2013年6月10日月曜日

「有夫恋」時実新子

 当時、与謝野晶子を凌ぐ情熱川柳作家と呼ばれました時実新子さんへの想いを込めた書き込みです。
 代表作がタイトルの「有夫恋」でございます。夫ある身での恋、縮めて「有夫恋」。その作風は・・・なんて書く必要のない気性も、実人生もそのままのタイトルどうりに生きた方(本当の彼女を知っているわけではありませんが)、と言えます。

 何回かこのブログの中でちらりほらりと彼女の作品をご紹介してきました。
 「どうも、お前と川柳が繋がらない」との声をいただきました。
 確かに趣味が多すぎます。結構偏ってそのジャンルが正直無限大でございます。平安時代から、世紀末の西洋、戦後を代表する時代小説作家や、現代小説作家。そして、川柳ですからねー。
 正直自分でも、随分と薄っぺらな人生そのままの、趣味だなーと感じいっております。
 しかしこの年になって気づいても、治りませんわな。

 昔の話ですが、一年中、放浪の旅芸人の如き仕事をしていた時期が有りました。某会社の営業マンとして、全国区に近い範囲を受け持たされまして、関東、信越以外をフォローいたしました。当時と言いますか、団塊の世代は、皆さんそれが当たり前の如く働いたものです。月曜日の朝5時に車で出だします。首都高も当時は一部しか開通しておらず、渋滞前に東京を離れるためです。中央高速にのり、甲府の中央市場に朝8時頃到着し、何軒か立ち寄り、次いで名古屋に向かいます。午後には名古屋の中央市場に到着。そして仕事。夕方、大阪に向かって名神高速をひた走り、ホテルにチエックインが夜の8時か9時です。大阪中央市場、岡山、広島などの市場や、会社をめぐり土曜日遅くに帰社、なんてことを毎週やっていました。日曜日は営業日報作成や、明日からのサンプル作り。札幌で仕事中に(この会社の研究室も守備範囲でして)八王子市の保健所でクレーム、急いで戻れの支持。あるいはジャスコの四国統括本部での商談に、というわけで飛行機で現地へ、なんてことまでやりました。そんな中だからこそ、息抜きに少しづつ趣味が増えだしたのかもしれません。
 岡山で川柳の師と出会いました。時実新子さんではありませんでしたが、時実さんは岡山出身です。川柳の盛んな地でした。
 しかしこと、川柳も俳句も、和歌も自作となるとさっぱりでした。
 どうも絵を描いている方が向いていたようです。

 解説を田辺聖子様がなさっております。
 種明かしを致しますと、そもそもは田辺先生の「川柳でんでん太鼓」から、このブログの川柳は引用させていただいておりました。田辺先生は本書の解説の、頭書きにて「珠玉にして匕首(あいくち)の句集」としております。
 当時も今も「短詩系文芸本」は売れないとの定説があります。「有夫恋」はベストセラーになりました。田辺先生の解説には「日本文学の伝統は『あわれ』と『をかし』がある、とはよくいわれることだけれど・・・」とあります。そして「川柳くらい、幅ひろく厚みを持ち、面白い文芸はないのである。しかも、こんなむつかしいジャンルもない。 
 面白くて文芸性を持たせねばならぬというのであるから、誠に軽みと『をかし』の道は深遠であるといえよう。
 軽佻浮薄たる、また難いかな、というところだ。」。

 お待たせしました。田辺先生ご推薦の川柳から、更に私がチョイスしました気に入っております「時実ワールド」をご堪能ください。
 《嘘のかたまりの私が眠ります》
    
  《凶暴な愛が欲しいの煙突よ》
 
  《愛咬やはるかはるかに
            さくら散る》
    
  《人の世に許されざるは美しき》
 
  《れんげ菜の花この世の旅も
              あと少し》
    
  《明日逢える人の如くに
              別れたし》

  《入っています入っています
             この世です》
 (岸恵子さんの「わりなき恋」のなかで、 
  「あなた、今、私の中にいるの、ね・・・う 
   面を思い出します。)

 キリがないですね。
 種田山頭火の趣もありますが、
  なんといっても女性ならではの
    エロスと凄みを感じませんか?
 
 これにて「煩悩解脱」が何時になっても出来 
  ないオッチャンの、
   半ば懺悔のつもりと、
   新たな何かを求めて彷徨するだろうこと 
     を正直に申し上げて、今回はここまで  
       にします。
  
  少しづつ平安時代に戻ります。

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