
今回は「実方集原型甲本の形態と編纂意図 ―清少納言との関係―」との表題による仁尾雅信様の評論より「そうか、そういうことだったのか」という引用でございます。
「実方集」といっても伝本が沢山ございまして、「宮内庁書陵部蔵『実方中将集』」を中心とした甲本の伝本群と「群書類從所収の『実方朝臣集』」等の類従本の伝本群があります。
このような中で仁尾様は甲本の伝本を中心に清少納言と実方との関係を活写してくださいました。
少し、話を飛ばしてまいります。
実方の君の、陸奥国へ下るに
床も淵 ふちも瀬ならぬ なみだ川 そでのわたりは あらじとぞ思う
清少納言は実方の下向に同伴することを約束しながら、何らかの事情でそれが果たせなかった。・・・」
枕草子、最終章段
「まことにや、やがては下る」といひたる人に
思いだに かからぬ山の させも草 誰かいぶきの さとはつげしぞ
が、ございます。
実方の有名な和歌として小倉百人一首の第五十一番目(これは名誉ある順序なのです)には
また、人に、はじめてきこゑし
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしもしらじな 燃ゆる思ひを
そして、陸奥下向の前に「実方集」として清少納言に贈った、と思われるのです。
「思ひだに」の清少納言。「かくとだに」の実方。この類似性は否定し得るべくもありません。
仁尾様は「実方を彷彿とさせる実方ゆかりの歌で三巻本「枕草子」を完結させたのは、やはり、実方を偲ぶ思いがあったからであろう。そして、それは、実方から贈られた原型甲本が自分と交わした贈答歌を巻末に置き、また巻頭にも変わらざる思いを訴えた歌があり、実方の自分への恋心が窺え、清少納言もその実方の真意を理解し、その原型甲本に唱和しようとしたからではないか。」
「結び」として(前後は略しますが)「実方は、自分の不変恋を清少納言に訴えようとして、下向の折にこの原型甲本を編纂し贈ったのであろう。」「枕草子は(中略)最終章段に実方を彷彿とさせる歌を収録して完結させたと思われる。」とし、これらの考察は、実方の陸奥下向の理由を解明する一環としてのものとしております。
次回は実方没後の熊野の事、「実方院」、そして何故、歌枕としてだけでなく陸奥が問題なのかを書きます。
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