2013年12月1日日曜日

「林 望」リンボウ先生の事

 前回、リンボウ先生が栃木市にいらっしゃったことを書きました。  
 その林望先生の大作「謹訳 源氏物語」の書評を丸谷才一先生が、その最後のエッセー集でもある(続編があるような気がしてますが)「別れの挨拶」の中に登場してきます。
 『世界最古のモダニズム小説の読み方』と題しまして。


 それにしても、丸谷先生の視点もさることながら、俎上に乗ったリンボー先生(以下先生の文字を略します)の古典に於けるその翻訳力には読者への愛情を感じます。とても読みやすく、何より理解してもらうために、原作者が敢えて書かなかった部分を優しさをもった文体で訳して下さっているからです。
 調べに調べ、読み込んで、又、読み込んで、現代語訳なさったことが十分に理解できます。
 丸谷様曰く、「源氏物語」は『若菜、上、下』が紆余曲折は藝の限りを盡してゐて、手に汗握るおもしろさ。これが人生だとか、これこそ小説とか、感嘆し続けることにならう。(中略)諸訳さまざまに特色あるが、今は林望の新訳をすすめたい。訳文が丁寧で行間に秘めた意味あひを明らかにしてゐるから。たとへば「若菜上」で光源氏が朧月夜を訪ねて共寝した翌朝の情景。傍線(ここでは下線)は紫式部が筆を惜しんでゐる箇所。
 (長くなりますが)
  『夜色が退いて、少しばかり空が白んでくる。その明け方のほ  
 のぼのとした空に、はやさまざまの鳥の囀(さえず)り交わす声 
 がうららかに聞こえてくる。
  源氏は、そっと閨をすべり出でた。(中略)
  源氏の胸中には、あの宴の夜にこの君と危うい一夜を過ごし 
 たことなどなど、それからそれへと思いがあふれ出てくる。
  いかになんでも、もうすっかり明るい時分になっては、源氏は 
 帰らなくてはならぬ
  が、女はどうしても床から起き上がることが出来ぬ。お付の中 
 納言の君が・・・(中略)』。

  なぜ朧月夜が起きあがれないのか。夜どほしの色事に疲れ果てである。栄達を極め、四十男になっても(今ならさしづめ六十代相当か?)、光源氏は精力旺盛であった。さういう人物が若い男によって寝取られ亭主にされ、あまつさへその若者の子を育てねばならぬ。そのくやしさを読者は思ひやって、小説的興趣を満喫することになる。」 

 リンボウ様の「謹訳 源氏物語」六 を、評しております。

 さて、「リンボー先生の うふふ 枕草子」でございます。
 原文を読んでその後にリンボー様の現代語訳が添えられております。丸谷様ご指摘のように、足らない、というか、端折ってある部分を補って訳して下さっています。

 「枕草子」は「ものはづけ」として六十一段は「瀧は」として、六十二段は「河は」として、六十四段は「里は」としてありますが、この途中の「六十三段では突然、全然違う様相を呈している。
 ちょっと謎々めいたものはづけの章どもが並ぶ中に、いきなり小説の一場面のような文章が現れてくるので、読者はびっくりしながら、しかし、どうしたってその意外な展開の一章に心をひきつけられる・・・」。
 つまり、『あかつきに帰らん人は・・・』の段になります。原文は略します。なぜ唐突に、この章段が出てくるかの意味も解説なさってくれておりますが、この後朝(きぬぎぬ)の別れが、突然現れることに「著者、清少納言」の「随筆としての妙味」がある、としています。又しても長くなりますが、いいところですので。
 
 
 
  
 「───男というものは、この暁の別れの時の様子が肝心で、ここ 
 ぞとばかり情緒纏綿とした様子であってほしい。
 たとえば、こんな風に。
  自分から、さっさと起きたりしないで、何だか知らないけれど、  
 いつまでも寝ていたいというような様子で寝床にいるところを、 
 女の方から、強いてせっついて『ほら、もう夜が明けちゃうわよ。 
 人に見られたら大変でしょ、起きてね』などと言わせて、そう言わ
 れて初めて、大きな溜め息なんかついたりしている。
 『ああ、やっぱりもっといっしょにここに寝て居たいのね』と女に 
 思わせてくれる、そうでなくてはね・・・。
  指貫なんかも、さっさと穿かないで、いつまでも下着姿で座っ 
 たまま、それで、すっと近づいてきて、夜のうちに交わした睦言 
 の続きみたいなことを、女の耳元にささやいて・・・。そんなことし
 ながら、女の気付かないうちに、いつのまにか、ひとりで帯なん
 か結んでいるらしい。(以下略)」

  「ああ、生々しいなあ、と、私は心の底からおもう。
   なるほど、帰っていく男の服装はだらしない方がいいじゃな
  い、とつぶやく清少納言の真意はこういうことだったかと、しっ 
  かり得心がいく。」

 その正反対で、さっさと身支度を済ませ、「じゃあね」くらいのひと言で帰ってしまう、なんていうのは、情緒も何もわからない男のパターンである、というような文章も清少納言は残しています。
 彼女の実体験を書き残したのではと考えられます。つまり、実方、斎信(ただのぶ)、行成他、結構な数の人物との交流が現実にあったようです。特に実方や斎信は貴公子として、又、当時は当然のこととして、好色は日常の作法みたいなところもあったでしょう。三度にわたり結婚もしています。中宮定子にお仕えしながら、うぶな女性を時に演じ続けつつ、一方では・・・。ともかく、当時の超イケメンたちから言い寄られてきていた清少納言とは、自身の書き残したものとは程遠く、モテた女性であった、といえます。
 男は未練たっぷりに帰らねばならないのです。

 リンボー様の古典物を渉猟することになりそうです。

 店内の写真の花はお客様から頂いた西洋つつじ「アザレア」です。うれしいですね。外看板下の八重の山茶花が満開です。

0 件のコメント:

コメントを投稿