2012年12月16日日曜日

「女の庭」花房観音

 のっけから訂正をする失礼をお許しください。次のアンダーラインのカキコミは間違いでした。このブログをご覧くださる方からご指摘をいただきました。花房観音様とはどなたか分からないのですがペンネームのようでして、村山由佳様はこのご本の帯に推薦文をお書きになっておられる、ということです。ご訂正のコメントありがとうございました。いつから「花房観音」と著者名を変えたのか存じませんでしたが、今回出版された「女の庭」からかと思います。
 彼女のホームページでは、この著書より前の新刊には村山由佳とあります。次の画像や彼女の写真は、彼女のブログからご紹介させていただいております。いけないことです、ということでしたら即削除いたします。ところで彼女の著者紹介では、現在「バスガイドを務める」とあります。本当でしたら京都観光の旅案内が彼女であったなら、と考えただけでワクワクしてしまいそうです。
 それにしても彼女の愛読者は女性、あるいは男性の読者どちらが多いのでしょうか。かなり女性の方のブログに対するカキコミが多く見られますが。
 ところで今回の「女の庭」ですが、正直なところ私にはよく理解できませんでした。三十半ばの五人の熟女が登場します。それぞれに個性豊かに(セックス面で)描かれておりますが、破廉恥というか、変態というか、実によくお濡れあそばす方たちばかりでした。さほど経験が少ないとも思わない私(?)ですが、この歳ですから、今から「ああ、こういうテクニックを使うともっと喜ばれたのかな」とは遅すぎですか。
村山由佳様です。
 しかし、あえてふしだらとは申しませんが、この年代の女性すべてがこの五人の女性のいずれかに分類されるとも思いません。貞淑な方も、貞淑でありながらも願望としてその手の傾向を持っておられる方もおるかもしれませんが、すべてを当てはめるのにはためらわれます。というか、そこまではまだ日本人、特に女性の倫理観が底なしになっているとは考えたくない、というのが本音です。
 これは小説の世界の話ですよね。
 それでも次の表現には、勉強させられました。
 京都を評して『・・変わらない街じゃない、ここ。すごい勢いで世の中って変化して行って、それを進化というのかもしれないし、その勢いを目の当たりにしてたら、それについていけないと駄目なような気がしてしまうんだけど、でもこの変わらない街、時間の流れが止まっている街にいたら、自分自身も変わらなくていいんじゃないかって思える。(中略)
世の中の流れに乗れなくても、成長なんてしなくってもって』。そして『人間は欲望に正直になるほど、引き裂かれていく。道徳とか倫理なんてもんは、欲望を抑えるために存在するんや。欲望のままに人間が動いたら秩序なんて無くなる。けど、それでも、突き動かされるものがあるから、秩序を保つために、そとずらってもんが必要になる』。
 わかっておいでです。その一方で登場する女性には『男と寝ること。それ以上楽しいことを、私は知らない』、とも。
 ところで、この作品の中では主人公的な立場となる「井野翠」なる女性の仕事場が京都は東山区の泉湧寺の近く、という設定になっております。この東山南方にあります「泉湧寺」付近は昔は「月の輪」と呼ばれた地でもあります。
 そして「泉湧寺」は「清少納言」が晩年隠棲したと伝えられる「月の輪」と呼ばれた場所でもあり、境内には彼女の大きな歌碑が建てられております。未だかつて訪れた事のない旧跡ですが、瀬戸内寂聴様の「月の輪草子」のタイトルはこちらから採られております。近くには一条天皇の寵愛を受けた定子の鳥辺野御陵があるところです。
 もし、お金と時間があったとしますと明確に訪ねたき場所が出来てしまいました。
 しかし、これ以上は書きません。ただただ是非お読みください。と、申し上げます。

 話題は変わりますが、高橋睦郎様の「季をひろう」に「ヤドリギ」が紹介されておりました。欧米ではクリスマス用に花市場に出回る十二月の大事な植物だそうです。そしてなによりもヤドリギ自体、生命力にあふれる植物だということです。『小鳥が啄(ついば)んだとき嘴(くちばし)に付着し、運ばれて小鳥の止まった木を宿主として枝などに根を下ろし発芽する』。  
 実は我が家の前の大木は、殆ど枯葉さえなくなった状態ですが、やたらとヤドリギが目立っています。そのヤドリギの緑が目を引いています。ケルト民族の聖なる植物であった、の記述には少々驚きました。どちらかというと「あまり見場のいいものではないな」の印象が強すぎたようです。思いを新たにしました。
今朝の巴波川(うずまがわ)、瀬戸川原公園の冬景色です。

 
 正月用の商品作りが始まりました。上生菓子は少し休みとなります。ご承知ください。
 

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