お店の前のプランターの「さしも草」が順調に成長しています。時折、風の冷たさを未だ実感いたしますけれど、それでもやっと春本番というところですか。このプランターのさしも草は1m程にしか成長しませんが、吹上町で育成されています物は2m近くにまで育ちます。前回のカキコミで一昨年のさしも草の写真を掲載いたしましたが近くの土手やあぜ道に自生する蓬とさしも草の違いはお分かりいただけたでしょうか。 摘みごろになったさしも草は葉先の細い7つ裂きの形状をしています。昔は食用というよりも、艾(もぐさ)としてその薬効が広く知られ、流通していたとの記録が残っています。
しかし、艾と言われてもご存じない方も現代では多いと思います。私も、もうしばらく実物を拝見しておりません。
艾とは、このさしも草を乾燥させ細かく刻み、小さく丸めたりした物の呼称です。この艾を身体のつぼに乗せ、火をつけます。昔々に経験がありますが、その薬効よりも、いやあ熱かった事、熱かった事。どの程度に効果があったかは忘れましたが、現代ではもっと素晴らしい医薬品が氾濫してますのでなんとも分かりません。消滅しかかっているとも思いますが、でも、鍼灸師さんの世界では未だに通用しているはずです。艾に関連してもう少し、さしも草について書こうと思っていたのですが、外の雰囲気がどうも気になります。あちこちでたくさんの草花が咲き出しています。
敬愛し私淑する、故 山口瞳先生の作品に「人生論手帳」というご本がございます。少し長くなりますが引用します。
「・・・で、私は歌いつづけた。
『橘香る朝風に、高く泳ぐや、鯉のぼり』
私は五月人形というものが好きではない。桃太郎も鐘馗様も安っぽい。三月の雛人形にはかなわない。やっぱり人形は女の児のものだろう。鯉の吹流しはいい。あれは実にいい。さっぱりとして、勇壮で、馬鹿馬鹿しい。無意味で、美しい。私は鯉のぼりの無意味には、意味があるはずだと思っている。」
この時期、店内に上記の文章を貼り出しておきます。
漸く風薫る季節です。しかし一ヶ月前までは大方のお客様が「草餅」「草餅」と仰っていましたのが、時には今でもおりますが「かしわ餅」となりました。
『敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花』
国学者本居宣長の和歌ですが、日本に生まれ、又、この桜の季節を迎えることが出来た幸せをありがたく思います。
今夕5時から、「物造り空間工房」の打ち合わせ会がございます。
6月8~10日の予定ですが、前回より、規模やその内容がだんだん大げさになってまいりました。無事に乗り切れるでしょうか。いささか不安になってまいりました。しかし、もう後戻りは出来ません。こうなっては「乞う ご期待」と申す他ございませんようです。
お店の駐車場やご近所の春景色でございます。
時々、無断で撮影しておりますが
お許しください。
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