それにしても何とも忙しい今年の九月でした。
月初めに一日休んだだけでございまして、我ながらこんなに働いた記憶がございません。お店は昨年並みでしたが、何しろ当方が忙しいときは量販店さんもお忙しいわけでして、其処の所が些か私の考えが甘かった、ということです。うっかり「特設コーナーを設けますから…」の話に乗ってしまい、よくここまで体力が持ったものだと、我ながら感心してます。その間にも色々と仕事以外の時間を取られることもあり、半分自分にあきれさせられつつ、褒めてもやりたくなります。その割に、儲かっているのかどうか心配もありますが…。
寝室に入り、ぐっすり眠りたいがために(いけないのですがね)「『実方集注釈』竹鼻續」先生の著書を少しづつ読み進める日々でした。ただし、同じページを何度か読み直したりしてましたが。
平成五年初版、日本古典文学界監修、貴重本刊行会の発行による、お足の事をいっては何ですが二万円近くもする本でございます。私が読むには、勿体ないご本です。
藤原実方の詠いし和歌を中心に、その背景、実方の人物像や、当時の諸相を書いております。誠に開眼させられることの多い著書でした。残暑の無かったかの如くいっぺんに秋も深まっていく感じですが、十月六日は十三夜でもございます。その辺にちなんだ実方の和歌を先ずはご紹介します。
「吹く風の 心も知らで 花薄 空に結べる 人や誰そも」
返し
「風のまに 誰結びけむ 花薄 上葉の露も 心おくらし」
仲の良かった命婦が、「ススキを結んだのは誰かしら、不風流な事をなさる方ね」と詠います。ススキを結んだのは風でススキがなぎ倒されないように、との配慮なのですが、和歌の世界が横溢していた時代です。風と薄の関係を知らなくてはなりません。それに対して実方が返歌をします。
「風の吹き止んでいる間に、誰が花薄を結んでしまったんだろうか。薄の上葉の露でさえも風に遠慮して置いているらしいのに」と
深養父集に「花薄風になびきて乱るるは結び起きてし露や置くらん」他、がございます。
親密な関係にあった内膳命婦が、「和歌における風と薄との関係を踏まえて詠み送ってきた歌に対して、実方の歌では風と薄と露の三者による複雑な関係にして、即座に詠み返しているところに、実方の才気がうかがわれる。」と評しています。
女に
「いつとなく時雨ふりぬるたもとにはめずらしげなき神無月かな」
対の御方の少納言ききて
「大空のしぐるるだにもかなしきにいかにながめてふる袂そは」
(いつということもなく常に時雨が降りかかったように涙に濡れている袂には、特に時雨の降る十月も、いつもと違った感じがしないことですよ。そして清少納言です。対の御方にお仕えしていた少納言がこの歌を聞いて。大空がしぐれるのさえ悲しいのに、いつも時雨に濡れているというあなたの袂は、どのように長雨の降るのをもの思いながら過ごした袂ですか。と)
実に簡略化して書いていますが、竹鼻先生は誠に微細に、そしてかなりの行数を要して、その前後の経緯や時代背景を解説なさっております。
この解説の終段に「そして、この贈答歌は清少納言が為光家の家女房に転じていた寛和二年の事実と思われるが、対の御方という前歴によって紹介しているのは、清少納言との交渉の事実を秘匿しようとしたためであるといわれている」
歌意もそうですが、当時の青年貴公子、実方があちらこちらの女性と懇意なる付き合いをしていたことも偲ばれます。
実はこの忙しい最中に、我が家では傷んできた屋根の改修工事がありました。平成のお金ばかりがかかる大修理となってしまいました。
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