勿論、「後朝はかくあるべし」とまではっきりとは表現しておりませんが、そのようなことを複数回にわたって書き残しています。彼女が明らかにその経験上感じたことを書いているわけですが、あの時代にあっては、それを咎めることは不要というか、当たり前の事、逆に良くモテたのだなーと感心すべき事柄かもしれません。
そこで(私としては今更遅いのですが)女性の側から見た男の何のあとの別れ際の立ち居振る舞い等に、清少納言様からご指導をお受けしてみます。平安の王朝文化の中でも、現代のせわしない世の中でも男と女の営み、恋することのそれ等は「をかし(あじわいがあるものです)」と書いています。
しかしこんなことを書き込みする私はアホなおっちゃんでなく、色ボケおっちゃんでしょうか。でも「枕草子」を深読みしていましたら気づいてしまったのです。清少納言のお相手が誰であるかは特定できませんが、実方の名前も登場します。年下の藤原行成との会話も出てきます。他の女房たちには行成はあまり評判が宜しくないようですが、彼女とは知的会話が成立するのでしょう。官位も高い行成を姉さん女房のごとく付き合っています。
菊池容斎・画 清少納言 |
前置きが長くなりました。興味のない方にはお詫び申し上げます。
源氏物語絵巻より |
又、別な段では、忍び逢う男女の後朝の夏と冬はそれぞれに異なる趣があって、どちらも(細かく理由を書いてはいます)「おかしけれ(味わいがある)」と。
さらに、二百五十段に「あるが中によからむをこそは、選りて想ひたまはめ。及ぶまじからむ際をだに、『めでたし』と思はむを、死ぬばかりも想ひかかれかし。」(よさそうな女を見つけたら手の届きそうもない女であっても、命を賭けてでも恋して掛かりなさい)と、現代の草食系の男性には出来そうもない事を書いております。
それにしても、本日は晴れてはいたのですが、実に冷たい風が吹いております。師走でございます。お店も忙しくなってまいりました。多少、カキコミが滞るかもしれませんがご承知ください。
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