2012年3月14日水曜日

観世流復曲能 初演「阿古屋松」

 恥ずかしながら一昨年、拙い本を出版しました。題名は「栃木の歌枕と藤原実方 考」というものですが、この本の出版に際し新聞社がお取り上げいただき少なからず反響がございました。それ故か、かなりの方がご購入下さったのですが、その中に日光市在住の青木様という方がおられました。未だ面識は無いのですが、過日お便りを頂戴いたしました。
 「藤原実方への思い入れの深い(私の事です)」ということで、能楽にご堪能の青木様が、国立能楽堂で開かれます「観世流」のしかも世阿弥自筆本による能、しかも復曲初演の能ということで、四月に特別公演、三月に特別講座が開かれる旨のご案内をいただきました。三月の講座の予定は昨日でした。四月の公演は四月末、つまりG・W直前になっておりまして、誠に残念ながら涙が出そうなお話となってしまいました。
 山形県山形市内に萬松寺様という立派な由緒あるお寺がございます。そこには実方の遺言により、遺骨が分骨され埋葬されておりますが、「阿古屋松」という、又、「阿古屋姫」という実方につながる伝承が残されております。詳しくは記しませんが、実方下向の一つの要因とも言える実方による歌枕を探しての旅路の中での話となります。
 国立能楽堂 特別企画公演 世阿弥自筆本による復曲能「阿古屋松」 を、観世清和様が演じなさいます。誠に残念というしか有りません。青木様にはその旨、返信させていただきましたが、ご関心のお有りの方は能楽堂までお問い合わせください。

 さて、その藤原実方ですが、今月一日に書き込み途中のままの「『権記』 藤原行成」の中で初めて名前が登場して参ります箇所があります。正歴四年(993年)二月二十八日
の記述に「殿上賭射定」として
 「酉剋、主上(一条天皇)侍所出御。摂政が伺候。蔵人式部丞、左右中弁も同じく伺候した。天皇の仰せによって、
各々、前後の射手(いて)を取り別けた・・・。」として射手の
前方、後方各21名の名前が記されるのですが、後方の一番手として藤原実方朝臣が登場して参ります。和歌詠みの名手としての実方は武人としても認められた存在であった事の証でもあると考えます。当時、行成二十二歳と有りますので実方も同じくらいの頃と思われます。一条天皇、十四歳の時でした。 
 

 しかし如何に現代語訳とはいえ、次から次へと人物名が出てきます。又、始めて目にする漢字や、行事における名称等、ルビが振ってあるのですが、細かくて時に拡大鏡が欲しくなる時もあるほどですし、全三巻の文庫本としては其々結構な分厚さです。ま、少しづつ、それでも結構、興味深い記述も出てまいりますので、辛抱半分読み続ける事とします。「源氏物語」と関連付けて読み進めますと、いわゆる当時の王朝貴族の日常がよく理解できるのです。
 でも如何に趣味の範囲とはいえ、一寸深入りしすぎですかねー。
 「源氏物語」の中に、「蓬生」という帖があります。
 「末摘花」と再会し彼女を引き取る訳ですが、光源氏の復権を象徴する展開となります。が、ここで出てくる「蓬」が荒れ果てた屋敷の雑草の象徴として描かれています。一寸抵抗を感じる所でもあります。

 うーむ。三日連続のカキコミです。如何にベッドの中で悶々としていたかお分かりいただけましたでしょうか。
                合点、ガッテン。

0 件のコメント:

コメントを投稿