キイボードをたたきながら、このパソコンのBGMとして「ジャック・ルーシエ」のバッハ演奏を聴いています。便利な世の中です。
洗練されたフレンチジャズ、イージーリスニングとしての何とも言えないクラシックジャズの真髄が心を癒し、楽しませてくれます。
例えば「ジュニア・マンス」や「セロニアス・モンク」も大好きですが彼らにはない、例えば「ビル・エバンス」や「デーブ・ブルーベック」等の白人ピアニストに共通の都会派的なジャズに少し近いものを感じます。クラシック音楽にして、見事にジャズに変換しているこれらの作品群には、明らかにアメリカ的ではない滑らかな、つまり流麗な感性を感じます。
このトリオのコンサートが大聖堂、つまり教会にて開かれたりしています(ユーチューブで直ぐに見つかります)が、何ともその場にふさわしく、又、聴衆の反応の良さや、感動が伝わってきます。
違和感がないのは曲目の殆どが「ヨハン・セバスチャン・バッハ」を原曲としているからでしょうか。
彼のトリオは3回、メンバーの交代をしていますが、1998年に結成された現在の構成が、主にユーチューブで拝見出来ます。
「ジャック・ルーシエ」本人は81歳の現役プレーヤーですが、パリの高等音楽院に16歳で入学し首席で卒業してます。しかし何をもってしてバッハに傾倒し、その表現スタイルとしてジャズに傾倒していったのかまでは解りません。ただその、のめり込み様が曲を聞くことだけで理解出来るような気がします。
その彼が当然の如く(?)「バッハの『ゴルドベルグ変奏曲』」をも見事にアレンジしていながら、「グレングールド」に引けを取らない演奏をしています。バッハへの傾倒とその深い理解なくして、そしてテクニックが無ければレコーディングできない曲目と言えます。
グレングールドとジャックルーシエの違いは、私がここに書くのは憚れそうですですが、あえて書きます。
二人のゴルドベルグ変奏曲を比較するなら、グールドはクラシックピアノソロとして聴き惚れ、そのバッハの世界の深淵を覗くかの如きです。ルーシエの場合は聴き惚れるというよりも、バッハの世界を軽やかな謂わばパラグライダーにて、風音(曲目)を体全体で感じながら、浮遊させられている、ということですか。
ところで、ルーシエトリオのベーシストです。5弦のベースを駆使し、見事にルーシエを助けつつ、彼のソロには驚愕と同時に圧倒されるものを感じます。実にいいのですね。
風貌は映画の「トランスポーター」で実に格好良く演じているご存知の「ジェイソン・ステーサム」によく似ています。名前は長いのですが「ベノワ・ドュノワイエ・セゴンザック」といいます。どちらかといえばステーサムを失礼ながら理知的にした、と表現してはいけないかな。
もう少し書きたいのですが、時間です。又、もう少し書きます。
しつこいのです、私って奴は。
しつこい、ついでですが、実は平安時代物というか藤原実方に関し、新たな論文が見つかりました、昨年末の事ですが。
和洋女子短期大学にて教授をなさっている安藤享子様が、「実方説話生成考」として発表しています。近いうちに、又しても1千年前に遡って書き込みします。
実方の陸奥下向に関する論文とあっては、無視できません。
それにしても本当に歳ですね。身体の故障の回復が、実に遅くなってきているのを実感しています。未だにシップから解放されないのです。
こればっかりは、時は逆回りをしてくれないですからねー。
ご覧の通り篤志家の厚意により「謙之助」の墓碑に屋根が架けられました。この件に関しコメントがあり、返信したのですが、どうも真意が伝えられてないような気がして、気になって困っておりました。
繰り返しますが、正直それほどまでに私にはどうでも良き事柄でもあるのです。が、何しろ毎朝カーテンを開けると眼前にまず飛び込んでくるのがこの「墓碑」なのです。
返信の中で「天狗等」と書きました。本来は天狗党と書くべきでしょうが、実はこの天狗党も「水戸天狗党」、「出流天狗党」とか、旧栃木町に多大な迷惑を残していった天狗党の配下であった「田中愿三隊」等があるのです。更には水戸藩内を真っ二つに分けて戦った尊攘派と穏健派(?)の争闘が繰り広げられていました。
大局を考えてみれば、本来の水戸天狗党に世界の時世を読む思慮がなかったのが問題なのですが、ともかく騒乱の続く幕末でした。数多の若者がその激した行動により、格好良く書くなら「草莽の志士」達が亡くなりました。
そんな中、西山謙之助は出流天狗党の一員、というよりは正直使い走りの様な役回りで、栃木陣屋に金品を強請べく掛け合うために馬に乗ってやってきます。田中愿三隊による殺害や焼き討ちによって、散々な目に遭っている栃木陣屋側としてはこんな要求に唯々諾々とはいかないわけです。結果、要求を撥ねつけられ、現「幸来橋」にて、待ち伏せしていた陣屋側の手にて殺害させられます。他にも数名の死者が出たようですが、彼らは現在の石碑があるところに穴を掘り、埋葬ではなく、捨てられ土をかけられただけ、というのが真相のようです。
ただ、私には何故、西山謙之助だけの石碑が存在するのかがよく承知出来ていなかったという事です。しかしその全体像が判明してみると、正直、観光協会のボランティアがご紹介する場所ではありえないでしょうし、まして屋根をお掛けになるとは・・。
私個人としての意見ですが、そっとしておくべき場所なんだろうと思います。それだけの事なのです。
バッハに中々進みません。
時間に余裕が持てるようになった現在、いささか忸怩たるものを感じています。歳のせいにしたくはないのですが、所謂、集中力が、増して何か気持ちの持ちようがいささか散漫になっている己を感じ、時に憮然としている自分に辟易しています。
つい4日前の晩、自室に掛け軸をかけるべく、脚立ではない、キャスター付きのいすにのって落下し、右腕の肘あたりを強打してしまいました。恥ずかしながら、阿呆な爺です。今現在も痛みがかなり残っており、仕事にも支障が出ています。
嗚呼、自己嫌悪の日々です。
12月から5月のG/Wを過ぎるまで和菓子屋は繁忙期です。
いささかの疲れもあり、体調が崩れがちになってしまいました。
草餅や柏餅は共に餅つきでして、体力勝負となります。
それでも、数ヶ月前に入ったパートさんから「お歳には思えない
フットワークですね」といわれ、満更でもなく働いております。
ともかく忙しいのも、もう少しです。
「バッハ」は少々お待ちください。
「誠にどうでもよき事ですが・・・」と書き込みしたのは2年前の今頃でした。このあほなおっちゃんの書き込みに関しコメントをいただきました。しかし、そのコメントに対する私の返答がなんとも不十分と感じ、又、短いコメントでは真意が伝わっているか不安ともなり、表題に関する私の思いを書き連ねる事にしました。
ただし何とも、ただ今「腑抜け」状態が4~5日続いています。
頭の中が脳煮えの様な状態が4月中続きました。
パソコンを開くことが誠に億劫になってしまう、まして書きたいことも、書かねばならぬことも、考えたくもなき数週間でした。
とはいえ、上野の森を、美術館内を彷徨している日もありましたが。
那須在住の同級生の励ましを胸に、数行で次回となるかもしれないこのブログ、書き込み続けることにしました。
表題の「謙之助」ですがごめんなさい。
次回です。