2014年6月23日月曜日

「寿屋コピーライター 開高健」坪松博之

  6月11日(水)に那須高原の地ビールを楽しんできました。
 親友にして何とも感性が合うご仁が那須に住まいを構えております。そのS氏と那須塩原駅にて待ち合わせ、旧交を温めさせていただきました。私はいい気持ちで隣に乗っているだけでしたが、S氏には迷惑な訪問客ではなかったかと、こちらの都合に合わせてくれた温情に深くお詫びするとともに、感謝、感謝の一日でした。
ご自宅までお邪魔してしまい奥様にもお世話になってしまいました。持つべきものは良き友達、とはいえ甘えすぎでした。でもやっと見つけたフリーな時間を心から楽しませてもらいました。
 ビールも美味しかったことは言うまでもありませんが、恐らく知らない人が多いと思われる「駒止の滝」を案内していただきました。新緑の中その絶景に圧倒されます。観瀑台からの眺めはマイナスイオンたっぷりの中、素晴らしいものがあります。その観瀑台から歩いて山道をたどると「北温泉」なるものが存在してるのですが、次回の楽しみにとっておきましょう。紅葉の季節の行き先が確定いたしました。
 Sご夫妻にこのブログ上にて改めて御礼申し上げます。
 

 ところでビール工場内レストランでの女性はS氏の奥様ではございません。私が勝手に気に入ってしまったビヤサーバーのマダムです。

 


 「壽屋コピーライター 開高健」を二回読み返しました。今や世界のサントリーですが、草創期は壽屋という社名でして、その宣伝部の余りに傑出した人物群に焦点を当てた大作です。著者の坪松さんとは4~5回お逢いしてます。一度目は直木賞作家の山口瞳と関頑亭の両先生が栃木市を訪れて下さった時です。栃木市には「梓の森、サントリー栃木工場」がございまして、先導役を務めていただきました。その工場にて、発売されたばかりだった「白州」を堪能させてもらいました。
 二度目は山口先生のお通夜と、告別式当日でした。そして「山の上ホテル」での先生を偲ぶ会にて歓談いたしました。その時に出た飲み物が「白州」だけであったのはうれしい思い出です。

 又、坪松様とは当方のアホな要求をお聞きいただきたく、当時、本社の営業部におけるトップという立場でしたが、直接電話にてお話を聞いていただきました。結果は「それは無理ですね」と断られましたが、考えてみれば無理な話でした。ここではその内容を書くことは致しませんが、いいアイデアではなかったかと今でも思ってはいるのですが。

 坪松様は「サントリークォータリー」の編集部に在籍しておりましたが、当時はすでに嘱託になっておりました開高健、山口瞳両先生のボデーガード役というか、なにかにつけては両者と行動を共にする役回りでした。開高先生からは「モテ松ちゃん」と、山口先生からは「坪やん」と呼ばれており先生の作中にも何度も登場します。

 それにしましても、芥川賞作家や直木賞作家などを輩出してきたサントリーなる会社の創業者、鳥居新次郎、そしてこの磐石なる会社にならしめた佐治敬三の情熱や、社員に対する眼力と実行力には両作家の手による「やってみなはれ、みとくんなはれ」といういわばサントリー創成期からの社史があります。そちらにてかなり承知はしていたのですが、広報部員としての、そして現在「開高健記念会理事」という要職におられる坪松様の眼前での出来事の詳細には新たな感銘を覚えさせられました。458頁の大作ですが、もう一度読み直したくなります。
 「やってみなはれ」の根底にある社員への信頼感とそれに裏打ちされ、次々と乗り越えてきたブレーンの優秀さ。今更、私には遅すぎますが素直に頭が下がります。
 
 そして両先生の作品の裏に籠められし想いや思い出の数々、その作品のエッセンスの抽出。又更に、懐かしい新聞やTVCMの写真や裏話等、キリがありませんがサントリーへの親愛なるものを増幅させてくれております。
 是非ご一読をとお薦め申し上げます。
 

 忙しさにも少し慣れてきましたか。
 林望先生のブログhttp://rymbow08.blogspot.jp/も結構滞っておられますが、写真付きの面白いコーナーです。それらこれ等を垣間見る時間が出来てきたようです。短くとも、書き込みをこまめに再開していく予定です。



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