2014年1月17日金曜日

林望「往生の物語」

 リンボウ先生こと、林望様の作品を続けて読んでいます。
 古典物を中心に。その古典物を味わう楽しみ方を随分とお教え下さいました。私にとって未知の分野でもある「方丈記」や、「平家物語」の面白さ、読みどころ、味わい深いところを詳述しております。
 「平家物語」が戦記物語とばかり思っておりました私には、目から鱗の、さらに、「方丈記」においては、爺様のお坊さんの手による堅苦しい作品かと思っておりました。つまり、学校では教えてくれない本当の着眼点がよくわかりました。だから、現代にも、つまり私個人にも通用する、人間の諸相をこの歳にて知恵を授かったような気がします。更に書くなら、励まされてもいるかなと感じます。

 「平家物語」における主要な登場人物の、それぞれの死にざまを味わい深い表現で、しかもわかりやすく解説してくれた『往生の物語』。いつ往生したとしても不思議ない歳でございます。
 西方浄土にお導き頂けるか、それともお前は懺悔の気持ちが薄い、として地獄に行かされるのかわかりませんが、そんなことを踏まえて、逆にいかに生きるべきか、教えられます。残された人生を。
 ただし、リンボー先生が本書のあとがき「書のしるえに付す」にてお書きになっています。又しても長くなりますがすみません、引用いたします。
 「恥ずかしながら、私自身、これまでもう何度も通読したにも拘わらず、滅びゆく平家群像のうちの人々の、その一人一人の細かな相貌や人柄までは、ついぞ見えていなかった気がする。」 
 そして「個々の人物に腑分けして、(中略)その『死』を意識しつつ読み直してみると、何ということだ、今まで自分は一体何を読んでいたのだろうかと呆れざるを得なかった。
 ともかく、今まで馬鹿殿だとばかり思ってきた宗盛が、・・いや馬鹿殿であることは間違いないのだが・・・、じつは小心で非常に平凡な、しかし無類に家族思いの人間的な男であったことが解されたのなど、その好箇の一例である。日常の生活のなかでは見えていなかった宗盛の人間臭さが、死というのっぴきならない『非常』の時を目前にして初めてわかりやすい形であらわれていたということである。げに、死は生を映す鏡なのである。(中略)
 思えば、この物語は、大きく見れば『平家一門』が全体として死んでいく話であった。その圧倒的な流れのなかに(中略)その死は、驚くほど多様で、ハッとするほどの個性とともにえ描き分けられている。みなとりどりに個性的に死ぬのである。(中略)いずれは死ななければならないということは、平家の公達も現代の私たちも全く変わるところがない。生きての未来はまったく不確定で、その命がいつ終わるのか誰にも図りがたい。その死がやってくるということだけは、絶対の確定的未来である。(中略)だから『平家物語』をば、我々の生活とは無縁の『昔のお話』だと思って下さるな。私たちは、重衡の哀しみや、維盛の未練、あるいは、教経の自暴自棄、宗盛の惰弱、それらをみな我が事として胸中に思い浮かべることができる」。

 更にリンボー先生著による「恋の歌、恋の物語(日本古典を読む楽しみ)」にも「平家物語」は「もののあわれ」の物語であるとして、日本語の美しさを追求しつつ、哀れ深い情話を綴っている、と書いています。
 本書の中では、「万葉集」、「古事記」、「伊勢物語」、「源氏物語」、「平家物語」を料理しておりますが、あとがき(好んであとがきを重視しているわけではないのですが…)にて「徒然草」にかなりのページを割いております。原文ではなく先生の訳文を紹介します。「なにごとにも優れているとしても『色好み』でない男は、ものたりない・・・。(中略)夜露や霜にぐちゃぐちゃになるほどあちこちと女のところへ通って、親の意見も、世間の非難もなんのその、ああでもないか、こうでもないかと、ただもう恋の煩悶に心乱れて、それでもまた結局ひとり寝をかこったりしつつ、恋しさ、さびしさに寝られぬ夜を過ごすなんてのは趣がある。
 そうはいっても、まったくの色狂い一方ではなくて、ああ、あの方はご立派な方だと女たちから安からず思われるなんてのが、男の理想というものだ。」
 「世の人心を惑わすものは、『色欲』である。」

 なんてことを、すでに出家している兼好法師は書き残したわけです。先生曰く「兼好自身の若い時分のありようであったろうか。いかに世を捨て、仏道に帰依したところで、そういう色の惑いばかりは、消えやしないよ、と内心自得しているのであろうと思われる。」

 
 最後に私の(?)清少納言を「隅に置けぬ、とはこのことである。もうかなりの年増であったろう少納言が、こともあろうに・・・。(中略)老いも若きも、昔も今も、男も女も、高きも低きも、そんなことは何も関係がない。みな、男は女が恋しく、女は男が好きで仕方がない。いやむしろそんなふうに男と女が互いの足らざるを補い、よく和し、またはその違い故に恨み言を言い合ったりしつつも惹かれあって、それをこうやって正直に赤裸々に書いてきたのが日本の古典文学なのだ。」「世界的に見てももっとも豊かな古典を持つこの国に生まれて、その片端も読まずに死ぬるのは、いかにも心残りだ、と思うからである」。と締めくくっています。
 

 引用が長すぎて、書き込む時間が無くなりました。
 大手量販店さんとの取引も来週から始まります。それでも、何とか合間を見つけてはリンボー先生の作品をご紹介したいと考えてます。中途半端ですが、本日はここまでです。
  

 


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