2014年5月27日火曜日

「夕顔の恋」 林 望

 爽やかな風を感じることが時折ございます。何といっても初夏ですか。お店は一段落となりましたが、相変わらず、市内の量販店4店をフォローしてます。五月のG/W明けに若い社員が一名、寿退社いたしまして、その不足分をアルバイト2名で何とかやりくりしている、という現状でして楽させていただけません。
 6月早々には少しこの業界になれたパートが1名入社の予定です。いくらか楽をさせてもらえるかと、期待してます。
 それにしても「そんなに稼いでどうするんだ」の声も聞こえてますこと承知してます。ただ単に向上心からの働きぶりではなく、やむを得ない、しがらみもあっての現状ということです。体が動くうちは一所懸命働きます。


 そんな中、リンボー先生の著書「夕顔の恋」をなるほどなーの思いで読了しました。渡辺淳一先生の作品は殆ど読んだことがありませんでしたが、老いらくの恋が、叶うならチャレンジもして見たくなりますが、この忙しさと、齢でございます。昔の事を振り返って、「アーあの時こうしていれば、あれはこうもなったかなー」なんて未練な夢を見たりしてます。

 「じっさい、夕顔という人は、源氏から見ればどこまでも『ろうたし』という感じのする女であった。
 このラウタシという形容詞は、『労いたし』というのが縮約してできたものと考えられているのだが、つまりは、なにかこう放っておけない、いつも目をかけてやりたい、労わってやりたいと思わせるような健気な可愛らしさと弱さをもった人の形容なのである。」
 エピローグには「従順でどこまでも優しく、男を責めない女、子供っぽい甘えと男を夢中にさせる性愛の爛熟、つまりは成熟した肉体と世慣れぬ心の矛盾を内在させた女、夕顔はそういう女であった。」と絶賛してますが、先生も現実には、斯くの如き女性を見出すことはかなり難しいかなとお思いのようです。

 女性の理想形としての夕顔という存在を知ってしまった私には、半端な恋はできそうもなくなりました。(何を書いているんだか)
 
 それにしても、本文中に、本文とはとは関係なく現代の若き女性の写真が出てまいります。先生の遊び心ということでしょうか。


 実は、今日は朝の内だけ仕事をしまして、私が役員をしております、ある業者の集まりにおける年一回の親睦旅行が午後から、一泊でございます。代表幹事みたいな役回りでして、欠席できません。これ幸いと午後からしばらくぶりの温泉行でございます。後の事は何も考えず、一先ず出掛けてしまうこととしました。好い出逢いでもあることを期待しますか。かなり望み薄でございますが。
後日譚をかすかに期待してください。


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