しばらくぶりの書き込みです。すみません。それでもお読みいただいている方がすでに4万人を突破しました。
随分とあちらこちらと酔狂にも、色々な事を書いてきました。
全く幅は広いが、全て中途半端で浅い書き込みばかりだと反省してます。
4月の〔草臥〕というタイトルの書き込みで種田山頭火の作品を二句ほどご紹介しました。何故か、ずーっと気になっていたのです。山口瞳先生の「小鰯も鯵も一ㇳ鹽時雨かな」の「時雨」は上手な使い方だなーと思っておりました。でももっと「時雨」を読み込んだ俳句を山頭火は詠い読み込んでいたはずだ、と。
無二の友として岡山県出身の大山澄太先生が残した「山頭火の道」という表題の本を書棚から探し出し、読み直しました。まるで古本屋から買い求めてきたような状態の本です。山頭火の流転、そして行乞、漂泊、草庵住まいの生涯を一冊の本にまとめてくれておりました。
山頭火は亡母47回忌において
「ほんたうの人間は行きつまる
行きつまったところに
新しい世界がひらける
なげくな、さわぐな、おぼるるな」
と、日記に書き残しています。
昨今の私はあまりにもジタバタ、ドタバタのし過ぎですね。
人それぞれにいろいろな生き方があるのでしょうが、私をよく知る身内の長男から言われました。「今の仕事三昧も結局はおじさんのライフワークなのではないですか」と。嫌いでは出来ないでしょうが、好きでもないのですがねー。やりたいことや、趣味の多さでは自信があるのですけれど、仕事だけの日々ですね。
「時雨」を詠みこんだ山頭火の作品を紹介します。
・しぐるるや死なないでいる
・しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
・しぐるる土をふみしめてゆく
・うしろすがたのしぐれてゆくか
・右近の橘の実のしぐるるや
・おとはしぐれか
・しぐるる夜のしんみり考えること
・しぐるるや道は一すじ
きりがないですね。まだまだ「時雨」の作は有るのですが。
ではその他の私が気に入っている俳句をいくつか…。
・松はみな枝垂れて南無観世音
・あざみあざやかなあさのあめあがり
・酔えばやたらに人恋しい星がまたたいている
・どうしようもないわたしが歩いている
・分け入っても分け入っても青い山
又、日記の中で
「山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆうべもよろし」
五月の節句以降、お店はヒマになりましたが、中々にまとまった時間が取れません。鉄鉢をもち、足を棒にしての行乞。あんこ片手にまんじゅう作りの私。もう少しの間、まさに一所懸命でございます。
交差点にあるご近所の東屋の手前に道標が出来ました。ご自宅(?)の庭の中にです。下の写真はかのこ庵の隣のファミリーマートにて、栃木のサッカーチーム応援のためそのユニホームを着用している名物おなじみコンビのお二人です。共に驚かせてくれてます。
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