2013年2月10日日曜日

「権記」私的にこれが最後から二番目の巻。

 「権記」の中で随分と多くの事柄を学ばせていただきました。かといってどこまで理解したのかと言われますと、素直に先ずは謝ってしまいます。何しろ未だ全巻読了しておりませんし、正直、読み物、つまり物語ではありません。面白い感情表現が随所に、なんてことは極めて少なく、眠くなるような学習参考書です。私めには。

行成筆、「白紙詩巻」
 残せし藤原行成の謹直にして、誠実な、何よりも家系温存のため、そして最大の彼の、私が想像するところの自身の感情を抑えた職掌への忠誠心。
 数回前に清少納言を評しまして、自らの知性を、何故こうまで小さく評価するのか、というシャイな女性、と書きました。枕草子で幾たびも彼女の知性あふれる回顧談が登場しますが、赤面しつつ書き残してきたと、それらについては推察するのです。
 行成が今風にいうなら「イケメン」であったかどうかは全くわかりません。では清少納言はどうであったか。彼女曰く、ちぢれ髪の(当時としては)不細工な女よ、と書き残しています。でも、お似合いの二人であったかもしれません。役職上は比較にならない程の高い地位に上った行成と、単に中宮定子との取次役であった少納言。それでいながら、なんでもわかっているお姉様的、清少納言。行成には奥様がおりました。でも、甘えられる存在の、そして何よりも知的会話、その空間を一条天皇、中宮定子との中で仕事を絡めて往還できた充実感。十分に理解できます。
 ただし二人の間に数回の後朝(きぬぎぬ)があったとしても、熱愛の間柄(その時期はともかく)であったとは思えないのです。少なからずたくさんの交友、というより情愛を傾けた相手は共に、数人ではないかもしれません。
 何とも、男女間の関係がここまであってよいのかと思える時代であったことは事実です。かといって、少なからず行成は実直なタイプの人間ではないでしょうか。浮名を流す、そして貴公子と呼ばれる人物とも思えません。
 「枕草子、第四十六段」に行成と清少納言との親密な空間を感じさせてくれる話が出てまいります。なかなかに面白い会話が紹介されています。又、第六段には「頭弁(とうのべん)」として行成が、犬を飾り立てる、という風流人として紹介されておりますが。
清少納言の絹製ハンカチです。

 どうも、清少納言お姉様も結構出入りの多い方だったようでございます。彼女は二度結婚をしておりますがその間に宮中に出仕しておりました時期がなんとも色々とございましたようです。彼女については藤原実方との件も含めて、じっくりと書いてまいるつもりです。

 「権記」でございました。
 行成については随分と書いてきたつもりですので、今回は藤原実方に関わる箇所だけを拾い読みさせていただき、実方に焦点を移してまいりたいと考えています。清少納言の方が先になるかもしれませんが・・・。
 
 正歴四年(993)二月二十八日の行成の日記に初めて実方が登場します。一条天皇の御前にて、前方(まえかた)、後方(うしろかた)共に二十一名の弓の射手が腕を競う話ですが、後方の先頭に実方の名前が出てきますことは、以前にご紹介いたしました。
 次に、同年四月十五日に「一条天皇は紫宸殿に出御され、祭使の飾馬を、覧られた。大納言伊周卿が天皇の御前に伺候した。『左少将(源)明理(あきまさ)と右中将(藤原)実方が出居を勤めた』ということだ。」と。
 翌、正歴五年一月三日に
 「今日、天皇は東三条院(藤原詮子)〈兼家次女、一条天皇の生母。寛和二年、一条天皇即位に伴い皇太后となる。正歴二年、落飾。東三条院の称号を下賜。天皇と道長との調停役として、更には道長の政権掌握に多大な役割を果たす。以上私の解釈〉の許(土御門院におられる)に行幸された。先例では、御輿が承明門を出る際に、近衛府の将が大舎人を召す。ところが今日は、右中将(藤原)実方朝臣は、未だ門を出ていないのに大舎人を召した。誤りであろうか。」と疑問を呈しております。ま、行成とはもともと肌が合わない、タイプが全く異なる二人であったことは事実のようです。片や謹直にして能筆という文治派、実方は文武両道にして舞上手のどちらかといえば、いささか無頼派的イケメンの貴公子。
 ウマが合うわけございません。

 そして実方、天皇から陸奥国司として赴任、云々の話となりますが、長くなりました。そしてこのことはもっと長くなりそうです。疲れますね、次回でございます。

 私事ですが、十二月某日、家内の、そしてXmas。一月早々には娘の、同月末、孫の、今月早々私めの誕生日と続きまして、和菓子屋らしくない夜が、つまりデコ・ケーキの冬でございます。例年乍ら、嬉しくも無き歳を重ねてきました。

一面真っ白ですが、お届けの時に見えた大平山です。
 ところで、いつからでしょうか、是程までに恵方を気にする日本人になったのは。そりゃ昔は、吉凶の方角や、方違えと称してわざわざ遠回りをして出かけた、なんて時代もありましたが。バレンタインにしても、少なくとも30年前頃には
なかった風習ですけど、世の中が平和な証拠、と傍観することにしてます。
 しかし寒い日が続いております。インフルエンザなる輩たちが繁盛しているそうです。くれぐれも皆様、ご自愛ください。

我が家の眼前にある八重の桜ですが、枝先に赤い芽が出てきておりますことわかりますか?

 

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