2012年7月30日月曜日

『ポ・ト・フをもう一度』 開高健

 早速ではございますが・・・。
 
 私が敬愛し、私淑した直木賞作家、故「山口瞳」先生の文学碑が、先生がこよなく愛された国立市の谷保天満宮にございます。石彫家「関敏」先生の作になりますが、裏面に私の名前も刻まれております(恥ずかしながら)。
 その山口先生が寿屋(現在のサントリー)の宣伝部に入社するときに面接、対応なさったのが、あの芥川賞作家、故「開高健」先生です。
 野球が好きで上手でした山口先生が、野球のチームを社内に作り監督をなさったことは、お好きな方なら有名な話です。名づけて「東京トリス軍」と申しました。そのことが昨日書込みいたしました開高先生の最新作『ポ・ト・フをもう一度』にショートエッセーにて登場してきます。
 嬉しくて、ここに採録いたします。

 「ボクの最良のメイ試合
一、プロ野球には全く興味ありません。球団の名も選手の     
   名もほとんど知りません。
二、『ああ堂々の東京トリス軍』が岩波書店の精鋭と石神 
   井の毎日グランドでヤッたとき、その輝かしい午後に
   小生はみごとな二塁打をとばしました。
   この一打によって小生は味方の絶望とテキの憫笑を 
   一蹴したのですが、三塁からホームに帰るとき転倒
   し、正確に百八十度回転しました。ルールがよくわか
   らないものだから、その無知につけこまれたのです。
   悲劇的な封殺でした。その壮烈さは戦艦シュペー号の 
   自沈に似ていると、その後永く噂されています。
三、『ああ堂々の東京トリス軍』の名誉選手。一塁手。ユニ
   フォームと薬箱を持っています。
   スパイクもあるのです。
   背番号は1番(開口一番のシャレです)。
   名誉選手ですから相手が強豪のときにだけタノまれて
   出場します。」
 昭和38年「文芸春秋漫画読本」のアンケートに答えてのお話でございます。

 「石についての寸感」という作品の一部には、先生ならばという表現が出てまいります。以下、抜粋です。
 『そして外界に挑むことに挫折すると、すぐさま庭の黒土に眼をやり、調和をはかる。その予定調和の感性の美学のなかでは、時間ははじめもなく、終わりもなく、茫漠と流れ、拡散するばかりである。・・・』
 この抜書きでは意味が分からないかもしれませんが、その雰囲気を感じていただきたく、ご紹介しました。実に素晴らしい表現力とユーモアに頭が下がります。もう少し。
 『いま、人間は精神のダイエットを
  忘れているんじゃないですか。でも精神のぜい肉が
  ふえる一方で、実は本物を求める要求は
  強くなっているような気がする。そして、ものみな
  過剰生産の時代に読者をダイエットさせるのが、
  文学ではありますまいか。』

 如何ですか、1989年に没しております。が、今でもその慧眼に新たな驚きを禁じえません(月並みな表現ですね)。下の写真は腰巻の裏面です。書籍には、表紙の概ね3分の1程度に記載内容を紹介した、帯が掛けられております。これを、腰巻と、業界用語でもなくなりましたが、呼びます。「腰巻大賞」なる賞まであります。その次の写真は、当時の寿屋宣伝部、一世を風靡した「洋酒天国」その「アンソロジー」を発刊してのお祝いでのスナップです。柳原良平先生もご一緒です。新聞に掲載されましたものの切抜きです。
 
 

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