2014年7月28日月曜日

「寿屋のコピーライター 開高健」坪松博之 (その2)

 うんざりする猛暑日の続く日々ですが、私めにとりましては誠に快事とでもいえる嬉しい出来事がございました。表題に関してのブログの書き込みを、作者であられる坪松様がご覧になっておられました。
 礼状(いただけるほどの事をした積りはございませんでしたが)かたがた、二冊も坪松様が寄稿なさっているご本を頂戴しました。当然、開高健、山口瞳両先生に関するものでして、殆ど全作品を所持していたつもりですが、欠落しておりました垂涎の本でございます。

 前回も書きましたが坪松様はサントリークオータリーの編集に携わっておりました時期がございました。開高先生存命中は先生の、その後は山口先生の担当編集者としていつも行動を共になさっていた(幸せな方だなあ)方です。一冊は茅ヶ崎市美術館発行(2010年11月発刊)の「生誕80周年 開高健 いくつもの肖像  開高健とトリスな時代 ~人間らしくやりたいナ」という記念本です。表紙は開高先生の娘さん道子さまがお描きになった開高健像です。

 そして、昭和史にその名を残したサンアド時代のスタッフのスナップです。仕事半分の中での事かもしれませんが、角瓶のストレートを手にしています。
 隣のページからは同じく茅ヶ崎在住であった画家であり、大阪時代からの盟友でもある山崎隆雄さまとの合作の作品が続きます。14点もの作品が一度に発見され所蔵者の好意で公開されたものです。
 

 こちらの写真は1988年ロンドンにおけるCMロケからの一枚です。(嗚呼… 決まってますね。)

 



 2冊目は「小説新潮臨時増刊 山口瞳特集号」です。
 この表紙と、本文中における坪松様がお書きになったページの一部をご紹介させていただきました。
 この特集号のラストには「山口瞳『最後の日記』」からとして「どうやって死んでいったらいいのだろう」がございます。奥様治子様の日記も交え、坪松様がしばしば登場してまいります。
 先生の「私は病院の悪口は言わない」はともかくとして、ご臨終までの先生のまさに苦痛の連続は、鼻の奥がきな臭く、又、当方の胸がつぶれそうな思いがこみ上げてきます。


 それにしましても、このお二人にはあと十数年は最低でもご活躍をお願いしたかった、と、つくづく感じさせられます。

 私事ながら、このブログ上にて改めて、坪松様のご厚情に御礼申し上げます。

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