2012年11月15日木曜日

「推定無罪」から「無罪」へ スコット・トゥロー

 どうも自慢話のようで照れますが、読み流して下さい。
 三~四十歳代は時代小説なら「藤沢周平」、「山本周五郎」、現代ものなら「山口瞳」、「開高健」、そしてハードボイルドですか。更にはリーガルサスペンス(法廷もの)が好きでして、随分と読みました。映画で言うなら「荒野の決闘」におけるワイアット・アープ保安官役を演じたヘンリー・フォンダ主演の「怒れる12人の男」、よかったですねー。英国アカデミー男優賞を受賞してます。ジャック・レモン主演でのリメーク版もありました。かなり昔の話ですが、知っている人はよくご存知の名作です(当たり前の事を承知で書いています)。裁判所内での陪審員達の葛藤を、判決を評議する、その一室内だけが撮影場所という作品でした。あれからですか、アメリカの陪審員を前にしての作品群にとらわれたのは。
 私の好きな男優の一人にポール・ニューマンがおります。
 彼の「評決」もじつによかったですねー。
 ついでに書くなら、グレゴリー・ペックの「アラバマ物語」もまさに昔の作品ですが、人種偏見の中で戦う弁護士役としてアカデミー主演男優賞他、グラミー賞までとっています。賞はともかく感動作であります。
 つまり、陪審員達の前で検察側と、弁護士側との対決が素晴らしく、興趣というか、緊張感が堪らない訳です。
 
 そこで、ハリソン・フォード主演でヒットした作品に「推定無罪」という裁判ものが23年前に上映されましたことをご存知の方は多いと思います。シカゴ地区連邦検事局の現役の検事補であるスコット・トゥローが書いた小説が原作なのですが、何と24年ぶりに(その間「立証責任」や「有罪答弁」等の名作を書いております)「推定無罪」の続編を出版いたしました。タイトルは「無罪」ですが、作品の中身はご紹介いたしません。当たり前ですよねー。それを書いてはいけないというか、マナー知らずになってしまいます。
 
 しかし、訳者あとがきを入れて469ページ、しかも1ページ二段組の長編小説ですが、一気に読了しました。内容はそんなわけでご紹介いたしませんが、衝撃の真実が最後に明らかになります。その最終章の前での翻訳文の一部を。  
 『この歳になれば、人は誰でもうしろに過去を、その思い出を消し去ることはできない人や時を引きずっていることを知っている。』、そしてラストにおいて『うまくいかなかった結婚はうまく言った結婚よりもずっと複雑だが、たいていおなじ嘆きの言葉に満ちている・・・あなたはわたしを満足に愛してくれなかった。』と。
 この作品が映画化されるのかどうかはわかりませんが、原作を読んでから映画を観るか、映画を観て原作を読むか、人それぞれでしょうが、これだけはいえると思います。
 例えば、ロバート・デ・ニーロ主演の「ミッドナイト・ラン」という映画がありました。この時は、原作を先に読んでから映画を見たのですが、小説の中でしたらいくらでも飛行機はおろか例えてのことですが、戦車やその他大勢の出演者を何千、何万人と登場させられますが、映画ではそこまで費用は賭けられません。如何に決められた枠の中で観客を楽しませるか、監督や脚本家の手腕が問われるわけです。映画は好きな俳優さんでしたし、超一級の娯楽アクションとして、実に楽しませていただきましたが。
 もっとも現代では、CGや3D全盛ですからその辺のことは心配要らないのかもしれませんね。

 好きなジャンルのしかも素晴らしい作品の読後感は新しいロマンスをスタートした(へんな表現ですか)かのごとく、結構、自分の雰囲気が上等な上着が出来てきたような錯覚に陥ります。斯様な次第にて、なんとも夜更かしによる寝不足にて、多少アルコールが昼間でも残っているような・・・。
 和菓子屋のおっちゃんにはあまりふさわしくない、法廷小説、読書感想文の巻でした。

 気持ちを切り替えて仕事に励みます。

2012年11月11日日曜日

「季の上生菓子」販売開始です。

 毎日でもないですが、パートさんたちが帰ったあとに一人で少しづつ作りつづけて来ました。先ずはご覧ください。
 
  奥から「寒牡丹」、左から「菊」、「山茶花」、「万両」、手前が「水仙」です。如何ですか?
 とりあえず毎日、五品目を各十個限定での販売です。
 この道に入って三十五年になります。いつの間にか、お褒めいただく商品が少しづつ増えました。しかし、新製品というよりも、伝統和菓子作りはこれからの新しい挑戦と考え直しました。正直な話、冷凍技術の進化があります。少しづつ、季節にあわせた和菓子をご提供いたします。
 今までも特別なお客様のご注文に限り、少しづつ作ってはいたのですが、今週金曜日から店頭販売を開始いたしました。お蔭様でご好評、というか「流石にかのこ庵」と仰って下さる方が何人もおりまして、商売冥利を実感しております。年末あたりからはすべて新年にふさわしい上生菓子に変えてゆきます。是非、姿形をご堪能の上、お召上がりください。
 流石にかのこ庵の商品と、ご納得いただけること確信を持ってお勧め申し上げます。
 

「栃木市秋祭り」大盛況

 十一月九日から十一日まで、栃木市内は盛大なる「秋祭り」が行われました。昨晩、早めにお店を切り上げ人混みの中、幻想的とも言える各町内の山車巡行を拝見してまいりました。以前は五年おきでしたが、二年に一度開かれる
事となり大変な盛況振りです。今回は私の下手な解説より昨晩撮りました写真の数々をご紹介申し上げます。





それにしても「ぶっつけ」と称している山車同士のお囃子合戦には、相当な迫力と魅了されます。 何とかその雰囲気が、そして栃木市という伝統ある街が伝えられたら幸いです。

2012年11月7日水曜日

「月の輪草紙」瀬戸内寂聴

 「一人で生きてゆける女になりなさい」。
 一条天皇の寵愛を一身に受けるなか、仮の身の出家の形で剃髪、肩までの髪のまま一男二女をなしながら、三人目の子を産み落とすと同時に亡くなります。
 皇后定子の波乱に飛んだ二十五歳での短き生涯でした。
 その定子に仕えた清少納言に、定子は冒頭の言葉を残します。定子の運命は短いながらも哀楽をすべて背負い込んだような人生でした。そこに「定子サロン」と言う言葉が残るくらい華やいだ、教養なくして存在し得ない舞台の中で清少納言は生き、随筆「枕草子」を残しました。

 その清少納言に乗り移ったかのごとく寂聴様が新たにご本を出版なさいました。彼女の生没年は不詳にて、本文中には九十歳になられた、という想定で、と言うか寂聴様が九十歳になられたそうでして、清少納言への想いを回想するのです。内館牧子流「弘徽殿女御」、林真理子流「六条御息所」のご解釈もありましたが、九十歳での書き下ろしによる清少納言の生涯。まずはこの執筆への情熱に素直に頭が下がります。
 あとがきにも出てまいりますが、次から次へと平安時代物が出版されております。
 『平成二十四年(2012)の今年は、「古事記」編纂千三百年、「方丈記」が書かれて八百年に当たる。昨年の「源氏物語」千年紀に続いて、古典文学に対する人々の関心が高まってきた。その結果、十一月一日を「古典の日」とすることが法制的に決定を見た。(以下略)』。そしてこのご本の出版日(勿論初版本)がその日であります。
 誠に慶事と嬉しくなります。
 「枕草子」を残した清少納言のことは私が云々する必要性を感じませんが、シャイにしてまさに感受性豊かな女性であったといえます。定子サロンへ出仕しだした時の初々しさ、そして道長とのつながりから出仕をはばかってしまう清少納言。皇后定子より八歳も年上ながら、周囲の目を気にしてしまう、一人の女性として。
 でもこの見解は紫式部の清少納言評とは正反対になりますが、贔屓目もあり私はそう感じます。
 「月の輪草紙」には紫式部や和泉式部、赤染衛門達も登場しますが、清少納言とつながりが想定される男性として藤原実方を始めかなりの数の名前が登場します。平安時代における男女間のことは私たちの想像を超えた次元での世界でした。これ以上は是非本書をお読みください、とお薦めしておきます。
 ところで恥ずかしながら「枕草子」全段を、原文から現代活字にだけ直されたものを読了しておりました。しかしどうもぼんやりと読み進めていたのだなと言うことを悟りました。始めから読み直しますか。でも、一〇三段だけ書かせていただきます。
 『はるかなるもの 
  千日の精進はじむる日。半臂の緒ひねりはじむる日。
  陸奥國へゆく人の逢坂の關こゆるほど。うまれたる兒の
  おとなになるほど。(以下略)』
 実方の陸奥下向を偲んでの一行です。
 

2012年11月3日土曜日

上生菓子の店頭販売をまもなく開始します。

 今まで少しだけ販売はしていたのですが、どちらかというとご注文だけとし、積極的に店頭ではお売りしませんでした。どうも、価格もお安くは出来ませんし、その割りに手間が誠にかかります。そして何よりさほどに売れる商品ではありませんでした。

 でも、関西からはお漬物も入荷しましたし、仕入れ商品としてのクリスマス関連の、お菓子も店頭に並びました。



 お客様から「かのこ庵の品物は見ているだけでも楽しくなるわ」というお声も沢山頂戴しています。先月中旬には、栃木市茶華道協会様から例年どうり大口のご注文もいただきました。栃木市にも、大勢のお茶の先生がいらっしゃいますし、そのほうの需要も軽視できないというか、田舎ながら田舎なりに一つの文化として上生菓子も、自信を持って販路を広げる気持ちを持つことに致しました。ただし、肉体労働が確実に増えます。出来るとこまでやってみよう、という気持ちが正直な所です。
 昭和六十年創業ですので、決して老舗とはいえないかも知れませんが、とても良いお客様が付いてくれている事も事実です。創業以来「薯預まんじゅう」はどこにも負けないと自身を持っております。
 商品名こそ『苺の娘(いちごのこ)』と変更しましたが、製造販売すること三十二年になります。どなたが、どちらで「元祖」と仰っても三十二年前に、この商品をおつくりになっていた方は私の知る範囲でございませんでした。今月二十日頃から変わらぬ美味しさで、販売開始の予定です。ついでですから書きますが、『勝栗まんじゅう』いつも売り切れで申し訳ないのですが、七五三の時期でもありご予約が続きます。一個からご予約をお受けしてます。お電話いただければ営業時間内はお取りおきしております。午後には無くなる事の多い商品ですので、案外にお味を知らない方が多いのでしょう。すみません。ついでですからもう一品『芋ようかん』は、お客様がおっしゃいます。「こちらのを食べたら浅草のは食べられないわね」と。嘘ではございません。お客様が申しております。それぞれに写真は商品案内に載っておりますので、是非一度はお試しください。裏切らない、ということが現在も営業を継続できている証明でもあると思います。

 「上生菓子」の販売は今月中旬をめどに、毎日五品ほど各限定十個の予定で販売します。揃いましたらいっぺんにどどっとご紹介申し上げます。
 

 只今、底冷えを感じましてストーブをつけました。作業場の床はコンクリートですので冷えるのですが、それでなくても随分と朝晩は冷え込むようになりました。皆様もお風邪など召しませぬようご自愛ください。

 写真は日光金谷ホテルの紅葉でございます。いろは坂から上はかなり紅葉が進んでいるようでしたが、かなりの混雑が予想できましたので、こちらまで来て戻ってきてしまいました。今回のカキコミは純然たる、かのこ庵のピアールの巻でございました。

2012年10月28日日曜日

「大阪維新の会、公約素案」について

 石原都知事、80歳での果敢なる転進というか、決断には相当なお覚悟があってのことと己と比べて、そのお若さに敬服申し上げます。
 勿論、オリンピックやその他の難題を投げ出したわけではなく、何一つ進まない現在の政治、政治屋に対する強い憤りが根底にあるだろうことは、推察できます。「俺がやらずに誰がやる、五輪や尖閣は国会で決める」の心意気と、まずは前向きに感心させていただきます。
 第三極の結集、必要でしょう。そして、やはり数は力となるでしょう。
 あえて多くは書きませんが、それでも、但し書きを一つだけ。どうか中途半端な野合はしないで下さい。少なくとも充分なる意見のすり合わせの後の結集として下さい。現在の政治に辟易しているのは私たち国民であります。失望感、喪失感、裏切りに近い説明不足の政治感覚に随分と踊らされてきました。いつまで続くかわからない絶望感に近いものを感じているからです。
 
 
 ところで、「橋下艦長の操縦ではタイタニックになる」とのカキコミを今年春、3月13日に投稿しました。何故か、3~4日前からこのカキコミの閲覧者が、まさにどどっという感じで増えているのです。「何だ大したことを書いているわけではないじゃないか」とお思いの方が多く、がっかりさせたかもしれませんね。
 しかし、あえて実は三度目になるのですが、もう少し書きます。失礼や間違いがあってはいけないと、「維新の会」の公約素案なるものを読み直しました。以下に記すことは「維新の会」のH/Pからの抜粋で失礼かとも思いましたが、一部(例えば、です、ます等)の省略ですので、事実は変えてありません。更に、全文ではありません。それでもご不満の方はカキコミして下さい。
 『公約素案
 2045年をめどに外国軍駐留全廃。首相は公選制とし任期は4年。大統領型の統治を目指す。道州制を視野に衆議院定数(480)を半減。予算編成権は国会に移管。キャリア官僚は40歳定年とする。』
 凄いの一言です。いくつか例えば原発の問題など簡明に断言していますので、正直嬉しくなります。しかし、しかし、「ほんまに出来るんでっか」と書きます。まだスタート前からけちをつけては可哀相だ、とも思いますが、しかしそのH/Pの中で、衆議院には比例も含めて350人の候補者を擁立する、とあります。定数半減とは240人にするということですよね。間もなく、近いうちに選挙があるのでしょうが、おそらく民主党の落選者は続出するでしょうけど、そしてある程度の数の維新の方が赤絨毯を踏むことになるのでしょうか、こればかりは神様にしかわかりませんが。
 そこで、次回もしくは次々回の選挙で、定数が半分になったとしたら、折角お金を沢山使ってご当選なさった、維新の会の皆さんの内、相当数が退場する事態が起きても不思議はありません。そもそも4~5名の削減でさえ、何年かかっても、最高裁が何と言おうと出来ないことを、維新の会の皆さんは自分が落選することを承知にての公約として、掲げてらっしゃるわけです。「いや、だから自分達ならできる」と、お考えなのでしょうか。しかし一度、手中に収めた特権はそんな簡単に手放せるのでしょうか。
 ですから、無理があるし、信じられないというか、ポピュリズムと思ってしまうのです。本当に定数は削減すべきですし、身を削ってこその消費税増税でしょう。この問題も国民はある程度理解してはいるはずです。ただ、それを決めた方たちは何一つ我が身を削ってはいない!
 話は少しそれますが、つい4~5日前にみんなの党党首がやっと矢板市を訪れ「こんな話はない。環境省は間違っている」旨の趣旨の発言を残して行きました。私が問題提起してから一ヶ月経ちます。来ないよりは来た方がよいでしょう。しかし率直なところあの人の頭の中は、政界再編、第三極作りにあると確信を持っていえます。そんなことないよと、仰られるなら、どうすればよいか道筋だけでも話すべきです。それがなくて反対だけでは困るのです、国民全てが。
 震災復興のための予算が随分とかけ離れた使い方をしています。それだというのに、我が日本人の寛容さには大いに考えされられます。結局、国民のレベル程度の政治屋しか私たちは選べなかった、ということでしょうか。残念至極です。
 
 又、書いてはいけないはずの政治向きのことを書いてしまいました。ただ、怒っているのです。どんな結びつきになるか分かりませんが、せめて国民は、石原新党がどのようになるか、しっかりと考え、直視し続けるべきです。
 それにしても、アメリカの大統領選びのための討論会、日本では無理でしょうね。
 ところで、11月18日に栃木県知事を選出する選挙が行われます。現職と共産党候補の一騎打ち(になるのかどうか予想はつきますが)の予定です。この選挙のための費用、つまり看板設置や、投開票のための職員の費用等を合算すると約八億七千万円かかるそうです。その他、各選対事務所設置やそのパンフレット等の費用は計算外です。それにて潤う事業所もあるのでしょうが、民主主義とはお金が掛かるのですねー。候補者を立てられない民主党も党としての存在価値が問われますが、どんどんと私たちが納めた税金が飛んで行くのも事実です。嗚呼。
 かのこ庵の看板の下のコスモス、満開です。そして、その先にある山茶花が今年も沢山の蕾をつけました。

2012年10月25日木曜日

「小倉百人一首」は宇都宮の殿様の発案で出来ました。

 私たちは通常、格段の事もなく「小倉百人一首」に慣れ親しんで来ておりましたが、何と過日の下野新聞にて驚かされました。知っている人も少なくはないのでしょうが、しかし(浅学といえばそれまでですが)知りませんでした。「小倉百人一首」が宇都宮城の五代目の殿様の発案によって出来た、何てことは。
 

 「百人一首、誕生秘話」、「言いだしっぺは殿様」との見出しで紹介されておりましたが、もう少し肉付けした書き込みをさせていただきます。しかし、栃木には平安時代以前に遡っても由緒ある文化人を輩出して来ていたのですね。しかも鎌倉時代頃の武士の台頭による、各地での戦が続くなかでも。

 初代の宇都宮城主は藤原宗円、平安時代の人です。
 氏族としては、藤原北家道兼流宇都宮氏となります。この五代目、「宇都宮頼綱(1178~1259)」が主人公となるのですが、戦乱の時代にありながら、父譲りの歌人としても高名でした。
 1205年六月畠山重忠の乱が起きます。
 この時、頼綱は北条氏側に与し功を上げますが、同年八月、重忠の共謀者とみなされ(この辺は何故なのか、調べる必要を感じてます)、鎌倉幕府三代将軍源実朝(北条家の説も)から謀反の嫌疑をかけられ、謝罪のためと、服従の意をこめて出家します。当時頼綱二十七歳でした。
 そして、実信房蓮生(又は宇都宮蓮生)と号し京都嵐山北側に建てた中院山荘、別名「小倉山山荘」にて隠居生活を送ります。そこで、当時の歌壇における実力者「藤原定家(1162~1241)」と親交を結びます。蓮生(頼綱)の娘と定家の息子為家との結婚もなり、縁戚となります。
 当時、貴族や神社などの襖絵に和歌の色紙を張ることが流行したそうです。そこで蓮生は定家なら素晴らしい襖絵が出来ると考え、高齢にして病を患っていたのを承知で懇願します。定家、承諾します。そして出来上がったのが、飛鳥時代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院までの中から百首を選び、色紙を贈られた、それが「小倉百人一首」の由来という次第です。
 京都、鎌倉、宇都宮は当時の三代歌壇とも言われました。頼綱さん結構やるではないですか。
 新装成った宇都宮城の写真ですが、周辺がとても整備されまして、ちょっとしたデートコースにもなりました。ただし、新しいためか綺麗ですが重みがいまひとつですね。時間が必要かもしれません。


 こちらは自宅前で昨晩撮りましたライトアップされた公園と土曜日に迎える少し前のお月様です。しかしこのライトアップですが、もう少し暖色系の色が入るととても素晴らしいといつも感じます。今はまだよいのですが、寒さが厳しさを増してきますと、通行人も夜は殆どおりません。ただただ、寒々しい光景となっていると思いませんか。私個人の意見ではなく、この界隈の皆さんの評価です。ライトアップの関係者には申し訳ないが、センスがなさ過ぎです。
 


 自室のシクラメン、まだまだ花芽を沢山つけております。