2015年2月2日月曜日

少しづつ・・・

 忙しさに変わりは無いのですが、このブログにおける私の重石が取れたようです。山口瞳先生に習い、日々の徒然を書くことにしましたが、しばらくお付き合いください。時代物や、現代作家群の書き込みは、少しづつ、もしかしたらまとめて書くかもしれませんが暫くはご容赦のほど。


 先週、何処の民放だったかわかりませんが、外国のいわゆるデパートの責任者が日本の「デパ地下」を取材した番組がございました。東京都内の有名デパートの地下にある食品街を中心に見聞録というしだいです。
 衛生面や、品揃え、盛り付け、デスプレー、してはいけないこと、接客マナー等々、私にも教えられることがございました。
 昨年から市内の大手量販店様へ納品が、それなりに順調にフォローできる態勢になってきている感じもしてます。その際、当然納品は業者の出入りする納入口からとなります。当初は「ウーム」と感じさせらせられるお店もございました。

 つまり店内は華やかにして綺麗に整頓されてはいるのですが、業界用語でいうなら「裏動線」が気になるのです。いやでも出入りしますので、商品の搬入口から、店内までのお客様には見えない部分でのことです.
 栃木市内には大型量販店さんが結構な店舗数を構えるようになりました。それでも栃木市中心部大通りにある東武百貨店さんは1階のフロアーだけでして、その上は市役所になってます。
 つまりイオンさんや一部、とりせんさんが2Fも売り場になっています。そのような中で否が応でも、各量販店さんの裏導線を使用しなければならない立場になってしまった、私が感じるのは、その衛生観念と荷物の往来に置ける通路の確保です。店内からは覗い知れないその汚れや、目一杯に置かれた在庫群の山です。しかし、それも繁忙期のことでして、止むを得ないのでしょう。随分と綺麗に整理整頓されてきていると感じます。上に立つものの考え方次第なのかもしれませんが、私が納品させていただいているお店は概ね良好な状態を保っていると書いておきます。

 それにしても、今年の夏には市内に大型量販店の2店舗が、ほぼ同じ時期に新規開店の予定でして、パートさん募集のチラシが同日に入ってきました。
 はてさて、市内の小売店はどうなってしまうのか、凡そ想像はつきますが、私ども専門店も影響なしとは考えられません。いろいろと取引が増えている、かのこ庵にしてもすぐ近くにあります「下都賀総合病院」さんが駅南にまもなく移転します。いままでお買い求めいただいたお見舞い品の売り上げは減るでしょうねー。


 そろそろ閉店の時期を真剣に考える時期が忍び寄ってきているような考えさせられる昨今です。これらの悩みが、多少なりとも前向きな気持ちをそいでいる環境になっているとしみじみ感じます。

 体重が多い時は83キロまでありました。おかげさまでというか、現在、71キロ前後になりました。どこかに不調を感じているわけではないと、までは書けませんが概ね身体が軽くなっているとは感じています。毎朝のバナナと牛乳だけが3年目になります。炭水化物の摂取量調整などの効果が出てますか。
 仕方ない、本意では決して無いのですが、今しばらくこの状態を続けますか。
 

 ただし旅には出てみたいなー。せめて連休を・・・。

 

2015年1月30日金曜日

これが歳という事ですかね?

 
 私の視力は多少の乱視はありますが、車の運転にはギリギリ眼鏡使用となっています。ということは和菓子を作るという作業中には眼鏡が無くても困らないのです。そこで歳ですか、どこに眼鏡を置き忘れたか、何とも見つからないのです。一応、眼鏡使用の免許証となっていますので無いと困るのです。
 今朝のお届けは眼鏡なしで運転しましたが、若干のぼやけは感じました(今年初めての雪が降る中でしたが)。あまり違和感なく。 
 お届けの帰りに前回と同じ度数の眼鏡を止むを得ず購入しましたが、いやになります。
 更に、ケータイをいくら充電しても、バッテリーの残量が増えないというか減るばっかりなのです。結果、3年半使って来たスマホを診断した結果、つまるところ老醜無残状態であったことがわかり、ハーフサイズのタブレットタイプに切り替えました。

 さて、この新機種とどこまで折り合えて使っていけるか、今現在も、短い着信音があり「何かいな」と気がそらされます。この機種になれるため、また不要な、それでいて必要な操作方法を教えてもらうため、少なからず時間を作ってショップへと出向かねばならないようです。
 身体の錆び付きは仕方ありません。唯それらのことに合わせるかの如く、身辺の色々もガタが来ているようでございます。

 そんな私にもっと働けと言われているような話が飛び込んできました。市内に新しくオープンする予定の量販店からの、綺麗にいうならお誘いのお話です。 
 限界でございます。
 誠に、正直に書くなら、少しは遊びの時間が無くて何で己が桜かな、の心境です。消え入りたき昨今でございます。

2015年1月29日木曜日

身辺雑記風に、

 忙しさを理由にして、随分と書き込みも滞ってしまいました。
 正直、年末年始の多忙さからは少しだけ解放されましたが、それでも結果として一日、全くの休日なんて無理な世界状態が続いています。早朝から、午後には必ず入ってくるFAXの対処というか準備で夕方4時頃からバタバタしてます。

 自分で選んだ道です。泣き言は言いますまい。ただ、このコーナーを楽しみにしている方がたくさんおられます。ありがたいことですが、その期待に応えられない現状に何とも忸怩たる思いをしている、ということです。何しろ、こんな和菓子屋のオッチャンのこのブログもつい最近、閲覧者が5万人を突破いたしました。
 重ねて閲覧下さっておられる方に感謝申し上げます。
 ブログの中に和菓子の原材料や、それらの所以を書いたりしてますが、「見たのですが…」とか「お餅の型の詳しい大きさを…」とかの問い合わせも結構増えています。そんなに秘密にしておくべき事柄でない限り、殆どのご質問にお答えはしているつもりです。
 
 それにしても問題は、このコーナーへの私の書き込みの滞りなんです。


 そこで前から考えてはいたのですが、どうにもあまりに趣味の世界に入りすぎていたかな、と反省してます。それなりに裏付けが求められる事柄も多く、ショートエッセー程度にまとめるためにはお勉強無しでは無理です。
 そこであまり、かしこまらずに、身辺雑記風に、随想風にすこしづつ無理のない範囲で取りとめのない、いわばジャンルにこだわらない範囲でのことを書き連ねるこことしました。(今までもそんな趣はありましたけど…)


 暖かい冬だなと思ってましたら、急に寒風が吹きつける日々になりました。雪の予報も出ています。昨年は二度も大雪に悩まされました。それが普通なんでしょうが。

2015年1月8日木曜日

タイ古式マッサージ

 本年最初の書き込みでございます。
 日本海側は大荒れというか、かなりの積雪の中、そのご苦労が偲ばれます。関東では冷たい強風の日もございましたが、まずは穏やかなお正月を迎えることが出来ました。
 今年も皆様のご健勝を、心よりご祈念申し上げます。
 

 ただし当方、年末恒例の餅つきがございました。お陰さまで今年も15%ほど、ご注文が増えておりまして、この肉体労働は些かキツイものがございました。
 そして休む間もなくお年賀の商品作りです。元日は夜8時まで仕事しておりました。昨年当初までは1月2日から4日までは営業時間を短縮していたのですが、大手量販店様は無休でお稼ぎでございます。結果、体のあちこちに軋みを感じてしまいました。
 昨日午後、何とか時間を作り「タイ古式マッサージ」の施術を約二時間に亘ってかかって参りました。三十代から肩凝り症状があり、随分と指圧のお世話になっては来ていたのですが、いまひとつ物足りなさが残っておりました。
 そこで数年前に「タイ古式」を教えられたわけです。

 何しろ、2500年の歴史を持つ「タイ古式マッサージ」でございますが、従来の指圧と異なり、かなり痛いのではと想像しておりました。案の定、始めての施術ではモミ返しがあり、腰に爆弾を抱えた身には翌日の腰痛には泣かされました。しかし、ここであきらめてはということで、事情を話し再挑戦いたしました。その甲斐があったのかどうかわかりませんが、実に懇切なマッサージを受けることができるようになり、時々利用するようになりました。とはいえ指圧とは違います。施術して下さるのはタイ国にて正式な免許を取得なさっている中年のタイのおばさまです。
 指先でのモミモミと違います。時には格闘技状態の施術もございます。指先も使いますが、どちらかというと、腕の肘や足裏から足の膝まで使ってのいわばストレッチ態勢もございます。
 この寒中にうっすらと汗を浮かべて施術してくれますが、まさに約二時間の「ゴキ!グキ!」となります。施術の始まりは足先から始まりますが、背中から首筋辺りまでは気持ちよく多少はうつらうつらさせられます。しかしそれから「ム!・グエ!・ウワッ!・ウーム」の連続となります。
 経験がおありの方に、これ以上の紹介は無意味でしょうが、先ずはお試しをと書いておきます。施術後の爽快感は中々なものがございます。但し、私が体験しているのはこのお店だけでございます。一軒だけの「タイ古式マッサージ」店ですので全てが同じかどうかは分かりません。更に敢えて書くなら、決していわゆる性風俗のお店ではないことを書き加えておきます。お間違いのないように。店内には大きめのタイ国、国王の写真がちゃんと飾ってあります。

 今週末は「成人の日」が控えており、お赤飯のご予約もかなりございます。CATVの「う・ら・ら」出演による効果もあり、お客様も増えております。量販店へのお届けの際、パートさん達から「見たわよー」と随分声もかけられます。大いに照れながらありがたいことだと思っておりますが、それにしても、今年も大いに働きまわる年になりそうなことは確かなようです。老骨を騙し騙ししながら、出来るところまで働きましょう。

2014年12月19日金曜日

「河は眠らない」開高健

 「かくして魚のいのちは終わった。
  釣り人もやがては死ぬ。
  しかし、
  河は眠らない。」

 25年前(1989年)の12月9日、芥川賞作家「開高健(先生等の敬称は以下の方も含めて省かせていただきます)」が、この世を去っています。生年が1930年の12月30日ですので58年の短いというべき生涯を駆け抜けました。


 集英社の季刊誌「Kotoba」にて、没後25周年記念特集号が発売されております。沢山の方が開高健を偲んで、その追悼文が掲載され、その足跡や、「その豊穣なる文章世界」に想いを起こしています。
 夢枕獏もその一人として追悼文を寄稿しています。
 「『オーパ!』旅する文豪、釣りする小説家」と題して…。
 そっくりそのままご紹介したいのですが、失礼に当たります。
 そこで一部だけ。

 『フィッシュ・オン』の「アラスカ」の中から、抜書きを紹介した後、
 「いいでしょう。
  凄いでしょう。
  たまらない文章でしょう。
 『黄昏が手に沁みてくるのを感じながらすわっていると』
  ですよ。
  こんな文章考えて書けますか。
  書けません。」夢枕さんの絶賛の表現です。

 文豪が愛した銀山湖に流れ込む川岸に、開高健の文字で「河は眠らない」の石碑が建っているそうですが、以下少し引用します。

 『確かにそうだ。河は眠らない。人が、夜、寝んでいる時も流れ続けている。遠いアラスカで、南米のジャングルの中で。流れ続けるその川の中に、あの時逃がしたキングサーモンや、黄金のドラドが、今も泳いでいる。小説家は眠りながらその夢を見ている。(中略)「河」とはこの小説家の心そのものなのだ。
 それでいい。』

 数回前のこのブログでご紹介した「寿屋のコピーライター 開高健」を出版なさった坪松博之も「『裸の王様』に見られる父性愛」として初期の作品をテーマに、開高健に於ける父親の存在を取り上げています。その終段にてやはり「フィッシュ・オン」を取り上げています。長くなりますが…。

  「開高が釣魚行について書いた夥しい分量の記述の中でも指折りの、釣りという行為の本質を見事に貫いた秀逸な表現であると思われる。さらに、ビデオエッセイ『河は眠らない』の中で、こんなことも語っている『それで、鮭は自分の子供の顔を見ないで死ぬ。
一回産卵すだけ。一回射精するだけで一生が終わってしまう。
 子供は翌年の春、岩の下で卵から孵って、親の顔を知らな   
いで一人で育ってゆく。非常に孤独な生涯ですね。』

 さらに、輪廻、転生へと思い走らせ『形が変わるだけである。
 エネルギーは不滅であり、減りもしない、増えもしない、善でも 
 ない。悪でもない。』と言葉をつないでいる。」(中略)
 そして終わりに「開高はこうもつぶやいている」として、このブロ 
 グ書き出しの「河は眠らない」で締め括っています。

 重松清は『ずばり東京』を取り上げ、更に終段、山口瞳の『世相講談』を俎上に、「好一対の存在」であったとして、一部を抜書きし追悼文を書いています。これもご紹介したいのですが、余りにも引用が多すぎですね。
 ただただ、多くの高名な方たちが、その開高文学を忘れる事無く、いやかなりの部分に於いて、多大なる影響を受けて現在がある、という事でしょうか。

 年内にもう一回は、この特集号を中心に書きたいと、思ってはいますが。
 穏やかな流れの巴波川では鴨さん達の数が増えております。

2014年12月2日火曜日

「藤原実方」と「源重之」

 藤原実方中将朝臣の陸奥下向、陸奥守赴任にあたってその事情をよく知り、又、彼の随伴者として、下向を共にした可能性のある「源重之」のことを書いてみます。

 学生時代に勉強そっちのけで、渋谷は道玄坂の脇道に入ったそのさらに奥に「DIG」というジャズ喫茶店がございました。入り浸っておりましたが、そこで先輩から教えられました。「DIGとは掘るという意味だよ」。「例えば直径1メートルの穴を、人力だけで2メートルの深さまで掘るとしたら、周りの土が崩れ落ち結果として恐らく直径2メートル近くの広さの穴が出来るだろう」と。「あることを追求すれば、自ずとそれだけでは無い知識も増えていくものなんだよ」と。 
 今の私には際限なく、色々な人物の事を見極めようとする兆しが見えています。自分が確信とすることを見極めるための傍証として。

 「源重之」もその一人です。更には「『伊吹山』は滋賀と近江の境にある山には非ず」と書き残した、「能因法師」についても、どんな人物だったのか何も知らないでは済まされない事柄です。

 実方も重之も能因法師も共に歌人としてその名を残し、それぞれに私家集がございます。在原業平の父行平は陸奥出羽按察使として陸奥にいた記録が残っております。そんな関係もあり、つまり今、書き出した人物は全て高名な歌人としても、又、陸奥に在所したことのある人たちばかりです。 
 

 そこで今回は「源重之」です。
 「中古三十六歌仙」の一人として沢山の和歌を詠み、その私家集も色々とあります。宮内庁書陵部蔵の私家集を始めとして、徳川美術館には伝、藤原行成筆によるものもございます。ただし彼の官位は高くはないというよりも微官と呼ぶべきものでした。
 976年相模国権守、從五位下として、信濃守、日向守等を歴任してますが、いわゆる地方官として一生を閉じています。

 実父兼信は所謂官途に希望を見いだせず陸奥国に土着しています。結果、重之はかなりの地方を経めぐったことになりますが、本人の願いはかなわないままに、宮廷での出世を終生望みつづけます。 
 小倉百人一首には、48番歌として
 「風をいたみ 岩うつ波の 己のみ くだけて物を 思うころかな」
が所集される等、それなりに和歌詠みとしては評価の高い人物でした。つまり重之の「百首歌」歌集は、歌に堪能なことが上に聞えて特に詠ませられたものであり、彼の得意の作ともいえます。

 しかし、宮廷内での権力をめぐる所謂、中関白家の没落により、藤原道長を頂点とした摂関政治がまかり通ってゆく中で、重之の昇進も何もなくなってゆきます。
 そこで藤原実方ですが、重之と同じような立場になってしまいます。ただし実方は優美淡麗の容姿と当意即妙の機智とで宮廷の花形でもありました。
 位は重之とは較べようもなく、正暦五年(994)に左近衛中将、兼陸奥守となっております。
 当時は遥任として地方の例えば駿河守に任じられたとしても、本人が赴任しなくても代理人が居れば、よい制度がありました。
 しかし、時代の流れの中で父を亡くし喪中(本来は重喪でありそれ故当初の赴任予定日より大幅に遅れます)の実方でしたが、多くの人に惜しまれつつ京の都を離れるわけです。
 しかし、この事実は当時としては大変センセーショナルな出来事でした。そのために色々な憶測も生まれ、例えば藤原行成との不仲説のようなことも「古事談」などに出てきます。

 結局、藤原実方が中心になる話へと進んでまいりますが、今回はここまでです。これからがいよいよ私には書きたかった事が続くのですが長くなりました。 
 尚、これ等の内容は「目崎徳衛先生『平安文化史論』」を下敷きにして学びました事であると付記いたします。

 写真の紅葉は栃木市大平町「川連城跡」で、うす暗い中での鴨さんたちは我が家の前で今朝、撮りました。

2014年11月25日火曜日

元祖いちご大福「苺の娘」発売開始です。大阪中央市場から旬のお漬け物も入荷してます。

 今年も例年通り製造開始です。
 元祖いちご大福「苺の娘」。

 おかげさまで、地元の農家さんが、朝摘みしたフレッシュな「とちおとめ」を一個そっくり入れた、こしあんを使用(いちご大福はこしあんに限ると、庵主は絶対の自信をもってここに書きます)した苺大福です。羽二重粉の口当たりとこしあん、そして苺が実にマッチするのですね。
 一時、余りにもあちらこちらで販売されまして、いささか馬鹿らしくなり一年ほど休んだことがありました。しかしお客様から「あなたのところの苺大福は他とは絶対に違うんだからやめないで…」のお言葉にて、製法も価格もそのままで発売開始です。
 正直、まだこの時期の苺の価格が通常の倍近い価格になっています。更にクリスマス頃にはもっと高くなると思われます。つまり、年内はあまりご利益の少ない商品となります。しかしお客様から催促されてのことでございます。
 本日は午前中で売り切れましたが、出来ましたらご予約が間違いございません。ご予約分は余計に製造させていただいております。他社との違いを是非、お客さまのお口でお確かめください。

 さて、これも恒例の大阪中央市場から厳選された、つまりこれは美味いと自信持ってお勧めできるお漬物が今年も入荷しました。
 和菓子というか甘いもののお店でのお漬物。
 しかし、漬物にも実に造詣の深い(私の事でもあります)中央市場の友人との間で、厳選されたお漬物ばかりです。
 特に『千枚漬』はお薦めです。というか、入荷待ちのお客様がかなりいらっしゃいます。11月になると入荷予定のお問い合わせが結構ございます。
 ところで、会社名はここに書きませんが、京都では特に有名な漬物のメーカーが何社かございます。北海道のデパートにまで出店したりしています。残念ながら、関西の地元の人はまずお買いにはなりません。いちげんの観光客様が目当てであることを知っているからです。
 なぜなら、工場の規模、大きさを知っているからなのです。あの大きさの工場で全国展開は無理なのです。つまり、下請け業者の存在無くして成り立たないのです。
 私どもの商品でもそうですが、ここで作っているからお客様がついているのです。下請けさんの悪口になってしまいますが、納入先から「このレシピーで造って下さい」となりますが、商品の相手は生鮮の生野菜です。その時、その時で少しづつ違いが出るのは当然ですが、その時の素材にあわせて一工夫する、という作業が欠けてしまうのです。そして、甘すぎるか、塩っぱ過ぎるか、酸っぱ過ぎるかという商品になってしまうのです。日持ちの問題も絡みますか。
 お分かりいただけると思います。地元の方がお買いにならない理由が。
 決して高名ではない小さいお店に地元のお客様が並んで購入する。
 そんな商品群を何故か「かのこ庵」は取り扱っているのです。 
 ま、未だお試しいただいてないお客様にはぜひ一度お試しください、と申し上げておきます。