爽やかな風を感じることが時折ございます。何といっても初夏ですか。お店は一段落となりましたが、相変わらず、市内の量販店4店をフォローしてます。五月のG/W明けに若い社員が一名、寿退社いたしまして、その不足分をアルバイト2名で何とかやりくりしている、という現状でして楽させていただけません。
6月早々には少しこの業界になれたパートが1名入社の予定です。いくらか楽をさせてもらえるかと、期待してます。
それにしても「そんなに稼いでどうするんだ」の声も聞こえてますこと承知してます。ただ単に向上心からの働きぶりではなく、やむを得ない、しがらみもあっての現状ということです。体が動くうちは一所懸命働きます。
そんな中、リンボー先生の著書「夕顔の恋」をなるほどなーの思いで読了しました。渡辺淳一先生の作品は殆ど読んだことがありませんでしたが、老いらくの恋が、叶うならチャレンジもして見たくなりますが、この忙しさと、齢でございます。昔の事を振り返って、「アーあの時こうしていれば、あれはこうもなったかなー」なんて未練な夢を見たりしてます。
「じっさい、夕顔という人は、源氏から見ればどこまでも『ろうたし』という感じのする女であった。
このラウタシという形容詞は、『労いたし』というのが縮約してできたものと考えられているのだが、つまりは、なにかこう放っておけない、いつも目をかけてやりたい、労わってやりたいと思わせるような健気な可愛らしさと弱さをもった人の形容なのである。」
エピローグには「従順でどこまでも優しく、男を責めない女、子供っぽい甘えと男を夢中にさせる性愛の爛熟、つまりは成熟した肉体と世慣れぬ心の矛盾を内在させた女、夕顔はそういう女であった。」と絶賛してますが、先生も現実には、斯くの如き女性を見出すことはかなり難しいかなとお思いのようです。
女性の理想形としての夕顔という存在を知ってしまった私には、半端な恋はできそうもなくなりました。(何を書いているんだか)
それにしても、本文中に、本文とはとは関係なく現代の若き女性の写真が出てまいります。先生の遊び心ということでしょうか。
実は、今日は朝の内だけ仕事をしまして、私が役員をしております、ある業者の集まりにおける年一回の親睦旅行が午後から、一泊でございます。代表幹事みたいな役回りでして、欠席できません。これ幸いと午後からしばらくぶりの温泉行でございます。後の事は何も考えず、一先ず出掛けてしまうこととしました。好い出逢いでもあることを期待しますか。かなり望み薄でございますが。
後日譚をかすかに期待してください。
しばらくぶりの書き込みです。すみません。それでもお読みいただいている方がすでに4万人を突破しました。
随分とあちらこちらと酔狂にも、色々な事を書いてきました。
全く幅は広いが、全て中途半端で浅い書き込みばかりだと反省してます。
4月の〔草臥〕というタイトルの書き込みで種田山頭火の作品を二句ほどご紹介しました。何故か、ずーっと気になっていたのです。山口瞳先生の「小鰯も鯵も一ㇳ鹽時雨かな」の「時雨」は上手な使い方だなーと思っておりました。でももっと「時雨」を読み込んだ俳句を山頭火は詠い読み込んでいたはずだ、と。
無二の友として岡山県出身の大山澄太先生が残した「山頭火の道」という表題の本を書棚から探し出し、読み直しました。まるで古本屋から買い求めてきたような状態の本です。山頭火の流転、そして行乞、漂泊、草庵住まいの生涯を一冊の本にまとめてくれておりました。
山頭火は亡母47回忌において
「ほんたうの人間は行きつまる
行きつまったところに
新しい世界がひらける
なげくな、さわぐな、おぼるるな」
と、日記に書き残しています。
昨今の私はあまりにもジタバタ、ドタバタのし過ぎですね。
人それぞれにいろいろな生き方があるのでしょうが、私をよく知る身内の長男から言われました。「今の仕事三昧も結局はおじさんのライフワークなのではないですか」と。嫌いでは出来ないでしょうが、好きでもないのですがねー。やりたいことや、趣味の多さでは自信があるのですけれど、仕事だけの日々ですね。
「時雨」を詠みこんだ山頭火の作品を紹介します。
・しぐるるや死なないでいる
・しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
・しぐるる土をふみしめてゆく
・うしろすがたのしぐれてゆくか
・右近の橘の実のしぐるるや
・おとはしぐれか
・しぐるる夜のしんみり考えること
・しぐるるや道は一すじ
きりがないですね。まだまだ「時雨」の作は有るのですが。
ではその他の私が気に入っている俳句をいくつか…。
・松はみな枝垂れて南無観世音
・あざみあざやかなあさのあめあがり
・酔えばやたらに人恋しい星がまたたいている
・どうしようもないわたしが歩いている
・分け入っても分け入っても青い山
又、日記の中で
「山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆうべもよろし」
五月の節句以降、お店はヒマになりましたが、中々にまとまった時間が取れません。鉄鉢をもち、足を棒にしての行乞。あんこ片手にまんじゅう作りの私。もう少しの間、まさに一所懸命でございます。
交差点にあるご近所の東屋の手前に道標が出来ました。ご自宅(?)の庭の中にです。下の写真はかのこ庵の隣のファミリーマートにて、栃木のサッカーチーム応援のためそのユニホームを着用している名物おなじみコンビのお二人です。共に驚かせてくれてます。
入進学シーズンも過ぎ、少しは一段落するかと思っていたのですが、甘い見通しでした。栃木市内は13日から市長選と市議会議員選挙がスタートしてまして、もはや終盤戦です。
ありがたいことなのですが、一騎打ちとなりました市長選、そして日頃からご贔屓いただいている市議会議員さんの両陣営からお赤飯のご注文が、半端ではない数で入ってきております。
13日の出陣式、20日の投開票日にと、当選を見越してのご注文です。昨日の定休日は半日が仕事、残りは両陣営のために動き回っていました。本来、私の様な商いを営む者が、特定の候補者を応援することは甚だまずいのですが、日ごろお世話になり、又よきお客様でもある場合、色を出さざるを得ません。
この週の日曜日はかくして赤飯一色の極めてビジーな、そして力仕事が必要なハードな日となりました。G/Wも控えています。いましばらくの辛抱です。
一昨日、ベッドに入ってから気づきました。いや、思い出しました。柏餅の事を考えていたのですが、突然、山口瞳先生の奥様、治子様が「私は柏餅は味噌あんが好きなのよ」と仰られたことを。
ということは、・・・あ、そうだ、あれは先生が慶応病院に入院されているときのお見舞いに持参した柏餅の味噌あんの事だと。
ということは、・・・G/W前の事、しかも先生がお亡くなりになられた年の事だったと。
今日は4月17日ですが、「男性自身」も最終章を迎えようとしている時期の事でした。早速起きだして「江分利満氏の優雅なサヨナラ」を開いてみました。
家内を同伴して慶應病院を訪れ、お見舞いしたことが先生の作品中に記されています。4月16日の事でした。流石に先生は少しお召し上がりになっただけでしたが、治子夫人が美味しそうにお召し上がりいただけた事が、今はっきりと思い出されます。先生もお元気でした。栃木市に来られた時に、市内の骨董店で先生がお買い求めになった佐渡の小さな石仏の話が出ました。いささか緊張しておりましたので、詳しくは思い出せません。でも、自宅の庭に置いてあって「家内が殆ど毎日、石仏に手を合わせていますよ」、と話されたことを思い出します。
19年も前の昨日の事だったのでした。
そうです。あれ以来、私が佐渡に旅したのはかなり前ですが、
私も同様の石仏を探し求めて、骨董店を覗く日々がありました。しかし、栃木市内のその骨董店にも、佐渡でも見つけ出すことが出来ずに今日に至っております。
「男性自身シリーズ最終巻」のタイトルは「優雅なサヨナラ」となっていますが、ご子息、正介様の先生の最後をお書きになったご本の中では「かなりひどい痛みを抱えての旅立ちであった」ようです。ただ、ホスピスから自宅に戻られて自室の寝室に横たわれておられた先生のお顔は、実に穏やかなものを感じましたが。偶然にしても、いかに私淑しているとしても、一介の和菓子屋の店主には貴重な出会いでございました。
実は私、先生がお亡くなりになった同じ歳になっております。
あまりにも早すぎる御逝去です。
誠にご無沙汰でございます。
多忙を理由にするのは感心いたしませんが、自ら進めた道でございます。相変わらず繁忙期ということも重なり、体を壊さずに、一先ずよく働いております。本日は定休日ですが、朝の内、ひと仕事して、いったん自宅で朝食後、再度ベットインしましたら、目覚めたのが午後になっておりました。
お客様から随分と声をかけられます。「あちらでも買えるから便利になったわ」と。つまり姉妹店が出来たようなものです。少量パックでのお求めは、確かに便利かと思います。
どちらにしましても、しばらくは体力勝負と決めました。出来るところまでやらせていただきましょう。
丸谷先生の追悼特集版が発行されました。単行本未収録コレクションとしまして、「古典と外文と作家・批評家」の第一人者としての評価は定着していることですが、更に、沢山の方と対談しております。山口瞳先生とも。
何処かで、多分、山口先生の対談特集号がございましたが、その中で一読していたような気がします。
それにしても迂闊なことでございました。
「日本語と国語」をテーマに対談なさっていますが、数多いる作家さんたちの中で文中の言葉の表記には、とてもうるさいと言っては失礼ですが、その様なお二人でございました。
〔きらいなことば〕、としまして
丸谷 僕が一番いやなのは「生きざま」とか「死にざま」とか。
山口 「怨念」なんていうのはどうですか。
丸谷 同じなんですね。
つまり何かことばですごむみたいな感じ。
「生き方」、「死に方」でいいんじゃないか、そのほうが耳に
快いんじゃないかという気がするのですけれども、それを「生
きざま」、「死にざま」というと、何かきたならしくなって、そのき
たない感じにうっとりするんじゃないでしょうか。
「怨念」というのもやはりそれでしょうね。
山口 「恨み」でいいところを「怨念」というわけですね。
丸谷 何だかすごむ。
という出だしで日本語・国語に関する対談が続きます。その中で日本語のアクセントや、標準語、方言等多岐にわたり論じ合うのですが・・・。
山口 つまり、「大雪」といわずに「豪雪」という感覚、とてもいや
です。
丸谷 「豪雪」なんて。だれもふだん使わないことばですね。
大体新聞の見出しのつけ方のセンスが、日本語をまた乱
している。
ところが、前回の書き込みにて「嗚呼、何たる豪雪」との表題で書いてしまいました。大した話ではないようですが、いささか恥じ入っております。ただ、日本海側の方には申し訳ないのですが、それでもあれだけの大雪でして、農業等の被害だけで数百億円だそうです。今も倒れたカーポートがそのまま放置されているのをあちこちでお見受けします。部材が間に合わないのですね。そして野菜類の高騰はやむを得ないのでしょう。栃木県特産のいちごにも、そのビニールハウスが相当潰されてしまったようです。
ともかく、湿った大雪でした。残雪が消えるまで半月も掛かったのです。
昨日から今日と、雨が降り続いています。激しくはありませんが降り出すと、いつ止むのか、と聞きたくなります。
それにしても、話は変わりますが、かのこ庵の買掛金はすべて月末締めなのですが、ということは郵便ポストに恒例の先月分の請求書が、どっさり届いています。それは仕方ないのですが、どの封筒も開封しますと、4月からの消費税増税の対応のお願い文書が同封されております。
他業種にて、駆け込み需要で繁盛している話も随分と聞きますが、逆に4月になったらどうなるか、おおよその見当は付きます。
そのことを考えると頭が痛くなりそうです。しかし、ガツガツと、とは思いませんが、こつこつと商品を作り続けていくこと以外に何等の手も打てないのも事実です。
やはり、働きましょう。仕事があることに感謝しつつ。
卒業式や、入進学、受験の季節でもあります。3月3日は県立高校の卒業式がございました。市内の県立高校の大半から来賓用のお茶菓子のご注文が入ります。全て納品時間が8時半という次第にて、桃の節句の日に、早目の納品なら問題ないだろうということで、量販店の納品も含めての大忙しの朝でした。
何よりも相変わらず「開運、勝栗まんじゅう」のご注文が途切れません。朝の内の完売もちょいちょいございます。ご予約は全てお受けし、仕上げております。一個からご予約は営業時間内、必ずお取り置きしております。勝手ながら、ご予約が間違いございません。先程もお電話のご注文、お問い合わせが二件ございました。この季節、受験前にお召し上がりいただき、桜咲くことをご期待します。上の写真は一昨年の母校、県立栃木高校の合格者発表板です。