クリムトのいつものスタイルにて、 ガウンのようなものを身に付けた だけで、下は裸だそうです。 |
繁忙期が続いておりましたので、どうも見落としてしまったようです。幸い、6月2日(日)まで開かれておりますので近いうちに行ってまいります。皆様も、気候も良し、新緑の宇都宮美術館へお出かけいただきますこと、お勧めしておきます。
それにしても、「わりなき恋」の中や、前回の書き込みの中でクリムトに触れておきながらの失態でございました。作品展の感想は改めてご報告申し上げます。
《成就》 |
その作品展を拝見する前に書き込むのは、いささか臆するところもございますが、事前に彼の私が感じる素晴らしさをご紹介します。
グスタフ・クリムトはオーストリアのウイーン南西郊外で1862年7月14日に生まれます。1918年2月6日に56歳の充実した壮年期でありながら、脳卒中にて亡くなりますが、19世紀末、ハプスブルグ帝国というか王朝の末期を走り抜けました。彼は貧しい家庭に生まれますが、その画才は早くから認められ、ウイーンの工芸美術学校への入学、そしてその才能をいかんなく発揮します。世紀末を代表する画家として、その作品は話題と人気を集めます。
《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像》 クリムトの代表作ですが、二人の間には愛情関係が認められます。 |
女性の肖像画も沢山残しましたが、当時の裕福な階級の主人の依頼による奥様達です。
ところでこれらのことは、フランク・ウイットフォード著「クリムト」から得た知識ですが、そのまえがきで「1900年前後のオーストリアの首都ウイーンにおいて、クリムトはその文化的生活の中心人物の一人だった。にもかかわらず、彼に関しては、同時代の偉大な人々に関してよりもはるかに情報量が少ない。彼は日記をつけず、ごくまれにしか手紙も書かず、また自分について殆ど何も記録に残さなかったために、自己の芸術に対する態度ばかりか、他の芸術に対する態度についても殆ど何も分からないのである。」と。そのような中、150年前ですからなんとか調べ上げたのでしょう。それでも「彼は多くの人から称賛され愛されていたが、友人はごく僅かだった。表面的には社交的で陽気に見えたが、本当は誠に内気で、思索好きで自己にこもるタイプの人物だった。」と記しています。
それにしても《成就》における幾何学模様の表現には圧倒されます。本文中に、この作品に関し「クリムトは、明らかに、象徴的な力をもたせようとした装飾によっても、肉体的愛、精神的愛、そして期待や願望を達成しているのである。」
彼の素描家としての偉大さも有名ですが、「彼は絵を書いている最中にも、絵を描く手を休めては、まるである種の気休めをするかのようにその絵とまったく関係ないものをデッサンした。アトリエの床には山のようなスケッチと習作が散乱していた。彼は絵を描く準備としてだけではなく、手と頭脳のためにデッサンをした。」とありますが、手がまさに踊るように書きつけられていたことがわかります。ただしポルノまがいのようなものもたくさんありますが。
もう少し書きたいのですが、宇都宮の作品展を見てからにしましょうか。
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