2013年4月19日金曜日

「わりなき恋」岸恵子

 驚きです。岸恵子さんは1932年8月のお生まれ。ということは今年八十歳になられます。とてもお若くて、心身共にお強い方なのでしょうね。
 322ページの書き下ろし「わりなき恋」という書名の作品を発表なさいました。作家としても、ジャーナリストとしても活躍してますが、そんなお歳になるとは女性は怖いですね。そしてお強いですね、作中の主人公「笙子」同様に。

 40年程をパリでお過ごしになっておりましたので、国際的な感覚や、知見が半端でないことは理解できますが、作中のストーリーの中で清少納言の深養父(ふかやぶ)が出てくるとは正直、私にはため息が出てしまいます。
 主人公、笙子の親友から『笙子の好きな清少納言のひいおじいさんに清原深養父(きよはらのふかやぶ)という歌人がいて、古今和歌集の中でこんな歌を詠んでいるの。
 心をぞわりなきものとおもひぬる 見るものからや恋しかるべき
 こうして逢えているのにまだ恋しさが募る、というような意味だと思うの。「わりなき恋」を理(わり)と書くのは当て字だけれど・・・・・理屈や分別を超えて、どうしようもない恋。どうにもならない恋、苦しくて耐え難い焔のような恋のことだと思う。笙子、覚悟ある?』。
 と出てまいります。
 これでは私としてもいささかの知識を披瀝したくなります。本書から少し脱線しますが、清少納言の実父は清原元輔であり彼が六十歳になった時に授かった女の子でした。その父の名から彼女は元輔女、清の少納言、清少納言と呼ばれるわけです。
今年の風はどうなりましょうか。風知草が伸びだしました。
 さらに血筋として遡れば、天智天皇、舎人親王までたどり着くのですが、清少納言のひいおじいさんの頃は決して都における官位やその存在は、薄いと言えます。それでも父も、ひいおじいさんも其々に「元輔集」、「深養父集」という歌集を、そして共に勅撰和歌集にもその和歌が採られています。裕福な環境ではなかったでしょうが、血筋でしょう。才能ある女性として、その名を残しました。
 話がそれましたが、清少納言はもう少し先になってからちゃんと書く予定です。
 
クリムト「接吻」
 「わりなき恋」の作中にて、ウイーンを旅する熱愛の二人の場面がございます。そこで、クリムトの「接吻」と「ダナエ」の絵画が一つのシチュエーションとして出てきます。グスタフ・クリムトは、私の好きな画家の一人でして、彼の生涯を描いた本も読んでおります。しかしこの事はいずれ遠くないうちに書きます。
ギリシャ神話に出てきます「ダナエ」です。
股間を流れる金色を含めて実に官能的な作品です。
 さて後半にて、先ほど書きました彼女の親友から『私たちの世代は、そういう役にも立たない、美意識とか、女の意地みたいなものをいっぱいぶら下げて生きているのね。そんなことで、とても大事なものを失っていくかもしれないのに・・・・・笙子、あなた別れ急いでいない』と言われます。
 大人の、しかも最早ありえないと思える恋に身を焦がす熟熟年(重ねてしまいました)。何しろ笙子69歳、彼が58歳の出逢いでございます。しかし先程の清原元輔が六十歳にして当時の寿命の中で女児を授かるわけです。愛欲は肉欲に共通の事であり、わが身が相手と一身になっている、その実感はというか、歓びは肉感としてはそれぞれの様です。作中で某女医さんの言葉として出てまいります。何事も個人差があることは事実でしょう。しかし果て無きことではなさそうです。

 いつの世でも、お元気な人はいるのです。そのためにも、とまでは申しませんが、やはり現役で仕事にどちらかといえば急かされ、それでいて異性にも常に関心を抱く。
 若さの秘訣なのでしょう。何時、何処で、どんな場面が生じるか、じっとしているのではなく、動き回る中で思わぬ出逢いが貴方、貴女を待っているのです。信じましょう。こんな世の中だからこそ。ただし、燃える焔となるか、くすぶる「さしも草」如くになるかはわかりませんが、ハラハラドキドキはつきまといますこと、お覚悟の上にて。「だからやめられないのかお前は」と、どこからか聞こえてきそうな感じがしますので、今回はここまでです。
麦が風にそよぐ中、今回の話に合わせるべく撮っておいた大平山の黄昏です。

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