2012年8月5日日曜日

開高流「源氏物語」寸評

 じっとしているだけでも、脳が煮え立ちそうな、水分が拡散した挙句、無くなり乾涸びてしまい、血も、汗も出んようになりそうな日々でございます。ですから人は逃避します。
 何処かに逃げようとする、そのようになっとるんです。可能であるなら。
 誠に、暑中お見舞い申し上げます。
 そこで、そんな事態になる前に、少しは涼しいと思われる那須の拡張されたアウトレットにでもと、出かけてきました。
 別に何かを買い求めて、という目的なんぞは最初からありませんので、この夏休みにどの程度立てこんどるやろか、という様子見が目的のプチ旅です。
 しかし(そう来るだろうと勘付いた方は、このブログの常連さんです)、県北の何も無い所に、かくも広大な商業施設をお立てになった方は偉い、としか言いようがありません。かなりの数の新規雇用者を採用したわけです。
 が、ランチをすべく入った和洋食のお店のメニュウ写真、味噌味牛タン定食と、実物との違いは眼が点にでしたが、我慢しましょう。料理がきてもお箸が無い。若き店員に「お手元を下さい」と頼みましたが、なかなか来ない。暫くして「もう一度おっしゃてください」と。つまり「お手元」では通じなかったのです。帰りに「領収書を書いて」と頼みましたら「お名前は何と書きますか」というので、「上様でいいよ」と話しましたら「ウエ」と書かれました。よそで聞いた話ですが、「領収書をきって下さい」と頼んだら、半分にはさみで切られた、とか。
 実は数日前に孫と東京ドームにて巨人VS 中日戦を見てきましたが、ほんまにあのスロープを元気に、そして実に、にこやかに走り回っている売り娘さん達、あれは偉い。ビールが美味いはずです。試合は又しても負けまして、私はTV中継に専念すべきかもしれません。負け男です、私は。

 タイトルからは随分とかけ離れた出だしとなりました。
 

 『性と日本語』として、開高健、河盛好蔵、広末保の三氏による座談会が「ポ・ト・フをもう一度」に登場します。
 座談の中で以下、開高先生がお話した部分だけ(本当は前後が当然あって、とても面白いのに、いけない抜書きになります)をご紹介いたします。
 「『秘めるが花』というエロテイシズムの美学がありますね。
今みたいにポルノ全盛になると『秘めるが花』の美学のほうが勝ち誇ってきつつある。」
 「司会者『たとえば平安時代のものなんか、女の人がいていますね。だからあんまり明らさまに書けなかった、うこともあるんじゃないでしょうか。
 開高>それでいて、あれは全編ことごとく淫蕩そのもので、あそこで愛と言えば性愛のこと以外に、何もありません
からな。それで、よくぞやったと、またこっちも拍手したくな
るんですけどね。」 
 「北斎なんかのよさ、大らかさって言うようなことを、ちゃ
んと見抜いているわけですね。今の時代の、若いすぐれ
た才能のある人にかかせても、あの大らかさは出てこな 
い。微細さのテクニックになればうまいけど、微細のテク
ニックを駆使すれば駆使するほど、いよいよ実態が抜け
て行って衰弱する。(中略)
 オスカー・ワイルドの挿し絵をかいたビアズレーの画集 
部を集めたのがドイツで出たんですよ。これを見てる と、ほんとにだめね。セックスなんて匂いも何もない。
 つめ泥沼のような、音の低い発酵の腐敗があるだけでね。ホモもだめ、レズもだめ、デカダンスもここまで行ったらどうしようもないって感じ。」
 「わたしもたまたま現代に生をうけたもんだから軽んじられちゃうんですけどね、『源氏物語』と名がつけば、あの全編ことごとく性愛一本槍、すべて美化されますわね。
 わたしも早くあんなところへ行ってしまいたいと思うんですけどね、書くものが。それがなかなか行かないので困っちゃう。近代の自意識モラルっていうのはいやらしくてしょうがないんですけどね、わたし自信もとらわれてるもんですから、なかなかおおらかに書けないんですよ。」
 

 あの時代だから、女性だから、あのポジションだから、全盛期のパトロンがいたから書けた、といえるのでしょう。
 お時間がございましたら、是非にとお勧めいたします。

 ところで話は戻りますが、斯様な次第でございまして、試合終了後、ジャイアンツグッズコーナーで次回のために買い求めました。裏側には「必勝祈願」の文字が入っております。上段のピンクの花は、ご近所のさるすべりです。
  
 

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