2013年7月23日火曜日

「勝海舟」について

 司馬遼太郎先生のエッセーから、抜き書きにてすみません。
 先生は「竜馬がゆく」という名作を残しましたが、その自作を振り返って書いています。
  「幕末、勝海舟という人物は、異様な存在だった。
  幕臣でありながら、その立場から自分を無重力にすることがで  
 きた上に、いわば最初の『日本人』だったと言える。
  こんにち『人類』というのがなお多分に観念であるように、江戸 
 体制の中では『日本人』であることがそうだったろう。たとえば、 
 武士はそれぞれが所属する幕藩制のなかで生き、立場立場が 
 限界だったし、庶民も、身分制から足をぬいて考えることができ 
 なかっ
  海舟だけが脱けえた。海舟がそのように海舟たりえたのは素 
 質だけでなく封建門閥性に対する憎悪もあったかと思える。
   海舟におけるその感情は性悪というべきもので・・(中略)。
  しかしながら、海舟のえらさは、そういうえぐさをいわば糖化 
 し、かれの中で『日本人』として醸造し、それ以上に蒸留酒にま  
 で仕上げたことである。
  さらにいえば、かれはそのもっとも澄んだ分を門人である浪人
 坂本龍馬にうけわたした。」
 しかし、「海舟は幕臣であったため『国民国家の樹立』という彼の秘めた理想について、彼自身が動くことはできなかった。しかし、すでに分身をえた。あとは龍馬に期待したのだろうというのが、私の想像である。
 その後の龍馬における自在な発想と行動は、勝の期待よりも、はるかにきらびやかだった。おそらくその発想は、当時彼と海舟以外に存在しなかった『国民』という宙空の光芒のような場所から出たものにちがいなく・・・」と、続きますが、引用が長すぎますね。

 私は、何が、書きたいのか。

 少なからず過去には、偉い人物が存在した。
 先生は別な場所でこうも表現しています。
 正確ではありませんが、アメリカ建国後の米国史や、当時の中国史において、日本の存在ほど影が薄いものはなかった、と書いています。当時あってもなくても関係なかった。それが日清、日露戦争を経て、強大な存在に突然なった、と。
 

  しかしそれにしても、今回の参議院選挙ですが、選ばれる側も選ぶ側も、ここまで国民性が変貌したとは、想定の範囲内のことなのでしょうか。 
 引用ばかりですみませんが、朝日新聞の政治部長、曽我さんが「自己修正の力を」と題して「失われた20年の負の記憶はあまりに大きい。(略)その歴史を踏まえて、有権者が選んだ権力である。付託はあまりに重く深刻だ。」、天声人語氏は「これまでの安倍政権の7ヶ月の歩みに有権者は二重丸をつけた」と書いております。又、別な新聞では「有権者は『安定を選択した』、国民が政治の混乱に終止符を望んだ結果だろう。」と。同誌上にて、「それでも『頭がくらくらするようなつけ』が山積している」とも書いております。
 そうでしょう、その通りかもしれません、と言いたいのですが、どうも納得いきません。
 投票率50%。これを忘れてはいませんか。
 国民半分が全て無関心であったとは思いませんが、あまりにもこれをもってして、国民の全てが前述のような付託をしたとは、言い切れないと思います。少なからず、一票の格差はほとんど解消されておらず、そして現在の参議院という存在意義が熟議された上での選挙であったとはいえないはずです。
 繰り返します。現在の選挙制度、定数の是正がなされない中で国民の二人に一人が、無関心であった(投票に行かれなかった方に反論権はないと思います)。私は今回の結果についてそんなものだろう、程度に思ってはおります。しかし、「国民の意見は結局集約すればこうなる」と、「阿部さんに全てを付託をした」と決め付けて欲しくないのです。

 今回の選挙結果の良し悪しは、少し時間を置けば判明してくるでしょう。少なからず、「景気回復」が争点であり、それ以外は随分と霞んで見えました。しからば、国民の所得が向上し、消費が拡大されます事をひたすら期待させていただきます。
 「クラクラする」程の難題を抱えた中での船出ですが、前向きに考えないと、正直、生きてはゆけません。このことを思うとき、どうしてニコニコしていられるのでしょうか。これも国民性でしょうか。

 先哲たちの、少ない情報量の中での思考に、思いが跳んでしまいました。

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