2016年6月1日水曜日

「ジャック・ルーシエ」(Play Bach Trio)

 キイボードをたたきながら、このパソコンのBGMとして「ジャック・ルーシエ」のバッハ演奏を聴いています。便利な世の中です。
 洗練されたフレンチジャズ、イージーリスニングとしての何とも言えないクラシックジャズの真髄が心を癒し、楽しませてくれます。  
 
 例えば「ジュニア・マンス」や「セロニアス・モンク」も大好きですが彼らにはない、例えば「ビル・エバンス」や「デーブ・ブルーベック」等の白人ピアニストに共通の都会派的なジャズに少し近いものを感じます。クラシック音楽にして、見事にジャズに変換しているこれらの作品群には、明らかにアメリカ的ではない滑らかな、つまり流麗な感性を感じます。
 このトリオのコンサートが大聖堂、つまり教会にて開かれたりしています(ユーチューブで直ぐに見つかります)が、何ともその場にふさわしく、又、聴衆の反応の良さや、感動が伝わってきます。 

 違和感がないのは曲目の殆どが「ヨハン・セバスチャン・バッハ」を原曲としているからでしょうか。


 彼のトリオは3回、メンバーの交代をしていますが、1998年に結成された現在の構成が、主にユーチューブで拝見出来ます。 
 「ジャック・ルーシエ」本人は81歳の現役プレーヤーですが、パリの高等音楽院に16歳で入学し首席で卒業してます。しかし何をもってしてバッハに傾倒し、その表現スタイルとしてジャズに傾倒していったのかまでは解りません。ただその、のめり込み様が曲を聞くことだけで理解出来るような気がします。

 その彼が当然の如く(?)「バッハの『ゴルドベルグ変奏曲』」をも見事にアレンジしていながら、「グレングールド」に引けを取らない演奏をしています。バッハへの傾倒とその深い理解なくして、そしてテクニックが無ければレコーディングできない曲目と言えます。 
 グレングールドとジャックルーシエの違いは、私がここに書くのは憚れそうですですが、あえて書きます。

 二人のゴルドベルグ変奏曲を比較するなら、グールドはクラシックピアノソロとして聴き惚れ、そのバッハの世界の深淵を覗くかの如きです。ルーシエの場合は聴き惚れるというよりも、バッハの世界を軽やかな謂わばパラグライダーにて、風音(曲目)を体全体で感じながら、浮遊させられている、ということですか。

 ところで、ルーシエトリオのベーシストです。5弦のベースを駆使し、見事にルーシエを助けつつ、彼のソロには驚愕と同時に圧倒されるものを感じます。実にいいのですね。
 風貌は映画の「トランスポーター」で実に格好良く演じているご存知の「ジェイソン・ステーサム」によく似ています。名前は長いのですが「ベノワ・ドュノワイエ・セゴンザック」といいます。どちらかといえばステーサムを失礼ながら理知的にした、と表現してはいけないかな。

 もう少し書きたいのですが、時間です。又、もう少し書きます。
 しつこいのです、私って奴は。

 しつこい、ついでですが、実は平安時代物というか藤原実方に関し、新たな論文が見つかりました、昨年末の事ですが。

 和洋女子短期大学にて教授をなさっている安藤享子様が、「実方説話生成考」として発表しています。近いうちに、又しても1千年前に遡って書き込みします。
 実方の陸奥下向に関する論文とあっては、無視できません。

 それにしても本当に歳ですね。身体の故障の回復が、実に遅くなってきているのを実感しています。未だにシップから解放されないのです。
 こればっかりは、時は逆回りをしてくれないですからねー。

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