざわざ遠方から訪ねて下さるわけですが、登山というご趣旨からはあまりにも単に小高い山に「伊吹山善応寺」というお寺の観音堂が残されているだけですが・・。と、お話したのですが「さしも草もその地に残っていればそれもぜひ拝見したい」とのご要望でした。

 確か一月前位に善応寺様には私が行ってきたばかりでしたが、さしも草は参道の石段脇にいくらも残っていない状態でした。    
 ところが、かのこ庵のお店の前のプランターでは、毎年元気にさしも草が勢いよく成長しておりまして(写真の如く)、その旨お話ししましたら、「当然、藤原実方に関するご本も出版なさっているのは承知していますので、かのこ庵さんも訪問先に入っております」ときました。

 いやはや無視できない有難いお話にて、かくのごとき次第となりました。皆さん、早朝からの出発だったようでして、伊吹山を拝観しての帰途のお立ち寄りでした。その足で次の目的地だそうですが、福島県の月山の近く湯殿山のある「信夫山」に向かったようです。「みちのくの しのぶもじずりたれゆえに みだれそめにし われならなくに」の信夫山です。
 中高年の方の登山ブームという事ですか。拙著(何て呼べるものではないですし、まさに冊子のごときもの)の購入をも求められましたが、残数2冊でしてお断りしました。しかし、そんな会話の中で、「実方左遷説」の話が出てきました。
 忙しい時間帯でしたので詳しくは話せませんでしたが、「左遷」ではありませんと話しましたところ、驚いて喜んでおりました。


 以前から書き込みたかったことがあります。「実方左遷説」に関してです。
 千葉県に「和洋女子大学」がございますが、そこの「人文学部日本文学科」の教授をなさっておられる安藤享子教授が「実方説話生成考」として論文を出しております。池田亀鑑博士や、竹鼻續先生の出典を考慮に入れつつ、「後拾遺集」や、「実方集」を読み解き 「実方左遷説」を以下の如くまとめ、締め括っております。
 
 つまり「実方の陸奥赴任」に関し、「『源氏物語』に歴史を読もうとしている『河海抄』で、実方の陸奥赴任はこれまでに見てきた説話の扱いとは大分様相が異なる。(中略)悲劇的人物としての捉え方は見られない。それどころか将来に大いなる望みを託し、自らの道を選び取ってゆく積極的な姿勢を実方に見ている(以下略)」とまとめています。

 だらだらと書きだしたら止まらない書き込みでして、平安時代物にご関心のない方にはどうでも良き事柄でした。

 少しづつ、又、書いてゆきます。
 懲りずにお付き合いください。





2018年6月21日木曜日

中途半端

 私をよく知る知人(身内のような)から「何事も中途半端なお前の人生そのままのブログだねー」と言われてしまいました。

 このブログ上にて今回の書き込みが実に何と「300回」目の書き込みだったのです。
 正直な所、わかってははいたのですが、「怠惰」「草臥れ」プラス書き込みに対する中傷とは呼べないまでも、いささか私の繊細にして小さなハート(そうなんです)には「止めてよ」と言いたきコメントがありました。ほっとけばいいのですが、どうにも面倒になりました。
 とはいえ、今日現在、それでも毎日30~40人近くの閲覧者が現在も続いております。

 「丸い形の柏餅は柏餅ではない」とか、「藤原実方と清少納言」等の書き込み、山口、開高先生に関するブログの閲覧者数は半端ではない数の方が覗いてくれております。
 ここに書いたタイトルで検索すると必ずトップに近い場所で登場して来ます。例えば「悠々として急げ」で検索してみてください。
 
 結果として、こんなあほなおっちゃんのブログ閲覧者が10万人を間もなく超えそうなところまで来ました。

 実は更に、「かのこ庵」は現在地にて営業が32周年になります。
 2年前にチラシでも入れて・・。とも思ったのですが当時は市内での量販店さんとの取引も拡大する一方でしてそれどころではありませんでした。これもブログ中断の一因でもありましたが。

 情けないばっかりの新たな書き込みですが、又、再開します。

 斯様な次第にて、「おかげさまで『かのこ庵・開店30周年記念』」として静かに騒がずいつもの御贔屓のお客様に、というか一千円以上お買い上げのお客様に記念品を差し上げています。

 冷たいお茶もご用意してます。ご来店のほど。

 書きたいことも、写真も沢山あるのですけれど、
そして次回は何時になるか分かりませんが、少しだけご期待ください。

 永き事にわたって書き込みの滞り、陳謝いたします。