2013年3月28日木曜日

「それでも飲まずにいられない」開高健編

開高先生の編著になる表題のご本がございます。

 性懲りも無く、相変わらず飲酒について逃れることができずに、遂には、全く我が身のだらし無さをさらけ出すような、本を読んでおります。

 宿酔いに関するエッセーが多いのですが、池田弥三郎先生の作品から『酒がかわいそうだ』と、しまして『酒好き、というよりは大酒飲みだったわたしの父は、生涯をただ一人の市井の人として過ごしたから、別に改まった「庭訓」のようなことは言い残しもしなかったし、叱る時でも文句を言うのではなくて、ただガーンとどなるだけだった。あっさりしたものだった。
 その父が、何か怒鳴ったあとで、ぶつくさ言っているので、聞いてみたら、何かしくじった知人が、あやまりに来たのはいいけれども、「酒の上のことだから」勘弁してくれ、と言ったのが、気にいらない、というのである。「酒の上のことだから」なおさら勘弁できない、失敗の原因を酒に持っていくなんて、酒飲みの風上にもおけない、それでは「酒がかわいそうだ」と言った。「酒のせいにするのは酒がかわいそうだ」というのは、いい台詞(せりふ)だと思って、今に忘れない。』そうです。
 長くなりましたが、酒飲みとはそういうものです。
 コップにお酒の類を少しでも残して、その場を去るなんて事は、なかなか出来難いものなんです、呑んべいには。
 山口瞳先生の作品も当然ながら、三作も登場します。
 曰く『<宿酔の特効薬>は会社で真面目に働くことです』とか、 『つらくても<あいつは休まない>というところを』。
 又、 『井伏鱒二先生は、ぬるい風呂に入られるそうだ。その湯を少しずつ熱くしてゆく。そうすると、さっぱりとして、宿酔がなおってしまうという。
  ある人が、先生、それからあとどうなさるんですかとたずねた。
井伏先生は、妙なことをきくなという顔で答えられたそうだ。「きまっているじゃないか。また飲みはじめるんですよ」』と。
 パスカルは「真理の発見は、酒を飲みすぎてもだめ、酒を飲まなくてもだめだ」と、又、ユーゴーは「神は水を作った。人は酒を作った。」
 キリがないのでここまでにしますが、「酒なくて、なんで己が桜かな。」と思います。他にたいした楽しみがあるわけじゃなし。ただし他人様より少しだけ酒量が多いのですねー。

 
 昨日は孫と、その友達二人の合わせて四人でハンターマウンテンを楽しんでまいりました。
 実に細かい霧雨状態でして、かなり濡れてしまいました。いよいよシーズンも終わりですね。  それにしても、疲れますねー。   
 
 もう明らかに歳です。
 しかし、山の頂は雪がたっぷり残っておりましたが、下界は桜の花を含めて、春花繚乱の如くです。あちこちのスナップをお楽しみください。
新緑ですよ。もう。
今朝、悠々たるもんです。





 
 

 
 次回は「和泉式部の熱情」をテーマに、少しだけ脇道に入り込んでみます。




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