2013年2月8日金曜日

嗚呼、中国。悠久なる歴史のその先で

 めっちゃ複雑なる一見便利な道具は、私にとっては些細な事でいかれてしまうものなんだとしみじみ実感しております。こんなちっぽけなパソコンで、世界がすべて見えてしまう、とは事実でありながら、それが如何に脆弱なるものであるかという事も、今更ながら思い知らされます。
 そりゃあコーヒーをこぼした私が馬鹿です。
 感知しないキーが出てきまして、教えられて別売のキイボードだけが、販売されておりますのを購入しました。安いのは500円程度から買えます。しかし、とりあえずはどうにか通常通りに作動させてはいますが、いつアウトになるか判断が付きません(家電量販店のそのコーナーの担当者がおっしゃることですが)。
 新規の一台がセブンからエイトになりました。これがまたもや誠に厄介でして、このことにかかわっておりましたら椅子に座ったままで日が暮れてしまいそうです。
  
 

 一千年前の事に興味を覚え、深入りしすぎている己を充分承知してはおる積りですが、今回は少し話題を変えます。
 
 大和という国の原型、言語、国家の制度に多大なる影響と恩恵をあたえ続けてくれた中国。つまり、現在までの中国の歴史を充分に尊重しつつ、これから感じていることを書きます。憤りと怒りを込めて。
 映画で戦闘機どうしの戦いの場面などで、敵機を「ロックオン、発射準備OK」なんていうシーンがあります。つまり捕捉レーダーの中に閉じ込め成功、ということです。こうなったら最後、先ず逃れることは不可能になります。自衛隊員の話として「訓練でやられることはあったけど、実に気分の悪いものだ。」との記事がありました。
 そこで我々日本人として冷静に考えれば、これ以上の敵対感情は誠に危険だ、と思います。しかし、何とも気分の悪い状況下にあることも事実であり、日本人の寛容さがこうまでも試されているのか、と深い憂慮を覚えます。
 日本の原発に対する当事者たちの隠蔽体質、原子力村の悲しき依存。この問題も極めて深刻ですが、中国の現況認識には、新しい体制下での試練というにはあまりにも憤りを感じます。人権無視、贈収賄、公害の垂れ流し、北朝鮮のわがままに通底する我利の専横、と言わせていただきます。
 どうにもここは国民一人ひとりが、沈着なままでいながら、発信していくべき大切な時局になっているということを、あくまでも平和的な範疇での行動で示すべき時かと強く感じます。日本とは比較にならない悠久の歴史の中で、幾多の戦を経験してきたはずの国家として、恥ずかしくないのか、と言わせてもらいます。
 

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