2016年7月23日土曜日

この時期、庵主お薦めの「あん豆腐」です。

 たまには自社の和菓子の事も書かねばいけません。少なからず和菓子屋の主人らしくない書き込みが多すぎます。

 というわけで、今回はかのこ庵の隠れた人気商品をご紹介します。毎年、売り上げが確実に上昇中の「あん豆腐」です。
 発売して数年経過しましたが、当初は夏場だけの、と始めたのですが、お客様からの要望や、勿論ご注文もあり通年商品として販売しております。

 商品の特徴を説明いたします。
 おかげさまで、かのこ庵の夏場の主力商品として「青竹筒入『水ようかん』」も順調に売れておりますが、どちらかといえば似たような商品になります。しかしここからが庵主のひと工夫なのですが、水ようかんよりも、「葛」と「寒天」の割合が高くなります。

 水ようかんよりも、ややもっちりした触感となります。ごま豆腐に近いといえますか。更に肝心な点があります。本来は企業秘密とすべきでしょうが正直に書いてしまいます。
 通常、あんこの糖度は50度前後でしょうか(あんこもその種類によって糖度は変わります)、かのこ庵の水ようかんは上り糖度を38度に設定し仕上げます。この数値自体も低いのですが、更に「あん豆腐」は35度が設定糖度となります。つまり、かのこ庵の数ある商品群の中で一番糖度が低い商品と言えるわけです。和菓子ですから当然あんこも入りますが、使用する餡は「皮むきこしあん」です。
 ということは、薄い小豆色の上品な和菓子になります。「葛」と「寒天」と「皮むきこしあん」の絶妙なハーモニーを一度お試しください。
 お豆腐一丁と同様の大きさのままですので、しかも箱の中に入っておりますので、初めての方はネーミングに引かれて「こちらの商品はどういうお豆腐なのですか?」ときます。「お豆腐ではなく水ようかんに近い和菓子です」。
 そして「かのこ庵の水ようかんも糖度は低いのですが、さらに低く、仕上げた商品です」。
 「葛と寒天と小豆がメインの商品ですので、糖分を制限されている方や、ダイエット中の方、病弱な方にもお勧めできる和菓子です」。という説明になります。「糖度が低いので皆さん結構、ペロリとお召し上がりになります。何よりも一度召し上がった方はほとんど、はまります」。
 リピーターの多い隠れたヒット商品のひとつと言えます。
 如何でしょう、ぜひ冷やしてお召し上がりください。
 「要冷蔵」にて消費期限が5日と少しゆとりがあります。

 

 今秋は「栃木秋まつり」がございまして山車も出御いたします。 
 次回は書き込み途中のままのものもございますが、ご容赦願いまして「かのこ庵の『山車最中』」のご紹介をさせていただきます。 
 「あん豆腐」同様、売り上げの伸びている隠れたヒット商品なのです。

 おっと、書き損なうところでした。

 過去、役にも立たない事を随分と書いて来ていたのですね。 
 実はこの書き込みが300回目の項目となります。少し前まで気付きませんでした。何処が、何が目出度いのか判りませんが、一つの節目として、「今日無事」に感謝し、寝る前に(ウイスキーをばなめつつ)過去をずらっと紐解いて見ます。
 寝酒の所為にしてはいけませんが、色ボケおっちゃんの過去を前にして、二日酔いになったりして...。



2016年7月18日月曜日

「林望のイギリス観察辞典」

 梅雨が明けたようで明けていないようで、その割に暑い日が続いています。皆様、体調管理を怠らないでください。  
 そういう私は、例の転倒事故(?)以来、どうにも回復力のなさに唖然とする日々ですが。
 情けない歳になってしまったという事でしょうか。言い訳になるかもしれませんが、右肘の痛みが抜けず、結果、右手の握力が今一つの状態が続いています。
 菓子作りこそ生業ですから何とか仕事としてこなしてはいますが、それ以外の事に集中する気力が衰えています。ブログ書き込みの滞り、お許しください。

 かのこ庵の駐車場の合歓(ねむ)の木が、今年、突然たくさんの花を咲かせてくれました。以前からあったのですが、驚きの一斉開花でございます。綺麗でしょう。何よりも可愛いでしょう。暫く楽しませてくれそうです。



  リンボウ先生の「イギリス観察辞典」なるご本を読ませていただきました。
 1993年の初版本が手に入りましたので。

 リンボウ先生、独特の観察眼と、文章力によって、英国人気質がよく理解できます。
 EU離脱で国内だけでなく世界中に衝撃を与えてくれましたが、その基本的な国民性が偲ばれます。
 それにしても、次から次へのテロ、そしてクーデターです。日本国内においても、無差別での、つまり何等関わりないのに命が失われていきます。


 ところで、関東での昨日のゲリラ豪雨。それでいながら水瓶地域への少雨。
 どうもあまり良い話題の少ないご時世です。

 

 リンボウ先生でした。
 本作は英国滞在中のエッセー集の様な本ですが、その中に「音楽」として、以下の記述があります。オックスフオードにおける大学の図書館の司書をしている青年の話ですが、食事に誘われます。食後、隣室へ移動させられまして『このように、食事の部屋と食後のお茶の部屋とを別にするのはイギリスの伝統のひとつである。(として隣室に入り、そこにハープシコードが置いてあるのですね)(中略)H君は静かにその蓋を開けると、直ちに鍵盤に向かって座り、その長く白い指を緩やかに動かして、おっとりとバッハを弾き始めた。空中に楽譜が流れ出たかと思われるような優美な旋律と、からみあう高雅な和音、躍動する対位法、追い巡るフーガ、私たちはあまりに芳醇な食後の一時に陶然となった。』と続きますが、曲目が気になりますね。 

 『また、あるときはロシアからモスクワ国立バレー団がやってきて《天地創造》というのをやった。プリマの妖精より、悪役の女悪魔のほうが数層倍美形で、なるほど悪の誘惑は善への導きよりも強い、とこの演目は教えているのか。』と書いています。

 リンボウ先生は音楽にも精通しており声楽家としても有名ですが、為になるご本であるとして紹介させていただきました。ただその実力の程は生をお聞きしておりませんのでわかりませんが、金沢や、東京は紀尾井町ホールなどで演奏会を開いております。多趣味でありながら、じつにその一つ一つに深い造詣を持っていらっしゃることが理解されます。素直に頭が下がります。

 少しづつ書いていきます。お付き合いください。 





2016年6月18日土曜日

「級友・朋友」

 下野新聞の地域情報版に「級友・朋友」という欄がございます。 
 随分以前に同窓会やクラス会にて参集した人達の、いわば報告欄とでもいうのでしょうか。
 皆さん元気なお顔で、そしてすこぶる楽しそうな表情がよみとれます。
 何年、何十年振りかで出会うという事は素晴らしい事と思います。 
 
 
 


 突然のテーマ変更というか、最近の実感としての近況報告もかねての書き込みです。

 昨年、今年と何名かの友人、知人の告別式に参列したり、又、訃報に接する機会が増えました。勿論何があっても不思議ない齢になってはおります。当然ながら、「級友・朋友」が減ることはあっても増えることは難しい話です。 
 
 


 那須在住のS氏から「栃木に行くから食事を・・・」との話を受け、そうだよなー、何名でもいいから集めるか、と思い立ちました。
 結果、7名での食事会となりましたが、全く、時の経つのを忘れての和やかにして、話題の尽きない食事会となりました。思い出すのに時間のかかる顔ぶれもあり、それはそれで楽しい時空間のひとときとなりました。

 栃木市で生まれ育って、尚且つその地元で商いを営んでいるものですから、おそらく同じ同輩よりも旧友に関しては知り合いが多いといえます。そこでお店のご近所にいる、又、よくご来店いただく方という条件にて独断の、ノミネートしての食事会となりました。

 しかし、このクラス会等を取りまとめるのは、相当の時間と覚悟が必要とされます。ある業者会や、某OB会等の事務局というか、幹事みたいな事もしてますが、正直止むをえずというのが本音です。最近は個人情報保護の問題もあり、一層難しい世の中になりました。

 それにしても、半世紀以上も前になる中学校の同窓生となると、ましてクラスが違うとまるで顔と名前が一致せず思い出せないのですね。ご来店のお客様から、「おい、お前、福田だろ!」という場面が結構ございます。「おう、暫くぶりだなー、元気か・・・」とは返事しつつも頭の中はフル回転して「誰だったかなー・・・」状態もあります。「お前の家に行ったことがあるよ」と言われましてもねー。今年前半に「スカイベリー大福」に関し、新聞紙上に写真付きで紹介されたことがありました。そんなこともあり、お店が休日ながら、仕込みで仕事をしているときに作業場への入口がノックされました。開けてみますと同年配風の女性二人が立っています。「お店休みだったのねー、福田さんでしょ、新聞見たので来たわよ」と。「足利から訪ねてきたのよー」と。「分らない!旧姓**と◎◎よ!」。「本当に分らないの」たってねー。「ぼけたんじゃない(これは言い過ぎですよ)」とまで言われても、折角来てくれたのに困りました。

 少なからず、多少なりとも交際があったとか、部活が同じだったとかならともかく、まるで思い出せません。そりゃー、下心があったとか、気になっていた女性とかならともかく、無理ですね。五十有余年の歳月は永過ぎます。

 今回の参加者から「実は4月にクラス会で20名以上集まったんだよ。」と聞かされ、その時の写真を拝見しましたが、正直、顔を思い出せるのは3~4名でした。クラスが違うとまるで異次元の世界の様相です。


 ともかく、とはいえ斯様な次第にて、いささか面倒ではありますが、立ち位置からして、地元で商いをしているものとして立ち上げますか。
 「栃木市立栃木西中学校、昭和36年卒業生の同窓会」を。
 ただし、暫時お時間を下さい。過去、それぞれのクラス会はあったようですが、全てのクラス合同で、とは初めてです。各クラスごとに幹事を選任したりとか、下準備だけでも大変です。

 極力急ぎますが(何しろ減るばっかりの年代ですので)下野新聞「級友・朋友」にも、何とか掲載をと考えています。そのあたりを契機として蠢く積りです。

 正直、体形や髪形等その変遷ぶりに尻込みなさる方もおられるでしょう。いわば老醜無惨な姿を見せたくないと思いの方や、昔のイメージのままでいて欲しいとの方もおられるでしょう。
 しかし、逢ってしまえばそんなことは全く問題なく、十分に楽しめる時間が出来ると確信します。

 このコーナーにてお心当たりのある方がおりましたら、ご連絡ください。ちなみにトップの写真は3年3組の卒業写真ですが。
 かのこ庵(0282-23-0111 FAX共用)迄、先ずはご一報を!
 御年、70~71歳の方が該当者です。
 お待ちしてます。

2016年6月4日土曜日

「黒田清輝」の集大成展

 間もなく、1か月程経過してしまいますが、上野にあります東京国立博物館、平成館にての「黒田清輝」展を拝見してきました。
 G/Wが過ぎるのを待っての新緑の上野公園でございます。
 しかし、なかなかの混雑ぶりでして、決して健脚ではない我が身には、暫くぶりの長時間歩行となり疲れました。当初は国立西洋美術館(世界遺産登録の話が進んでいますが)での「カラバッジョ展」や、「伊藤若冲展(今現在、話題沸騰とかで入館するのに数時間待ちだそうです。正直あほらし)」もと思っていたのですが、とてもとてもでした。そもそも美術館内での歩行距離も相当にあります。まして結構な来観者に混じっての見学そのものが大変なものがあります。


 それはそれとしても「黒田清輝」はいいですねー。
 1866年~1924年58歳での生涯でしたが、「絵画は単なるスケッチではなく、確固たる構想を備えたコンポジション(構想画)でなければならない」としてパリだけではなく、日本国内においても沢山の美術家に大きな影響というか思想教育までしました。



 詳細はともかく、館内での音声ガイド役をおふざけではなく「綾小路きみまろ」がしていました。出だしこそ「ようこそ中高年の皆様…」で始まりますが、あとは結構まじめな音声ガイドでしたが。
 事前に新聞で承知はしており、どうしたものかなー、と思ってはいたのです。だいたい音声ガイドは聴かない方なものですから。
 ま、結果としては、帰路の電車の時間を気にしながらの観覧となりましたが、かなり絵心をくすぐられました。雑木林を描いた作品もかなり多いのですが、恥ずかしながら私の拙い作品も雑木林が多いものですから。

 以来、自室にイーゼルを引っ張り出しまして、スケッチブックなんかを開いては見たものの、中途半端な自画像程度でブックを閉じて現在に至っておりますが。
 才能が無いのに急には描けるものではないですね。
 お断りしておきますが、本作品展は5月15日にて終了しております。

 話は、前々回の続きみたいになりますが、要は「悠久の歴史あふれる栃木市」にて、どうもその辺のことがないがしろになっているのが不満なのです。蔵や、歌麿や、あほらしと書いては関係者に怒られそうですが、川舟なんかにばかりスポットが当てられすぎです。偏りを感じてしまうのです。「謙之助の石碑」等も含めて来客の方にご紹介するには貧弱でしょう。市の所有物として、ダ・ビンチの模造品が収蔵されていますが(歌麿も)、市内各地の図書館等で繰り返し巡回展が開かれている事ご存知ですか。「蔵の街美術館」でだけ展示されたのではなく、図書館関係者がうんざりしていることを知らないのです。縄文、弥生からの遺跡群や、少なからず残されし歌枕の地が忘れられています。
 下野市や那須町などの歴史の掘り起こしや、その進捗状態の紹介等には新聞記事にて承知しているだけですが、感服させられます。
 そういうことなのです。
 又、余計な事を書いてしまいました。 

2016年6月1日水曜日

「ジャック・ルーシエ」(Play Bach Trio)

 キイボードをたたきながら、このパソコンのBGMとして「ジャック・ルーシエ」のバッハ演奏を聴いています。便利な世の中です。
 洗練されたフレンチジャズ、イージーリスニングとしての何とも言えないクラシックジャズの真髄が心を癒し、楽しませてくれます。  
 
 例えば「ジュニア・マンス」や「セロニアス・モンク」も大好きですが彼らにはない、例えば「ビル・エバンス」や「デーブ・ブルーベック」等の白人ピアニストに共通の都会派的なジャズに少し近いものを感じます。クラシック音楽にして、見事にジャズに変換しているこれらの作品群には、明らかにアメリカ的ではない滑らかな、つまり流麗な感性を感じます。
 このトリオのコンサートが大聖堂、つまり教会にて開かれたりしています(ユーチューブで直ぐに見つかります)が、何ともその場にふさわしく、又、聴衆の反応の良さや、感動が伝わってきます。 

 違和感がないのは曲目の殆どが「ヨハン・セバスチャン・バッハ」を原曲としているからでしょうか。


 彼のトリオは3回、メンバーの交代をしていますが、1998年に結成された現在の構成が、主にユーチューブで拝見出来ます。 
 「ジャック・ルーシエ」本人は81歳の現役プレーヤーですが、パリの高等音楽院に16歳で入学し首席で卒業してます。しかし何をもってしてバッハに傾倒し、その表現スタイルとしてジャズに傾倒していったのかまでは解りません。ただその、のめり込み様が曲を聞くことだけで理解出来るような気がします。

 その彼が当然の如く(?)「バッハの『ゴルドベルグ変奏曲』」をも見事にアレンジしていながら、「グレングールド」に引けを取らない演奏をしています。バッハへの傾倒とその深い理解なくして、そしてテクニックが無ければレコーディングできない曲目と言えます。 
 グレングールドとジャックルーシエの違いは、私がここに書くのは憚れそうですですが、あえて書きます。

 二人のゴルドベルグ変奏曲を比較するなら、グールドはクラシックピアノソロとして聴き惚れ、そのバッハの世界の深淵を覗くかの如きです。ルーシエの場合は聴き惚れるというよりも、バッハの世界を軽やかな謂わばパラグライダーにて、風音(曲目)を体全体で感じながら、浮遊させられている、ということですか。

 ところで、ルーシエトリオのベーシストです。5弦のベースを駆使し、見事にルーシエを助けつつ、彼のソロには驚愕と同時に圧倒されるものを感じます。実にいいのですね。
 風貌は映画の「トランスポーター」で実に格好良く演じているご存知の「ジェイソン・ステーサム」によく似ています。名前は長いのですが「ベノワ・ドュノワイエ・セゴンザック」といいます。どちらかといえばステーサムを失礼ながら理知的にした、と表現してはいけないかな。

 もう少し書きたいのですが、時間です。又、もう少し書きます。
 しつこいのです、私って奴は。

 しつこい、ついでですが、実は平安時代物というか藤原実方に関し、新たな論文が見つかりました、昨年末の事ですが。

 和洋女子短期大学にて教授をなさっている安藤享子様が、「実方説話生成考」として発表しています。近いうちに、又しても1千年前に遡って書き込みします。
 実方の陸奥下向に関する論文とあっては、無視できません。

 それにしても本当に歳ですね。身体の故障の回復が、実に遅くなってきているのを実感しています。未だにシップから解放されないのです。
 こればっかりは、時は逆回りをしてくれないですからねー。

2016年5月25日水曜日

「謙之助」です。

 ご覧の通り篤志家の厚意により「謙之助」の墓碑に屋根が架けられました。この件に関しコメントがあり、返信したのですが、どうも真意が伝えられてないような気がして、気になって困っておりました。

 繰り返しますが、正直それほどまでに私にはどうでも良き事柄でもあるのです。が、何しろ毎朝カーテンを開けると眼前にまず飛び込んでくるのがこの「墓碑」なのです。

 返信の中で「天狗」と書きました。本来は天狗党と書くべきでしょうが、実はこの天狗党も「水戸天狗党」、「出流天狗党」とか、旧栃木町に多大な迷惑を残していった天狗党の配下であった「田中愿三隊」等があるのです。更には水戸藩内を真っ二つに分けて戦った尊攘派と穏健派(?)の争闘が繰り広げられていました。
 大局を考えてみれば、本来の水戸天狗党に世界の時世を読む思慮がなかったのが問題なのですが、ともかく騒乱の続く幕末でした。数多の若者がその激した行動により、格好良く書くなら「草莽の志士」達が亡くなりました。


 そんな中、西山謙之助は出流天狗党の一員、というよりは正直使い走りの様な役回りで、栃木陣屋に金品を強請べく掛け合うために馬に乗ってやってきます。田中愿三隊による殺害や焼き討ちによって、散々な目に遭っている栃木陣屋側としてはこんな要求に唯々諾々とはいかないわけです。結果、要求を撥ねつけられ、現「幸来橋」にて、待ち伏せしていた陣屋側の手にて殺害させられます。他にも数名の死者が出たようですが、彼らは現在の石碑があるところに穴を掘り、埋葬ではなく、捨てられ土をかけられただけ、というのが真相のようです。
 ただ、私には何故、西山謙之助だけの石碑が存在するのかがよく承知出来ていなかったという事です。しかしその全体像が判明してみると、正直、観光協会のボランティアがご紹介する場所ではありえないでしょうし、まして屋根をお掛けになるとは・・。
 私個人としての意見ですが、そっとしておくべき場所なんだろうと思います。それだけの事なのです。


 バッハに中々進みません。
 時間に余裕が持てるようになった現在、いささか忸怩たるものを感じています。歳のせいにしたくはないのですが、所謂、集中力が、増して何か気持ちの持ちようがいささか散漫になっている己を感じ、時に憮然としている自分に辟易しています。
 つい4日前の晩、自室に掛け軸をかけるべく、脚立ではない、キャスター付きのいすにのって落下し、右腕の肘あたりを強打してしまいました。恥ずかしながら、阿呆な爺です。今現在も痛みがかなり残っており、仕事にも支障が出ています。

 嗚呼、自己嫌悪の日々です。



 

2016年5月16日月曜日

「西山謙之助の墓碑」、続きです。

 12月から5月のG/Wを過ぎるまで和菓子屋は繁忙期です。
 いささかの疲れもあり、体調が崩れがちになってしまいました。   
 草餅や柏餅は共に餅つきでして、体力勝負となります。
 それでも、数ヶ月前に入ったパートさんから「お歳には思えない
フットワークですね」といわれ、満更でもなく働いております。
 ともかく忙しいのも、もう少しです。
 
 「バッハ」は少々お待ちください。

 「誠にどうでもよき事ですが・・・」と書き込みしたのは2年前の今頃でした。このあほなおっちゃんの書き込みに関しコメントをいただきました。しかし、そのコメントに対する私の返答がなんとも不十分と感じ、又、短いコメントでは真意が伝わっているか不安ともなり、表題に関する私の思いを書き連ねる事にしました。

 ただし何とも、ただ今「腑抜け」状態が4~5日続いています。

 頭の中が脳煮えの様な状態が4月中続きました。
 パソコンを開くことが誠に億劫になってしまう、まして書きたいことも、書かねばならぬことも、考えたくもなき数週間でした。

 とはいえ、上野の森を、美術館内を彷徨している日もありましたが。
 
 
 那須在住の同級生の励ましを胸に、数行で次回となるかもしれないこのブログ、書き込み続けることにしました。

 表題の「謙之助」ですがごめんなさい。
 次回です。