2012年9月3日月曜日

「枕草子」個人的にその2

 少しだけ、夜風は涼しくなりました。そこで、エアコンを止めまして、クリップ式の扇風機にて外気を自室に取り込むようにしたのですが、馬鹿ですね。タイマーがついていないため、深夜2時頃まで風に当たっておりまして、その肌寒さに目覚め、夏風邪の状態です。目覚めんかったらあの世行きだったかも知れないという、あほなオッチャンとなりました。
 私的解釈による「枕草子」のつづきでございます。
 簡単に主要なる登場人物の流れを記します。勿論、大学の先生や、個人的に相当深くお調べになっている方も沢山おられることを承知の上で書きます。多少の齟齬はご勘弁ください。

 986年、一条天皇、即位します(満で七歳)。
 990年、藤原定子、一条天皇のキサキとして入内します。
 993年、清少納言が定子に仕え始めます。
 995年、藤原道隆の死去等に伴い、定子の華やかだった
      人生が暗転します。
      花山法王暗殺事件起こる。
      伊周達の処遇に伴い、定子達は職御曹司に移転
      させられます。
      この頃から「枕草子」が書かれていきます。
      十月末、藤原実方が陸奥国の国司として下向し
      ます。
 この995年(長徳元年)における時点で登場する、或いは活躍する人物達の推定年齢は次の通りです。
 一条天皇十六歳、定子二十歳、藤原道長三十歳、藤原行成二十四歳、清少納言(生年不詳のため推定)二十六歳、藤原実方(同)三十一~二歳。花山法王二十七歳、
藤原詮子三十三歳(一条天皇の生母、道長の政権掌握に果たした役割は少なからず)、藤原彰子七歳(長保元年999年一条天皇中宮として勧告され翌年、入内する、当時十二歳)。尚、定子は996年女子出産、999年敦康親王を出産しています。
 さて「枕草子」ですが、八十六段(文献や書き手によっては、多少、段数が異なりますがあくまで私の手元にある原文のままの現代活字に変換されたものにて話を進めます)には、そんな不穏にして喧騒状態の中、次の文章が出てまいります。
 『小兵衛といふが赤紐の解けたるを、「これを結ばばや」
 といえば、實方の中将、よりつくろふに、ただならず。
 あしびきの 山井の水は こぼれるを いかなる紐の
   とくるならん
 といいかく。(中略)まして歌よむと知りたらん人の、おぼろげならざらんは、いかでかと、つつましきこそはわろけれ。』
 やきもちを焼いております。
 全てとは言いませんが、定子を信じ、愛し、寵愛も受けた清少納言の、逆境の中にあってもめげることなく明るく振舞った人物像が垣間見えます。

 残念ながら、続きは次回でございます。
 正直、なかなかもう少し時間のある方でないと、といいますか、私には少し頭が痛くなってまいりました。
 本来の、感想はもう少し先になります。
 日没直後の大平山です。栃木市の母なる山といえます。

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