2011年8月12日金曜日

知性、稚性、痴性

 コラムニストでTV・CM評論家として名高い天野祐吉さんが、毎週水曜日朝刊の朝日新聞紙上のコーナーで、山口瞳先生の言葉として、表題の言葉を教えていただいた、との旨で書き出していました。広告の要諦は、この三つにある、と。
 私自身はTVを殆ど見ません。CATVの一日中流しているニュース番組を、見る程度でして、なぜなら、孫に占拠されていますのと、どうしても見たいという程の番組が無いという事もあります。時々CMのときに、プロ野球の得失点を見させてもらっているとの表現が似合う現況です。ですから、サントリー、ボスの宇宙人も、白戸家のご主人のことも何のことかさっぱり分かりません(ちゃんと知っていましたか)。
 でも、私淑する先生のお名前を拝見すると嬉しくなります。
 山口瞳先生は、1995年の8月30日にお亡くなりになっていますので、早いもので16年目の夏を間もなく迎えます。反戦思想の持ち主と言ってよいかと思いますが、生きていらっしゃたら今年の8月のお盆に際し、どのような言葉を残すか知りたくなります。(別儀乍ら、今年春、奥様の治子様が永眠なさいました)

 昨日、3-11以来5ヶ月を経過いたしました。
 昨日現在の死者は1万5690人にて行方不明者は未だ4735名、おられます。
 明日からはお盆です。未だにその生存を信じて、というか、受け入れられずにいる方たちが大勢おられる訳ですが、その胸中はいかばかりでしょうか。

 どうも、中部地方以西の方がすべてそのような感情を抱いている、とは考えたくはないのですが、「セシウムさん」という表現や、京都五山の送り火に東北の材木は使用しないとかのニュースに接すると悲しくなります。こんなちっぽけな島国の同胞ではなかったのでしょうか。関西方面から仕入れて販売している商品も結構あります。その仕入先のセールスに思わず聞いてしまいました。「西のほうの人にとって、今回の地震は結局は他人事なのかなあー」と。あちらでは、昨年産のお米が売り切れだそうです。
 日本中が鎮魂の季節だろうと思います。
 「京都五山の責任者出て来い」、「何のための送り火なのか」と聞きたくなります。  
 広島、長崎での慰霊祭には、少なからず日本国中の方がニュースをしっかり見届けていますし、参列する人も地元の方たちだけではなかった筈です。

 この様なことを書き込むつもりは、つい最近までなっかたのです。
 胸に納めておくべきことかと感じていたからです。むやみに騒いで余計に風評が
広がって欲しくなかったからです。でも、実りの秋が眼前に迫っています。
 栃木県はゴルフ場が沢山有ります。栃木インター近くの某焼肉店さんでは、ゴルフ帰りのお客様が激減していると聞きました。「がんばろう 日本」は言葉だけなのでしょうか。別の新聞の評論家のコラムに「日本人全てが被害者であり、加害者にもなっている」とありました。「微力と無力は違う」とおっしゃる方もいます。ボランティアとして、沢山の西日本の方達が東北に援助に入ったことも承知の上で書きます。「今は何も関係ないとしても、必ず何らかの形で私たち全ての国民にも、のしかかってくる事柄だろう」ということです。自分さへ良ければと思っていたとしても、おそらく、現在、間違いなくおきている事象、現象は結果として日本国民全てに、例えば、お米の価格の上昇とかといった事になって表に出てくる事と確信します。
 私は「寛容にして、心優しき日本人」という日本人の美徳も、厳然として存在していることをも確信しています。
 
 この時間、つまり日没の時間ですが、気温が下がりません。このブログをご覧の皆様のご健勝なる事を心より祈念します。そして、何よりも、被災地にはせめて、
優しい、涼しげな風が吹いてくれますように。
         お店の前の平井焼の壷に入れてある「風知草」です。

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